築城の名手、藤堂高虎等によって修築された伊予の名城

1日1組限定、2名100万円(税抜)からで天守閣に泊まれる本物の城がある──そんな噂を聞いて訪れたのは、愛媛県の南予地方に位置する“伊予の小京都”大洲(おおず)市。

鎌倉時代末期(1331年)に宇都宮豊房が築城した『大洲城』は、築城の名手と称えられた藤堂高虎等によって大規模な修築が行われ、城の繁栄と共に伊予大洲藩の政治・経済の中心地として発展を続けた歴史がある。まさに“大洲の至宝”とも言える存在だ。

そんな歴史ある伊予の名城に宿泊できるとは…どのような経緯で「大洲城キャッスルステイ」の企画が実現したのか、運営担当者に話を聞いた。

▲奥に見える4層4階の天守は、平成16年に木造で復元されたもの。手前に見える高欄櫓(こうらんやぐら)は安政4年の地震で大破した後万延元年に再建されたもの。24あった櫓のうち、台所櫓(だいどころやぐら)・苧綿櫓(おわたやぐら)・三の丸南隅櫓(さんのまるみなみすみやぐら)を合わせて4つの櫓が現存しており、昭和32年に国の重要文化財に指定された▲奥に見える4層4階の天守は、平成16年に木造で復元されたもの。手前に見える高欄櫓(こうらんやぐら)は安政4年の地震で大破した後万延元年に再建されたもの。24あった櫓のうち、台所櫓(だいどころやぐら)・苧綿櫓(おわたやぐら)・三の丸南隅櫓(さんのまるみなみすみやぐら)を合わせて4つの櫓が現存しており、昭和32年に国の重要文化財に指定された

明治維新の廃藩後、城の維持管理が難しくなり天守を解体することに

▲一級河川『肱川(ひじかわ)』の河畔にそびえる大洲城。天守と櫓がL字型につながる複連結式連結式天守閣は、肱川から眺めた時の見栄えの良さを意識して設計された。ここから15キロぐらい川下へ進むと瀬戸内海へ出るため、大洲城の藩主たちは皆この川を下って参勤交代に出たという。4つの櫓(台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓)は、明治21年の解体を免れた▲一級河川『肱川(ひじかわ)』の河畔にそびえる大洲城。天守と櫓がL字型につながる複連結式連結式天守閣は、肱川から眺めた時の見栄えの良さを意識して設計された。ここから15キロぐらい川下へ進むと瀬戸内海へ出るため、大洲城の藩主たちは皆この川を下って参勤交代に出たという。4つの櫓(台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓)は、明治21年の解体を免れた

「大洲城は、幸いなことに空襲を受けておらず、大きな災害といえば江戸時代後期の安政の大地震ぐらいでした。そのとき大破して修理した箇所はありますが、天守は明治21年まで残っていたのです」

大洲城の歴史について話して下さったのは、まちづくり会社『一般社団法人 キタ・マネジメント』の村中 元さんだ。村中さんは大洲市役所職員として同社に出向し、地域活性のために様々な事業を推めている。

「明治維新を迎えて、大洲の藩主であった加藤家は東京へ。残った臣下の武士グループが“自分たちで城を守りたい”と組織したようですが、当時は文化資源という概念も弱く、やはり維持管理が難しくなって明治21年に取り壊しが決まりました。明治維新によってどんどん西洋化が進んでいく中で、城というのは“かつての封建社会の象徴”のような存在でしたから、全国的にもお城を残していくことは困難だったようですね」(以下、村中さん談)

▲一級河川『肱川(ひじかわ)』の河畔にそびえる大洲城。天守と櫓がL字型につながる複連結式連結式天守閣は、肱川から眺めた時の見栄えの良さを意識して設計された。ここから15キロぐらい川下へ進むと瀬戸内海へ出るため、大洲城の藩主たちは皆この川を下って参勤交代に出たという。4つの櫓(台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓)は、明治21年の解体を免れた▲一般社団法人 キタ・マネジメントの村中 元さん(右)と
大洲城キャッスルステイの実質的な運営を行うバリューマネジメント株式会社の吉田 覚さん(左)

取り壊しから100年を経て、史実に忠実な木造天守が復元

しかし、明治の天守取り壊しから約1世紀が経過した平成6年、当時の市長が中心となって天守を復元する計画が立ち上がり、『大洲城天守閣再建検討委員会』が発足。その後地質調査や天守閣跡地発掘調査等を経て、平成16年に“史実に忠実な木造天守”が完成披露された。

「実は城の設計図というのは保安上の理由からほとんど焼却処分されてしまうため、簡単な絵図しか残されていないケースが多いのですが、大洲城の場合は奇跡的に城の修理を任されていた棟梁家が『天守ひな形』と呼ばれる木組模型を保管していたのです。加えて、明治時代に撮影された『取り壊し直前の天守の写真資料』も復元の参考になりました。外観は写真から測量を行い、内部は棟梁家の模型を発掘調査の柱の並びと照らし合わせてみてもピタリと一致したため、“ほぼパーフェクトな復元”が実現しました」

総工費約16億円をかけて悲願の天守復元を達成してから15年が経過し、人口減少が進む大洲市では「城下町や大洲城などの歴史的資源をどう残していくか?」が新たな課題となった。

「城下町を保全しながら、復元した天守がいちばん輝く方法は?と考えたときに、たどり着いたアイデアが“往時の城主体験”でした。そうなると行政だけでオペレーションを進めていくのは難しい。地域DMOのキタ・マネジメントや歴史的建造物の利活用に長けたバリューマネジメントとタッグを組むことで『大洲城キャッスルステイ』の企画がスタートすることになったのです」

▲『大洲城キャッスルステイ』では、大洲城天守と重要文化財のふたつの櫓を貸し切りにして宿泊できる。別の場所でチェックインを終えたあと、衣装を着替え「入城セレモニー」を体験するところからキャッスルステイがスタートする。城主(男性)は甲冑姿、姫(女性)は着物姿で家来を引き連れて入城※子ども用衣装もある。これは江戸初期1617年の加藤貞泰入城のシーンを再現したものだ▲『大洲城キャッスルステイ』では、大洲城天守と重要文化財のふたつの櫓を貸し切りにして宿泊できる。別の場所でチェックインを終えたあと、衣装を着替え「入城セレモニー」を体験するところからキャッスルステイがスタートする。城主(男性)は甲冑姿、姫(女性)は着物姿で家来を引き連れて入城※子ども用衣装もある。これは江戸初期1617年の加藤貞泰入城のシーンを再現したものだ
▲『大洲城キャッスルステイ』では、大洲城天守と重要文化財のふたつの櫓を貸し切りにして宿泊できる。別の場所でチェックインを終えたあと、衣装を着替え「入城セレモニー」を体験するところからキャッスルステイがスタートする。城主(男性)は甲冑姿、姫(女性)は着物姿で家来を引き連れて入城※子ども用衣装もある。これは江戸初期1617年の加藤貞泰入城のシーンを再現したものだ▲城主一行が城に到着すると、家来たちが一斉に祝砲を撃って歓迎
▲『大洲城キャッスルステイ』では、大洲城天守と重要文化財のふたつの櫓を貸し切りにして宿泊できる。別の場所でチェックインを終えたあと、衣装を着替え「入城セレモニー」を体験するところからキャッスルステイがスタートする。城主(男性)は甲冑姿、姫(女性)は着物姿で家来を引き連れて入城※子ども用衣装もある。これは江戸初期1617年の加藤貞泰入城のシーンを再現したものだ▲出迎える家来たちの中には地元住民のエキストラも含まれる
▲『大洲城キャッスルステイ』では、大洲城天守と重要文化財のふたつの櫓を貸し切りにして宿泊できる。別の場所でチェックインを終えたあと、衣装を着替え「入城セレモニー」を体験するところからキャッスルステイがスタートする。城主(男性)は甲冑姿、姫(女性)は着物姿で家来を引き連れて入城※子ども用衣装もある。これは江戸初期1617年の加藤貞泰入城のシーンを再現したものだ▲夕方5時までは天守の一般公開が行われているため、観光客が帰ったあとにキャッスルステイの貸し切りがスタートする。チェックアウトは翌日の公開が始まる午前9時前に済ませることになる

1泊100万円に値するだけの「大洲の文化体験」を提供する

ここからは『大洲城キャッスルステイ』の実質的な運営を担うバリューマネジメント株式会社の吉田 覚さんに運営面の工夫を聞いた。

「キャッスルステイをスタートする上で最初に課題となったのは、建築基準法や消防法の適合についてでした。宿泊施設として活用するとなると、消火設備や避難経路の確保が必要になります。この点は市役所が中心となり、関係機関との調整を進めてくれたおかげで実現することができました。また、幸いなことに大洲城は『複連結式天守』のおかげで二方向避難ができる構造になっていたので、消防法上も安全性を確保しやすかったと聞いています。昔のお城の構造は避難しやすいようにできていたんですね(以下、吉田さん談)」

1日1組限定、朝食1回・夕食1回で宿泊料金は大人1泊2人で100万円(最大6名まで/子ども料金は年齢に合わせて3万円~10万円。いずれも税抜き)。都心の超高級ホテルのスイートルーム並みの設定だが、国内外からの問い合わせが後を絶たないというからすごい。

「木造天守閣に宿泊していただき、100万円をいただくということが決まった時、その値段に見合うだけのサービスをどのようにしたら提供できるか?について議論を重ねました。そもそも重要文化財である建物ですから、内装や設備をガラっと変えることはできません。そこで、ここでしか得ることができない“大洲の文化体験”を提供することでキャッスルステイの価値を高めていくことを目指しました」

単なる“城主コスプレ”を楽しむための場所とは思われたくない。宿泊者に大洲の歴史を正しく説き、大洲のまちの魅力を体感してもらうため、検討委員会をつくって歴史考証を行った上で「史実に基づくオリジナルのサービス」を提供できるよう努めたという。

▲一般拝観が終わったあと、史実でも藩主の居所として使われていた天守2階吹抜けの板張りの部屋に畳を敷いて寝具を整える。この天守の内装も実に見事。釘は一切使われておらず、地元大工等の手によって日本古来の伝統工法「継手・仕口(つぎて・しぐち)」を使い仕上げられた▲一般拝観が終わったあと、史実でも藩主の居所として使われていた天守2階吹抜けの板張りの部屋に畳を敷いて寝具を整える。この天守の内装も実に見事。釘は一切使われておらず、地元大工等の手によって日本古来の伝統工法「継手・仕口(つぎて・しぐち)」を使い仕上げられた
▲一般拝観が終わったあと、史実でも藩主の居所として使われていた天守2階吹抜けの板張りの部屋に畳を敷いて寝具を整える。この天守の内装も実に見事。釘は一切使われておらず、地元大工等の手によって日本古来の伝統工法「継手・仕口(つぎて・しぐち)」を使い仕上げられた▲大洲の季節の食材をふんだんに使った料理は城下のホテルのレストランで下ごしらえをしてからキッチンカーで仕上げを行う。ウエルカムスイーツも地元銘菓だ
▲一般拝観が終わったあと、史実でも藩主の居所として使われていた天守2階吹抜けの板張りの部屋に畳を敷いて寝具を整える。この天守の内装も実に見事。釘は一切使われておらず、地元大工等の手によって日本古来の伝統工法「継手・仕口(つぎて・しぐち)」を使い仕上げられた▲洗面やトイレは専用のトイレカーを用意。お風呂は宿泊者だけが利用できる別棟を新設。全面ガラス張りのラウンジ付きで“お城ビュー”を楽しめるゴージャスな空間だ

官民連携の好モデルとしてグッドデザイン賞を受賞

▲人力車での市内観光など、オプションで様々なオーダーを追加可能。「法律に抵触しない範囲内であれば、お客様の要望を全力で叶えにいきます。これまででいちばん大変だったのは“城下に祭りの屋台をズラリと並べたい”というオーダーでしたが、しっかりとご要望にお応えしました」と吉田さん▲人力車での市内観光など、オプションで様々なオーダーを追加可能。「法律に抵触しない範囲内であれば、お客様の要望を全力で叶えにいきます。これまででいちばん大変だったのは“城下に祭りの屋台をズラリと並べたい”というオーダーでしたが、しっかりとご要望にお応えしました」と吉田さん

『大洲城キャッスルステイ』の宿泊期間は3月から11月中旬まで。館内で暖房器具が使えないことから冬季は休業となり、年間30組が宿泊上限となっている。実際の宿泊客は、国内外の高級ホテルに泊まり慣れた富裕層ばかりで、他のホテルでは体験できないオリジナルコンテンツを求めて大洲城を訪れるファミリーも多いそうだ。

「幸いなことに、宿泊されたお客様からは“100万円のホテルなんていくらでもあるけれど、ここで得られる体験のほうがはるかに価値が高かったよ”とのお褒めの言葉をいただいております。

ただし、コロナ禍が明けて外国人観光客の方がいらっしゃると、おもてなしの難易度が上がることも覚悟しています。お城での宿泊はホテルよりもちょっと不便だったり、快適ではないこともあります。しかし“ここでしか叶えられない文化体験・歴史体験のための料金だ”ということを事前にご理解いただくよう、旅行会社さんや旅行エージェントさんと連携しながら、最大限の感動をご提供したいと考えています」

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観る文化財から、利用する文化財へ──街並みを保全しながら城下町を残し経済活性を導く大洲市の取り組みは、官民連携の好モデルとして評価され、2021年度のグッドデザイン賞において『地域の取り組み・活動』部門を受賞した。

その活動のアイコン的存在となった『大洲城キャッスルステイ』は“1泊2名100万円(税抜)”という料金設定ばかりが注目を集めがちだが、「大洲の歴史的景観の維持に貢献する価値」も含まれた金額だと思うと納得感もある(もちろん懐事情としてその金額を払えるかどうかは別問題だ)。

海外のメディアでも特集されたことから来季以降の宿泊予約の問い合わせも増えており、コロナ明けのインバウンド効果にも期待が集まっている『大洲城キャッスルステイ』。伊予の名城が、築城から約700年の時を経てこの地にどのような経済波及効果をもたらすのか楽しみだ。

■取材協力/大洲城キャッスルステイ
https://castlestay.ozucastle.com/

▲人力車での市内観光など、オプションで様々なオーダーを追加可能。「法律に抵触しない範囲内であれば、お客様の要望を全力で叶えにいきます。これまででいちばん大変だったのは“城下に祭りの屋台をズラリと並べたい”というオーダーでしたが、しっかりとご要望にお応えしました」と吉田さん▲大洲藩第3代藩主加藤泰恒がこよなく愛した肱川の景勝地臥龍淵を臨む『臥龍山荘(がりゅうさんそう)』。建物自体は明治時代の豪商・河内寅次郎が建てたもの。『大洲城キャッスルステイ』の宿泊客は臥龍山荘館内でお茶や朝食をとることができる

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