古都・京都の地名の謎に迫る

古都・京都の地名は難しいものが多い。観光の際に読み方に戸惑ったこともあるのでは古都・京都の地名は難しいものが多い。観光の際に読み方に戸惑ったこともあるのでは

関西に古都は多く、平安京のあった京都府や平城京のあった奈良県をはじめ、滋賀県には近江大津宮、大阪府には難波京があった。さらにさかのぼれば、世界最長の墳墓である大仙陵古墳がある大阪府堺市は、古墳時代の河内王朝本拠地と考えられている。
中でも京都は、8世紀から江戸時代に至るまでの千年以上、日本の都であり続け、その長い歴史の中で、独特の地名もたくさん生まれた。こうした地名の中には、一見するだけではなんと読むのかわからないものも少なくない。そこで、京都の難読地名と、その歴史を見てみよう。

古都ならではの地名

長岡京市の神足神社長岡京市の神足神社

長岡京駅近くに「神足(こうたり)」という地名があり、神の座す地とされてきた。この地域に鎮座する神足神社は、平安時代に編纂された『延喜式神名帳』にも記録される古社で、江戸時代の国学者である本居宣長は、この神社の祭神を「遠津山岬多良斯(とほつやまさきたらい)神」であるとしている。地名以上に難読な神名だが、日本書紀や古事記にこの名はなく、どのような神かはわかっていない。
かつてこの地に「田村の池」と呼ばれる聖なる池があり、ここに神が降臨したゆえに「神(かむ)」「到り」の村と称された。これが転じて「神足村」と呼ばれるようになったという。
神足は近くを小畑川が流れており、縄文時代から人が定住していたようだ。古代遺跡も多く、古い土地柄を思わせる。戦前は新工業地域だったため、空襲も受けたが、現在は駅近らしい賑やかさがある。

「太秦(うずまさ)」は映画村が有名だが、平安京より200年以上古い、飛鳥時代から栄えた土地柄だ。聖徳太子の右腕とも称される秦河勝(はたのかわかつ)の本拠地で、聖徳太子から賜ったという弥勒菩薩半跏思惟像で有名な、広隆寺もある。『日本書紀』には、雄略天皇15(471)年、秦酒公(はだのさけのきみ)が、絹を積み上げて献上したので、「禹豆麻佐(うづまさ)」の姓を賜ったとある。絹が積み上がった形を「禹豆母利麻佐(うづもりまさ)」と呼んだからなのだそうだ。
秦河勝は、世阿弥の『風姿花伝』では、能を大成し、神に等しい存在と崇められる、謎の多い人物だ。『日本書紀』には、アゲハチョウの幼虫を「常世虫」として庶民に高く売る悪徳商人を懲らしめたと書かれている。

地形・自然由来の地名

糺の森には静謐な雰囲気が漂っている糺の森には静謐な雰囲気が漂っている

長岡京の中心地あたりを見ると「鶏冠井」という地名が見つかる。これで「かいで」と読むのだが、『向日市史』では、この辺りには井戸と楓「かえで」が多かったので、「かいで」の地名が起こったと説明している。さらに楓の葉っぱの色や形が鶏のとさかに似ていることから「鶏冠(とさか)」の「井」と当て字されたというのだ。しかし、「鶏冠井」の表記は平安末期の大治六(1131)年以降で、それ以前は「蝦手井」と書かれていたようだ。この土地に五差路があり、蛙の手のように見えたため「カヘルデヰ」と呼ばれたという説もあり、明確な由来はわからない。
鶏冠井には整備された大極殿公園や、長岡宮朝堂院の会昌門跡などがあり、現在でも古い歴史を感じさせる地域だ。

世界遺産・鴨御祖(下鴨)神社の境内地として有名な「糺の森(ただすのもり)」は、パワースポットとして人気があり、たくさんの観光客が訪れる場所だが、これも難読地名だろう。地名の「糺す」は「正す」と同じ意味で、『新古今集』第十三巻には「いつはりを糺の森のゆふだすき 掛けつつ誓へ 我を思はば」と詠まれるように、森林の霊気が偽りを正してくれるとする信仰があったことがわかる。
しかし「ただす」は本来「只洲」、つまり「ただの洲」の意味だともされる。このあたりは古代、加茂川の川原の中にあったらしい。『太平記』では、足利尊氏の軍隊がここに陣を構えているから、見晴らしの良い場所だったのだろう。

貴族や武将たちの息吹を感じる地名

インクラインとは、船を運ぶ台車用に使われた線路のこと。桜の時期にはライトアップもインクラインとは、船を運ぶ台車用に使われた線路のこと。桜の時期にはライトアップも

嵐山駅から15分ほど歩くと「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」がある。帷子は裏のない着物のことで、死者に着せる、経文の書かれた白い帷子を「経帷子」と呼ぶ。一説には、絶世の美女だった檀林(だんりん)皇后こと橘嘉智子(たちばなのかちこ)が亡くなり、その棺を運んでいた際、この場所で棺にかけられた経帷子が舞い落ちたというのが、辻名の由来だと言われている。

檀林皇后は絶世の美女とされているが、生前の輝く美貌ではなく、「九相図」の死後の腐り果てた姿の方が知られているかもしれない。遺骸が腐り、骸骨になるまでの9つの時期の姿を描いた「九相図」は、「どんな美人でも、死せば腐る」と、仏僧の煩悩を戒めるもので、小野小町のものも有名だ。檀林皇后は嵯峨天皇の寵姫で、天皇の未練を断つため、遺骸を嵯峨野の原に捨てるように遺言を残し、骸骨になるまでを描かせたのだと伝えられている。そんな帷子ノ辻には、かつて大映の撮影所があったことから、「大映通り商店街」がある。松竹や東映の撮影所も近く、映画関係者もこの商店街を訪れるようだ。

東山区の「蹴上(けあげ)」には、義経伝承が残る。義経が鞍馬山の修行を終えて鎌倉に向かう途中、平氏の武士である関原与一と出会った。与一が水を蹴り上げて義経の衣を汚したため、耳と鼻を削いで追い払ったのだという。義経がその刀の血を洗った「血洗池」も、「御陵血洗(みささぎちあらい)町」という地名に残っている。
血生臭い伝承のある蹴上だが、美しい桜の名所として知られる場所もある。蹴上には琵琶湖の疎水が流れており、その船運ルートの一角をなす傾斜鉄道跡・インクラインの両側の桜並木だ。約90本のソメイヨシノが咲き誇り、多くの人が訪れるそうだ。


京都は古い土地柄ゆえ、知名の由来も古い時代まで遡るものが多い。
インバウンドの観光客が多く訪れ、国際色豊かな京都だが、日本人でも読めない、見慣れない漢字や難しい言葉がたくさんある。
定番の観光地だけでなく、難読地名を探してまち歩きというのも面白いかもしれない。


■参考資料
KKベストセラーズ『京都 地名の由来を歩く』谷川彰英著 2002年11月1日 発行
株式会社東京堂出版『地名が語る京都の歴史』糸井通浩・綱本逸雄編集 2016年12月20日 発行
株式会社東京堂出版『京都地名語源辞典』吉田金彦・糸井通浩・綱本逸雄編集 2013年10月30日 発行
株式会社京都新聞社『京都滋賀 古代地名を歩く』吉田金彦著 1987年3月27日 発行

2019年 05月08日 11時05分