一気に眺望が開ける「山登り感」が神奈川スリバチの魅力のひとつ
谷をスリバチと見立てて地形を愛でながら歩く東京スリバチ学会から分派した神奈川スリバチ学会。その神奈川スリバチ学会会長の鈴木喜雄氏と待ち合わせたのは東海道の、日本橋から数えて4番目の宿場町・保土ヶ谷。かつての東海道及び現在、横須賀線、湘南新宿ラインの通る保土ヶ谷駅は保土ケ谷区今井町の山中から流れ出して保土ケ谷区岩間町で帷子川に合流する今井川の近くにあり、標高は10mもないほど。沖積低地である。
ところがその両側には丘があり、そちらの標高は50m以上。直線距離にして200mほどの間に40mもの標高差、つまり坂、場所によっては階段があるわけで、街歩きにのんびりしたイメージを持っている人にはそれを裏切るハードなコースである。
「でも、それが神奈川スリバチの特徴のひとつ。少し歩いただけで一気に視界が広がり、ちょっとした山登り感が味わえるのです」と鈴木氏。山の場合、稜線、頂上まで行かないと開けた眺望を目にすることが難しいが、神奈川のスリバチならそれほどの距離を歩かなくても眼下に思いもよらぬ景色を楽しむことができるのだ。
しかも、横浜市から川崎市にかけて広がる下末吉台地は多摩川から荒川にかけての武蔵野台地よりも谷が複雑に入り組んでおり、少し歩くと異なる風景が広がる。ルートを変えると見え方が違うことも多く、新しく知らない場所を発見する楽しみもあるという。
実際、この日も保土ヶ谷駅からしばらく東海道を歩き、保土ヶ谷宿の本陣跡から東海道を離れて丘に登り始めたところで鈴木氏から「こっちに行ってみましょう」と提案があり、予定していたのとは違うルートを辿ってみることに。そこで真正面に東海道、その両脇に丘が見える絶景スポットを発見。
神奈川スリバチ学会は2021年10月に「横浜・川崎・鎌倉スリバチの達人」(昭文社)という本を監修しているのだが、「そのときにここを知っていたら表紙に使ったのに!」と残念がる鈴木氏。神奈川のスリバチには思いついて行った道の先に見たことがない風景があるかもしれないというワクワク感があるのだ。
凸凹を地図で探して現地を見に行く
台地を分断する谷をスリバチに見立て、地形を楽しみながら歩く東京スリバチ学会から分派、神奈川スリバチ学会がスタートしたのは2015年のこと。以来、コロナ禍以前は年に4回ほどのフィールドワークを行ってきたが、コースを決めるのは凸凹の有無。
「『スーパー地形』という地形図のアプリがあるのですが、それを利用して凸凹がある、見に行ってみようという感じです。最初に行ったのは川崎市高津区溝の口。平瀬川が見たかったのです。溝の口は台地と沖積低地の境目に位置し、川の流れ(溝)が一気に広がっており(口)、その様子が地名になったという説があり、その溝が平瀬川。
もともとは溝の口の中心部を蛇行しながら流れていた川ですが、しばしば氾濫を起こすため、流路を付け替えることになり、トンネルを作って津田山と言われる山の下を通しました。地図を見ると川が突然無くなっていて、山を越えた辺りから再び地上に出てきているのですが、それが不思議で、現地を見に行こうと思ったのです」
最寄り駅は南武線の津田山駅。平瀬川の上にある山の名まえが駅名になっているのだが、この山、以前の名まえは七面山といったとか。現在は一戸建てが並ぶ住宅地となっているが、それを開発した東急の、当時の社長が津田さんだったため、津田山と呼ばれるようになったという一画である。LIFULL HOME'S PRESSで以前取り上げた日本初の女性建築家・浜口ミホによる住宅があるのがこの津田山だ。
平瀬川のトンネルは津田山の麓に入口があり、そこから山の下を通って久地で再び外に出る。1941(昭和16)年に完成したものの、その後、容量不足となり、並行してもう1本トンネルが増設されてもいる。だが、平時に見るとこれがかつて度々の氾濫を起こした川とは全く思えない。山の下に入っていく姿もそれが山を貫通していることを知らないと見過ごしてしまうが、そうした経緯を知って見ると先人の苦労が偲ばれるというものである。
ちなみに平瀬川が再び地上に出る久地の平瀬川と二ケ領用水が交差する地点にあるのが久地円筒分水。平瀬川トンネルと同時に建設されたもので、簡単にいえば水を公平に分配するための仕組みで、この円筒分水は溝の口の街のシンボルとして駅前のペデストリアンデッキの上屋やJR武蔵溝ノ口駅の天窓などの意匠に使われている。
急坂のまちは同時に住環境良好のまちでもある
東海道と周囲の丘の風景を堪能した後に訪れたのは自然と人工物がつくった「保土ヶ谷を代表する」スリバチ。前述の書籍の表紙にもなっている場所で、今井川から延びる谷の末端に合計5つもの階段が下りている。首都高速神奈川3号狩場線の脇で、一番底の標高は30mを切り、撮影している地点とは10mほどの差。この辺りに住むと足腰が鍛えられそうだ。
だが、足腰は大変だが、歩いてみて気づいたのは日当たり、眺望、通風などに恵まれた住宅が多いということ。坂の上なら当然、そのいずれをも遮るものはないし、急坂なら途中でも同様に環境は良い。ふうふう言いながら坂を上ったところに絶景、快適なわが家が待っているわけで、利便性か、環境かの二択を迫られるまちと言えそうである。
首都高から離れて駅のほうに少し戻り、岩井町方面へ。このあたりは非常な急傾斜地で、その傾斜地の中に細い階段が続いている。くねくねと登っていくと台地の上部は平らで静か。登りきった丘の上は別世界なのである。岩井町の丘の上には横浜清風高校、岩井原中学校、富士見台小学校や病院、マンションなどが立地。斜面には建てにくい大きな建物が並んでいたのが印象的だった。
丘の上の道を進み、少し入ったところに広がっていたのは都内のスリバチ散歩では見たことがないほど大規模なスリ墓地。スリバチ好きの人たちは谷に立地する墓地をスリ墓地と呼ぶのだが、久保山墓地は圧倒的に大きい。谷がひとつ丸ごと墓地なのである。
神奈川スリバチには巨大スリ墓地があった
ここは1874(明治7)年に野毛にあった大聖院、南区にあった林光寺、福富町にあった常清寺の墓地が移設されたもので、横浜市営墓地、寺院管理の墓地などを総称して久保山墓地と呼ばれている。横浜市営墓地部分だけで12万6,000m2、1万4,000区画あるとのこと。見渡す限り墓地という風景に驚いていると鈴木氏は「スリ墓地も横浜界隈のスリバチではしばしばある風景です」という。
たとえば横浜市南区にある根岸共同墓地、横浜市神奈川区の横浜市営三ツ沢墓地も同様に谷を利用した墓地。根岸共同墓地は根岸森林公園に旧根岸競馬場に残されている一等馬見所を見に行った際に遠望したが、斜面を覆う墓石の上に異国情緒のある旧競馬場の遺構が聳える姿には異界感を覚えたほど。同公園を訪れた際にはぜひ、周辺を歩いてチェックしてみてほしい。
ちなみに1874(明治7)年は東京の青山霊園や谷中墓地ができたのと同時期。これは単なる偶然ではない。明治に入って神道国教化を目指す新政府はいわゆる廃仏毀釈を行い、その中で、寺院の土地が没収されるケースも多々あった。だが、没収した土地には墓地があり、それをそのままに放置しておくわけにもいかないとまとめて移設したのが久保山墓地や青山霊園などというわけである。横浜の場合には人口の急増で墓地が足りなくなったという事情もあり、根岸共同墓地はそのような理由からつくられたと伝えられている。
もうひとつ、凸凹の多い横浜らしい風景が隧道。つまりトンネルである。最初に案内されたのは東(あずま)隧道。保土ヶ谷の北側にある西谷浄水場から水道水を南側の蒔田、磯子に送るための水道幹線で関東大震災復興事業の一環として建設された。東隧道では車道の下を水道幹線が通っており、坑口は煉瓦積みを花崗岩で装飾。クラシカルな雰囲気である。
東隧道と同じ時期に作られた大原隧道も水道幹線用のトンネルだが、サイズは幅2.1m、高さ2.4mとだいぶコンパクト。その分、入口から出口が見えにくく、夜中に通るのはちょっと怖いかもしれない。当初は通行は認められていなかったものの、市街地化が進み、道路としてのニーズが高まったため、1972(昭和47)年からは歩行者、自転車専用道路として開放されたそうだ。
隧道にテレビ、ドラマ頻出の風景も見学
大原隧道を抜けるとそこは南太田二丁目の谷の真ん中。谷の上を首都高速神奈川3号狩場線が通っているのだが、面白いことに橋は一般的な橋脚ではなく、アーチ構造。谷に虹がかかっているような形なのだが、これは地質の関係と谷をこれ以上狭くしないための景観的な配慮によるものとか。アーチの下は南太田二丁目フレンド公園となっており、首都高のおかげで雨が降っても遊べる場になっている。
また、アーチ橋の下には明治時代に近代水道の整備に併せてイギリスから輸入された共用栓が保存されている。当時の水道は各戸にまで引かれていたわけではなく、地域で共用栓を利用していたのである。家の中で蛇口をひねればいつでも水が出る時代は比較的最近というわけである。
公園ではもう一か所、知る人ぞ知る場所へも案内いただいた。清水ヶ丘公園という名まえの通り、高台にある体育館、プール、テニスコートなどのある運動公園で、郊外に移転した横浜国立大学の跡地を利用して1983(昭和58)年に開園した。園内にはスリバチ状になった芝生の広場などもあって高台と言いつつ、凸凹もある。
この公園で有名なのはこんもりした芝生の丘の上に立つ榎の木。横浜出身のフォークデュオのプロモーションビデオやドラマ、映画などに度々登場しているそうで、確かにカメラを向けたくなる、絵になる姿。木の下に立つと大岡川沿いの南太田方面が見晴らせ、風景も抜群。天気の良い日に芝生の上でごろごろするのは気持ちよさそうだ。
名もない坂のひなびた風情を愛でる
帰路は相鉄線の西横浜駅を目指す。途中、鈴木氏のお気に入りというのが庚台に向かう名の無い歩行者専用の坂だ。神奈川では東京の下町のような路地はそれほど多くはないが、その代わりに人だけが通れる階段、坂がある。この坂の山側の擁壁は煉瓦造りになっており、時を経たひなびた味わいがある。ここも少し上っていくと家並みが途切れ、一気に展望が開ける快感を味わえる場所だ。
先に訪れた久保山墓地の谷の反対側も通った。ちょうど日が暮れるタイミングで夕陽が墓地の向こうに沈む風景が見られた。下末吉台地は標高が40~60mと20m以上の武蔵野台地よりも高く、高低差もダイナミック。特に墓地はつくられて以降地形が改変されていないので昔ながらの高低が今も残されているのである。
今回の保土ヶ谷以外にお薦めの神奈川スリバチを教えて頂いた。
「地形と同時に歴史も楽しめるのが鎌倉。市の中心部は平坦ですが、少し離れると複雑に入り組んだ谷戸があり、切通(山や丘などを部分的に開削、通れるようにした道)、やぐら(鎌倉時代中期以降から室町時代前半に作られ、使われた横穴式の納骨窟、供養堂)などといった鎌倉らしい景観が広がります。
坂の多さ、急さでは横須賀界隈。駅からすぐ近くなのに長い階段があってなかなかたどり着けない家なども多いようです。
下末吉台地(下末吉面)の語源となった鶴見の丘もぜひ。凸凹に加え、あちこちに湧水、池などもあります」
それ以外で行きやすいといえば横浜の山手、野毛山や戸部あたりだろうか。中心部からほんの少し足を伸ばすだけで急坂、展望が開ける快感を味わえるので、ぜひ、足を運んでいただきたいものである。
横浜・川崎・鎌倉スリバチの達人
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横浜・川崎・鎌倉凸凹地図
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