激動の時代を乗り越えてきた建物の歴史に焦点を当てた展示

東京・白金台の東京都庭園美術館本館は、昭和8年(1933年)に朝香宮家の邸宅として竣工した。フランスの芸術家と日本の技術者・職人が力を合わせてつくりあげた、世界的にも稀なアール・デコ様式を踏襲した建築の傑作で、2015年に国の重要文化財に指定されている。

現在、その建築美をじっくりと味わえる、年に1度の建物公開展が開催中だ(2018年6月12日まで)。
今年の展覧会タイトルは「旧朝香宮邸物語」。学芸員の神保京子さんは「建物誕生のいきさつから、戦前・戦後の激動期を経て今日まで、建物がどのような歴史を刻んできたのか、その物語に焦点を当てました」と語る。かつてこの空間を往来したひとびとが残した写真や資料、ゆかりの衣装などが展示され、建物が経てきた時間の集積を、より深く、身近に感じ取ることができる。

(左)旧朝香宮邸 次室・香水塔 1933年竣工時(右)東京都庭園美術館 本館 
次室と香水塔(写真提供:東京都庭園美術館)/大広間から客室に続く「次室(つぎのま)」の内装はアンリ・ラパンによる。朝香宮邸時代、「香水塔」上部の照明部分に香水を施して、熱で香りを漂わせたという
(左)旧朝香宮邸 次室・香水塔 1933年竣工時(右)東京都庭園美術館 本館  次室と香水塔(写真提供:東京都庭園美術館)/大広間から客室に続く「次室(つぎのま)」の内装はアンリ・ラパンによる。朝香宮邸時代、「香水塔」上部の照明部分に香水を施して、熱で香りを漂わせたという

アール・デコ全盛期に滞仏した朝香宮夫妻が建設。日仏合作のインテリア

旧朝香宮邸の誕生は、明治天皇の第8皇女として生まれた允子(のぶこ)妃の存在に拠るところが大きい。允子妃が朝香宮家を創設した鳩彦(やすひこ)王と結婚したことで、建物のある白金台の御料地約1万坪が下賜された。

結婚後、高輪にあった宮邸で暮らしていた朝香宮夫妻が、白金台にアール・デコ様式の館を新築することになった背景には、大正12年(1923年)に起きた2つの不幸なできごとがある。1つはフランス留学中の鳩彦王が交通事故に見舞われたこと、もう1つは関東大震災だ。重傷を負った夫のため、允子妃も急きょ渡仏。その5ヶ月後、夫妻留守中の宮邸は、震災で大きな損傷を受けた。

約2年半の間、ヨーロッパに留まることになった朝香宮夫妻は、アール・デコ全盛期のパリの文化・芸術を存分に吸収した。1925年の帰国直前には「アール・デコ」の語源にもなったパリの「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」、通称「アール・デコ博覧会」を見学している。この博覧会で重要な役割を果たしていたのが、旧朝香宮邸の内装を手掛けたアンリ・ラパンや、玄関のガラスレリーフなどを制作したルネ・ラリックだった。

旧朝香宮邸全体の設計を担当した宮内省内匠寮(たくみりょう)の技師・権藤要吉も、夫妻の滞欧と同時期にヨーロッパに留学し、アール・デコ博覧会を調査している。現地で本物のアール・デコ芸術に触れ、造詣を深めていたからこそ、海を隔てた日仏の共同作業を成功させることができたのだろう。アンリ・ラパンもルネ・ラリックも、宮邸の設計から竣工まで、一度も来日していない。デザインや施工の指示は手紙で、内装部材は船便で、遠く彼の地から送られてきた。

社交の場でもある1階の大広間や大客室をはじめとする主要室はアンリ・ラパンがデザインしているが、宮家のプライベート空間である2階の広間や各居室は宮内省内匠寮の設計による。朝香宮夫妻も、この建物の建設に情熱を傾けた。わけてもパリ滞在中にレオン・ブランショから絵を学んだ允子妃は、自ら絵筆をとって、ラジエーター・カバー(暖房器を隠すための装飾的なカバー)のデザイン画まで描いている。

「アール・デコには東洋やエジプトなど世界の多様な様式が反映されています。もちろんその中には、ジャポニズム(日本趣味)も含まれています。旧朝香宮邸には、ジャポニズムを経由して日本に逆輸入された要素と、当時の日本人によるデザインがみごとに融合している。漆や人造石、タイルや漆喰など、それぞれ強烈な個性を放つ素材や色彩、造形が隣り合っているのに、全体として均衡を保っているのは特筆すべきことではないでしょうか」(前出の神保さん)

東京都庭園美術館 本館 大食堂(写真提供:東京都庭園美術館)/南面の庭に向かって大きく弧を描くように張り出した空間が特徴。内装はアンリ・ラパン、照明器具はルネ・ラリック作「パイナップルとザクロ」。左手のレリーフ壁は彫刻家レオン・ブランショのデザインで、石膏に銀灰色の塗装が施されている。中にはめこまれたエッチング・ガラスの引き戸はマックス・アングラン作。窓下のラジエーター・カバーは宮内省内匠寮がデザインした東京都庭園美術館 本館 大食堂(写真提供:東京都庭園美術館)/南面の庭に向かって大きく弧を描くように張り出した空間が特徴。内装はアンリ・ラパン、照明器具はルネ・ラリック作「パイナップルとザクロ」。左手のレリーフ壁は彫刻家レオン・ブランショのデザインで、石膏に銀灰色の塗装が施されている。中にはめこまれたエッチング・ガラスの引き戸はマックス・アングラン作。窓下のラジエーター・カバーは宮内省内匠寮がデザインした

宮邸から外相公邸、国の迎賓館、民営宴会場を経て美術館へ…流転の戦後。

計画から完成まで、朝香宮邸の建設工事は足かけ5年に及んだ。引っ越しの際には陣頭指揮を執り、インテリアデコレーションにも心を砕いた允子妃は、疲労が重なったためか、竣工のわずか半年後に、42歳の若さで世を去った。危篤の報を受け、允子妃の甥にあたる昭和天皇も、この宮邸に行幸している。

それから14年、敗戦を経た1947年に、朝香宮家は他の11宮家とともに皇籍を離脱した。鳩彦王は熱海に移り、1981年に93歳で亡くなっている。その通夜は允子妃との思い出が詰まった旧朝香宮邸で営まれた。宮邸が東京都庭園美術館として一般公開されるのは、その2年後の1983年のことだ。

朝香宮家が朝香家となって宮邸を去ったあと、新しく住人となったのが𠮷田茂だ。1947年頃から1954年まで外務大臣公邸として使った。𠮷田は総理大臣に就任してからも外務大臣を兼務し、この館に住み続けた。かつてイタリア大使・イギリス大使を歴任した𠮷田は、永田町の官邸より、このアール・デコの館が気に入っていたらしい。この時代、旧朝香宮邸は「目黒の公邸」と呼ばれた。

今回の展覧会では、この館の2階にある書斎で執務する𠮷田のポートレートも展示されている。上下とも白のスーツ姿が印象的だ。

1951年に締結され、日本と連合国諸国との戦争状態を終結させた「サンフランシスコ講和条約」の構想は、この「目黒の公邸」で練られた。𠮷田は邸内の広大な庭を散歩しながら、さまざまな思索を巡らせたらしい。1954年、第5次𠮷田内閣の総辞職によって総理大臣の座を退いたときも、永田町の官邸ではなく、この「目黒の公邸」から去り行く𠮷田の姿が報道された。𠮷田内閣退陣後、旧宮邸は外務大臣公邸から迎賓館へと役割を変えた。1974年に今の迎賓館赤坂離宮が開館するまで、国の迎賓館はここに置かれていたのだ。

まだ「目黒の公邸」だった1950年から建物の所有権は西武鉄道に移っており、国の迎賓館としての役目を終えてからしばらくは「白金プリンス迎賓館」として一般の結婚式場、宴会場として使われた。東京都の所有となったのは、鳩彦王が亡くなった年でもある、1981年の暮れだった。

東京都庭園美術館 本館 書斎(写真提供:東京都庭園美術館)/𠮷田茂が執務室に使い、ポートレートの背景にも写っている。正方形の部屋の三隅に飾り棚を設置し、内部を八角形の空間に仕立てている。内装はアンリ・ラパン。壁、扉はシトロニエ材、床はケヤキ・カリン・黒壇の寄木張り東京都庭園美術館 本館 書斎(写真提供:東京都庭園美術館)/𠮷田茂が執務室に使い、ポートレートの背景にも写っている。正方形の部屋の三隅に飾り棚を設置し、内部を八角形の空間に仕立てている。内装はアンリ・ラパン。壁、扉はシトロニエ材、床はケヤキ・カリン・黒壇の寄木張り

森と庭に囲まれた建物が、自ら理想庭園のイメージを内包する

戦前の東京にあった典雅な建物の多くが、空襲で損なわれたり、GHQに接収されて改築されたりしたことを考えると、用途や所有者が変遷しながらも、旧朝香宮邸が創建時の面影を今に伝えているのは奇跡のようだ。

1983年の美術館開館後も、関係者は建物の保存活用、修復に力を尽くし続けた。開館30周年には新館を建設、新たな展示スペースを確保することで、本館の建築鑑賞を容易にしている。さらに、朝香宮邸時代に建てられた茶室の修復、庭園の整備も行われ、2018年3月に「総合開館」を宣言したばかりだ。

現在の東京都庭園美術館は、自然を豊かに残す広大な森林緑地「自然教育園」に隣接し、丁寧に作庭された日本庭園・西洋庭園を擁する。さらに「旧朝香宮邸は、建物の内部にも庭園のイメージが持ち込まれています」と前出の神保さんは語る。アンリ・ラパンは大食堂の壁画に理想の庭園を描いた。宮内省内匠寮の技師たちが手掛けたラジエーター・カバーには噴水をモチーフにしたものもある。「アール・デコの様式に学びつつ、繊細さと力強さを兼ね備えていて、個人的にも大好きなデザインです」と神保さん。

(上)東京都庭園美術館 本館 大食堂(下)旧朝香宮邸 殿下寝室 ラジエーターカバー(写真提供:東京都庭園美術館)/大食堂の暖炉の上の壁画はアンリ・ラパンが自ら描いた。下は神保さんもおすすめのラジエーター・カバー。2階の殿下寝室にある(上)東京都庭園美術館 本館 大食堂(下)旧朝香宮邸 殿下寝室 ラジエーターカバー(写真提供:東京都庭園美術館)/大食堂の暖炉の上の壁画はアンリ・ラパンが自ら描いた。下は神保さんもおすすめのラジエーター・カバー。2階の殿下寝室にある

会期中は本館内撮影可。アール・デコ期のフランス絵本も見学できる

建物公開展では、会期中、一部を除き本館内の撮影が許可されている。絢爛たる建築空間や装飾芸術の数々を、自身で写真に収めて持ち帰れる、年に一度のチャンスだ。通常はあまり公開されない「ウインターガーデン」を見ることもできる。

同時開催は「鹿島茂コレクション フランス絵本の世界」。フランス文学者の鹿島茂氏が30年以上かけて集めた絵本の数々が初公開されている。アール・デコ全盛期に活躍したアンドレ・エレ、漫画やアニメーションの先駆者バンジャマン・ラビエらの華やかな作品も見どころのひとつだ。

2つの展覧会に冠した「アール・デコ・リヴァイヴァル!」というフレーズには、神保さんたちの「この館から世界へ向けて、アール・デコの魅力を改めて発信していきたい」という心意気が込められている。

東京都庭園美術館HP
http://www.teien-art-museum.ne.jp/

参考文献:「旧朝香宮邸物語---東京都庭園美術館はどこから来たのか」東京都庭園美術館編

(左上)東京都庭園美術館学芸員の神保京子さん(右上)会期中、限定公開されている「ウインターガーデン」(左下)本館1階喫煙室にはパリ滞在中の朝香宮夫妻の写真などが展示されている(右下)同時開催の「鹿島茂コレクション フランス絵本の世界」(左上)東京都庭園美術館学芸員の神保京子さん(右上)会期中、限定公開されている「ウインターガーデン」(左下)本館1階喫煙室にはパリ滞在中の朝香宮夫妻の写真などが展示されている(右下)同時開催の「鹿島茂コレクション フランス絵本の世界」

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