幕末、開国の舞台となった横須賀のまち

神奈川県南東部の三浦半島に位置する横須賀市。人口40万人あまりの「中核市」(地方自治法による中核市指定)である。神奈川県全体では人口増加が続いているものの、横須賀市はかなり前から人口減少に悩まされているという。総務省がまとめた「住民基本台帳移動報告」によれば、2015年の転出超過数は福岡県北九州市に次いで全国2位だった。2013年には全国で最も多い転出超過数を記録している。

横須賀市がいったいどのような状況になっているのか、そしてどのような対策が講じられているのか、2回に分けてお伝えすることにしたい。まずは都市の姿を知るために、横須賀市の近代史を簡単に振り返っておくことにしよう。

横須賀市の東部に位置する「浦賀」は、陸地に深く入り組んだ天然の良港であるのと同時に東京湾の入口にあたるため古くから栄えたようだ。江戸時代の享保5年(1720年)には浦賀奉行所、享保6年には船番所が設けられた。湾へ出入りするすべての船は必ず浦賀へ寄港して、乗組員や積荷の「船改め」を受けることが求められたほか、外国船の来航も少なからずあったようだ。当時は日本有数の港であり、長崎に並ぶほどの賑わいがあったという。

その浦賀沖にマシュー・ペリー提督が率いるアメリカ海軍艦隊が現れたのは1853年7月8日(旧暦:嘉永6年6月3日)のことだ。いわゆる「黒船来航」である。しばらく船上に滞在したまま幕府とのやり取りを続け、浦賀の一つ隣の小さな漁村だった「久里浜」の砂浜海岸に上陸したのは6日後の7月14日である。

それから7年後の1860年(万延元年)、日米修好通商条約批准のために勝海舟艦長や福沢諭吉、ジョン万次郎らを乗せた「咸臨丸」(遣米使節団の正使一行を乗せたアメリカ海軍船に随行)が出港したのも浦賀港だ。

さらに伊藤博文らが明治憲法(大日本帝国憲法)の起草をしたのは横須賀にあった別荘だとされる。幕末の日本が開国、そして明治維新を迎えるなかで、現在の横須賀市あたりが大きな役割を果たす舞台となった。

ペリー公園(横須賀市久里浜7-14)には、ペリー上陸記念碑が立てられているペリー公園(横須賀市久里浜7-14)には、ペリー上陸記念碑が立てられている

日本の近代化を支えた横須賀市

幕末から日本海軍の軍港として重要な役割を果たした浦賀だが、1865年(慶応元年)に「汐入」の入り江で製鉄所の建設が始まった頃から、中心地は現在の汐入・横須賀中央・逸見地区周辺へ移っていく。明治維新を経て製鉄所は1872年(明治5年)に「横須賀造船所」と改称され、1903年(明治36年)には「横須賀海軍工廠」となったが、ここで数多くの戦艦や空母が建造されることになる。また、1884年(明治17年)に「横須賀鎮守府」がおかれ、東日本の国防の要となる軍港都市として栄えた。

明治中期には1万人前後だった人口は軍事機能の高まりとともに増え続け、第二次世界大戦の前には30万人を超えるほどに膨れ上がったという。そのうちおよそ3分の1を軍人が占めたほか、軍人の家族や軍事関連の工場労働者が数多く移り住んだのだ。市制施行も1907年(明治40年)と早く、神奈川県下では横浜市に次いで2番目、全国では59番目だった。

しかし、もともと平坦地が少なく市域の多くを山地や丘陵が占める地形であり、明治時代から海面の埋め立てが行われたものの、住宅地は比較的市街地に近い丘陵地の斜面を登るように広がっていったようだ。階段や坂道が特徴的な横須賀市の街並みの多くは、その当時に形作られたもののようである。なお、横須賀市において大規模な住宅団地の開発や供給が盛んに行われたのは1960年代から70年代頃であり、この時期にも人口が急増している。

第二次世界大戦の終戦後は浦賀港が「引揚指定港」となり、中部太平洋や南方地域、中国大陸などから約56万人の引揚者を受け入れたという。その過程では数々の悲劇もあったようだが、横須賀の地で新たな人生をスタートした人も多かっただろう。

横須賀の軍施設は接収されて「アメリカ海軍第7艦隊横須賀基地」となっているほか、日本の海上自衛隊も駐屯し、横須賀における軍港としての機能は現在も引き継がれている。幕末に着工して1871年(明治4年)に完成した「1号ドライドック」は、いまもアメリカ海軍基地内で当時の姿を残しながら使われているようだ。

横須賀港の海上自衛隊艦艇(左)/米軍基地内で使用されているドライドック(右)横須賀港の海上自衛隊艦艇(左)/米軍基地内で使用されているドライドック(右)

さまざまな小説、映画、歌の舞台にもなっている

「横須賀ストーリー」で「急な坂道」を登った先にあったのは横須賀中央公園とされる(諸説あり)。東京湾最大の自然島である「猿島」もすぐ前にみえる「横須賀ストーリー」で「急な坂道」を登った先にあったのは横須賀中央公園とされる(諸説あり)。東京湾最大の自然島である「猿島」もすぐ前にみえる

豊かな自然環境や独特な文化、歴史を物語る建物や風景に恵まれた横須賀市は、古くから数多くの文芸作品の舞台になっている。TVドラマになった「坂の上の雲」では、市内の三笠公園に展示されている戦艦「三笠」でいくつかのロケが行われたようだ。映画では「稲村ジェーン」(桑田佳祐監督、1990年)や「HANA-BI」(北野武監督、1998年)などのロケ地にもなっている。また、サザンオールスターズやMr. children、AKB48などのPV(プロモーション・ビデオ)撮影も、横須賀市内で行われたことがあるようだ。

40代後半より上の世代であれば、山口百恵さんの「横須賀ストーリー」(1976年)やダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(1992年)の歌詞がすぐに浮かんでくるのではないだろうか。

若い世代の人は「よこすか海軍カレー」を知っているかもしれない。1999年に「カレーの街よこすか推進委員会」を発足させるなど地域の活性化に使われており、2014年に民間が実施した「ご当地カレー知名度」調査では、「よこすか海軍カレー」が全国1位だった。また、2015年あたりから人気が再燃しているという「スカジャン」は戦後の横須賀が発祥とされる。説明するまでもなく、スカジャンの「スカ」は横須賀のことである。

その横須賀市が人口減少に直面している

総務省「住民基本台帳移動報告」による横須賀市の転出超過数は、2012年に全国10位(1,173人)となった後、2013年に全国1位(1,772人)を記録。2014年は少し改善して全国17位(899人)となったものの、2015年は再び全国2位(1,785人)に悪化した。母数となる人口が多いために減少率でみればいくぶん順位は下がるものの、神奈川県内の市町村別では三浦市に次いで2位であり、深刻な状況であることに変わりはない。

横須賀市の人口推移を市の統計などから長期的にみると、1970年代の大幅な人口増加時期を経て、1993年以降は趨勢的な人口減少に転じた。その後少し回復する年もあったが、直近のピークは男性が2002年、女性が2003年となっている。それからは毎年減り続けており、この10年あまりで約2万5千人減少した。

その間も核家族化や世帯分離などによる「単独世帯」増加の影響で世帯数は増え続けていたものの、2015年の増加はわずか1世帯にとどまり、2016年からは減少に転じることが見込まれる。ちなみに、2002年1月1日から2016年1月1日までに6,252世帯が増えたのに対し、2002年度から2015年度までの新築住宅着工戸数は計41,292戸(神奈川県「県内建築着工統計」による)にのぼる。その中には既存住宅の建替えも含まれているわけだが、供給過剰の印象は否めないだろう。また、横須賀市統計書によれば1988年から2008年までの20年間で、世帯数の増加が30,069世帯だったのに対し、住宅ストック数の増加は40,550戸だ。

なお、2016年4月25日に横須賀市、広島県呉市、長崎県佐世保市、京都府舞鶴市の「旧軍港4市」が日本遺産(鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴〜日本近代化の躍動を体感できるまち〜)に認定された。明治期に鎮守府が置かれた後に軍港として発展を遂げた4市だ。その一方で、総務省「住民基本台帳移動報告」による2015年の転出超過数では、横須賀市が全国2位だったほか、呉市が7位、佐世保市が17位、舞鶴市が52位となっており、濃淡の差こそあれ4市が共通の問題を抱えていることが分かる。その背景には、自衛隊などの公務員宿舎が削減されていることもあるようだ。

横須賀市統計をもとに作成。人口減少の一方で、これまでは世帯数の増加が続いていた横須賀市統計をもとに作成。人口減少の一方で、これまでは世帯数の増加が続いていた

谷戸地域の空き家が大きな課題に

総務省がまとめた「住宅・土地統計調査」によれば、2013年時点の横須賀市における空き家率は14.7%で、全国平均の13.5%を少し上回る程度である。しかし、横須賀市都市政策研究所などが2009年度に実施したサンプル調査では、「汐入町5丁目」の空き家率が18.5%、「長浦町4丁目」の空き家率が16.3%に達していた。それから7年ほど経過し、現在はそれを大きく上回る水準になっている可能性も高いだろう。

これらは谷戸(やと)と呼ばれる、山あいに谷が入り組んだ地形であり、急坂や階段状の道路が多くみられる住宅地だ。横須賀市の調査(2011年)によれば、谷戸地域に存在する戸建住宅7,144棟のうち、車を横付けできない建物が3,264棟(45.7%)、敷地へ至る道路に階段がある建物は1,888棟(26.4%)にのぼるという。放置された空き家は、この「車が横付けできない」敷地に建てられている場合も少なくない。

谷戸地域以外にも横須賀市内では坂道の途中や階段の上に建てられた住宅が数多く点在し、その空き家化や老朽化が大きな課題となっている。2015年5月26日に完全施行された「空き家対策特別措置法」による老朽空き家の強制撤去工事も同年10月に横須賀市で行われているが、その物件も車両が進入できない道路に接する敷地だった。

また、横須賀市内の「利用目的のない空き家」が2003年から2008年までの5年間で約1.8倍に増えたことも示されており、放置空き家の発生抑制も図らなければならない。今後、世帯数の減少が本格的になれば横須賀市内の空き家数も増え続けていくことになるが、家屋の再利用や有効活用が容易でない物件の割合が高いことは、市にとっても難題だろう。

放置された空き家の増加問題は横須賀市にかぎらず、どこの自治体でも深刻化している放置された空き家の増加問題は横須賀市にかぎらず、どこの自治体でも深刻化している

2016年 07月27日 11時05分