非難を懸念したナポレオン3世から予算を削られ、長年かかって完成したオペラ座
現在のパリの骨格は第二帝政期のナポレオン3世(在位1852~1870)統治下にジョルジュ・オスマンによって作られたものだが、オペラ座として知られるガルニエ宮も同じ時期に大改造で生まれた空き地を利用してシャルル・ガルニエによってつくられた。
きっかけとなったのは1858年にナポレオン3世が11代目のオペラ用劇場で暴徒から爆弾を投げつけられたこと。
その時の劇場は仮のものとして建てられたものであり、爆弾事件の時期にはすでに築40年オーバー。であれば、首都パリにふさわしい劇場を治安の良い場所に新たに建設しようではないかと1860年に新しいオペラ座の設計コンペが行われることになったのだ。
ここで選ばれたのが当時35歳という若さのシャルル・ガルニエ。
同コンペにはノートルダム大聖堂の20年にわたる改修工事を手掛けたユジェーヌ・ヴィオレ・ル・デュックも参加していたものの、第一次審査で落選。もし、その時にヴィオレ・ル・デュックが担当することになっていたらガルニエ宮は今とはまったく違う姿になっていたかもしれない。
ただ、完成に至るまでにはオペラ座もノートルダム大聖堂に劣らぬほどの時間がかかっている。最初の礎石が置かれたのが1862年7月とのことだが、完成は前述したように1875年である。なぜ、そんなに時間がかかったのか。ガルニエ宮の公式ガイドブックによれば予算が大きな問題だったという。
ちょうどパリ中心部で病院の建築が始まる前というタイミングだったため、その前に多額の予算を使って劇場が先にできるのは非難の元になりかねないとナポレオン3世が懸念したのである。そのため、1866年以降、建築予算の削減が相次いだ。1868年には当初予算の半分にまで削減されており、それで当初計画通りに建てるには無理というもの。さらに基礎工事が始まってからは予想を超える量の地下水に悩まされたという。
パリの教会その他建物の多くは石灰岩でできているが、これらの石材はパリの地下から切り出されてきたもの。中世以降、パリの地下には作られては放棄されてきた採石場が巨大な迷路のように張り巡らされてきており、全長は300キロを超えるという。現在は危険なので立ち入りは厳しく制限されているが、ガルニエ宮の地下にも古い採石場があり、そこに水が溜まり、巨大なプールになっていたと思われる。
「オペラ座の怪人」は実際の地下構造を基にした物語
そこでガルニエは水路と巨大なコンクリートの貯水池を組み合わせた二重の基礎をデザイン。防火用貯水池として機能するようにした。多額の費用を要したこの時の難工事が今に続く伝説を生んだ。ガルニエ宮は地底湖の上に建設されたという物語である。
そしてこの都市伝説がガストン・ルルーの小説「オペラ座の怪人」のモチーフとなった。
オペラ座の地下の広大な水路に住み着いた怪人が若手オペラ歌手に恋をしたことから始まる物語はオペラやミュージカルにもなっている。著者はガルニエ宮の地下の構造や建築経緯などを詳しく取材しており、それが虚実ないまぜになったリアルさのあるドラマとして結実。オペラ座と一体になって世界に愛されるようになったわけである。
ちなみにパリの地下迷路のひとつは14区にある地下納骨堂(カタコンべ)として使われ、博物館として公開もされている。全長1.7キロほどのトンネルにはおよそ600万人の遺骨が納められている。その中にはフランス革命時の立役者だった人々や王族なども含まれているものの、判別は不能。パリの地下には怪人以外にもすごいモノが眠っているのである。
予算に加え、メキシコ出兵の失敗、普仏戦争での敗北、ナポレオン3世の廃位、第三共和政の発足などの政治的な事件もあって遅々として進んでいなかった工事。大至急!という命が下ったのは1873年に新築のきっかけとなった仮のオペラ劇場が火災で焼失した後だった。当時のヨーロッパでは劇場は火災で焼失することが多かったそうで、平均寿命は13年ほど。それからすればナポレオン3世の暗殺未遂事件の舞台となった劇場は築53年で焼失しており、長生きだったといえる。
突貫工事の期限は18ケ月。ガルニエは頑張ってなんとか前年12月30日には完成にこぎつけたものの、1月5日の落成式には正式には招待されなかったとガイドブックは伝えている。最終的に現在の金額にして3億2900万ユーロという巨額をつぎ込むことになったのが災いしたのだろう。
だが、オープン後すぐにガルニエ宮は建物自体の魅力で人を集めるようになった。公演を見に行くのではなく、建築を見に行く人が多く、演目がはっきり決まっていなくても予約で満席になったのだ。
開業当初から公演以上に昼間の劇場見学が人気に
その人気を受けてオープニング直後から今と同じように昼間の劇場見学会も開催されてきた。
当時の見学料は1人あたり2.50フラン(25ユーロ)。現在のセルフガイドツアーチケットは15ユーロ(1ユーロを160円として計算すると2400円)となっており、それなりの額にも関わらず、大行列ができるほど。150年経ってもガルニエ宮は建物としての魅力を保ち続けているのである。
その要因は他にないほどの豪華絢爛、華美の極致ともいえる空間だ。建設途中からそのきらびやかさに対しては「派手過ぎる」「無駄にお金がかかりすぎる」などさまざまな批判があったそうで、それに対してのガルニエの反論が残されている。
「劇場は牢屋よりも楽しい場所であるべきだ。皿洗いをする給仕女ではなく、舞踏会に来る女性がこの時とばかりに華やかに装うように」
ガルニエ宮だけでなく、ベルサイユ宮殿やその他の王宮なども同様に豪華さが特徴の空間だが、その一見無駄とも思える華美が多くの観光客を惹きつけている。そう考えると、ゴージャスはフランスの誇る文化であり、観光だけでなく、フランスの産業のひとつにはファッションや化粧品などといったラグジュアリーさを競う品々もあり、豪華さは莫大な富を生んでもいる。それを考えるとがルニエの華美こそが必要なものという考えは正しかったということになる。
落成式後もガルニエ宮では設備の更新が続けられた。1800年代後半は電気、ガスの普及が始まりつつある時代で、ガルニエは最新のテクノロジーを研究しつつ、ある程度技術が安定するのを待って段階的に導入していった。建物全体はネオ・バロック様式の典型とされ、クラシカルな佇まいだが、実は当時の最先端をいく建物でもあったわけだ。
建築家ガルニエがすべての芸術作品もセレクト
では、その建物内部を見学していこう。ガルニエ宮では自分一人で見て回るツアー、ガイドに説明をしてもらいながら見るツアーがあり、今回は自分で回るツアーを選択。タブレットでの解説で見学した。
そのツアーで最初に訪れるのが有名な大階段の1階下のフロア。階段の手前で最初に目にするのはピュティアの泉。泉には予言の才に長けたギリシャの女神官で、アポロ(ギリシャ神話に出てくる神、太陽神。音楽、予言などを司る若く美しい神とされる)のお告げを人々に伝えていたとされるピトニス(女予言者)の躍動的な像が飾られており、周囲の彫刻も見事だ。
作者はマルチェッロ。これだけだと男性名だが、実は芸術家として認められるために偽名を使って制作をしていたスイス人女性、アデル・ダフリーが作者である。貴族の家庭に生まれ、17歳で彫刻に関心を持ち、ローマでスイス人彫刻家に師事。その後、カスティリオーネ・アルドブランド公爵であるカルロ・コロンナと結婚するも同年に未亡人となり、以降は再婚せず、男性名で作品を発表し続けた。1858年以降パリに暮らしているので、そこでガルニエに依頼されたのだろう。
ガルニエ宮は数多くの彫刻、絵画などの作品で彩られているが、驚くことにそれらはすべてガルニエ自身が直接、芸術家をチョイス、依頼したもの。隅々に至るまでガルニエの趣味で統一された空間なのである。
ピュティアの泉の両側にある階段を上がったところにあるのがガルニエ宮のみどころのひとつ、グラン・エスカリエ(大階段)だ。建物に入ったところから大階段までは天井が低く作られているのだが、大階段は高さが30mもの吹き抜けになっており、ここで一気に気分が高揚する。幅10mの階段の両側には2体の女性像が照明を掲げるように階段を照らしており、照度もここで一変。非日常の場に来たことを実感する。
この像の台座下には火に耐えて生きるとされた伝説的な動物サラマンダーがいるのだが、これは完成時の照明がガス灯だったため、ガス管を隠す目的で取り付けられたもの。1887年にはガルニエ宮全体の照明がガスから電気に変えられている。
舞台上だけでなく、劇場内にいる人も美しく見せる空間
大階段は踊り場から左右に分かれてロビー、観客席に続いている。
その大階段を見下ろすように小さなテラスが張り出しており、来場者はそこから天井画を見上げ、大階段を見下ろす。面白いことにその姿が小さな舞台上に立つように見え、多くの人はそこで吹き抜けを背景に自撮りをする。ガルニエがその姿を見たら、きっと自分の意図通りに使ってもらってうれしいと喜ぶのではなかろうか。ガルニエ宮は舞台の上の人だけでなく、劇場内の人も美しく見えるように作られており、自撮りしたくなる空間なのである。
大階段から見上げると天井にはアポロンを描いたフランス人画家イジドール・ピルスによる明るい絵画が飾られている。アポロンは音楽の神でもあり、その象徴は竪琴。ガルニエ宮のあちこちに竪琴のモチーフが掲げられているのはそのためだ。
白い大理石が美しい大階段を挟んで上階は観客席と幕間を過ごすためのいくつかの広間に分かれる。
まずは馬蹄型の観客席を見ていこう。内装は金と赤の2色で統一されており、イメージは宝石箱。高さは60m、幅48.5m、奥行きは27mあり、総面積は1200m2。客席は5階建てで全2081席。世界でも有数の規模である。
一部がひっかかったように見える舞台の幕は平面に描かれたもので、これもガルニエの指示によるもの。二度ほど同じ絵柄で新調されている。
そして観客席でなんといっても有名なのは天井に描かれたマルク・シャガールによる天井画「夢の花束」。当時の文化大臣アンドレ・マルローから委嘱されたもので、5色に分割された区画にモーツァルト「魔笛」、チャイコフスキー「白鳥の湖」、ビゼー「カルメン」などというように14人の作曲家によるオペラやバレエの場面が描かれ、ところどころにはパリの代表的なモニュメントも。1964年9月23日に除幕、19世紀の佇まいに20世紀の風を入れたと評されたものである。
極めつきの豪華空間「グラン・フォワイエ」
観客席と大階段を挟んだ反対側にある広間のうち、もっとも豪華なのがグラン・フォワイエ(大広間)と呼ばれる細長い空間。長さ58m、幅13mに天井高18mの広間は鏡や窓の効果もあって実際以上に広く見え、特に照明が輝く時間帯は息を呑むばかりの絢爛さ。世界的なブランドのファッションショーや晩餐会などが開かれることもあるのだとか。ベルサイユ宮殿も華やかではあるものの、派手さにおいてはガルニエ宮が一段も二段も上ではなかろうか。
天井画はポール・ポードリーが描いたものでテーマは音楽史の寓話。ここでも随所に竪琴のモチーフがちりばめられている。
グラン・フォワイエの手前にあるのが大階段に面したロビー的な空間、アヴァン・フォワイエ。公演時の幕間にはここにワインを販売するカウンターが出ており、観客はワイングラスを手に2つの広間の空間を楽しむという趣向である。大階段を見下ろす場でもあるのでここから撮影する人も多い。
ここでの見ものは天井のモザイク画。金が基調で煌びやかという言葉に納得する。天井だけでなく、床のタイルも手の込んだ、それぞれに異なる柄になっており、細工の細やかさに圧倒される。
小さなサロンにも見どころ満載。上から建物を眺められるスポットも
この2つの広間の両端には月のサロン、太陽のサロンという小さな円形のスペースもあり、混雑する場を避けたいならこちらでのんびりということらしい。どちらもスペースの広さ自体は同じだが、太陽のサロンでは天井に太陽、炎を象徴するサラマンダーがいるのに対し、月のサロンでは闇をイメージさせる蝙蝠、梟が舞う。昼と夜の世界の象徴ということだろう。
もうひとつ、2つのサロンとは少し離れたところにあるのがグラシエの間。音声ガイドではアイスクリーム屋のロトンド(円形の部屋)と案内されており、かつてはここで幕間にアイスクリームを販売していたそうだ。
壁にはアイスクリーム、ワイン、お茶、狩などとタイトルが付けられた8枚のゴブラン織のタペストリーが掛けられており、窓が大きく明るいのが特徴。他の広間はいずれにも夜のイメージがあるのに対し、ここは昼の空間。天井にはフランス人画家ジョルジュ・クレランの天井画、バッカスの祭りがある。
これ以外の見学スポットとしてはオペラ座図書館・博物館があるものの、図書館では本を手に取れるわけはなく、博物館もそれほどの展示があるわけではないので通り過ぎるだけというところだろう。
出口近くには書籍やお土産品などを置いたギフトショップがあるので、興味がある人は覗いてみても。CDの品揃えが目立つほか、バレリーナや楽器をモチーフにしたオリジナルグッズなどもあり、音楽やバレエ好きの人のお土産には喜ばれそうだ。
2025年は150周年ということで10月14日から2026年2月15日までガルニエ宮150年展その他イベントが用意されており、見に行くなら良いタイミング。観劇するなら早めにチケットを入手しておきたい。個人的にはお手頃でシャガールの絵が楽しめる5階席がお勧め。ただし、椅子は硬い。
もうひとつ、ガルニエ宮を楽しむために訪れたいのは裏手にある百貨店ギャルリー・ラファイエットの屋上。ガルニエ宮とは道を隔てたところにあり、建物を上から眺めることができるのである。
また、同百貨店には1912年にできた美しいアールヌーボーのガラスの丸天井があり、せっかく行くのであれば眺めておきたい。ただし、天井を眺められる席のあるカフェに座る、写真を撮るのにベストなガラスの橋に立つためには行列に並ぶ必要があるので、時間には余裕を持って出かけたい。
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