古着屋は街に多様性をもたらし街を再生する
古着屋は地方再生に最適の業態だと私は最近考えるに至った。特にシャッター通り化した商店街の活性化にふさわしい。
シャッター通りにピカピカの最新の店舗を入れて都会的にしようと考える人も多いが、むしろ古着屋を2,3軒入れたほうがいい。東京から移住・Uターンして古着屋を始めたい人も多いだろう。古い商店街には古着屋が似合うし、おしゃれでもある。話し好きの店主なら年齢を超えて人が集まる。そこからまちづくりのアイデアも湧くだろう。客の年齢層も幅広いから街に多様性を生み、シニアと若者の交流を生むこともできる。
郊外のショッピングモールには、人気ブランド商品をまねて安くつくった物ばかり売っているが、古着屋にはコムデギャルソンもマルタン・マルジェラもディオールもサン・ローランもグッチもある。ファッション好きならモールより古着屋に行くし、味のある中古商店街の中の古着屋を好むだろう。
古着の聖地高円寺のルック通りだって、30年前は古ぼけた商店街でコンビニもなかった。
ところが代替わりなどで店が空いたところに古着屋が増えた。いわば「中古商店街」が「中古品を売る商店街」となり、古着ストリートと呼ばれるようになり、今ではルック商店街と交差する何本かの通りにも古着屋が激増し、タイプの違う古着屋もたくさんできた。ミュージシャンや俳優の卵が高円寺には多いので、個性を表現するためと、ステージで着る物を探すために古着屋があることが便利だったのだろう。
今では高円寺には200軒の古着屋があるといわれる。ミュージシャンや俳優でなくても古着を着ることは若者にとってまったく日常になった。古着屋は街を再生する有効な手段になれるのである。
古着の魅力は、ストーリー性
古着の魅力の一つはストーリー性だ。たとえばおじいさんの服を若者が着るのもストーリー性を引き継ぐのだ。そういことに今の若者はとてもよろこびを感じる。
近代社会では家族・イエという縦のつながりが稀薄化した。親類縁者も近くに住まなくなったし、地域社会の関係も薄らいだ。子どもが近所の子どもとあまり遊ばなくなった。昔は近所の子どもが3歳から小学6年生まで一緒に家の近くで遊んでいたが、今はそういうことは稀だ。縦のつながりも横のつながりも弱まり、斜めのつながりもあまり見なくなった。つながりは学校や職場が中心となり、学校や会社における上下関係や歴史は重視されたのに、家族や地域のつながりはずっと薄れ続けた。
もちろん学校や会社のつながりも煩わしい。そうなると人は孤独になる。自分なりに自分に適したつながりを求めることになる。古い商店街の古着屋で服を買う、買わなくても店主とおしゃべりをするという行為には、自分に適したつながりを地域の中で実現させる可能性がある。
古着屋と地方再生の相互作用とは
だから、古着屋と地方再生は相性が良いのだ。古着を仕入れて、穴やほころびを繕い、洗濯してアイロンをかけて店に並べる。それを見た客は、今の時代にはない魅力に惹かれて買っていく。買わないまでも古着を見たり触ったりして癒やされる。
地方も似ている。古い建物や看板がたくさん残っている。あまりに古くなるとそれを壊して新しいビルを建てた。だが今は、古い建物を壊すお金もなくなり古いままに残っている。しばしば朽ち果てる。そういうゆったりした時間の流れ、生き物のように死んでいく建物、時間が止まったかのような古い街並みに、ひたすら高速で情報が流動する生活をしている現代人は惹かれる。そこに癒やしを感じるからだ。
ビルは大都市にはいくらでもあるし、ビルの中で忙しく働く人々は大都市に無数にいる。地方はスローな生活が魅力なのであり、それを失っては意味がない。スローというのは、ゆっくり時間を過ごすというだけでなく、物をつくる、料理をつくるときも時間をかけてゆっくりつくることも意味する。ファストフードではなく、近くの畑で取れたやさいを手仕事で料理したものをスローフードという。余暇の時間だけでなく働き方や仕事の仕方がスローであることに意味がある。
どうしても古い建物では使いにくいという場合でも、解体して新築しなくても、リノベーションをすることでもっと魅力的な空間ができることは、この20年間のリノベーション業界の努力によって立証済みである。
50年前の白井屋ホテルがリノベーションされた意義
古着について考え始めたころ、私はちょうど文化庁の「建築文化検討会議」という会議の委員として意見を述べる機会を得た。女優の鈴木京香さんも委員だったことで、この会議を知っているという人も多いだろう。
建築文化検討会議は、文化財とはまだ言えない近現代建築が激しい都市開発と経済論理などによって解体されてしまう現実に対して、なんとか良い建築とその建築の周辺の地域文化・景観を守ろうという趣旨の会議である。
その会議で聞いた話では、ある建物を設計するとき、既存の建物は壊すことが既定事実になっていることがほとんどだという。既存の建物を活かしながら新しくする方法をとることはまずないという。まあ、そうだろう。
会議のあと、前橋市に向かった。前橋市にはマチスタント(正式行政名称)という制度がある。そのマチスタントの田中さんと(新潟県三条市出身。大学が前橋工科大学)、建築家で谷中のまちづくりで有名な宮崎晃𠮷くん(前橋市出身)の案内で前橋市の新名所を猛スピードで視察した。
田中さんの仕事は中心市街地の空き店舗と店を出したい人をマッチングすること。この2年ほどで18軒が新規開業した。
中でも建築文化検討会議の議論と重なったのは白井屋ホテルだ。50年ほど前に建てられたホテルであり、当初は建て替えを考えたが、結局新築するより高いお金をかけてリノベーションされた(増築した新築部分もある)。詳細はホームズプレスの別の記事を参照していただくとして、設計は有名な藤本壮介氏。
既存の床を抜き、壁を抜き、新築も加えつつ、実にダイナミックな空間ができていて驚いた。藤本なら新築でも画期的なホテルを設計したと思うが、でも、藤本だからこそ、新築以上のお金をかけたリノベーションが成功したとも言える。そのほうが話題性があるし、50年という時間の蓄積の上に成り立つストーリー性を感じさせる建物になる。かつてのホテルに想い出を持つ人々にも納得がいく。
シャッター通りにできた古着屋が50年前の古着を売る
また建築文化検討会議で私は、有名な建築家が設計した建築に限らず、横丁の飲み屋も、昔誰もが行った映画館や書店などの商店も、冠婚葬祭で集った料亭も、建築文化ではないのかという意味の発言をした。
同様に、有名なファッションデザイナーの服だけが価値を持つのではなく、母が着ていた手編みのセーターも、祖父が着ていた一張羅の黒い背広も、一人一人の人間にとってはかけがえのない価値を持つ。そしてその価値は、実の子どもや孫でなくても、赤の他人の若者であっても、なぜか伝わる。
実際、単に服を売るというのではなく、中古化した街を再生することや高齢者とのつながりを目標にした古着屋が登場していることは多摩ニュータウンの例でも紹介したが、前橋にもそういう古着屋ができたばかりだった。
「自分の父親世代(60歳くらい)からおじいちゃん世代(90歳くらい)の服を仕入れて若い世代につないでいくことを店のコンセプトにしています。最近おじいちゃん世代の断捨離が多くて、知り合いの古道具屋さんが、古い家にある物を全部ただでいいから持っていてと言われることが多いようなんです。僕もそれについていって、洋服をレスキューします」と語るのは「服屋シャオ・そなちね」の高橋颯(かざむ)さんだ。
レスキューとはまだ使えるのに捨てられそうになっている物を広い集めることを意味する。
おじいちゃんの背広は究極の一点物
そなちねは、前橋市の中心、ご多分に漏れず寂れたアーケード商店街に2022年11月にできたばかり。だが、ずっとそこにあったかのような不思議な存在感がある。前は鍋や包丁や家庭用品を売る「福寿屋」という店だったが、それをそのまま使い、看板もそのまま。売っているのが昭和の古着ということもあって、ずっとそこにあるように見えるのだろう。
他方、商店街には昭和レトロが満載であり、そこを1分に2、3人徒歩や自転車で行き来する人たちの多くが田中さんに声をかけ、道端に椅子を出して飲んでいる私たちと一緒に飲み始めたりと、ラテン的な雰囲気もある街で驚いた。
また閉店した商店を利用したクラフトビールとアートの店(というか何というのだろう)、子どもが集まる駄菓子とゲームの店などもあり、シャッター通りとはいえ何だか少し元気がある。
服を見ていて面白いのは、50〜60年前に仕立てられたと思しき背広だ。昔は百貨店などで既製服を買うのではなく、テーラーに頼んで背広をあつらえるのが普通だった。
「とても良い生地を使って、その人の体型に合わせてつくられています。だから一着一着が素材も形もサイズも全部違うんです。」
なるほど究極の一点物が、あつらえた背広なのだ! 一点物であることは古着の魅力の一つだが、その魅力が凝縮しているのである。
そしてそういう背広には所有者の苗字が刺繍されることが普通だった。それも若者にとっては魅力だという。
「その人のためだけにつくられた背広を着ることで、その人の人生を感じるというか、自分とのつながりを感じるみたいなところがある。」
背広は体のサイズと形が似通っていないと気持ちよく着られないわけだから、自分と同じような人が50年以上前にいたと感じられるのは、たしかに不思議な感覚かもしれない。
「入学式に着るために背広を上下で買いたいという学生も来ます」という。
「君の名は」のようなアニメでしばしば見られる時空を超えた出会いのような。
私の父もこういう背広を持っていた。家にテーラーの主人が着て採寸をしている光景を今も覚えている。だが私の世代は親とは絶対に違う服装をしたいと思った世代である。父親や祖父の世代が着た服を着るなんて、考えたこともない。
時代は変わる。私にとっては藤本壮介のホテルも古着屋のそなちねも等価である。街に及ぼす影響も大小の差はあるだろうが本質は同じだ。それは、古い物を活かしストーリー性を重視し、強い美意識で新しい価値を加える活動である。こういう活動こそが地方を活性化する。
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