荒川を挟んで東京都北区・赤羽と向かい合う、埼玉県川口市。人口は2026年8月現在で約61万人と、県内ではさいたま市に次ぐ規模の市となっている。
その中心となる川口駅は、JR京浜東北線の主要駅として1日約15万人が利用する、市の玄関口だ。上野まで約20分、新宿・大宮まで約25分、東京駅まで約30分で行ける抜群のアクセス。都心への近さに加え、駅前には暮らしに必要な機能がコンパクトにまとまり、都心近接の住まいを求める幅広い世代から注目を集めている。
これだけ都心に近いにもかかわらず、住宅地の価格は川を挟んだ赤羽と比べるとまだ大きな差がある。2026年の国土交通省地価公示価格は、赤羽駅から徒歩5分ほどの住宅地で1m2あたり160万円台であるのに対し、川口駅から徒歩10分ほどの住宅地は1m2あたり50万円台となっている。
そんな川口が、いま大きな転換点を迎えようとしている。駅周辺の再開発、そして2030年代後半以降に予定されている上野東京ラインの停車計画。過去から現在までの歩みをたどりながら、市への取材も交えて、これからの川口について考えてみたい。
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【川口の過去】河口の集落から、鋳物のまちへ
そもそも川口という地名は、旧入間川に注ぐ荒川の河口に臨む土地であったことに由来するといわれ、「義経記」にも、1180年(治承4年)に源義経が武蔵国足立郡小川口で兵をあらためたと記されている。この街の原点は水辺にある。
江戸時代の1617年(元和3年)以降に整備された日光御成道には、将軍の日光社参にともなう休憩所(錫杖寺)や問屋場が置かれ、1731年(享保16年)の見沼通船の開始によって舟運と陸上交通が結ばれる。江戸という巨大消費地の隣にあり、川と道でつながっている。この条件が、川口に産業を生んだ。
その代表が鋳物である。発祥には諸説あるが、荒川や芝川から採れる良質な砂と粘土が鋳型づくりに適し、運搬にも労働力にも恵まれていたことが定着の理由といわれる。鍋や釜から梵鐘まで手がけ、幕末には幕府や諸藩から大砲・弾丸を受注した。造り上げた製品を、水路と陸路で江戸へ送る。それが川口の稼ぎ方だった。
もっとも当時の川口町は、今の本町1丁目と金山町あたりに300戸ほどが集まる小さな町にすぎなかった。現在人が行き交う駅前の一帯は、見わたす限りの田畑と湿地だったそうだ。
その風景を変えたのが、近代の交通である。1910年(明治43年)には川口町駅(現・川口駅)が開業し、1928年(昭和3年)には初代の新荒川大橋が架かる。舟運が担ってきた原料と製品の運び口に、鉄道と道路が加わった。そして第一次世界大戦による好景気で、鋳物工場は一気に増え、1933年(昭和8年)の市制施行を経て、1947年(昭和22年)には、生産額が全国の約3分の1を占めるまでとなった。キューポラ(銑鉄を溶かす直立炉)の煙突が林立し、煙で景色が霞むほどであったという。
だが最盛期は、同時に転換点でもあった。1973年(昭和48年)を頂点に生産量は減少に転じる。宅地開発が進むにつれて鋳物工場は次々と姿を消し、煙突は街から消えていった。
そして、工場が去ったあとに残ったのは、まとまった広さの土地だった。象徴的なのが、市域を代表するもうひとつの大工場の跡地である。1923年(大正12年)に着工し、80年間稼働した、のちのサッポロビール埼玉工場は、2003年(平成15年)9月に閉鎖。約12haに及ぶ敷地は都市再生機構によって複合都市「リボンシティ」として再開発され、2005年11月に商業施設「アリオ川口」が開業した。マンションや一戸建て街区、並木元町公園が一体で整備され、工場の街から暮らしの街へという転換を、いちばんわかりやすい形で見せることになる。
行政区域も広がり続けた。1940年(昭和15年)に新郷村・神根村・芝村、1956年(昭和31年)に安行村、1962年(昭和37年)に美園村の一部だった戸塚を編入。そして2011年(平成23年)10月、日光御成道の宿場町として共に栄えた鳩ヶ谷市と合併し、面積約62km2、人口約58万人の新しい川口市が誕生した。2018年(平成30年)には中核市へ移行している。
そして現在、川口市の人口は約61万人(2026年8月時点)。さいたま市に次ぐ埼玉県内第2位であり、政令指定都市を除く市としては全国でも有数の規模だ。造る人が集まり、住む人が集まり、また新しい人が集まる。川口は、外から来た人を受け入れることで大きくなってきた街といえる。
【川口の現在】駅の東口と西口で同時に進む都市の更新
その川口が、今また大きく姿を変えつつある。しかも駅の東口と西口で、性格の異なる更新が同時に進んでいる。
川口駅東口の更新
東口で先陣を切ったのが、2023年3月に竣工した「川口栄町3丁目銀座地区第一種市街地再開発事業」だ。川口銀座商店街(樹モール)に面した約1.1haを建て替えた事業で、4階から上が481戸のタワーマンション「プラウドタワー川口クロス」、1〜3階が商業施設「樹モールプラザ」。スーパーやクリニック、子育て支援施設など約40店舗が入る。
特徴的なのは、敷地を東西に貫く通路を設け、商店街から直接出入りできる路面店を残したことだ。昔ながらの商店街の動線を断ち切らずにタワーを建てる——新旧が並ぶ東口の風景は、こうした設計判断の積み重ねでできている。
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2025年5月には、旧そごう川口店の建物をリニューアルした「三井ショッピングパーク ららテラス川口」が開業。そして駅から南に約400mの地点では、地上28階建てのタワーマンション「パークタワー川口本町」が2026年9月に完成を迎えた。高さ約94mの住宅棟(225戸)と3階建ての商業棟が建ち、敷地内には広場が設けられ、2階の屋上庭園は浸水などの災害時に地域住民の避難スペースとして開放される計画だ。
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川口駅西口の更新
一方の西口で進むのは、文化施設の更新である。1990年開業の「川口総合文化センター・リリア」は大規模改修を経て2026年7月にリニューアルオープン。その隣では、2026年9月に「川口市立美術館」がグランドオープンした。JR川口駅西口から徒歩約2分、リリアと川口西公園(リリアパーク)に隣接する立地で、駅のデッキから雨に濡れずに入れる。
商業と住宅を更新する東口、文化を積み増す西口。同じ駅の両側で、違う方向の都市の更新が同時に進んでいる。
住民の多様化
また、現在の川口を語るうえで欠かせないのが、住民の多様化だ。2026年7月時点で、市内には5万6,524人の外国人が暮らしており、人口に占める割合は9.26%。およそ11人に1人が外国人という計算になる。中国、ベトナム、ネパール、フィリピンなど、さまざまな国籍の人が暮らしている。10年前の2016年には2万7,641人、比率は4.7%だったことを考えると、川口の街を構成する「人」も大きく変わってきた。
一方で、人口や住民の多様化が進むなか、川口では「治安」をめぐる市民の意識にも変化が見られる。犯罪認知件数は20年前と比べて減少している一方、「治安が悪くなった」と感じる市民は近年増えており、実際の犯罪状況と市民が抱くイメージとの間にギャップが生じている。
川口駅に上野東京ラインの新ホームの計画
川口を語るうえで特に欠かせない話題として、市とJR東日本は2025年4月に「川口駅上野東京ラインホーム及び自由通路等整備に関する基本協定」を締結した。京浜東北線ホームの西側に新ホームを設ける方針で、利用開始は2030年代後半以降の見込みとなっている。
上野東京ラインが停車することで、川口駅から都心や東海道線方面へのアクセスはさらに広がる。県内で2番目の人口を持つ川口が、ベッドタウンとしてさらに注目されることは間違いない。
川口市役所に聞く、駅周辺のこれから
より詳しく川口エリアについて知るために、川口市役所にこの街の過去・現在・未来についての話を聞いてみた。
―川口市の特徴や「川口らしさ」とは何でしょうか。市外の方には意外に知られていない点も含めて教えてください。
川口市は埼玉県の南の玄関口として、荒川を隔てて東京都に隣接し、人口は61万人を超え、政令指定都市を除くと全国で2番目の規模を誇る自治体です。
新宿まで電車で約25分、東京駅までは約30分と都心へのアクセスが良好でありながら、広々とした緑あふれる公園や、豊かな自然が残る、住むには「ちょうどいい」まちと言えます。
―市民に長く親しまれてきた場所や風景を挙げるとしたらどこでしょうか。その場所が親しまれてきた理由も併せて教えてください。
1967年の開園から60年近くにわたり、市民の憩いの場として親しまれている「グリーンセンター」。現在の上皇ご夫婦がお泊りになられた貴賓室があるなど、格式高い歴史を持つ一方、川口で育った人はもちろん、市外からも多くの人が訪れる花と緑が美しい施設です。
―川口駅周辺では今後どのような変化が起きていくのでしょうか。現在進行中の取り組みと、これから着手するものについて教えてください。
2025年度(令和7年度)、将来的な川口駅周辺の公共施設等の在り方について検討するため、有識者等を交えた「川口駅周辺在り方検討委員会」を開催しました。当該委員会を経て、2026年(令和8年)1月に「川口駅周辺まちづくり指針(素案)」を策定し、今後、技術的および財政的な検討・検証、パブリック・コメント等で市民の意見を伺うことにより、「川口駅周辺まちづくり指針(素案)」の内容を精緻化し、実現の可能性を踏まえた「まちづくり指針」の策定を目指しています。
―上野東京ラインの川口駅停車に向けた事業が動き出していますが、どのような効果を期待されていますでしょうか。
効果として期待しているのは、通勤・通学の円滑化など利便性の向上により、移住・定住者、および来訪者が増加することで「真に選ばれるまち」となることです。
川口駅は1日約15万人が利用する本市の玄関口ですが、上野東京ラインが停車することで、都心へのアクセス時間が短縮されるだけでなく、東海道線沿線まで直結します。さらに、現在JR東日本が計画を進めている上野東京ラインと連結する「羽田空港アクセス線(仮称)の東山手ルート」が開業すると、川口駅から羽田空港へのダイレクトアクセスが期待され、この「速達性」と「直結性」の向上は、住む場所としての選択の大きな後押しとして期待できます。
61万都市の「川口らしさ」は、誰がつくるのか
東口では商業と住宅が、西口では文化施設が、そして駅そのものも建て替えられていく。3つの方向の更新が同時に走る街は、そう多くない。10数年後の川口駅前は、今とはかなり違う顔をしているはずだ。
ただし、その顔がどうなるかは、まだ決まっていない。
市の回答にあるとおり、「川口駅周辺まちづくり指針」は現時点で素案の段階にある。これから技術的・財政的な検証とパブリック・コメントを経て、実現可能性を踏まえた指針として固められていく。つまり、駅前の将来像は市民の意見が反映される余地を残したまま、いま議論の途中にあるということだ。
上野東京ラインも同じだ。市とJR東日本が基本協定を結んだのが2025年4月、JRが新ホームや自由通路の概略・基本設計の委託事業者の公募を始めたのが2026年7月。着実に前へ進んではいるが、利用開始は2030年代後半以降の見込みで、まだ10年以上先の話である。市が中距離電車の停車を要望し始めてから、すでに20年近くが経っている。悲願は動き出したが、道のりは長い。
裏を返せば、川口にはまだ時間がある。ハードが完成してから街のあり方を考えるのではなく、完成までの10数年を準備期間として使えるということだ。
そこで問われるのは、増える人と、もとからいる人が、どこで出会うのかということだろう。
市も上野東京ライン停車の効果として移住・定住の促進に期待している。利便性が上がれば住民は増える。タワーマンションが建ち、新しい住民が入ってくる。一方で、樹モールには昔ながらの店が現役で残り、駅から少し歩けば長く暮らしてきた人たちの生活圏が広がっている。
鋳物の街から住宅都市へ。川口はこれまでも、時代に合わせて姿を変えることで生き延びてきた。工場が去ったあとに残った土地を住まいに変え、そこに新しい人を迎え入れてきた。今進んでいるのも、その延長線上にある更新だ。
違うのは、今回は土地ではなく、街の中心そのものが作り替えられるという点である。そこに生まれる新しい空間が、何十年後も「市民に長く親しまれてきた場所」と呼ばれているかどうか。それを決めるのは、上野東京ラインが停車するまでのこれから10数年の使い方なのではないか。
埼玉県民の一人として、川口が次に見せる表情を楽しみにしたい。














