会津若松の観光地「七日町通り」
東北地方屈指の観光地、会津若松市。
会津藩の城下町として栄え、鶴ヶ城や飯盛山などの歴史的な観光資源が豊富で、年間の観光客数は約300万人にのぼる。そんな会津若松の観光地のひとつとして挙がるのが、「七日町通り」だ。七日町通りは、会津の中心市街地 大町四ツ角から西に延びる約800mの通りで、明治から昭和初期に建てられた蔵や商家の木造建築、近代的な洋風建築などのレトロな街並みが人気を集めている。
今は地元の人や観光客で賑わう七日町だが、20年前はこの通りのほとんどが空き店舗のシャッター商店街だった。昭和の半ばまでは会津随一の繁華街として栄えた七日町も、人口減少や大型ショッピングセンターが郊外にできたことによる空洞化、店主の高齢化もあり、商店会は解散、どんどん空き店舗が増えていった。そんな中、会津若松を訪れる観光客など、外から人を集めることで、商店街の活路を見出そうとした人たちがいる。現、七日町通りまちなみ協議会 会長の渋川恵男氏と、副会長の庄司裕氏、目黒章三郎氏の3名だ。
地元に帰ると、栄えていたまちはシャッター商店街に
写真上:七日町駅前に佇む「渋川問屋」。明治に建てられたもので、外観がそのまま残っている。当時海産物を会津一円へと運ぶ問屋として栄えた。今は郷土料理を振る舞う飲食店と宿泊施設になっている。店舗の改修などは渋川氏によるものだ写真下:七日町通りまちなみ協議会 会長の渋川恵男氏
渋川氏は高校卒業を機に上京。20年以上故郷を離れ、家業である渋川問屋を継ぐため実家のある会津若松に帰ってきたのだが、あまりの変貌に驚く。
「子どもの頃の賑わいと比べたら、まったく別のまちのようになっていました。駅には数人の駅員がいたのに無人駅に、商店街は人も通らず、ボロボロの建物も目につく。シャッター商店街を通り越してゴーストタウンにでもなってしまったのかと。まちはこうも変わるのかと驚愕しました」と、渋川氏。
かつての賑わいを取り戻すために、渋川氏と庄司氏、目黒氏の3名は、交流人口の増加に着目する。人口減少の流れは止められない。だったら、観光客を取り込み、交流人口を増やすことで、商店街としては一度消滅した賑わいを取り戻そうとしたのだ。
「七日町通りの建物調査をしたところ、明治や昭和初期の蔵や洋館、木造の商家などが数多く残っていることがわかりました。ただ、その多くはもとの形を留めておらず、戸はシャッターやアルミサッシなどの新建材で覆われていました。これを取っ払って元に戻せば、大変なまちなみ形成ができる。会津は戊辰戦争で負けましたが、明治以降に当時の人たちが必死でまちを盛り立てた歴史が残るこのまちなみ、建物を残したい。会津を訪れた人に見てもらいたいと思いました。」
一軒の茶屋からはじまった景観整備が徐々に拡大
1994年、"大正ロマンのまちづくり"をコンセプトに七日町通りまちなみ協議会を発足。渋川氏らは店主に店舗の改修を薦めるなどしたものの、渋川氏をはじめ3人とも一度地元を離れて帰郷した、いわばよそ者のような存在。高齢の店主たちは、「これまで色々やって、それでもダメだった。何をやっても無駄だ」と冷たい反応だったと言う。だが、そこでひとつの契機が訪れる。
「米の規制緩和もあり、廃業を考えていた山寺米穀店に、業種の変更と店舗の改修を提案しました。店主が決断し、店舗の改修をすることに。昭和初期の建物で、新建材で覆われていましたが、カラータイルを土間に、シャッターを取り払ってアルミサッシを木の戸に、元々の建物の形に戻しました。お米を使ったお菓子や雑貨の販売をする『やまでら茶屋』として営業することになりました。」
その後の渋川氏らの地道な広報もあり、いくつかのガイドブックに茶屋が取り上げられた。その誌面を見た観光客が茶屋を訪れるようになったのだ。さらに、渋川氏らはこの成功事例を加速させるべく、商店街の店主たちを一軒一軒説得し、3分の2の同意を得て1995年に景観協定を締結。景観協定により、店舗改修に助成金が出るようになった。店舗の景観整備とともに、人を呼び込むイベントの開催も継続して行われた。七日町を訪れる人が増え、やまでら茶屋に観光客が訪れる様子を間近に見て、自分たちも…と、これまで乗り気でなかった店主たちから渋川氏に相談が入るように。そして店舗の改修は徐々に拡大していった。
無人駅を駅カフェにリノベーション
七日町を歩いていると、周囲の景観に合わせて改修が進められた店舗をいくつも見ることが出来る。さらには、店舗の改修だけでなく、駅まで変えてしまったのだ。
「七日町駅は、無人駅になって以降、地元の学生しか利用せずたまり場のようになって印象もよくなかった。まちの人たちから、『商店街がこれだけ変わって、駅はどうするの?』という声が上がるようになりました。私自身も気になっていましたが、まちの人も気になっていたんです。駅に駅員を常駐できないか、JRに掛け合いました。最初は断られたのですが、あまりにしつこく熱心に行くものだから、駅を貸してもらえることになりました。2002年、県などの補助を受け駅を洋館風にリノベーションし、会津の雑貨やお土産物が買える駅カフェとしてオープンしました。」
七日町駅では毎年、大晦日にカウントダウンイベントを開催。すぐそばの阿弥陀寺では除夜の鐘が誰でも突けるとあって、長蛇の列が出来るそうだ。人が集まる場所に駅もまた変わったのだ。
そして、いま動き出しているのは大型のふたつの商家の活用だ。
ひとつは、七日町通りの中程にある蔵を改修した「七日町パティオ」だ。旧家芳賀家により明治時代に建てられた4つの蔵を大屋根で囲い、中庭をつくり回遊性を持たせている。経済産業省の補助事業に採択され、改修費の3分の2は補助を受け、3分の1は七日町まちづくり協議会が負担した。
「これまでもイベントは開催していましたが、これからは、パティオを最大限に活用して恒常的にイベントを開催していきたいと思っています。」
会津の大商人の蔵が飲食店に、続々とリノベーション
もうひとつが、会津を代表する大商人であった福西家が建てた母屋や蔵を再生した「福西本店」だ。七日町通りと隣接する野口英世青春通りに位置するのだが、目にした瞬間重厚な黒漆喰の蔵に驚く。蔵が6つに、母屋などの木造建築3棟と、大きな建物である。お土産物などを扱う商店として営業していたが、個人で所有するには負担も大きく維持が大変だったようで、競売にかけられていたそうだ。持ち主が渋川氏に相談し、こちらも七日町パティオと同様に経済産業省の事業に採択されるに至った。
「2017年4月に表に面する黒漆喰の炭蔵が、炭火焼きの専門店としてオープンしました。他の建物は順に改修を進めており、最近母屋が終わったばかり。観光誘致の目玉となるような施設にする予定で、どんな使い方をするかを現在検討中です。」
2年ほど前に、個人的に七日町を訪れたときにも感じたのが、蔵や商家のたたずまいが目を引き、入っているテナントも飲食から雑貨まで幅広くて面白いということ。今回再び訪れて驚いたのが、さらに店舗の改修や誘致が進み、以前は見かけなかった店が増えていることだ。渋川氏によれば、20年前は7割が空き店舗だったそうだが、今ではその逆で3割程度まで減ったと言う。
ふたつの旧家の活用という、さらに大きなチャレンジに乗り出した七日町。まちの変化を楽しみに、ぜひまた訪れてみたい。
七日町通りまちなみ協議会
http://nanuka-machi.jp/
七日町パティオ
https://www.hagakekura.jp/
福西本店
https://www.fukunishi-honten.jp/






