滋賀県野洲市に本社を構える荒川建設株式会社が手がけるのは、日本の気候風土に合った、流行に左右されない普遍的な美しさを備える“和の家”だ。自然素材を使ったその家は、住む人への思いやりにあふれている。同社の後継者である上原竜祐氏が、このスタイルを受け継ごうと決意した背景には「この素晴らしい家づくりを世に残さなければならない」という強い使命感があったという。霊峰・近江富士を望む同社のモデルハウスで、創業の経緯や和の家の魅力、そして伝統を残すためのビジョンを聞いた。
宮大工の仕事をしていた荒川工務店がルーツ
―本日はよろしくお願いします。まずは貴社のルーツを教えてください。
上原氏:もともと70年ほど続く宮大工などの仕事をしていた「荒川工務店」というものがあり、それを私の父が会社組織にしたのが荒川建設の始まりです。実は、私の父はもともと大手ハウスメーカーの優秀な営業パーソンだったんです。当時、一緒に働いていた凄腕の営業仲間がいて、その義理のお父さんが「荒川さん」でした。その仲間から誘われて、父が荒川工務店に合流しました。だから会社名が「荒川」で、私の苗字が「上原」なんです。
―そのような経緯があったのですね。貴社の手がける和の家は、本物の素材へのこだわりが強く伝わってきます。今いるモデルハウスも、入った瞬間にヒノキが香ってきました。最初から今のような家づくりをしていたのでしょうか?
上原氏:いいえ、当初はオレンジ色の屋根のバリバリの輸入住宅を建てていた時期もありました。その後、父が社長を引き継ぐことになり、「自分がやりたかった日本の家を造りたい」と方向転換をしたんです。そこでまずは和風住宅のフランチャイズに加盟し、ノウハウを蓄積していきました。そこからさらに「もっと日本家屋の原点に」という思いで、大工の親方の名前を冠した「しげや」という自社ブランドの家づくりへと進化していきました。
現場で気づいた自社の「お客さま想いの家づくり」
―上原さんご自身は、どのようなきっかけで家づくりの世界に入られたのですか?
上原氏:正直に言うと、最初は「ヒノキがいい」「無垢材や漆喰がいい」というこだわりはありませんでした。むしろ、社長である父と一緒に仕事をするのが嫌で、住宅とは関係のない業界に就職したくらいです。でも19歳か20歳の頃、反発している私の気持ちを汲み取ってくれたのか、父が「現場で大工をしてみたらどうや」とすすめてくれました。大工には少し興味があったこともあり、そこから結局11年間、大工として家づくりに携わりました。
―11年間の大工経験の中で、今の家づくりへの思いが醸成されていったのでしょうか?
上原氏:はい。私は「しげや」の親方の下で働いていたので、ヒノキや漆喰が当たり前の環境で育ちました。でも、ほかの会社の現場へ行くと、職人さんたちの考え方が全然違うんです。無垢材は少し壁にコツンと当たるだけで傷になって目立ちます。だから私たちは、材料をすべて養生して仕事をするのが常識でした。しかし他の現場では、案外そこまでしていない。彼らからすれば「最終的には壁に隠れるから問題ない」という考えですが、それを見たときに「うちの会社って、お客さまにとってすごく良い家づくりをしているんだな」と気づかされました。もし自分の家だったら、材料を雑に扱われたら嫌じゃないですか。隠れる部分だとしても、壁の中が傷だらけだったり汚れていたりしたら悲しいですよね。だからこそ、神経質に丁寧に仕事をする私たちのスタイルが、いかに特殊で、いかにお客さま想いであるかを肌で感じたんです。
―現場での丁寧な仕事ぶりが、自社への誇りに繋がっていったのですね。
上原氏:素材の扱いだけでなく、仕事への姿勢も違いました。造作家具ひとつとっても、大工が図面を見て「これ、ほんまにこれでええんか?」「こう直した方が使いやすいんちゃうか?」と、住む人の暮らしを想像しながら仕事をするんです。
たとえば、現場を見たお客さまが「階段下にスペースがあるけど、収納にできないかな?」と思うことがあります。そういうとき、普通なら大工は「営業さんに言ってください。追加費用が発生しますよ」と突っぱねて、絶対に現場の判断ではやりません。でも私の親方はお客さまに「じゃあ床張っといてあげるよ」と答える。現場監督と営業には「今日お客さまが来て『階段下開けて』って言うから開けとくぞ」とコミュニケーションを取りながら、その場で柔軟に対応するのが当たり前でした。職人は職人、現場監督は現場監督、営業は営業で、「どうやったらこのご家族が住みやすいか」を真剣に考えている。私は「この家づくりを残したい」と思うようになりました。荒川建設の考え方や姿勢が好きだったから、会社を継ぐ決意をしたんです。
先人の知恵で、真の住み心地を実現する
―最近は高気密・高断熱などの性能を前面に打ち出す会社も増えていますが、その点についてはいかがですか?
上原氏:そういった売り出し方のほうが、マーケットも広くて売りやすいとは思います。でも、だからといって方針転換するのは、今まで荒川建設の和の家や自然素材が好きで建ててくれたお客さまに対して筋が通らないと思うんです。これまでどおり私たちの強みを大切にしていきたいですね。
もちろん、数値を追求して極限まで性能を高める家づくりも、ひとつの素晴らしいアプローチです。私たちも、現代の基準に合わせた高い断熱性や耐震性はしっかりと確保しており、冬も暖かく安心して暮らしていただけます。そのうえで私たちが大切にしているのは、一定水準以上の十分な性能をクリアしたあとは、数値をさらに引き上げるためのコストを、無垢材や自然素材といった五感で感じる「日々の心地よさ」に回していただきたいということです。数値上の性能だけでなく、空間がもたらす「真の住み心地」とは何かを、常に考えています。
「滋賀や京都には、歴史ある街並みが多く残っていて、人々をひきつけています。それは、街並みを形成している古い建物が文化的な背景をにおわせているから。その地域に合った最適な素材と最適な構造という文化です」と上原氏―昨今の家づくりにおいては、コストパフォーマンスがより重視される傾向にあります。コストダウンのために1階と2階を同じ大きさにする「総二階」の住宅も多いですが、貴社の家は違いますね。
上原氏:はい。おっしゃるとおり総二階は合理的で無駄がなく、コストを抑えられます。でも、私たちがかっこいいと思う和の家は、1階が大きく、2階が小さい形なんです。これには見た目の美しさだけでなく、先人たちの知恵が詰まっています。屋根の軒を深く出すことで、夏の暑い直射日光を遮り、冬の低い太陽の光は部屋の奥まで取り入れることができるし、雨風から外壁を守ってくれる。そうした昔の人が工夫を重ねて作り上げてきたものにはコスト以上の素晴らしい価値があると感じています。
それに昨今は、子どもたちもリビング学習が主流で、2階の子ども部屋は寝るためだけの最低限のスペースがあれば十分というご家庭も増えました。総二階というコストパフォーマンスに優れた選択肢もよいですが、ライフスタイルに合わせて「1階の空間を充実させ、2階をコンパクトにまとめる」という建て方も、住む方にとって理にかなった心地よい形だと思っています。
―2階の天井が低いのも、和の建築の特徴なのでしょうか?
上原氏:そうですね。1階はゆったりとした天井高で広がりを持たせつつ、2階は少し低く抑えています。洋風の家の高い天井による開放的な空間も素敵ですが、和の家には、茶室のように天井を下げることで生まれる心地よい落ち着きがあるんです。
経年が味になる。流行に惑わされない和の家の普遍的な魅力
―先人の知恵が詰まった和の家ですが、デザインの面でも独自の魅力があると感じます。
上原氏:和の建物って、流行り廃りがないんですよね。たとえば、オレンジ色の屋根の輸入住宅では、その時々のトレンドが色濃く出るため、15年、20年と時間が経つと、どうしても少し古臭く見える。「あ、この頃に建てた家だな」とすぐに分かってしまうんです。でも、和の家はいつでもずっしりとした重厚感があり、15年経っても古臭くなるどころか、むしろ「味が出ている」と感じられる。そうした普遍的なデザインが強みです。
―自然素材を使っているからこそ、経年変化も楽しめそうですね。上原さんも自邸を建てられたと伺いましたが、無垢材の住み心地はいかがですか?
上原氏:自邸は建ててから5年ほど経ちますが、住めば住むだけ家がなじんでいくのを実感しています。実は先日、無垢材の床にフライパンを落としてしまって、ボコーンとへこませてしまったんです。でも、それも「味」になります。合板のフローリングだと、傷がつくと表面のシートがめくれてしまって、すごく気になってしまいますよね。でも、無垢材なら傷やへこみすらも家族の思い出として気にならない。建具も大工が手作りしてくれたもので、既製品にはない温もりがあります。長く住むことを前提とした味の変化こそが、私たちの家づくりの最大の魅力だと思っています。
伝統を次世代へ残すための“攻め”へ
―お話を伺っていると、上原社長はお父様とは少し違う視点で会社を牽引されているように感じます。
上原氏:父は「自分の理想とする和の家を提供したい」という職人肌のスタイルでした。それに対して私は、「この素晴らしい家づくりを残したい」という想いで経営しています。残すためには、お客さまのニーズに寄り添う柔軟性が必要です。たとえばデザイン面でも、純和風よりも「和モダン」が好きというお客さまも多いため、ニーズにお応えして、モダンだけど和の雰囲気を残した家づくりにも積極的に取り組んでいます。そうしてお客さまに喜んでいただき、適正な利益を確保していくことが、結果的に私たちが大切にしている和の家づくりを守ることにつながると信じています。
―最後に、この先50年、100年を見据えた時に、どのようなビジョンをお持ちですか?
上原氏:現状維持では、和の家や和の住文化を残していくことは難しいと感じています。現在は年間20棟弱という数が、建てられる限界です。なぜなら、私たちが信頼している顔の見える職人さんだけで現場を回しているからです。来年いきなり「40棟建ててくれ」と言われても、質が担保できないから無理なんです。なので、理想としては、私たちが実践している家づくりの姿勢やノウハウに共感してくれる同業の工務店が増えるような取り組みにトライしてみたいと思っています。良いものをただ守るだけでなく、新しい手法を積極的に取り入れる。職人の手仕事を未来へつなぐために、これからも“攻め”の姿勢を続けていきたいですね。
―流行や風潮に惑わされない、「人が住む」という原点に立ち返る荒川建設の家は、近江富士が紫式部の時代からこの地で愛されているように、日本の美しい住文化として次世代に受け継がれていくものと思います。本日はありがとうございました。












