建物を“繊維で包み・編む”という新しい発想
まずはこちらの写真をじっくりご覧いただきたい。
「いったいこの建物は何がどうなっているんだ?」と思われた方も多いことだろう。
実は、この建物は“繊維によって”耐震補強がおこなわれている。
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炭素繊維を使って建物の耐震補強をおこなう…そんな斬新な耐震技術を開発したのは、1943年設立の繊維メーカー『小松精練』(本社:石川県能美市)だ。1968年に建てられた本社ビルが築40年超となり、耐震面での課題が浮上した。そこで同社の繊維製造技術を活用し、“軽くて・強くて・錆びない炭素繊維”を使って建物の耐震補強ができないものかと、会社の周年事業としての一大リノベーションプロジェクトがスタートしたという。
従来の建設業界の常識を覆す、繊維メーカーの新たな挑戦について取材した。
新分野を求めて…炭素繊維の可能性を探るプロジェクト

「もともと石川県は繊維産業が盛んな土地柄です。先端材料の開発に取り組もうと、『いしかわ炭素繊維クラスター』というプロジェクトが2012年に発足し、地元繊維メーカーに対しても様々な分野で技術開発を進めてほしいという行政からの依頼がありました。
炭素繊維というのは、石油を精製したり、アクリル繊維を高温で蒸し焼きのような状態にして作る炭素の繊維のことです。鉄と比べると“軽くて・強くて・錆びない”という特徴があるため、従来の使用用途としては、少しでも遠くへ飛ぶゴルフシャフトや、軽くて魚のアタリがわかりやすい釣竿、F1スポーツカーなど、スペシャルティスポーツと呼ばれる分野のほか、航空宇宙・軍用機などの素材としてのニーズがありました。
ただ、炭素繊維を専門とする超大手企業なら、巨大な資本をもとに航空宇宙や軍用機の分野にも参入できますが、うちのような規模の会社では超大手と同じ分野で立ち向かっても勝ち目がない(笑)。そこで、祖業をきっちりと守りつつ彼らが手を出せないような新分野に着手してみようと、2010年頃から可能性を模索してきたのです」と語るのは、小松精練の炭素繊維『カボコーマ』を開発した奥谷晃宏氏。
従来の炭素繊維は、熱を加えると硬くなってしまう熱硬化性であったことから、加工の際にコストがかかってしまうのが課題点だった。しかし、同社では間逆の性質を持つ熱可塑性の炭素繊維複合材料『カボコーマ』を開発。熱を加えることで柔らかくなるため、用途に合わせて二次加工しやすい特性が従来の炭素繊維と異なる利点だ。
大学の研究所と連携しながら『カボコーマ』の用途の可能性を探る上で、奥谷氏がたどりついたのは『緊張材(ワイヤー)の代用材を作る』というアイデアだった。
建築家の隈研吾氏とのコラボレーションにより“耐震補強”に挑戦
「工事現場などで使用されるワイヤーはかなり重量があるため、作業員の方たちが運搬・施工をする時に大変だという話を聞き、“では、ワイヤーを炭素繊維で作ったら、軽くて・強くて・錆びなくて、ちょうど良いのではないか?”と思いついたのが最初のきっかけでした。次に、“地元・石川県能登半島の伝統工芸である組紐技術を活かせるのではないか?”というアイデアをいただき、組紐職人さんの技術を用いたロッド材(ワイヤー状の素材)が完成しました。
ちなみに、今回耐震補強材として使用した『カボコーマ』は直径約9ミリ。組紐技術を応用した樹脂で炭素繊維を包み、それを7本まとめて紙縒り(こより)のような“縒り線”にして強度を高めています」(奥谷氏談)。
建設・土木分野に進出できそうな新素材の開発には成功した。しかしその素材を使って耐震リノベーションするには「誰に依頼すれば良いのか?」というのが次なる課題だった。
「建築基準法では、建物を建てる際に『使用して良い材料』と『そうでない材料』が明確に定められているため、我々が開発したような新素材の使用はなかなか許可が下りません。しかし、今回の旧本社ビルのリノベーションのように既存の建物を補強する場合であれば、新素材の使用が『耐震改修促進法』の中で認められています。
ところが『新しい材料を使って改修工事にチャレンジします!』というゼネコンさんはなかなか見つかりませんでした。そりゃそうですよね、どこの会社だって前例のない素材に手を出したいとは思いませんから(笑)。
そんなとき、たまたま建築家の隈研吾先生が視察に訪れて、『カボコーマ』を含む弊社の新素材に興味を示してくださったんです。『地球上の建物を、鉄とコンクリートとガラスで覆ってしまったのは、我々建築家の責任。だからこそ、これからの建築業界ではもっと新素材の可能性を広げていくべきだ』と我々の想いに賛同してくださり、約4年間の構想を経て隈研吾設計・清水建設施工でリノベーションがスタートしたのです」(奥谷氏談)。

この1本で10t(大型バス一台分)を吊り上げる強度を持つ。
「従来の鉄筋と違い、この軽さの素材なら耐震補強の工事作業がスムーズにおこなえるため
工期の短縮にもつながります」と奥谷さん。
写真右上:能登の伝統工芸である組紐の技術を用いることでより強度を高めることに成功した。
写真右下:あえて壁の中に隠さず、その存在を露わにしている室内の『カボコーマ』設置箇所。
接続部のボルト部分は従来の建設業界では考えられない特殊な接着剤で固定する仕組み。
そのため、工事スタッフの熟練技術は特に不要。簡単な手順で設置できるという。
竹かごを編むように“繊維で建築を編む”という隈研吾氏のコンセプトにより、耐震性だけでなく意匠性も兼ね備えている
木造のような揺れの大きくなる建物に向いているというデータも

綿密な耐震構造計算のもと設置されたという『カボコーマ』だが、一見したところあまりにもはかなく繊細な存在のようにも感じられる。いったいどのような仕組みで建物の耐震性能を補強しているのだろうか?
「耐震構造的にはポイントがふたつあります。ひとつめは雪吊りのように見える『外装部分』、そしてふたつめは建物の内側の『耐震壁』です。
雪吊りのような外装部分は、アウトドアで使用するテントと同じ仕組みで建物本体を支えています。デザインが雪吊りのように見えるのは、石川県の冬の風物詩にちなんだ隈先生の小粋な配慮なのですが、こう見えてしっかりと耐震性能が効いているんですよ!また、耐震壁部分には竹かごのようなイメージで『カボコーマ』をクロス状に配置し、筋交いの役目を果たしながら建物を強力に支えています。
『カボコーマ』を含む炭素繊維は通常の鉄筋よりも伸縮性があるため、大きな震動を受けて建物が揺れたときに“突っ張って支える効果”が高いのです。そのため、鉄筋コンクリートの建物よりも、どちらかというと木造のような揺れの大きくなる建物のほうが向いている、というデータも出ています。
これからの建設業界は、“古いものを壊して新しいものを建てる”のではなく、“既存の建物をいかに末永く残していくか”が課題。木密地域に建つ木造住宅の耐震補強にこの技術が活用できたら、国内850万戸とも言われる空き家問題対策にも貢献できそうですね」(奥谷氏談)。
繊維メーカーが創り出した最先端の材料で、100年後も残せる建物補強を

炭素繊維の未来を予感させる小松精練旧本社ビルのリノベーションプロジェクトはこうして完了したが、この技術を実用化するためにはまだいくつかの課題があるという。
「JIS規格に適合するなどの法規制をクリアすることもひとつの課題ではありますが、一番大きな課題は『施工コストの削減』でしょうか。
実際に、弊社で実施した耐震補強工事は、坪単価に換算すると従来工事に比べてやや割高となってしまいましたので実用化までにはもうひと頑張りしなくてはいけません。
実はすでに、炭素繊維の“錆びない”特性を活かし、塩害が懸念される地域の橋脚補強工事等に炭素繊維シートを利用する技術は実用化されています。今後炭素繊維の需要がさらに拡大すれば、生産コストを下げることができるため施工コストの削減にもつながるでしょう。
石川県の小さな繊維メーカーが創り出した最先端の材料を使って、世界中の古い建物を100年後も残せるようにしたい…それが開発者としての私の夢ですね」(奥谷氏談)。
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奥谷氏は謙遜して自社の事を“小さな”と表現したが、実は小松精練はファッション通でなくとも知っているであろう有名ブランドや海外のトップメゾンに高級生地を提供している日本屈指の繊維メーカーだ。石川県発・繊維メーカーの“新しい挑戦”は、未来の地球環境を守るエコ建材の分野にも進んでいる。次回は、同社が染色産業の廃棄物を使って作ったエコ建材『グリーンビズ』についてクローズアップする。
■取材協力/小松精練
http://www.komatsuseiren.co.jp/
■小松精練ファブリック・ラボラトリー『fa-bo(ファーボ)』
http://www.komatsuseiren.co.jp/cabkoma/
2016年 05月18日 11時06分