地域住民のコミュニティセンターとして開設された「地区の家」

講師のアンドレア・ボッコ氏(写真右)と、通訳兼司会を務めた多木陽介氏。ボッコ氏は自然素材を使ったローテク技術の分析、建築におけるサステナビリティ、山村再生などをテーマに研究・執筆活動も行なう。著書に『石造りのように柔軟な~北イタリア山村地帯の建築技術と生活の戦略~』(邦版は鹿島出版刊行)など。多木氏は、ローマを拠点に多様な次元の環境(自然環境、社会環境、精神環境)においてエコロジーを進める人々を扱った研究を展開。著書に『アキッレ・カスティリオー二 ‐ 自由の探求としてのデザイン』(AXIS)など講師のアンドレア・ボッコ氏(写真右)と、通訳兼司会を務めた多木陽介氏。ボッコ氏は自然素材を使ったローテク技術の分析、建築におけるサステナビリティ、山村再生などをテーマに研究・執筆活動も行なう。著書に『石造りのように柔軟な~北イタリア山村地帯の建築技術と生活の戦略~』(邦版は鹿島出版刊行)など。多木氏は、ローマを拠点に多様な次元の環境(自然環境、社会環境、精神環境)においてエコロジーを進める人々を扱った研究を展開。著書に『アキッレ・カスティリオー二 ‐ 自由の探求としてのデザイン』(AXIS)など

NPO法人シブヤ大学で『トリノの地区の家 ― 都市再生の新しい考え方と実践のし方』と題した授業が行なわれた。

シブヤ大学は、2006年に開校以来、東京・渋谷を拠点に生涯学習事業を通じた地域コミュニティづくりに取り組んできた。ソーシャル系大学の先駆け的な存在で、公共施設や店舗、公園など、渋谷区内のあらゆる場所を教室に、さまざまなテーマの授業を行なっている。街づくりをテーマにしたものも多く、今回紹介する授業もそうした一環だ。

この「地区の家」とは、イタリアのトリノにおける「日本の多目的な公民館のような施設」であるという。
授業の講師を務めたのは建築家であり、トリノ工科大学建築学科建築技術専攻准教授であるアンドレア・ボッコ氏。肩書きは建築家であるが、社会運動家として活動し、大学院生だった1994年より地域生活の再生に関わる問題に取り組み、2つの「地区の家」の設立・運営に携わってきた。着目したいのは、ボッコ氏は新たに施設を建てたということではなく、地域住民の人間関係や生活環境の再生を中心に取り組んできたことだ。授業では、その地域再生活動の核になった2つの「地区の家」について語られた。通訳兼司会を務めたのは、ボッコ氏の友人でローマ在住の演出家・アーティストである多木陽介氏。

日本とイタリアとでは歴史や風土、社会制度などが異なっている。だが、私たち日本で暮らす市民が地域コミュ二ティを考えるうえで示唆に富んだ授業だったと思うので、2回に分けてレポートをお届けしたい。

授業内容をお伝えする前に、トリノの概要に触れておきたい。イタリア北西部に位置するピエモンテ州の州都で、人口は約90万人。サッカーファンにはプロチームの「ユヴェントス」のホームタウンとして馴染みがあるかもしれない。都市の歴史は古く、17世紀から18世紀にかけて建設されたバロック建築の街並みが今も残り、ユネスコ世界遺産に登録された歴史的建造物も目にすることができる。近代になってからは工業都市として発展。19世紀末にはイタリア自動車産業を牽引したフィアット社が設立され、トリノはフィアットの企業城下町として繁栄した。しかし、20世紀後半からは石油危機による不況などにより衰退していった。フィアットの巨大な自動車工場は閉鎖され、トリノの経済も沈滞するのだが、2006年の冬季オリンピック開催を機に自動車の街から観光の街へと方向転換が進められている。

そんな背景をもつトリノで、この数年ほどの間にいくつかの地区で「地区の家」が開設され、都市再生のプロセスで重要な役割を果たしているという。

外国からの移民が増え、不安定な状態になった地区の再生に取り組む

ボッコ氏が携わってきた2つの「地区の家」。授業で1つめの事例として紹介されたのは、サン・サルヴァリオ地区にある「地区の家」。トリノ中心市街地のポルタ・ヌォーヴァ駅に隣接した地区で、もとは公衆浴場だったという2階建ての約600m2の建物を改装し、2010年にオープンした。カフェや中庭もあり、子ども向けから大人向けまでさまざまな市民講座やワークショップの会場として、またコンサートやイベントの会場として、多目的に利用できる施設になっている。「昨年にここで行なわれたイベントは132件。パーティ会場にも利用され、その数は210件にもなります」と、ボッコ氏。館内にはコワーキングのスペースや、ボッコ氏が仲間とともに設立した「サン・サルヴァリオ地区改善事務所」のオフィスも設けられている。

「サン・サルヴァリオは19世紀末頃から20世紀にかけて作られた市街地です。駅が近くにあるので、ホテルなど宿泊施設のほか、店やいろいろな業種の工房が建ち並び、商業活動が盛んな街でした。そこに住む住民はプロレタリアートからブルジョワジーまで階層も幅広く、宗教も多様でした。それが1990年代半ば頃から工房が次々に閉鎖され、街から活気がなくなっていったのです。その頃、イタリアでは急激に増大する外国人移民にどう対処していくかが大きな社会問題になっていました。トリノのこの地区でもアフリカ系を中心にした移民が増え続け、そうして引き起こされたのが古くからの住民と、移民との関係悪化という危機的状況だったのです。両者の間で殴り合いになってしまうようなトラブルも起こり、それをマスコミが書き立てたことで悪い評判が広まってしまいました。この地区を訪れる人は減り、商業活動は低下する一方だったのです」。

そんな状況にあった街に、どのような経緯で「地区の家」が開設されたのだろう? 
始まりは約20年前、ボッコ氏がトリノ工科大学の大学院生だった1990年代半ば頃にさかのぼる。
「当時、私はあるNGO(非政府組織)に参加し、この地区の調査・分析を行ない、レポートを作る作業を担当していました。建築学を学んでいた私ですが、建築作品を残したいというよりも、人々のために何か役に立つことをやってみたいという気持ちが強かったのです」。

調査にあたり、統計データも参考にしながらも、なにより大切にしたのは地区内を見て回り、住民と会って話を聞くことだったとふり返る。住民がこの地区に対してどう思っているのかを聞き取り、得られた情報を分析し、解決策の提案も含めてレポートを仕上げたという。この一連の調査・分析を通じ、地区住民に無料で公共的なサービスを行なうための市民組織を作ろうというアイデアが生まれた。そうしてボッコ氏が中心になって創設されたのが、前出の「サン・サルヴァリオ地区改善事務所(以下、改善事務所と記述)」だった。

トリノ市のサン・サルヴァリオ地区に開設された「地区の家」

トリノ市のサン・サルヴァリオ地区に開設された「地区の家」

住民と協働してフェスティバルを開催し、地域の魅力を発信

サン・サルヴァリオ地区について解説するボッコ氏サン・サルヴァリオ地区について解説するボッコ氏

「この改善事務所には私のような建築家だけではなく、社会問題を扱う専門家もいれば経済の専門家もいるという具合にさまざまな能力をもつメンバーが集まりました。そのことが、この地区の再興において大きな効果をもたらすことができた要因だと思います」。

改善事務所の活動には2種類があると話す。
「ひとつめは住民からの相談に対応するカウンセリング業務。"こういう手続きをしたいけど、市役所のどの課を訪ねたらいいのかわからないから教えてほしい”といった相談にも対応します。2つめは地区の市民団体をサポートするプロジェクトです。サン・サルヴァリオ地区は問題も多いところでしたが、都市にありながら村のような雰囲気がありました。数十もの市民団体があって、それぞれが活発に活動していたのです。そうした市民団体を刺激することが、私たちの役割でした。私たちがめざしたのは、住民による住民のための地域再興。私たち外部の人間が一方的に仕掛けるのではなく、地区に住む人たちと一緒に協働することが重要だと考えたのです」。

そうして地区の市民団体と協働で着手したのは街の魅力を掘り起こし、広く発信すること。地区内のモニュメントや寺院、店などを紹介するガイドブックやビデオを制作した。これらは地区のよさを住民自身が認識するという意味でも、効果的なツールになったという。
「特に成果が得られたのは、"サン・サルヴァリオ モナムール(San Salvario mon amour)"というフェスティバルを開催したことです。約1週間の会期中、さまざまな模擬店や出し物でにぎわい、地区外から訪れた人を対象に散策ツアーもやりました。フェスティバルは地区の市民団体が主体となって実行し、3年ほど続けました。住民も楽しんだし、外からも大勢の人がやってきました。フェスティバルの盛況ぶりは新聞、雑誌にも取り上げられ、"サン・サルヴァリオは楽しいところだ”と紹介されたのです。これが転機になりました」。

市営の公衆浴場だった空き建築物を活用し、「地区の家」に

フェスティバル開催は地区のイメージアップにつながったが、それ以上の収穫があった。
「サン・サルヴァリオ地区にはいろいろな人が住んでいます。市民団体もさまざまで、それぞれが独自に活動していました。それが一緒になってフェスティバルをやり遂げたことで、住民の意識が変わっていき、地区に住むみんなが一つになって、この街をよくしていこうという気持ちが芽生えたのです」。

そして浮上してきたのが、「地区の家」を作ろうという構想だった。「地区住民の誰もが利用できて、いろいろな活動の場に使える。そんな地域コミュニティセンターの場がほしいと私たちは考えたのです」とボッコ氏。改善事務所で「地区の家」の発案があったのは1999年。大規模な計画になるため、なかなか実現できずにいたのだが、具体化の道筋が見えてきたのは2006年のこと。ある公益財団が主催する地域活性化プランのコンペティションに応募したところ、改善事務所の「地区の家」プランが最優秀賞を獲得した。
「コンペの賞金を資金に充て、地区の中の空き建築物を改修して使おうという計画です。このコンペでは“トリノ市が所有する公共の建物を使用する”という条件があり、私たちが選んだのは市営の公衆浴場だった2階建ての建物でした。これがサン・サルヴァリオ地区の“地区の家“になりました」。

悪評が立っていた街から人気スポットへ

2010年にオープンし、前述のように地区住民に親しまれる施設になっている。開講されている市民講座は大人向けのダンス教室から子ども向けの絵画教室までバリエーションに富み、行なわれているワークショップも自転車修理やパソコンのメンテナンス、洋裁まで多岐に渡る。また館内には、改善事務所が始めたカウンセリング業務の相談窓口も設けられ、当初は改善事務所のメンバーが業務を担っていたのが、今ではこの地区の市民団体の有志たちが担当するようになっているという。
「相談する側も、相談を受ける側も同じ地区の住民であるということは大きいのです。仕事のことや福祉の問題など、同じ一般市民の立場で語り合うことができるので、相談者の心理的な負担も軽くなると思うのです」。

このようにサン・サルヴァリオ地区に住む人同士のつながりを深め、新たな出会いと楽しみを提供する場にもなっている「地区の家」。その成功は、地区全体に社会的な変化をもたらした。1990年代には悪評が立っていたサン・サルヴァリオの街が、現在は多様な文化が混在するマルチエスニックな街として人気を集めるようになり、「若いクリエイターたちが移り住んでくる、魅力的なエリアにもなっています」と、ボッコ氏は語る。

授業では、ボッコ氏ら改善事務所のメンバーが地区に住む多様な人たちといかにして連携関係を築いていったのか、「地区の家」の運営方法、そしてボッコ氏が設立から携わっているもう1つの「地区の家」についても語られた。引き続き、次回記事でレポートしよう。

☆取材協力
特定非営利活動法人シブヤ大学
http://www.shibuya-univ.net

「地区の家」ではさまざまなイベントが開催されている「地区の家」ではさまざまなイベントが開催されている

2016年 05月22日 11時00分