【杉並・和田堀・永福町】1932年に風致地区指定された和田堀周辺の宅地 ～ 風致地区を歩く②

和田堀とは杉並区の大宮八幡神社に隣接する堀であり、周辺一帯を含めて1932年に風致地区指定された。
詳しい範囲は図のとおりであるが、真ん中を蛇行するのが善福寺川。左端の斜めの道が井の頭通りであり、そのさらに左を井の頭線が走っている。真ん中あたりを上下に走る道路が永福町駅北口の商店街であり、その道の下の方に永福町駅が位置する。つまり概ね井の頭線永福町〜西永福の北側が和田堀風致地区である。

冒頭の絵図を見ると、下が北、上が南であるが、左下に和田堀が描かれている。その上に大宮八幡神社があり、その上に井の頭通りがあって、そのすぐ上に井の頭線永福町と西永福の駅がある。神社と井の頭通りの間、そして井の頭線の南側に住宅地が形成されているのがわかる。右上隅は富士山である。

和田堀風致地区の全体　出所：東京風致協会聯合会『皇都勝景』

そもそもこの冒頭の絵図は和田堀風致地区が指定された頃に開発された住宅地「永福住宅地」のしおりで使われていたものである。本連載の風致地区シリーズ第１回でも書いたように、風致地区に指定された地区やその周辺は良好な住宅地として宣伝文句に使われた可能性がある。このしおりはまさにそういう事例の典型である。

しおりはわかっているもので2種類あり、カラフルなほうは発行年が不明だが、地味なほうは1937年である。カラフルなほうには分譲地購入者の名前が列挙されているので、こちらのほうが後から発行されたものかもしれない。
いずれも表紙に「内務省指定風致地区」と書かれており、和田堀のボートと富士山、そして当時流行の赤い屋根の郊外住宅が描かれている。
発行者は永福町地主共同事務所となっているので、土地開発主体もその事務所であろう。事務所のオフィスは永福町駅と西永福駅の駅前に置かれており、次の絵図の赤丸で示されている。なぜか3カ所あるが、なぜ3ケ所なのかはわからない。

1932年の分譲地チラシ（永福町地主共同事務所）

カラフルなほうのしおりに掲載されているのが下の絵図である。
永福町駅北口に第一永福荘という住宅地がある。西永福駅北口の井の頭線と井の頭通りの間に第二永福荘。井の頭線の南側に第三永福荘がある。その下の「分譲予定地五万坪」とあるのがおそらく第四永福荘になったのではないかと思われる。その下に流れるのは玉川上水である。

第三永福荘の左に八幡台分譲地というのがあるが、これは下高井戸八幡神社に隣接しているからである。それらを囲むように流れているのが神田川である。当時は小池があったり、釣り堀があったことがわかる。その上にあるのが第一翠ヶ丘、その上が第二翠ヶ丘。さらに上に第一、第二の松柏園がある。そのまた上が大宮苑、善福寺川をはさんで富士見台分譲地、それらの左には浜田山分譲地がある。

つまり和田堀風致地区のほぼ南半分、善福寺川の南側一帯にこの永福町地主共同事務所による分譲地が集まっている。地主たちがかなり積極的に風致地区人気を当て込んで宅地開発を行ったのではないかと想像される。第三永福荘、八幡台、分譲予定地は風致地区外であるが、隣接していたり、神田川や玉川上水に接しているので、似たような風致は感じられたであろう。

住宅地の分布。善福寺川から神田川を経て玉川上水までの間が開発された　出所：永福町土地共同事務所『永福住宅地の栞』

カラフルなほうのしおりの表紙にはこう書かれている。
田園郊外の理想が謳われるとともに、そこに風致地区が結びつけられ、かつ家庭と子どもの生活の重視がなされていて、とても興味深い。

「健全なる精神は健康の身体に宿る。健康こそは人生幸福の基点であります。ことに大東京の濁った空気と狂騒音のちまたで暮す都会人には、これ以外に何の幸福がありましょうか。かつての大自然の情趣を誇りし武蔵野も、文明の侵蝕にほとんどあとかたもなく破壌され、豊かな日光、新鮮な空気、欝蒼たる森林、鳥歌ひ花笑ふ平和な田園風景は、都心を遠く離れざる限り、容易に求め難き状勢となりました。
かかる時代、新宿・渋谷へわずか十分あまりの永福の丘こそは、都心に近くしかも武蔵野情緒を多分に残す、保健上申分なき唯一の理想住宅地と稀することができましょう。本地は内 務省より大宮公園の大自然林を中心として周囲30万坪の地域を風致地域として指定され、 今後永久にこの地一帯の武蔵野風致を保護保存されることになりました。したがって本地 は、ますます発展する交通機関の恩澤に浴しながら都心に近くて都塵に遠き清浄明朗なる健康地区たることを絶封に保証された次第であります。和気に満ちた楽しき家庭の団らんと幸福は、かかる地にしてはじめて生み出されてゆくのであります。大東京に生活して、一家の幸福、子孫の隆栄をこいねがうもの、あえて美田を求めずとも、誰か自然美に恵まれたる本地をおいて他に生活の根拠を求め得られましょうか。」（文章はできるだけ現代的に書き改めた）

先述したようにカラフルなしおりには分譲地購入者のフルネームと職業が書かれている。職業別に見ると、125人の購入者のうち会社員が最も多く27人（銀行員という表記も含む）、実業家が17人、軍人が14人、官吏も14人、重役・社長も14人である。
当時は個人情報保護などという思想はなかったので、なかには「三菱社員」「三井社員」「大倉土木」「明電社重役」などと書かれている人も少なくない。大企業の人間が買ったことが宣伝になったのだろう。

実際に現地をいくつか歩いてみた。
永福町駅北口の第一永福荘は、家がかなり建て変わっており、1932年当時を偲ばせる家はほぼないようである。区画は大きく、家も大きめであり、歩いていると何人も白人とすれ違ったので、外国人居住者も多いように思われた。

大宮八幡を経て和田堀公園に行くと、残念ながら掻い掘りか何かの工事中できれいな水面を見ることができなかったが、それでも多くの人が絵を描きにきたりしていた。
また木々はあまり手を入れられていないようで野趣に富み、自然に近い形で保全されているように見えた。

和田堀から西に丘を登ると高千穂大学などの敷地であり、そこに隣接したあたりがかなり良好な住宅地になっている。おそらく大宮苑、第一・第二松柏園がこの一帯であろう。
第二翠ヶ丘、第二永福荘のあたりは、駅が近いせいか開発が進んだようで、マンションに建て替わるなど、往時を偲ばせる家は少ない。

それに対して駅から少し離れた第三永福荘は良好な住宅地として保たれている。戦前からの家かどうか不明だがかなり立派な邸宅も残っている。
敷地も広めであり、明らかに土地が分割されてミニ戸建てが建つという例は見かけなかった。

さらに神田川沿いの八幡台住宅地もなかなかの邸宅が存在している。神田川は戦前は今より南側を下高井戸八幡神社を囲むように蛇行していたようで、神社の東側の桜花の上が宅地になったようだ。

和田堀で写生する女性

探訪後、一部の写真を自分のFacebookにアップしたところ、知り合いの建築系の大学教授(女性)が私の家はこの近くだと反応してきた。
彼女によると、第三永福荘には著名な建築家・武田五一の設計した家があったという。残念ながら今はない。だが彼女が大学教授だということで、その家の所有者から元の家のスケッチと土地の領収証をもらったという。領収証にはたしかに永福町地主共同事務所と書かれている。日付は1933年11月で、その家の竣工は34年である。しおりは37年だから、複数の住宅地をゆっくりと分譲をしていったのだとわかる。

家のデザインはシンプルだがモダンで、和風のようにも洋風のようにも見え、平行に並んだガラス窓と背景の木の枝ぶりが、京都・山崎に武田の弟子にあたる藤井厚二が設計した聴竹居をどことなく彷彿とさせる。
永福町も昔は山崎のように自然に満ちた場所だったのだろう。

著名な建築家・武田五一設計の邸宅があったという