金山駅近くの高架下に、カフェ×ギャラリー×スタジオ×工場の大空間
全国各地で鉄道高架下の活用が広がっている。名古屋市のJR金山駅に程近い高架下にも、2022年5月、カフェ&ギャラリー、木工スタジオ、木工所を併設するちょっと珍しい複合施設「24PILLARS」がオープンした。
店名が示す通り、24本のピラー(柱)が支える巨大な空間は、ごつごつとした構造と木のインテリアが調和し、どこまでもスタイリッシュ。カフェでは、ガレットやナチュラルワインなどクラフト感に満ちた丁寧な食が好評だ。
「24PILLARS」を運営するのは、名古屋の木工職人集団「DaLa木工(ダラモツコ)」。“職人”といえばクローズドな空間でものづくりに対峙するというイメージがあるかもしれない。なぜ工場を飛び出して、おしゃれな複合施設を立ち上げるに至ったのだろう。
「職人さんから『ワークショップを開く場がほしい』と熱望されたのがオープンのきっかけですが、未経験でセンスのある若手をスカウトしたいという下心もありました」と話すのは、「DaLa木工」代表の勝﨑慈洋さん。実は「24PILLARS」は、木工職人の課題を新たな切り口で解決に導くスポットになっているのだ。聞けば聞くほど興味深い木工職人の世界について、今回深掘りしてきた。
職人は多くても分業はなし。自己完結だから楽しめる
そもそも木工職人とは? 木工所の仕事とは? 意外と知らない方も多いのではないだろうか。
「木工家具は、テーブルやチェアといった『脚物』と、収納棚や造作収納などの『箱物』に大きく分かれ、DaLa木工が制作するのは後者です。大工さんが現場では施工しづらい、精度が必要で時間がかかる造作を工場で作っています。1割は住宅の収納や建具、残り9割は百貨店や店舗、オフィス、クリニックの什器ですね。空間のデザインテイストを統一するには、家具を作るしかありません。既製品ではまかなえないところに、私たちの出番があります」(勝﨑さん)
ニューオープンに伴う仕事のため、多くの発注が単発で、作る家具は一点もの。デザイナーの描いたパースから施工図を設計することもあり、ファッション業界でいうパタンナーの仕事に近い。とくに手間がかるのは、飲食店のレジ台。「台の裏側はパソコンやプリンター、収納、配線用の穴などが細かく指定された複雑な構造のため、ややこしい」のだとか。木工職人は、店舗の雰囲気と機能を下支えする、縁の下の力持ちといえそうだ。
一点物をつくるには、アナログなほうが効率がいい
Dala木工では、木工職人約20人、営業や事務方10数名が社員として働いており、木工所としては大所帯。その現場はとことんアナログだ。
「1人の職人が1つの家具をゼロから完成まで仕上げます。そのほうが楽しくて達成感がありますし、『俺の作品だ』という責任感も伴います。うちは職人さん各々の仕事に対する責任感が強いと思います」(勝﨑さん)
設備においてもコンピューター制御の機械はなく、できる限り手仕事で曲線や多面体の複雑な家具を形にしていく。「アナログなほうが、一点物を作るのに向いていると考えています。仕事を自己完結することで多能職となり、図面を渡して『これを考えて作って』と一任できるので、仕事の進行管理もラクに(笑)」
木工職人たちへの絶対的な信頼があるため、来る仕事は断らないというのが基本スタンス。建築士やデザイナー界隈でクチコミが広がり、最近は全国から「受け手がいない」木工案件がやって来るようになった。難しく手間のかかるオーダーでも、同社ではできる方法を提案しつつトライしてみる。挑戦の積み重ねにより職人の技術が向上し、リピーター獲得や安定受注へとつながった。
DaLa木工の紆余曲折。まさかの工場全焼が転換点
勝﨑さんの肩書きは代表なのだが「昔から、代表者や経営者という意識はないです」とどこまでも裏方気質。それは職人になる夢を諦めた自身にとって、バリバリ働く職人こそリスペクトすべき存在だからだ。
勝﨑さんは学生時代のアルバイトを経てレコード・CD店の社員となったが、音楽配信サービスの隆盛をきっかけに28歳で転職。岐阜県出身で林業・木工業に馴染みがあり、「手に職をつけるなら木工職人」と思い付いて木工所に就職した。ところが職人修業は甘くなく工場勤務のキツさに音を上げて、1ヶ月で営業職に転身。こちらは水が合っており、大学で専攻した設計の知識を生かし「自分の施工図が家具になる」ことに十分満足していた。
ところが35歳の時、業界不況のあおりを受けて仕事が激減。有志4人で木工所の起業に打って出た。「せっかくスキルのある人がいるのだから、と必要に迫られての独立です」と振り返る。
2009年5月に愛知県飛島村で「DaLa木工」を創業し、職人もすぐに増えた。順調な船出を果たした同社だが、1年半後のクリスマスにとんでもない事態が起きてしまう。
「いつもお昼に仕出し弁当を食べていたのですが、この日はクリスマスだしと皆でとんかつ店に行ったんです。その帰り道に煙が見えて…気づいたら工場は全焼。完成品や機械まで跡形もなく燃えてしまいました」
折しも正月休みを控えた運の悪いタイミング。でも納品しなければ信用を失墜してしまうため、休み返上で受けてくれる外注職人に頼み込んだ。勝﨑さんは炎の残像が浮かんで眠れないため、夜中にネットで「空き工場」と検索。すると、思わぬ好条件の空き工場がヒットした。それが名古屋市港区にある今の本社工場だ。
「すぐに皆で見に行って物件を決め、年明けから工場に入らせてもらい準備を進めました。これまで借金をするのは控えていましたが、投資に対する考え方が変わり、必要な借り入れを行うようにもなりました」
会社の転換点、そして勝﨑さんが代表者として腹が据わった瞬間だった。
職人さんの熱意から生まれた「24PILLARS」
本社工場につづいて支店事務所も開設し、再び勢いに乗り始めた「DaLa木工」。仕事が評価された故の成長なのだが、勝﨑さんが創業時から抱えていたある想いを叶えるための規模拡大でもあった。
「木工職人はトレンドや新技術への対応が必要な難しい仕事であるのに、以前はスキルを正しく評価されていませんでした。給料は安く、昔は日雇いで働くのも一般的だったんです。これでは生活の安定を得にくいため、『職人さんの地位向上』を常に考えるようになりました」(勝﨑さん)
異業種である「24PILLARS」を企画したのも、「ある職人さんの『ワークショップを開きたい』という熱意に乗っかった」のがきっかけ。それが運命を引き寄せた。
「何度も熱望されるうちに私もその気になり、話し合ってみると高架下を活用するアイデアが出たんです。その後、運転中にたまたま停車した場所が、まさにここ(笑)。空き店舗に気づいてすぐJRに電話し、気楽に入りやすいカフェやギャラリーも併設することにしました」
「24PILLARS」に訪れてみて少々不思議に思ったのが、カフェ&ギャラリー内に「DaLa木工」の名前が見当たらないこと。「興味がある方に声をかけていただければ」とPR施設としては奥ゆかしいのだが、受注は増えたといい、ショールームの役割を十分に果たしている。個人客との接点も増え、住まいの建具や造作収納の引き合いがあるそうだ。
創業から15年が経った今、新たな目標を聞くと、「とくにありません。私は自分発信ではなく、それいいね!と乗っかるタイプ。アイデアを何とか実現する方法を考えるのが楽しくて。中長期計画を明確に立てない点も、経営者ではないんです」と謙遜する勝﨑さん。事業のゼロイチという“ものづくり”が好きな勝﨑さんの心根は、やはり職人だった。
カフェ運営が切り拓いた現在地。若手職人が誕生!
「24PILLARS」をオープンするにあたり、実は勝﨑さんには「職人育成」という新たな狙いもあった。勝﨑さんの知る木工職人は団塊世代が多く、引退が迫っている。同社の職人は40代中心と若いとはいえ、この業界を背負う若手の育成が急務だ。
「未経験からの職人育成を進めるため、ワークショップでセンスのある若手に声をかけて、木工職人への道を拓きたいと考えました。実際この2年間で1人、職人になったんですよ。カフェのバイトスタッフが、一生の仕事として興味を持って入社してくれました。今では大切な戦力です」
勝﨑さんが職人さんから聞いた一説によると、愛知県は木工職人がわりと多いエリアだったという。伊勢湾台風の家屋倒壊により建具職人の需要があった、派手な嫁入りによって桐ダンス職人が多かったなどの理由が推測されるそうだ。木工文化が根付く愛知県で、複合施設「24PILLARS」が発信するのは“木工職人のカッコよさ”。職人仕事を間近で味わえる空間で、数年に1人でも職人を目指す若手が生まれたら、文化が紡がれていくに違いない。
■取材協力/DaLa木工 https://dalamokko.net/
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