銭湯絵のライブペインティングを見学に老若男女が集合

最近、銭湯がニュースになる時には暗い話であるケースが多い。どこが潰れた、あそこが無くなった……。だが、今回は明るいニュースである。国立市で最後の銭湯となった鳩の湯がクラウドファンディングで資金を集め、銭湯絵(公衆浴場背景画)のライブペインティングなど様々なイベントが行われたのである。4月16日、17日の2日間に渡り、のべ400人を集めたイベントには某国営放送も取材に訪れ、かなりの注目度。その様子をご紹介しよう。

まず、鳩の湯である。国立市には最盛期5軒ほどの銭湯があったそうだが、一昨年秋、60年余の歴史を持つ松の湯が廃業。突然のニュースに地元では惜しむ声もしきりで、かつ最後に残された鳩の湯を心配する声も上がった。その鳩の湯は国立駅から歩いて8分ほど。通りから少し入ったところにあり、東日本大震災の影響で煙突が折れてしまっていることもあって目立たない雰囲気。近くには一橋大学の寮もあるが、学生は卒業すれば来なくなってしまうし、近くに住んでいても銭湯のある地域に育った人でなければ銭湯に行く習慣がないなど、来ない人は絶対に来ないという。そのため、主となるお客さんは中年以上だ。

現在鳩の湯を切り盛りしているのは三代目、銭湯業界の中では40歳と若い高張光成氏。「祖父が開業、建物は30年ほど前に建て直しています。元々は借地上にあり、大家さんが建てた建物を借りていたのですが、15年ほど前に底地を買い取りました。建物はかなり老朽化しているのですが、建て替えには大金がかかり、躊躇しているというのが本当のところです」。

通りからちょっと奥まった分かりにくい場所にある鳩の湯通りからちょっと奥まった分かりにくい場所にある鳩の湯

働いてみて実感した、銭湯を残したい理由

当日は地元で店をやっている友人たちが露店などでイベントを盛り上げてくれた当日は地元で店をやっている友人たちが露店などでイベントを盛り上げてくれた

三代目といっても、高張氏が高校生の頃、親が倒れ、しばらくは兄が親の代わりに経営に関わっていたそうで、実質的には二代目。「兄は専門学校生だった頃に跡を継いだのですが、30歳になり、もう銭湯はやりたくないと言い出し、それならと私が継ぐことになりました」。

鳩の湯の営業時間は午後3時から夜中の12時まで。その前、昼の12時くらいから準備を始めるから実質拘束時間は12時間以上。営業が始まってしまえばほとんどやる作業はないというが、拘束時間は非常に長い。また、休日は週に1日で連休もない。お兄さんはそんな生活が嫌だったのだろう。だが、高張氏は兄より地元に友人が多く、この土地で暮らしていきたいと考えており、跡を継ぐことにしたという。「それにいざとなったら建物を別の用途に建て替えたり、土地を売却することもできるだろうという考えもありました。継承した当初は仕事としてやっていただけで、こだわりがあったわけではありません」。

そんな高張氏だが、日々訪れる人たちと接しているうちに少しずつ考えが変わってきたという。「継いでから2~3年経ち、お客さんがここを応援してくれていることがしみじみ分かってきました。高齢者が多いので、いろいろ話しかけられ、仲良くなって世間話をすることもしばしば。早い時間にいらっしゃるお客さんの背中を流してあげることもあります。そうしたやりとりの中でここは残さなくちゃいけないと思うようになりました」。

風呂に入ることはもちろんだが、高張氏と会話することを楽しみに来ている人もいるのだろう。そうした人たちにとっての銭湯は生活の張り合い、少し大げさに言えば生きがいと言えるかもしれない。であれば、その場を大事にしなくては、高張氏はそう思ったわけだ。

銭湯絵の発祥は大正初年、神田

以前の絵はご覧の通り。こちらでは足湯図書館と題したイベントが開かれていた以前の絵はご覧の通り。こちらでは足湯図書館と題したイベントが開かれていた

その一方で建物、設備の老朽化は否応なしに進む。そんな中、高張氏は昭和4年に箱根土地(西武グループの中核企業だった国土計画の前身)が開発した国立最初期の住宅である旧高田邸の記録を残そうと活動していた国立本店と出会う。

国立本店は開かれた図書室を拠点に街に関わり、街を面白くしようとしている人たちが集う場で、旧高田邸を巡る活動でクラウドファンディングを利用した経験があった。そこで、そのノウハウを活用、鳩の湯を盛り上げる方途がないかという試行錯誤が、今回のプロジェクトに繋がった。当初は老朽化しているボイラー交換の費用に充てることを考えていたそうだが、それについては市などの助成金で賄えることが分かり、であれば、傷みが激しくなっていた銭湯絵を刷新、それをイベントにすることで鳩の湯の存在を広く知ってもらおうという考えである。

銭湯絵は大正初年に神田にあったキカイ湯に川越広四郎画伯によって富士山が描かれたのが始まりだという。江戸期には東京のあちこちから富士山が見えたという土地柄である。加えて、当時から人口が密集、公園のような自然を楽しむ憩いの場が少なかったこともあり、せめて湯に入っている時だけでも自然を感じ、壮大な気分を味わいたかったのだろう、銭湯絵には富士山を始めとした山と海の風景が多く描かれている。

桜並木に駅舎、富士、銭湯の煙突が新しい銭湯絵

鳩の湯の銭湯絵も以前は富士山の絵柄だった。作者は地元、国立に住む銭湯背景画絵師・丸山清人さん。銭湯絵は元々、壁に広告を入れてくれたことへの謝意として描かれたもので、メインは広告、絵はおまけだった。昭和30年代には銭湯の広告を中心に扱う広告代理店が10社以上はあったそうで、丸山さんもそうした会社で修業を積んだ。だが、昭和40年代の2678軒をピークに銭湯は年々減少、それに伴い、銭湯絵師も姿を消し、現在は80代の丸山さんと弟弟子の男性、そこに弟子入りした女性の3人だけになっているそうだ。

また、最近はペンキで描かれた絵ではなく、タイル貼りの絵を見かけることも増えた。というのは、ペンキ絵はデッキブラシでこするなどの掃除ができない上、頻繁に描き直す必要があるからだ。「銭湯内は湿っていますから、内側からはカビ、外からは湯気に当たってペンキはすぐに劣化します。本当は1年くらいで描き直したほうが良いのですが、鳩の湯は2年半以上そのままでした」。

今回、新たに登場したのは国立といえば多くの人が思い浮かべる春爛漫の桜並木、そして現在は取り壊された後、保存されているかつてのかわいらしい駅舎である。男湯、女湯の間に駅舎があり、左右に桜並木、桜並木の間に鳩の湯の煙突という絵柄で、駅舎の向こうには富士山も。「この絵柄には富士山、鳩の湯と本当は見えないものが入り込んではいますが、銭湯に富士山は欠かせません。国立らしい絵をと思い、他にはない絵をお願いしました」。

お決まりの絵を描く場合はほとんど下書き無しで男湯、女湯を1日で描くという手早さだが、今回はこれまでにない絵ということもあり、また、盛り上げるためのイベント開催という意図もあって2日間を使い、ライブペインティングは午前11時から午後4時まで。湯船の上にセットされた足場に丸山さんらが上って国立の風景が描かれていく様子を洗い場に座り込んでみる人たちという不思議な光景が展開された。

御年80オーバーという丸山氏だが、身軽に足場に上り、たいした下書きもなくすいすいと書いていく。すばらしい職人技だった御年80オーバーという丸山氏だが、身軽に足場に上り、たいした下書きもなくすいすいと書いていく。すばらしい職人技だった

子どもたちが来てくれる銭湯に

高齢の経営者が多い中、鳩の湯は40歳と若い。新しいことにチャレンジして銭湯を存続させていって欲しい高齢の経営者が多い中、鳩の湯は40歳と若い。新しいことにチャレンジして銭湯を存続させていって欲しい

イベントのメインはライブペインティングだったが、空いている浴室を使って足湯を楽しみながら読書する足湯図書館やライブ、お楽しみロッカーくじなども行われ、老若男女が集った。建物内のみならず、敷地内には地元商店の人たちが出店し、小さな縁日のような風景に。走り回る子どもたちの姿も目に付いた。

「今回のクラウドファンディングでは壁の絵だけでなく、天井その他の塗り替えも一度に行い、きれいになりました。それももちろん、うれしいのですが、それ以上に鳩の湯を知らなかった人、特に子どもたちがこうして訪ねてきてくれたのが何よりうれしい。クラウドファンディングを見ましたと若い人たちが来てくれ、何かお手伝いできることはありませんかという声もありました。今後、営業を続けて行くためには現在のお客さん以外にも多くの人に来ていただく必要がありますが、その良いきっかけになりました」。

クラウドファンディング、イベントを企画した国立本店の加藤健介氏は「銭湯好きとして鳩の湯の動向が気になっていたものの、なかなか接点がなかった。それが偶然に繋がりができ、こうして成功させられて本当に良かった。情報発信やイベントその他を通じて知ってもらうことで残せるものもあるはずなので、今後もそういう連携を考えていきたいですね」とのこと。これを機に鳩の湯に新しいお客さんが増え、今後も長く続いていくことを期待したい。

国立本店
http://kunitachihonten.info/

鳩の湯
http://hatonoyu.jp/

2016年 05月19日 11時05分