空き家対策から始まったまちづくり

大阪府で唯一、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている富田林寺内町。昔ながらの町並みがよく保存され、点在する店舗も町の雰囲気と違和感がないため、タイムスリップしたような感覚に陥るほどだ。第5回まちづくり法人国土交通大臣表彰で、国土交通大臣賞を受賞した実績もあり、町並み保存を志す他地区からの見学も多いという。
これほど町が完成されている背景には、2009年9月に町の有志が立ち上げた「LLPまちかつ」が深く関わっているらしい。
LLPまちかつは、『アートと工房のまちづくり』をコンセプトに、空き家所有者と入居希望者のマッチング「町家むすび」を主な活動としているが、行政への働きかけで出店者の金銭的負担を減らしたり、改築の支援をしたりと、出店までバックアップしてくれる心強い団体だ。

代表の佐藤康平氏は、
「LLPまちかつを立ち上げたきっかけのひとつは、空き家の対策です。2014年に日本創成会議が指定した『消滅可能性都市』のリストに、富田林市が入っているのですが、あながち間違いではないと思います。実際、2009年当時、寺内町には約60軒の空き家がありました。高齢の住人も少なくありませんから、放置していれば今頃もっと増えていたはずです。2年前に再調査したところ、空き家の数は依然として約60軒。数字の上では変化がありませんが、賑わいは増えているのではないかと思います」
と、教えてくれた。
空き家問題を抱えているのは、富田林市だけではないだろう。そこで佐藤氏に寺内町を案内していただきながら、まちづくりについてお話をうかがった。

タイムスリップしたような感覚に陥るほど、昔ながらの町並みそのままに保存されている富田林寺内町タイムスリップしたような感覚に陥るほど、昔ながらの町並みそのままに保存されている富田林寺内町

『アートと工房のまちづくり』がコンセプト

町屋を改装した骨董のお店「Tantra」。寺内町にあるのは『アートと工房のまちづくり』のテーマに合った店舗ばかりだ町屋を改装した骨董のお店「Tantra」。寺内町にあるのは『アートと工房のまちづくり』のテーマに合った店舗ばかりだ

寺内町の端正な町並みにはゴミ一つ落ちておらず、静かな中にも管理の行き届いた「生きた町」を感じさせる。店舗の数は50あまりで、約30店舗がLLPまちかつの仲介だそうだ。しかし、ただ店を招致すればよいという考えではない。あくまでもテーマは『アートと工房のまちづくり』なのだ。
なぜ芸術に注目したのだろう。

「定番のお土産物屋さんが並ぶ観光地にするのではなく、特徴のある店舗展開をしたいという考えがありました。大阪芸術大学の教授に相談したのですが、芸術で生活をするのは難しく、この町で家賃を支払いながら、アトリエを持つ余裕はないとのこと。そこで、手作り感のあるお店を招くことにしたのです」
と、佐藤氏。

重要伝統的建造物群保存地区は、町並みこそ保存が求められるが、建物内部は制限がないので、自由に改築できるのも店舗を誘致しやすいポイントだろう。

LLPまちかつの仲介した店舗は陶器工房やギャラリー、食事処など、業種こそ多様だが、それぞれに店独自の特色があり、アートを感じるものばかり。ただ現在は週末だけ開店しているお店も多く、今後は週を通して営業しても商売として成り立つようなまちづくりに取り組んでいかねばと考えているそうだ。

イベントが町の一体化のきっかけにも

町の一体化で自主防災組織ができ、住民なら誰でも使用可能な防火用水も配備された町の一体化で自主防災組織ができ、住民なら誰でも使用可能な防火用水も配備された

佐藤氏は、町並み保存運動に取り組み、LLPまちかつとの連携も強い「富田林・寺内町をまもりそだてる会」の会長を務めた実績もあり、「町家むすび」以外にも、さまざまな町おこしイベントに携わっている。そして、イベントが町民を一つにする効果を実感しているという。
「寺内町は筋ごとに分かれて9つの町会がありましたが、ほとんどの住人は、別の町会の人の名前も知らない状態でした。そんな中、9つの町会がひとつになってイベントを開催した意味は大きかったと思います」
最初のイベントは、「寺内町燈路」。イベントをきっかけに町の一体感が生まれ、年に一度の町内一斉清掃が開始されたほか、自主防災組織をつくって、防災訓練も実施されるようになったのだそうだ。その後もさまざまなイベントが企画され、これまでに「後の雛まつり」やアートクラフトフェアなども開催されている。

ところで、9つの町会を有するほど大規模の町が、かくも整然と残ってきた理由は、その歴史にもあるらしい。
富田林寺内町の歴史は古く、1558年(永禄一年)に始まる。桶狭間の戦いがその2年後だから、織田信長が天下に手を伸ばしかけたころのことだ。当時のこの地は「富田の芝」と呼ばれる荒地だったが、近隣に住む八人の商人が、西本願寺派興正寺を招聘。八人衆が中心となってまちづくりをしつつ、河内木綿などを石川~大和川の水運を利用して運び、堺で商売をしていた。堺では信長に関する情報を仕入れ、一向宗寺院を擁しているにも関わらず、石山合戦では信長に対して融和策をとったのだという。だからこそ、富田林寺内町は焼き討ちを免れたのみならず、「寺内之儀、不可有別条(じないのぎ、べつじょう あるべからず)」との安堵状を得た。だから税を免除されたほか、楽市楽座の許可を受けることもでき、商業都市として発展したのだ。

昔から寺内町の人々は、機を見るに敏だったのだろう。

しっかりとした行政との連携も富田林寺内町の特長

イベントホールとして再生した、万里春酒造の酒蔵イベントホールとして再生した、万里春酒造の酒蔵

町のもつ歴史ゆえというわけではなかろうが、LLPまちかつや富田林・寺内町をまもりそだてる会は、行政との連携が強い。重要伝統的建造物群保存地区として文化庁から、国土交通大臣賞受賞の町として国土交通省からの助成金を受けるほか、富田林市とも連携しながらまちづくりに取り組んでいる。
しかし、今後はもっと工夫が必要だ。すでに約50軒の店舗があり、地理的条件や保存状態のよい物件は埋まりつつあるので、大型町屋の利用も考えていかねば、出店数は頭打ちになってしまう。大型町屋は家賃も安くはなく、初期投資のリスクもあるので、既に商業的に成功している企業を誘致せねばならないが、シアターレストランや、ゲストハウスなど、利用方法のアイデアはあり、既に実現に向かいつつあるのだという。
たとえば、2015年にはクラウドファンディングを利用して、明治時代の「万里春酒造」の酒蔵をイベントホールとして再生させ、お芝居や講演会を成功させている。

富田林寺内町の進化はこれからも続きそうだ。

2016年 10月16日 11時00分