伊勢市のIT企業が運営、コロナ禍が転機に
三重県伊勢市の南西部。伊勢神宮(正式名称:神宮)の内宮から13kmほど離れた山あいの場所に、キャンプ場を併設したコワーキング施設「神岳(かみだけ)テラス」が2023年春、誕生した。
運営するのは市内に本社を構える株式会社UNICO(ユニコ)。「地方のIT会社が本気でワーケーションを考えた施設」。その思いを神岳テラス支配人・谷崎朝美さんにお伺いした。
「本社は宇治山田駅の駅裏にありまして、ホームページや印刷物の制作、企業様のPR事業の企画から運営までといった業務をメインにしております。そのなかで三重県内の公立学校の就職支援室の運営もさせていただいていたのですが、新型コロナウイルス感染症の影響で市外への往来が難しくなったことと、契約更新のタイミングが重なりました。そこで一部の部門の事業転換を考え始めました」
その少し前から同社代表が気にかけていたのが生まれ育ち、いまも居住する現在の神岳テラスがある地域の放置棚田のこと。「私も近くに住んでおり、代表とはまちづくりを一緒にする仲間でもあります。代表は、まち歩きのときなどにも『ここ、なんとかならんかね』みたいなことをたびたび言っていました。そこで趣味のひとつでもあったキャンプができる場所はどうだろうと。ただ、キャンプ場だけでは、いずれブームは去ってしまうだろうし、事業としては難しいのではと話していました。ちょうどそのときに国の事業再構築補助金を知り、自分たちの思いを事業計画書にぶつけ、もしそれを国が支援してくれるのであれば、やる価値があるのではと応募。すると、ありがたいことに第一回目に採択されまして、逆に“やらないかん”となりました」と笑う。
その事業として組み込んだのがワーケーション施設というわけだ。「実際、ここでキャンプ場となると、やはり分かりにくい場所でもありますし、もっと景色のいいところ、ゴージャスなところが近隣にたくさんあります。だったら、この環境と、私たちのもともとの仕事であるITも生かせることはワーケーションではないかと。働く人に国が奨めていこうとしていたワーケーションを、田舎のIT企業が真剣に考えたら、こんなのできましたというのが完成したら、地元の方だけでなく、神宮を目当てに全国から人が訪れる場所でもありますので可能性があるのではと思いました」
キャンプ×コワーキングスペースで「働く、遊ぶ」
神岳テラスがある山は、神岳(かみがたけ)という名前。伊勢志摩国立公園内に位置し、2000年以上の歴史を持つ神宮では20年に一度、社殿を建て替える式年遷宮が行われているが、その新しい社殿の屋根に使われる“かや”を育てる神聖な御萱場のある山として知られる。この山を伊勢の人々が親しみをこめて呼ぶ“かみだけ”を施設の名称に取り入れることにした。
それまでに住民の一人として「みんなで遊べる場を」と、私財を投じて山林の一部を購入し、地元の人々と焼きいもや豚汁を作って食べたり、薪割りをしたりできる場所の開拓を始めていた同社代表。その土地の周辺を買い足すことにしたが、水道や排水、さらには満足な道すらない山の中。水道や排水については市に相談し、近隣の人が使っていない水田の一部を転用で貸してくれたところに道を通したりと、新たな施設のオープンに向けて整備を進めた。
かつて山水を利用して盛んに稲作が行われていた棚田は、高齢化や林業政策により耕作放棄地となってしまっていた。そこをキャンプの区画とし、新しく建てる建物をコワーキングスペースに。昼間は仕事、夜はキャンプで遊んだり、あるいは交流したりもできる。そんな「働く、遊ぶ」をテーマにしたワーケーション施設となる。
自然と調和する木造建築、ルーバーには伊勢志摩ゆかりの木材を再利用
コワーキングスペースが主となる建物は、伊勢市と隣接する志摩市の建築家・濱口雄氏にデザイン・設計を依頼。自然を感じてもらえるようにと木造建築にした。「はじめは2階建てにする想定をしていたわけではありませんでしたが、この場所で作るとなったとき、2階部分のほうがよりよく景色が見えるということで。ただ、そうなると予算的に厳しくなったので、まず1階はキャンプとコワーキングの共用となるピロティという形にして、予算ができた段階で作り込んでいこうとなりました」。現状は、1階の玄関を入ると受付と事務所とロッカー、外にはキャンプ利用者が使えるトイレとシャワールーム、水道設備、ランドリーを備えつつ、空いた場所にキャンプ用の簡易テーブルとイスを設置して交流もできる場にしている。
そして、施設に到着してすぐに目に飛び込んでくる、2階ウッドデッキ部分のルーバー。「自然を感じてもらえるように」と木造建築としたなかで、周囲と調和する景観を作り出すのにも一役買っているが、その材料は伊勢志摩地方で盛んな真珠や牡蠣の養殖で使われている養殖筏(いかだ)を再利用したものだ。
「養殖筏の丸太を地元では“ナル材”と呼んでいますが、このナル材が筏としての役割を果たしたあとの廃棄に困っている現況があります。ナル材はもともと山を育てるための間伐材で、そこから養殖筏としてせっかく働いたのに、最後に邪魔ものにされてしまう切なさ。本当に微力ですが、それを購入させていただいてルーバーにしました。また、傷みが進んだ際には、キャンプ用に薪としてくべさせてもらうなどして、ルーバー用にはまた新しいナル材を受け入れられたらとも思っています」
山で育ち、山を育てるために間引かれた木が海の仕事をし、山に戻って最後まで大切に使われる。SDGsのワンアクションだ。
そんなナル材のルーバーに混ざって、2本だけ艶やかな磨き丸太がある。谷崎さんが知り合いに紹介してもらった三重県・大台町大杉谷地区の木工所で出合ったものだ。「倉庫の中でちょっとホコリをかぶった状態でしたが気になったので、この柱は何ですかと聞いたんです。すると、2013(平成25)年に行われた神宮の式年遷宮用に育てられたもののうち、使われなかった木だというんです。遷宮では、お祀りする大御神を古い社殿から新しい社殿に移す際、雨儀廊(うぎろう)という屋根付きの廊下が作られるんですが、そのとき用に育てられた木で使われなくて2本だけ残ったものだと。ルーバーの寸法には足りなかったのですが、ぜひ一緒に入れたいとお願いしました」
1本は内宮の方角に、もう1本は外宮の方角に合わせた位置に配置された。「気づかれなくてもいいとは思っているのですが、例えばここでイベントを主催される企業様にお話させていただき、それをイベントのゲストの方が聞いて、驚いたり興味を持ったり喜んでいただける、そういうことを大切にしたいなと思っていて。弊社は企業様の裏方の仕事をしているので、その方たちがどうしたらイベントをやりやすいか、ご自身の事業とリンクさせやすいかと考えたとき、こんなストーリーがあると、気の合う方が集まってくださるかなというのもあります。辺鄙なところではあるけれど、神という名前を冠している神岳の神薗町にあるここに興味を持ってくださる方は、今でいうSDGsに関心が高い方も多いでしょうし、自然が好きな方も多いでしょう。また神宮のある地で、こういうストーリーに響いてくださる方がいたらうれしいですし、伊勢をちょっとでも感じてもらえたら」という。
棚田をイメージしたラウンジと個室で快適なワークスペースに
2階のコワーキングスペースは、ロフト付き個室と棚田を模したラウンジ、会議室からなる。実は、建築予算の苦労はここでも。「棚田ラウンジには構造的に本当は柱を2本か3本入れなければなりませんでした。けれども棚田のイメージを表現するためには、できればないほうがよく、建築家さんとすごく相談をし、最終的にトラス工法を採用しました。でも、それにより、もともと専門事業者さんにお願いするはずだったウッドデッキ分の予算がなくなってしまうことに」と谷崎さん。
そこで、ウッドデッキはスタッフで作ることにした。板をネットで買い、チェーンソーでカットし、やり方を調べながらビス止めをする。本業の休日に集まって取り組んだという。「代表は何でもやりたがる人で、社員は巻き込まれがち(笑)。それまでの事業で代表の人となりは知っているから、“また始まった…”みたいな感じではあったんですけれど、めんどくさい半分、楽しんでいるのも半分というところはあるかもしれないですね。でも、その分、愛着はあるかなと思います」
そうしたこだわりのコワーキングスペース。できるだけ多くの人に利用してもらうには交通の便のよさも関係するが、ここは最寄り駅からレンタカーを借りるなどしなければならない。それを越えて選んでもらうのならば、「ここを利用したことで気分が前向きになったり、気持ちのいい状態で新しいアイデアが浮かんだり、新しいお仕事が生まれる場所になれるように」。そんな思いを込めて運営をする。
ロフト付き個室は、仕事に集中できるスペースに。個室1階はあえて窓をつけてなく、デザイナーなどパソコンのモニターで色の確認ができるようにもしている。窓がないかわり、換気扇と空調は各個室にきちんと備えている。その上のロフトスペースには窓があり、外の景色を楽しむことができ、またテーブルなどないフラットなスペースで足を伸ばしてリラックスしたり、資料を広げて仕事をしたりできる。
棚田ラウンジは、フリースタイルのワークスペースとして、各所にコンセントを設置し、思い思いの場所で作業できる一方、仕事はもちろん友人などとの語り合いの場にも。あえて「カフェ」のようなスペースとして、会話OKにしている。「ザワザワした中のほうが仕事しやすいという方もいるかなと思いますし」とのこと。
「仕事は、集中と緩和することが必要かなと思うんです。詰め込みすぎるといいアイデアが生まれなかったりもするのではないでしょうか」
これまでの経験と臨機応変さを強みに、今後も進化予定
グランドオープンは2023年4月12日だが、2022年12月よりコワーキングスペースのみプレオープンした。キャンプ場の整備を進めつつ、これまでIT事業をメインにしてきたスタッフが施設運営の仕事に慣れるという目的があった。施設の始まりは国の補助金の支援があったが、続けていくためには自分たちの力で運用していかないといけない。大々的な宣伝もせず、ゆっくりと、そして利用してくれた人の声を聞き、改善すべきところを見直してきた。
これまでの活用例では、ある企業が海外からゲストを招いてのディスカッションを、終日全棟貸し切りで行った。予算に応じた食事の用意もし、ビーガン対応するなど細やかな心配りをした。ゲストに喜んでもらえ、いい商談になったと言ってもらえた。これまでの事業で培ってきた経験と臨機応変さ、それが「うちの強み」と谷崎さんは言う。
神岳テラスの建築事業者をドキュメンタリーで追った動画をアップしたYouTubeを見て動画制作の発注があったり、ホームページを見て制作の話をもらったりと、本業への還元もあるという。
今後について、「スペインのサグラダ・ファミリアじゃないですけど、たぶん終わりがないんじゃないかなと思っていて」と谷崎さん。「せっかくゼロイチで立ち上げたんだったら、思う存分実験してやろうみたいなところもあって」というのだ。すでに使ってみたいと思える施設となっているが、さらなる進化をしていくだろうこの先も楽しみだ。
取材協力:神岳テラス https://kamidake.jp/
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