陸前高田市で関係人口を定着させるNPO法人SET
昨今よく聞かれるようになった「関係人口」という言葉。関係人口とは、移住・定住に限らず地域と多様に関わる人々を指す言葉だ。日本の総人口が減少するなか、特定の地域の人口や移住者を増やすのが難しくなっているため、多くの地方自治体で、関係人口に対する取り組みが活発になっている。2024年の5月には、二地域居住の改正法が施行され、国としても「移住・定住」に限らない過疎対策を進めている。
そうしたなか、陸前高田市で「人づくり」に取り組むのが、特定非営利活動法人SETだ。これまでSETのプログラムを通じて陸前高田に関わった人数は1万4,418人。ちなみに、2024年3月時点の陸前高田市の人口は1万7,452人だから、市の人口の8割以上の人数が、SETのプログラムを通じてこれまでに陸前高田市と関わっているのである。そして、そのうち80人以上が移住者となった。年間にならすと、1年間で5~6人が移住してきているという計算になる。かなりの人数が、SETを通じて関係人口・移住者となっており、着実に成果を上げているのだ。
そして、移住者のなかには”仕事が決まっていないけど移住に踏み切る”という人たちがちらほらいるのが特徴だ。移住において、特に住まい、仕事、コミュニティは重要な判断基準だといわれるが、そのうちのひとつである「仕事」がなくても移住に踏み切れるというのはどういうことなのだろうか。どのように生計を立てているのだろうか。そして、それほどの移住の魅力とはなんなのだろうか。陸前高田市で活動するSETの取り組みを取材してきた。
SET立ち上げの経緯と目指す姿
SETの代表を務める三井俊介さんが初めて陸前高田市・広田町を訪れたのは、2011年4月6日。東日本大震災直後の遺体捜索がされている時期で、三井さんが大学在学中のことだった。2週間ほどのボランティアを行うなかで、「ボランティアが来てくれたおかげで、この大変な時期を笑顔で過ごすことができた。もう家族のようなものだから、いつでも帰っておいで」という言葉を地域の人にかけてもらい、微力ながらにも確かに目の前の人のためになれたと感じたという。
その後も月1回のペースでボランティアに通うようになった三井さんは、「この町はどのみち50年後には残らないような町だった」という地域住民の言葉が引っかかったという。人口が減り、産業が衰退し、若者も外に出て行ってしまう。こうした現状をどうにか変えられないか。三井さんは大学卒業後、広田町に移住をして、まちづくりに取り組むことに。さまざまな課題が見えてくるなか、三井さんが着目したのは「人」だった。
「地域には産業や教育、交通、空き家など、いろんな課題がありました。どれを解決したら50年後も続く持続可能な地域になるのかと考えたときに、解決策をひとつずつ考えていくよりも、課題を解決したいと思う人を増やさないといけないと思いました」(三井さん)
人についての課題を考えたときに、負の循環に気づいたという三井さん。
「現状、人や仕事が少なくなってきています。地域の人はなんとかしたいと思っていても、地域のしがらみで一緒にやってくれる人がいなかったり、定年を迎えて時間ができた頃には高齢となって体力がなかったりと、なかなか取り組むことができません。そうなると、諦めて、希望を失ってしまうんです。そして、希望を失ってしまった地域の方が若者にかける言葉は『この地域はダメだから、外に行け』その言葉を受けた若者世代が地域から出ていき、さらに人や仕事が減っていきます。この構造があるから、地域のために活動する人が生まれないと思ったんです」(三井さん)
そこで、SETで取り組むのは「ひとづくり」。地域外から来る若者は、しがらみもなければ体力もある。地域外の若者の「やりたい」という意欲と、地域住民の「やりたいけど、できていないこと」をかけあわせて、地域課題を解決したい人を増やしていくのだ。
「まずは、地域の人がなにかやりたいと思ったときに、僕たちが一緒にやる。小さなことでも、"やりたい"ことが"できた"に変わると、そこに希望が生まれ、『今度また新たな挑戦をしてみよう』とだんだん地域活動が活発になります。そうした動きにさらに若者や地域の人が集まってきて、コミュニティが育ち、移住者が増え、新たな地域の担い手や仕事が生まれてきます。こうした循環をつくるのが、SETのソリューションです」(三井さん)
三井さんが目指すのはソーシャルキャピタルが高い社会。つまり、人々のつながりや信頼関係が強く、協力しあえる社会だという。すぐに効果がでるものでもなければ、数値として見えるものでもないが、目に見えないからこそ大切であり、長期的な難しさもあり、やりがいのある領域だ。
民泊や大学生向けの滞在プログラムで地域とつながる
SETでは「人口が減るからこそ豊かになるひとづくり、まちづくり、社会づくり」をビジョンに、交流事業、暮らし事業、研究事業を行う。今回は、関係人口や移住に関する交流事業についてご紹介する。
そのうちのひとつは、民泊受け入れ事業だ。日本全国の中学・高校の修学旅行の受け入れを行っている。市外の中高生が、地域住民の家に泊まり、田舎の暮らしや被災体験を学ぶ。2016年から民泊受け入れを開始し、これまで延べ人数で1万2,500人が訪れているという。(※延べ人数:人数×宿泊日数)
取材時は、大阪の高校生が300人ほど民泊に訪れていた。一家庭で4名前後の学生を、2泊3日で受け入れる。初日の対面式では、体育館で受け入れ家庭と民泊学生の顔合わせが行われた。住む場所も違えば、世代も違う。都会暮らしと田舎暮らしという異なるライフスタイルはうまく交わるのだろうか。期待感と、少しの緊張感とともに、民泊が始まった。
民泊中に何を行うかは、各家庭にゆだねられている。りんごの収穫や障子貼りなど、家の手伝いをしたという家庭や、観光スポットを回った家庭もあった。東日本大震災を経験した家庭では、震災の話を伝えるのだそう。今回の民泊学生は17歳で、東日本大震災当時は4歳。住まいも大阪のため、震災のことはあまりよく知らなかったという声もあった。当事者から直接話を聞くことで、防災意識にも当事者性が芽生えてくるだろう。
初日の対面式では期待感や緊張感でざわざわとしていたが、最終日のお別れ会では、涙ながらに別れを惜しむ生徒や、大漁旗を振って見送る地域住民の姿も見られるほど、心温まる空気で満ちていた。
もうひとつは、大学生が長期休暇のタイミングで1週間ほど陸前高田市を訪れ、地域のためになる企画立案・実践を行う「Change Maker Study Program(以下、CMSP)」だ。2013年から続けられている。
1週間のなかで、運営スタッフと地域住民が一緒に考えた体験プログラムへの参加や、自由に地域に繰り出すフィールドワーク、アクションプラン会議などを通じて地域の魅力や課題を発見し、企画に落とし込み、実行・成果報告会までを行う。地区ごとに20名ほどのチームに分かれて活動し、参加人数は1回で総勢80名近くにのぼる。
そして、CMSPのプログラムの運営にも多くの大学生がインターンとして関わっている。運営インターンは、半年ほどかけて地域住民の協力を得ながらCMSPのプログラム内容をつくっていく。週1度のオンラインミーティングへの出席や、CMSPの実施までに3泊4日の現地合宿へ3回参加すること、長期休暇中は3週間ほど陸前高田に滞在することが条件とされている。現地滞在中に、地域住民への挨拶周りや、協力者集め、プログラム作成を行う。
かなり密度の濃い関わりが求められる内容だが、現在は30名ほどがインターンとして関わっているという。そのうちの多くがCMSPに参加していた大学生だ。
長期休みのCMSPの期間中に多くの大学生が陸前高田を訪れ、地域へ繰り出す姿は、陸前高田の風物詩となっているのだろう。
"仕事が決まっていなくても移住したい"そこまでの魅力と条件とは?
では、どのようにして"仕事が決まっていなくても移住"につながっていくのだろうか。実際にSETのプログラムをきっかけに関係人口となり、移住に踏み切った吉原直矢さんと小林夏菜さんに話を聞いてみた。吉原さんは、CMSPに参加したことをきっかけに、2年間CMSPを運営するインターンとして陸前高田に関わった後に移住。現在はSETの民泊事業を担当している。小林さんは、SETの4ヶ月間の滞在プログラムを経て移住し、現在はSETの事務局として働いている。2人とも、移住時点で仕事は決まっていなかったという。
まず、仕事が決まっていなくても移住したいと思えるほどの魅力は、どこにあるのだろうか。2人の話から、「人のつながり」が大きな魅力だということがわかった。
「何か地域のために自分たちができることをやるぞ、という意気込みでCMSPの参加したのですが、初日の民泊で、お母さん以上といえるくらいのやさしさでもてなしていただきました。都会から来た初対面の若者なのに、真剣に話を聞いてもらったり、企画をやるときに手伝ってもらったりする人の温かさが、陸前高田に来て一番びっくりしたことです。都会にいると人との関係性は少し淡泊になるのですが、陸前高田に来て、赤の他人である自分たちを迎え入れてくださり、 自分たちがやりたいことに協力してくれる方がいた時に、この関係性はなんなんだろうと思いました。人との関わり方に対する考え方が少し変わるような機会だったと思っていて、それがすごく心地良かったのを覚えています。こういう人たちと一緒に暮らすのはすごく楽しいのかもしれないと思いました」(吉原さん)
「地元との違いで大きいのは、自分のことをよく知ってくれている人が周りにいて、私もみんなのことを知っているという安心感があるところです。陸前高田という町自体に思い入れがあるというよりは、人に思い入れがあって移住をしました。自分の周りの人が安心できるとか、居心地がいいと思ったから移住をしたので、私の場合は『この町が好きだから』という理由じゃないんですよね。 身の回りの人たちがまるごとどこか別の地域に移住したら、ついていくと思います」(小林さん)
SETの強みは、充実したコミュニティにある。地域住民、移住者、関係人口のどのコミュニティをとっても、強いつながりが築かれているのだ。
先程紹介した民泊やCMSPの大きな特徴としては、地域住民とともにプログラムをつくっている点にある。民泊の受け入れ家庭は100家庭ほど、CMSPのプログラムに関わった地域住民は800名以上にのぼる。参加学生は、プログラムの間に地域住民との関係性を築き、「また会いたい。お世話になった人の力になりたい」と思えるようになっていくのだろう。
ここまで多くの地域住民が関わるとなると、もちろん協力者はまちづくりプレーヤーだけでなく、一般の地域住民がほとんどだ。震災復興の時期から個人レベルでお手伝いを始め、地道に地域の人との関係性を築いていった三井さん。そうした関係性がSETの大きな財産となり、多くの関係人口や移住者を生み出している。
SETの活動当初から協力している地域住民の蒲生由美子(がもう ゆみこ)さん。最初は頼まれたから仕方がないという気持ちで関わっていたが、若者が喜んでくれる姿を見たり、活動に参加したりしていくうちに、楽しくなってきたのだという。
「町に来てくれる若者は『何をしたら嬉しいですか?』と聞いてくれますが、私からすると来てくれるだけで嬉しいです。こうしたご縁に人生を大きく変えてもらいました。最初の方は、SETへの協力だと思っていましたが、今は協力というよりも自分のためにSETの活動に参加しています」(蒲生さん)
今では、民泊を受け入れている家庭で集まり「民泊女子会」を開くなど、地域内で新しい友達もできていると話してくれた蒲生さん。SETの活動を通じで、地域内外のつながりだけでなく、地域内の新たなつながりも生み出されている。
また、つながりは地域住民だけではない。
「陸前高田と関わり続けた理由として、地域のために頑張りたいという共通の思いを持つ仲間が多かったことが大きかったですね。すでに移住をしている先輩や、50名近くの関東圏に住む大学生メンバーと一緒に過ごせることが良かったです」(吉原さん)
現地に30名近くいるSETの職員や関係者は、ほとんどが若い移住者である。参加する大学生同士も、東京から一緒に車を出して陸前高田に訪れるなど、濃い関係性が築かれているのだ。
地域住民、移住者、関係人口のどこをとっても強い人とのつながりが、地域とつながっていたい、移住したいという意欲を生み出している要因の大きなひとつであるといえる。
しかし、どれだけ移住意欲が高まっても、実際に生活が成り立つ条件が整っていないと難しい。仕事が決まっていない状態でどのように移住生活をはじめていったのだろうか。小林さんはこう話す。
「陸前高田に住み始めて、仕事が暮らしの前提じゃなくなりました。SETでは『大体月5万円稼げれば移住生活をはじめられる』と言われていて、どうやって5万円を捻出するかを考えればいいんだなと。私は、まずはSETでアルバイトをしながら農家でも働いて、この2つの収入でどうやって月に5万円にするかを考えました。今は週4でSETのフルタイムスタッフをして、週1は隣の大船渡市で造園のアルバイトをしています。地域には一次産業のお手伝いの機会も多く、パソコン仕事と体を使う仕事を混ぜながらすることで、気分転換をしながら心と体のバランスを維持するリズムをつくれています」
月5万円で生活できるというのは、いくら地方での暮らしといえどコストが低すぎるのではないだろうか。というのも、SETでは空き家を活用した5軒のシェアハウスに、7台のシェアカーを所有していて、SETの関係者で希望する人は、それらを活用することで固定費を大幅に抑えることができるのだ。そもそもだが、陸前高田での生活は、東京での生活ほどお金に依存していないことも大きい。「陸前高田ではお財布を全然触らないですね。近隣の方からおすそ分けもよくもらうので、買い物にもあまり行きません」と吉原さん。
東京ほどお金を使わない環境下で、家と車という大きな固定費がかからず、さらに地域のつながりから一次産業の仕事やおすそ分けなどもある。こうして、仕事が決まっていなくても少ないコストで移住を始めることができるのだ。
暮らしの価値感を変容させていく
吉原さんが、移住を決めたきっかけについて話してくれたときの言葉が印象的だった。
「お金を稼いで、奨学金を返して、家族ができたら養って。将来は稼ぎたいという気持ちがすごくありました。陸前高田では稼げるイメージがあまりなかったので、金銭面が移住の足かせになっていたんです。でも、コロナ禍をきっかけに、金銭面の不安以上に自分の心の豊かさや人とのつながりを大事にしたいと思ったんです」(吉原さん)
都会でお金を稼ぐという暮らしより、お金では買えない豊かさに重きをおくことに価値観がシフトした瞬間だ。三井さんは、暮らしの違いや価値観について、こう話す。
「日本の若者人口の7割が、政令指定都市や三大都市圏に住んでいるといわれています。それは日本の約1,700ある自治体のうちの0.1%ほどでしかありません。一方、1,700ほどある自治体の半分が人口2万人以下です。つまり若者のうちの7割が、日本の自治体の半分ほどを占める田舎での暮らしを知らないということになります。そうなると、都会の問題にがんじがらめになってしまうんですよね。都会から出ると豊かな暮らしや楽しい経験ができるんだけれども、それを知らない人や気づく機会がない人が多いのが構造的な課題です。SETではそうした課題も意識して活動を進めています」
生まれも育ちも東京という人が増えてきているなかで、東京育ちにコンプレックスを抱いているという人も一定数いるということを最近聞いた。関係人口と移住者の違いとして、関係人口は「なにか挑戦したい」という意欲が高い人が多い一方で、移住者は「都市での暮らしに違和感を感じている、モヤモヤしている」という層が多いように感じる。それぞれに適した関わり方を提供していくことが求められるが、特に後者のような人たちに移住というアクションに踏み込んでもらうには、「移住したらこの違和感は晴れるかもしれない」と気づいてもらうことにあるのではないだろうか。
SETのプログラムは、人とのつながりや、お金・仕事に頼りすぎない暮らしの豊かさに気づかせ、今まで当たり前だと思っていた都会的価値観を変えていくきっかけになっているのだろう。2024年10月に発売されたForbes JAPANで「今注目のNPO50」にも取り上げられたSET。こうした取り組みが各地に広がり、国としても推進している二地域居住や、関係人口の定着が進んでいくことを期待したい。
■取材協力::特定非営利活動法人SET
https://www.nposet.org/
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