七草粥は、節句ごとに食べられる特別な「節句料理」
1年に数回ある、節句。陰陽五行説を由来とする季節の変わり目の行事が行われた節句は、江戸時代に「五節句」として、以下が正式に制定され、現在に伝わっている。
・1月7日 人日の節句(七草の節句)
・3月3日 上巳の節句(桃の節句)
・5月5日 端午の節句(菖蒲の節句)
・7月7日 七夕の節句(星まつり)
・9月9日 重陽の節句(菊の節句)
節句には、宮廷では天皇のもとに群臣を集めて行われた公式行事である節会(せちえ)も開かれた。
古来、節句ごとに食べられる特別な料理が「節句料理」である。
たとえば上巳の節句には菱餅、端午の節句なら柏餅、七夕の節句は素麺、重陽の節句には菊酒といった具合だ。1月7日は人日の節句には、七草粥が食される。
七草粥は、人日の節句に食べられる春の七草を炊き込んだシンプルな塩味の粥。焼いた餅を入れるなど、地域による特色もある。冬に生える若菜から、生命力をもらうまじないでもあるが、冬に少ない青菜類でビタミン不足を補い、お正月に食べ過ぎて酷使した胃を休めるという意味もある。
『七草草紙』に書かれている8000歳の白鵞鳥の秘術が、七草の由来
お伽草子に七草粥や、その起源を説く『七草草紙』という物語がある。
『七草草紙』に書かれている物語であるが、唐の楚の国にいた"大しう"という若者はとても親孝行で、年老いた両親を若返らせたいと21日の間苦行を行った。それを殊勝に思った帝釈天は、須弥山に住む8000歳の白鵞鳥の秘術を授ける。
その秘術とは、毎年1月6日までに七草を集め、酉の刻にはセリを、戌の刻にはナズナを、亥の刻にはゴギョウを、子の刻にはタビラコを、丑の刻にはホトケノザを、寅の刻にはスズナを、卯の刻にはスズシロを刻み、辰の刻になったら東の方角から清水を汲んできて煮て食べるというもの。
一口食べれば10歳若返るから、食べ続けると8000年生きることができるのだという。もしタビラコがホトケノザであるとすれば、ホトケノザが重複するが……。
実は、ホトケノザの正体については、レンコンやオオバコなど諸説ある。「日本の植物学の父」とも呼ばれる牧野富太郎博士がタビラコであると提唱し、現在の定説となったのだ。
七草の種類は、諸説あり、固定されていなかった
一般に春の七草は、寛政十二(1800)年に刊行された『年中故事』であげられた、いわゆる「春の七草」として知られる、セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロの7種をさす。
しかし、七草の種類は固定だった訳ではなく、はじめて七草の種類を定めたとされる室町時代の四辻左大臣は、ナズナ、ハコベ、セリ、アオナ、ゴギョウ、スズシロ、ホトケノザが七草であるとしている。
スズナは蕪、スズシロは大根のこと。ナズナはいわゆるペンペン草、ゴギョウはハハコグサで、ハコベラとともに日本人にはなじみのある野草だろう。ホトケノザはタビラコのことだとされるが、実際はよくわかっていない。
七草の種類は固定でなかったにせよ、七草粥を食する風習は残り続けた。
七草粥の始まりは、1月7日の朝に春の若菜が入ったお粥を食べる風習が最初とされる。延喜十一(911)年に、醍醐天皇が譲位後に居住する予定の御所に仕える者から、七種類の若菜が献上されたのがきっかけだという。延喜年間に編纂された『延喜式』にも、1月15日に食べる米・粟・黍・稗子・みの・胡麻・小豆を使った「七種の粥料」が記録されている。
正月の子の日に行われた「子の日の遊び」も、七草粥の風習につながったようだ。
野外で小松を引き抜いたり若菜を摘んだりして遊んだのちに宴を開き、松で作った縁起物を身に着け、若菜の入った汁物を食べた。「子の日」と「根延び」の語呂合わせや、松が常緑でめでたい樹木であることから無病長寿を願う習わしだったとされ、源氏物語の「若菜」や「初音」にも登場する。
七草を刻みながら、禍をもたらす鳥を祓った「七草囃子」や「七草たたき」
七草粥を食べるのは1月7日の朝だが、準備は6日の夜に行う。
まな板に七草をのせて、刻みながら「七草囃子」や「七草たたき」と呼ばれる歌を歌うのだが、歌詞は地域によって少しずつ違う。しかし多くが「七草なずな 唐土の鳥が 日本の土地に渡らぬ先に 七草なずな 手に摘みいれて ストトントン」といった内容だった。「唐土の鳥」は、中国の「鬼車」という化け物を指すという。
鬼車は頭が9つもあり、人の魂を喰らい、不幸をもたらすといわれている。この鳥が人日の頃に海を越えてやってくるといわれているため、床や戸を打ち鳴らして、その鳥を追い払う、ということだ。島国日本では、疫病は唐土から飛来する渡り鳥がもたらす、と考えられていた。考えてみれば、今回の新型コロナウイルスの疫病蔓延が海外からくる、という状況に似ている。古来よりあった疫病被害などの禍を祓うため、祈りを込めて準備されたのだろう。
作物を食い荒らす鳥を追い払う「鳥追い」の行事も、1月15日の小正月に行われるから、この時期に渡り鳥が多く飛んできたのかもしれない。
津軽の「けの汁」、薩摩の「七草ずし」。地方ごとの七草粥
江戸時代末期に喜田川守貞が江戸と大坂、京都の文化の違いを比較して記録した『守貞漫稿』によれば、三都ともに正月7日には若菜粥を食べるが、1~2種類の若菜を加えるだけだったようだ。
6日に貧しい農民が売りに来る若菜を購入し、7日の朝にまな板に乗せて薪、包丁、火箸、すりこぎ、杓子、銅杓子、菜箸などの七具を添える。そして歳徳神の方角に向かって「七草なずな」の歌を囃しながら、七具を順に使って叩くのだという。
七草粥には、その材料に地方色があるようだ。
津軽の七草粥は、だいこん、にんじん、ごぼう等の野菜類、ふき、わらび、ぜんまい等の山菜類、油揚げ、凍み豆腐などを刻んで煮込み、味噌で味付けした「けの汁」とも呼ばれるもの。
雪深い京都北部では、七草が摘めないから大根の芯葉を入れるのが伝統的なもののようだ。鹿児島の七草粥は「七草ずし」と呼ばれ、七草に里芋やゴボウやこんにゃく、お餅を入れた具沢山なもの。
また、あんこを入れたもの、根菜や山菜、油揚げなどを入れる地域、お節料理の残りを入れる地域もあるという。
現在では、お店で手軽に七草がセットとして、売られていることも多い。2022年の1月7日には、七草草子が説くように8000年を生きることはできないが、健康長寿を願い七草粥を食べ、節句を迎えてみては。
■参考
柏書房『現代こよみ読み解き事典』岡田芳朗+阿久根末忠編著 1983年2月発行
法政大学出版局『春の七草(ものと人間の文化史)』有岡利幸著 2008年12月発行
岩波書店『御伽草子 上』市古貞次校注 1985年10月発行
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