老舗料亭の建物をリノベーションした観光・移住サポートセンターから町歩きスタート

今回の取材は東武東上線小川町駅前にある小川町の観光・移住サポートセンター「むすびめ」での待ち合わせからスタートした。
駅を降りた途端に只者ではない雰囲気の建物が出現するのである。

この建物は市内中心部を貫く川越街道・秩父往還(現 国道254号)沿いに1748年に創業した割烹旅館二葉の支店で、東武東上線の開業を見据えて1922年に開業。その後、増築が繰り返され、手前が駅前食堂、奥は料亭として使われてきたものの廃業。借地権付きの建物を町が買い上げて改修し、2021年にリニューアルオープンした。

二葉の本店は現在も営業しており、国の登録有形文化財に指定されている建物は1933年に建てられたもの。江戸城を無血開城に導いた明治の偉傑・山岡鉄舟は父の知行地が小川町にあったことから度々この店を訪れており、鉄舟の示唆で生まれたという忠七めし(当時の当主・八木忠七の名を冠している)は今も同店の名物。宿泊はできなくなっているが、食事はもちろん、日帰り入浴などは楽しめるので建物、庭を見に訪ねてみるのも一興だろう。

駅を降りた正面にある目立つ建物が観光・移住センターむすびめ。右側が駅前食堂、奥は料亭として使われていた駅を降りた正面にある目立つ建物が観光・移住センターむすびめ。右側が駅前食堂、奥は料亭として使われていた
駅を降りた正面にある目立つ建物が観光・移住センターむすびめ。右側が駅前食堂、奥は料亭として使われていた料亭二葉。堂々たる佇まいで町の歴史を物語る。庭も素晴らしいそうだ

さて、むすびめスタートで町内を案内していただいたのはNPO小川町創り文化プロジェクト(以下、まちぶん)理事の平山友子さんと町の都市政策課の武川悟さん、渡邉智哉さんのお三方。

小川町創り文化プロジェクトは2015年に小川町の歴史ある町並みと建物の保存・活用を考えるグループとして発足、2016年にNPOになったもので、歴史ある建物を活かすため、まち歩きや建物調査、各種イベント、情報発信などを行ってきた。

その平山さんによると小川町の変化のきっかけとなったのは2018年のある一軒の歴史的な建物の活用からだったという。その建物がメディアに登場するようになったことで、使い方次第で古い建物にも価値があることが認識されるようになり、使ってみようという動きが広がった。2022年くらいからはそれが加速しているという印象があるという。

駅を降りた正面にある目立つ建物が観光・移住センターむすびめ。右側が駅前食堂、奥は料亭として使われていたむすびめ店内でご案内を頂いた、左から平山さん、武川さん、渡邉さん

1888年築の養蚕伝習所の再生をきっかけに変化

その建物とは1888年に建てられた私設の養蚕伝習所・玉成舎。2018年に再生されたことで外部のメディアなどから大きな注目が集まるようになったというのだ。

この建物は当時国策事業だった生糸の品質を高めるため養蚕の研究を行い、それを教授するという施設。小川町は絹の生産、大正以降は絹の染色技術で栄えたが、その礎となった場所が玉成舎だったのだ。また、一部は集会所としても使われており、明治時代の政治家で自由民権運動の指導者として知られる板垣退助が演説に訪れたという記録も残っている。

当時の建物は現在よりも少し大きく、医院や劇場などとして貸していた部分もあった。1931年に現地へ移築。その後は緋染松本工場として緋染や紅染、白張加工をする工場として使われ、1980年以降は民家に。

ところが、2016年には老朽化から危機に瀕する。元々は瓦葺きでそれが落ちるようになってしまい、所有者がご近所に迷惑をかけるなら取り壊すと決断したのである。相談を受けた役所からの連絡でまちぶんが関わることになったが、ただ残したいというだけで翻意を促すのは難しい。そこで、まちぶんでは地元で営業していた食堂を誘致するなど実際にどう残すかの道筋を考えて所有者に提案、最終的には所有者が残すことを決断した。

玉成舎全景。かつてはこれより大きかったそうで、威風堂々という言葉にふさわしい玉成舎全景。かつてはこれより大きかったそうで、威風堂々という言葉にふさわしい
玉成舎全景。かつてはこれより大きかったそうで、威風堂々という言葉にふさわしい母屋の裏手には蔵も。町内には他でも複数の蔵を見かけた
複数の店舗が入ることで大きな建物が使われている複数の店舗が入ることで大きな建物が使われている

改修にあたっては数千万円という改修費を少しでも節約しようと、町内外からのべ200人以上が床張り、漆喰塗り、自分たちで漉いた和紙を壁に張るといったワークショップに参加。構造、設備以外は自分たちでやり、建物は2018年に再生された。2021年には母屋、蔵が国の登録有形文化財になった。

「歴史を感じる空間が再生され、しかも、それがNHKの番組などで紹介されるようになり、古い建物の価値が見直されました。小川町にはここまでの規模ではないものの、古い建物が多く残されており、そのうちには空き家になっているものもあります。それを利用しようという気運が盛り上がってきたのです」

現在、再生された母屋に有機野菜食堂わらしべのほか、武蔵ワイナリーの直売所、インドネシア雑貨屋ぶんぶん堂、大谷石の蔵には珈琲、音楽、カレーなどを出すPEOPLEが入っている。

蔵や銀行を改装、コワーキングなどが誕生

その後、いくつもの建物が改修されてきている。そのうちのごく一部を見せていただいた。ひとつは小川町の役場からも近い場所にある築100年ほどの大谷石の蔵を利用して2021年5月に開業したコワーキングロビーNESTo。

元々は煙草蔵だったもので、その後、織物問屋が購入。商品を保存していたという。12間×4間(1軒は約181.8㎝)という堂々たる建物で、改修にあたっては鉄骨で耐震補強しており、安全性に配慮して活用できるようになった。

内部は天井の高さ、中央に置かれた一本杉のテーブルのダイナミックさが印象的。コワーキングスペースとしては約30席ほどが用意されており、カフェも併設。空間を活かしてワークショップや音楽ライブ、映画の上映会などにも使われており、特に音がよく響くことからコンサートでの利用が多いそうだ。

また、映画、音楽と地元食材を利用した食事をセットにしたイベントなども開かれており、仕事の場としてだけでなく、地域の人、文化、食その他いろいろが交わる交流の拠点ともなっている。

蔵を利用したコワーキングロビーNESTo。静かで落ち着く空間だった蔵を利用したコワーキングロビーNESTo。静かで落ち着く空間だった
蔵を利用したコワーキングロビーNESTo。静かで落ち着く空間だった天井を見上げたところ。音響効果が良いというのも納得する
建物外観。町内の蔵がこうして再生されるだけでもかなりの数になることだろう建物外観。町内の蔵がこうして再生されるだけでもかなりの数になることだろう

ここ3~4年、こつこつと改修が進んでいるというのが旧比企銀行の建物。同銀行は明治17年に創業しており、この建物はそれに近い年代に建てられたものとされており、見た目はごく小さな民家風。

その当時は地域の商人、地主などの請願で銀行が開業できたそうで、小川町には比企銀行、小川銀行の2つの銀行があった。地場産業が栄えていた土地だからこそできたことであろう。比企銀行はその後、第八十五銀行小川支店を経て埼玉銀行(現埼玉りそな銀行)になった。

「横浜国立大学大学院の学生だった3人組が社会人になった今も少しずつ改修を手掛けており、秋に行われるマルシェ・おがわまちや北裏ストリートフェスティバルなどの会場になったりしています」

蔵を利用したコワーキングロビーNESTo。静かで落ち着く空間だった少しずつ改修が進み、開かれた場となりつつある旧比企銀行

都心から人気店移転もあれば、現在改修が進む空き家も

一番手前がギャラリー、真ん中が宿となっている。三姉妹、見事なネーミング!(撮影/みのもけいこ)一番手前がギャラリー、真ん中が宿となっている。三姉妹、見事なネーミング!(撮影/みのもけいこ)

旧比企銀行の近くには北裏通りと呼ばれる通りがあり、そこに3軒並んだ古い日本家屋があるのだが、うち1軒は三姉妹と呼ばれる宿になっている。

平山さんによるとこの一帯も含め、小川町は路地が多く、路地沿いには古い家も点在しているという。また、どことなくかわいい風情があるのも小川町の建物の特徴だとも。

「盆地のために市街地が狭く、大きな建物が少ない。かつて小商いをしていた店舗併用住宅が建ち並び、当時の生活感を残している。町を囲んでいるのが低山で、風景が優しい。狭い市街地に路地や水路が巡らされている様子が箱庭的。そうした要因からかわいらしさを感じるのではないでしょうか」

ちょうど訪れた時には3軒並んだ家屋のうちの1軒で作業をしている方がおり、話を伺うとオフィス兼ギャラリーとのこと。現在の展示が2回目とのことでオープンしたて。古さを活かした雰囲気のあるギャラリーだった。

一番手前がギャラリー、真ん中が宿となっている。三姉妹、見事なネーミング!(撮影/みのもけいこ)槻川と町を囲む山々。確かに柔らかい雰囲気の風景である

三姉妹の近くにはもう1軒、宿があり、同じフロアにはビアバー、少し離れてはカレー激戦区下北沢で1990年にオープン、そして大人気だったカレー店茄子おやじ(こちらの店名は小川ぐらしの茄子おやじ。小川町では2019年オープン)などもある。一見なんの変哲もないレトロな住宅街の中に変化が潜んでいるのである。

駅の近くでは2021年に国の登録文化財になった田中家長屋に新店・大衆食堂寅吉がオープンした。これは裏通り沿いに建つ緩やかにアールを描く5軒長屋の一番端にある住戸を改装したもので、入居者のご夫婦によるセルフリノベーション。2024年年末に開業以来人気とのことで、このリノベーションについては他の記事で詳細に取り上げたい。

それ以外でも現在改装が進んでいる建物もある。商店街にある元洋品店ツルヤを改装しているのは取材で案内をしてくださった渡邉さん。学生時代に小川町を訪れたことから町役場に就職、それとは別に個人として空き家の改修に取り組んでいる。

一番手前がギャラリー、真ん中が宿となっている。三姉妹、見事なネーミング!(撮影/みのもけいこ)田中家長屋。あまりに長く、かつ歪曲しているので1枚の写真に入らない
一番手前がギャラリー、真ん中が宿となっている。三姉妹、見事なネーミング!(撮影/みのもけいこ)改修前のツルヤ(左)。右はカレーで有名な小川ぐらしの茄子おやじ

困難もある大規模建物の再生

ツルヤは見事な梁、小屋組みのある建物で、長らく町の人たちに愛されてきた洋品店。それを主にDIYで改修、2025年春には古材を展示販売、古材循環の拠点とする計画で、その後も改修を進め、2026年の秋にはカフェラウンジを作って交流の拠点とする予定だ。

また、同じく商店街沿いでは築100年の元洋品店まつばやを改修、シェアキッチン、1坪ショップにする計画も進んでいる。こちらは相続をした若い所有者が地元を変えようと取組んでいる。

ツルヤの改装計画。奥の水回りなどはかなりできつつあったツルヤの改装計画。奥の水回りなどはかなりできつつあった
ツルヤの改装計画。奥の水回りなどはかなりできつつあった洋品店だったという過去を思わせるスタイリッシュな外観のまつばや。改装後が楽しみだ

これ以外にもあちこちで動きはあるものの、一方で動きがなく、劣化が年々進んでいる建物も見かけた。市内の中心部、秩父往還沿いにある萬屋旅館はそのひとつ。幕末の創業と伝えられる宿で現在は営業をしていない。

通りに面している間口がそれほど広くないことから一見それほどの規模には見えないが、実際には間口の何倍かの奥行きがあり、かなり大規模。そのため、購入に関心を持つ人は少なくなかったが、改修費などの問題から頓挫。残念ながら光明は見えない状態である。

使われてはいるものの、勝手にもう少しなんとかならないだろうかと思ってしまったのが現在、小川町和紙体験学習センターとして使われている建物。もともとは1936年に埼玉県立小川製紙研究所として建設され、度々名称が変わって最終的には埼玉県製紙工業試験場となった。1999年に小川町に引き渡され、町直営の施設となった。

現在は地元に伝わる和紙の製造技術継承、手漉職人の後継者育成の中心施設になっているものの、建物の劣化については手がつけられていない。また、かつて使っていた、そして現在はもう直せないだろう大型の機械などが置かれたままになっている。どことなくモダンな人目を引く建物でもあり、この状態はあまりにかわいそう。使って残す手が考えられないものだろうかと思ったものである。

これ以外にも歩いている時にはあちこちで気になる建物を見かけた。趣のある民家から洋館までバリエーションは豊富で、都心からの距離を考えると使いたい人もいるではなかろうか。

ツルヤの改装計画。奥の水回りなどはかなりできつつあった規模が大きく、去就が決まらないまま、劣化が進んでいる萬屋旅館。もったいない
ツルヤの改装計画。奥の水回りなどはかなりできつつあった和紙体験学習センター。建物好きならたまらないはず。ぜひ、もっとかわいがってやってほしい

寛容な雰囲気、手頃な不動産価格、ウォーカブルな中心部が魅力の要因

最後に町役場のお二人に小川町の空き家事情、活用事情について聞いた。

町内の空き家は2023年時点で1200~1300戸と推察され、全居宅戸数1万3000戸の約1割弱。高齢化率が2025年時点で42.8%(小川町町民課)と埼玉県平均の1.5倍以上ということからすると今後も空き家が増加するであろうことはほぼ間違いない。

「地元では大学から都内に進学することが多く、就職ではたいていは都内勤務になります。池袋までなら1時間10分ほど、でも都心までとなると2時間。通って通えない距離ではありませんが、学生のうちから都内に馴染んでいる人にとっては地元に戻りたいという気持ちにはなりにくい。地元には希望する就職先もなく、それだったら一度は地元を出たいと考えるのでしょう」と武川さん。

その中で空き家を活用する人が増えてきているのはUターンではなく、Iターンの人達が多いため。小川町に魅力を感じた人達が外からやってきているのだ。

かつては両側に商店が並び、栄えていたという門前かつては両側に商店が並び、栄えていたという門前
かつては両側に商店が並び、栄えていたという門前歩いていて見かけたすてきな洋館。空き家がある一方で丁寧に手入れされた家もあり、住んでいる人の愛情が感じられた

その要因のひとつは自由にやれる町ということではないかと武川さん。

「栄えたのは江戸時代からで、街の中心部は人の入れ替わりが激しいところでした。だから、誰かが外からやってきて何かをするといってもそれに対して鷹揚。好きにやっていいよという感じがあります」

不動産の価格が安いのも魅力のひとつ。ずっと土地価格は上がっておらず、駅前の2LDKマンションでも賃料は6万円ほど。一戸建てを借りるとしても10万円はまずなく、いいところ6万円くらいまで。これならとりあえず、お試しで住んでみる、複数拠点のひとつとして考えてみる、店を出してみる、いずれの場合にもハードルは低い。

「中心部に必要なものがまとまっていて車がなくても生活できる点もポイント。郊外では車がないと生活できない場所が少なくありませんが、小川町はウォーカブルです」

しかも徒歩圏には酒蔵やワイナリーの直営店、クラフトビールのブルワリーなどもあり、自然も豊富。最近では週末になるといくつものイベントが開催されていることもある。若い人たちが勝手に集まり、小さな集まりが繋がり、大きくなってきているという。

その結果、ここではごく一部しか紹介できなかったが、町内には紹介した以外にも空き家を利用した施設が生まれつつある。また、小川町は有機栽培の注目産地でもあり、それを利用した飲食店もある。
さまざまな魅力がある上に受け入れてもらいやすく、かつ不動産価格もお手頃な場所。目をつける人がいるのは当然だろう。

かつては両側に商店が並び、栄えていたという門前水の豊かさが酒造、ブルワリーなどの品質に繋がっているのだろう、町の規模を考えると多くの酒造場がある
かつては両側に商店が並び、栄えていたという門前小川町は有機野菜でも有名。その野菜を使ったレストランも美味しいと人気

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