商店街で育ち、衰退を身近で感じてきた旧三福不動産の山居さん
神奈川県西部に位置する小田原市は戦国時代には後北条氏の城下町として、江戸時代には東海道の宿場町、箱根観光の拠点として栄えてきた。現在も東海道線、東海道新幹線、小田急電鉄、伊豆箱根鉄道など数多くの路線が乗り入れるターミナル駅として、都心まで新幹線通勤も可能な街として人気はあるものの、人口自体は1999年をピークに減少傾向にある。
だが、その小田原市で空き店舗が次々に開いている。
しかも、若い人を中心に個人の出店が相次いでいるのが特徴。もともと交通の要衝として繁華街、飲食店などが多かった地域でもあり、今も商売をしたいと言う人は少なくないそうだが、いくらやりたいと言っても若い人達が店を始めるまでには賃料を始め、いくつかハードルがある。そこに寄り添い、支援してきたのが2014年に誕生した旧三福不動産の山居是文さんだ。
山居さんは小田原市本町にある小田原総鎮守松原神社近くの商店街沿いに実家があり、祭りやまちの賑わいの変化を如実に感じながら育った。
「我が家は祖母が店をやっていたものの、私の親世代以降は商売をしていたわけではありませんが、商店街は大きな存在。また、松原神社も1200年以上の歴史があり、例大祭はまち全体がそれはそれは賑やかでした。今も当時と同じように30基もの神輿が出ますが、中学、高校と成長していくにつれて店が減り、地域に活気がなくなっていく。それを昔のように賑やかなまちにするためには店が増えればよいはず。そのためには店舗の建物とそれを使う人の橋渡しをする人が必要だ、それは何だろうと考え、当時から不動産業に関心を持っていいました」
大学卒業前後にはそれまでサブカル的な存在だったリノベーションが表舞台に登場することになるR-プロジェクトが始動。古い建物の活用法としてリノベーションがあること、リノベーション→活用というサイクルが持続することで地域を変える力になることを知り、可能性を感じもしたという。
回り道をして小田原の賑わいを取り戻したいと不動産事業へ
といっても山居さんはストレートに不動産の道に進んだわけではない。
大学で学んだのは生態系。鹿の調査などを行い、生態系と環境を考えていくうちに、あらゆる問題には経済が絡んでいることに気づいたという。特定の問題が単体でそこにあるわけではなく、そこには必ず経済が絡む。だとしたら、経済問題も同時に解決する必要がある。事業として課題解決を考えた時には補助金で解決するのではなく、ちゃんと事業を成長させて課題も解決していくということである。
その後、民間企業で3年ほど勤務した後、小田原市役所で仕事をすることに。
「役所の中に入ってみることで行政の理屈が分かるかもしれない、考え方が変わるかもしれないという意識がありました。実際、働いていた3年ほどで多くを学びました。自分が見える範囲だけが変わったからと満足してしまうのは類友、つまり狭い範囲で満足しているだけでしかないことに気づくなど、まちに対する解像度はかなりあがりました」
その後、前職時代の知り合いと起業。広告絡みの企画、制作などを経て2012年からは個人事業者としてしばらく働き、不動産会社を立ち上げたのはその2年後のことである。
「市役所を辞めてすぐ不動産をと思ったものの、既存の不動産業の文脈ではやりたいことは通用しないように思いました。どうすれば良いだろうと他の仕事をしながら模索しているうちに、営業力のある不動産業の知人が会社を辞めて独立することになり、そこで共同経営で始めることになりました。彼も古い建物が取り壊されることを惜しむ人でもあり、営業と熱意がうまくジョイン。不動産と建築を組み合わせた業態でスタートしました」
社名の旧三福不動産は個人事業者として2012年に作ったコワーキングスペースのある場所が元々中華料理店で、その名称が三福だったことに由来する。その当時、コワーキングスペースはでき始めたくらいの時期で、神奈川県内では横浜市内に3ケ所ほどあったくらい。なんだか分からない新規事業を分からないながらも古いものを大事にしていることが分かる名称でスタートさせようとコワーキングスペースの場所を旧三福としていたのである。その場所にできた不動産会社だから「旧三福不動産」。説明してもらわなければ名前の意味は分からない。
小田原の街で人づくりに注力、その後オウンドメディア発信に力を入れた
創業後しばらくは商工会議所からの創業支援の事業を手掛けた。店を増やしたいという積年の思いをまずは人づくりからスタートしたということだ。
「若い人の意見を聞きたいという商工会議所の会頭に、創業支援をしたいと提案。ほぼボランティアみたいな形で、年1回、月に2回くらいの講座があるというコースを6年間続けました。毎年30~40人が参加、最終的にはこのうち36組くらいが起業しています」
参加者の年代は20~60代で30代がボリュームゾーンだったという。それ以外では50代の早期リタイア層などもおり、業種はゲストハウス、飲食店、コンサルタントなどとさまざま。参加者は商工会議所、銀行、不動産会社、コワーキングスペース、地域で活動するその他団体などと繋がることができ、それが各人の背中を押したであろうことは間違いない。
2020年頃からは小田原で店をやりたいという人が増えたため、本業に専念しようと創業支援事業から手を引くことに。
代わりに力を入れ始めたのは新しく開業した人を含め、小田原の各エリアを紹介するオウンドメディア。創業時からメディアの運営はしていたが、この機により力を入れたのである。人を発掘する事業の次はそこで生まれた人達を後方支援する、地域をPR、繋げる事業というわけである。
「小田原にいい店が増え始めていると知られるようになり、検索のために見てくれる人も増えました。その後も1軒ずつ店などを増やし続けており、10年余の現時点では125店舗ほど。特に小田原駅から徒歩15分ほど、少し離れたかつての歓楽街である青物町、宮小路エリアでは最盛期に200軒ほどあった店舗が10年前20数軒まで減っていたところを19軒増加させました。そうなってくると他社もこの地域の不動産を扱うようになり、さらに活性化が進んでいます」
また、店を出した人には必ず商店会に加入するように勧めている。店舗間の交流を生み、地域活動の担い手を育てようとしているのだ。不動産会社の仕事は仲介するところまでだが、山居さんはそれより先の、その店が地域で繁栄、地域を盛り上げてくれる存在となることまでを考えており、そのためには商店会加入は大事なポイント。それが功を奏していることはここまでの活動を見ているとよく分かる。
旧三福不動産で生まれた成果が不動産価格の上昇など次の課題に
こうした活動の結果、店が増えただけでなく、仲介をした移住者もこの10年で200組を超えるまでになっており、オウンドメディアの閲覧数も月に10万PVに及ぶ。
それはそれで成果が出ていると言えるわけだが、一方で困ったことも起き始めている。不動産価格が上昇、他社が参入してきたことで若い人達に貸せるような価格で空き家を買う、借りるのが難しくなっているのだ。
「地価、家賃相場はこの10年で倍ほどになっているでしょうか。小田原駅から歩いて15~20分圏では店舗の賃料相場が坪3,500円前後から坪5,000~6,000円前後に、土地の売買相場も坪30万円前後から坪50~60万円前後に上がりました」
その結果、これまで狭くて使いようがないからと店として貸してもらえた土地が建売用地として売却されるように。賃料・価格が上がったことで仲介手数料も高くなり、これまで山居さんが扱っていたエリアには他社が参入、高く借りる、買うようになった。結果として商店街内の店にしようと考えていた空き家、土地が建売住宅になってしまうようになった。
「商店街だったところに住宅、マンションが増えると長期的には地域の利便性は落ちていきます。個性的な店があることが魅力だった地域が徐々につまらなくなっていきます。そうならないため、1棟のうち、2階で宿泊業、1階に店舗を入れるなど複合化することで少しでも安く貸せるようにするなどの手を考えています」
一戸建ての活用もそうした手のひとつ。1階に土間を作るなどして店舗に改装、2階を居住できるようにして市場に出しているそうで、出たらすぐ決まるほど人気。ただ、借りる人には人気があるものの、建物所有者は一度改修するとその後、住宅として貸せないと嫌がる人も多いそうだ。店舗として貸したほうが賃料は高くなるが、これまでにない使い方はまだ理解されないところもあるらしい。
まだまだ賃料が手頃な小田原、周辺に魅力ある建物がある地域も点在
とはいえ、東京などに比べればまだまだ小田原の賃料は手頃。
そのため、近年開業した店は営業時間が短かったり、休みが多かったりと経営する人の予定に合わせて営業されている。中には賃料が安いからだろう、2軒借りて曜日によって営業する日を変えている例もある。
「2軒借りても10数万円+税金ですから、一人であるいは夫婦2人で営業するには無理ないところ。家賃が安ければそれほど売上に追われなくて済み、お客さんと会話をしたり、自分たちの生活を楽しんだりもできます」
さらに小田原駅周辺以外にも魅力的な物件があるのは歴史のあるまちならでは。取材時、最後に連れて行っていただいたのは箱根登山電車箱根板橋駅が最寄りのエリア。そこで山居さんが仲介したのは旧東海道沿い、昭和8(1933)年に建てられたという豆腐店を利用した製茶工房兼カフェである。実に趣きのある建物で、市内からは多少距離のある場所だが、味と雰囲気が多くの人を惹きつけている。
市内にはこうした建物もまだまだあるだろうと考えると、自分らしい店をやりたい人には小田原は魅力的なまちといえるかもしれない。
さて、山居さんが不動産を扱おうと思ったきっかけは地元のお祭りだと冒頭に書いた。では、この10年ほどの活動で、何か変化は起きたか。聞いてみた。
「祭りの日、神社周辺の飲食店が店の前に屋台を出してくれるようになりました。以前とは異なる雰囲気の賑わいが生まれてきており、いい風景だなと思っています。それ以外にも海辺の風景を守るためにとバーの経営者がずっと1軒だけになってしまった海の家を出し続けてくれるなど、地域を大事にする人達が集まってきているのがうれしいところです」
不動産価格、賃料上昇の波はまだまだ荒れそうだが、その中でも新しい動きが生まれつつある小田原。次は店以外にも高校生、大学生が集まる場などいろいろ手掛けたいものがあるという山居さん。
小田原のまちの変化、そして旧三福不動産の動きに今後も注目したい。
■取材協力
旧三福不動産
https://93estate.com/
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