岩﨑彌之助が夢見た「ビジネス×アート」の街

東京駅にほど近い皇居のお堀端に、ひときわ目を引く古典主義様式の壮麗な建物がある。
古代ギリシア風のコリント式列柱が印象的なこのビルの名は、「明治生命館」。岡田信一郎が設計を担当し、明治生命(現・明治安田生命)の本社ビルとして1934(昭和9)年に竣工した、丸の内を代表する近代建築の1つである。

このビルの1階に、2022年10月、静嘉堂文庫美術館のギャラリーがオープンした。この美術館は、三菱の第2代社長・岩﨑彌之助と第4代社長・岩﨑小彌太が父子2代で収集したコレクションを、広く一般に公開するために開設されたもの。国宝7件、重要文化財84件を含む約20万冊の古典籍と 6500件の東洋古美術を収蔵する、国内屈指の私立美術館である。

と言っても、それは単に、「丸の内に美術館が1つ増えた」というだけの話ではない。この土地の歴史を紐解けば、静嘉堂文庫美術館が世田谷から丸の内に移転したことは、丸の内の“原点回帰”としての意味合いも持つように感じられる。
丸の内の礎を築いた彌之助は、「近代日本を象徴する、ロンドンのような一大ビジネスセンターを作る」というビジョンを描いた。だが、彼が夢見たのはそれだけではない。どうやら彌之助は、丸の内を欧米の主要都市に負けないアートセンターにするという構想も密かに温めていたらしいのだ。

建築家・岡田信一郎の遺作となった明治生命館。丸の内のランドマーク的存在だ建築家・岡田信一郎の遺作となった明治生命館。丸の内のランドマーク的存在だ

ジョサイア・コンドルに託した”丸の内美術館構想”

三菱が丸の内の大地主となったのは、大日本帝国憲法発布の翌年にあたる1890(明治23)年のことだ。
明治維新で「江戸城」は「皇居」となり、大名屋敷も取り壊されて官有地となった。皇居前に突如出現した広大な遊休地を活用して、近代国家にふさわしい経済地区を作ろうと、政府は官有地の一括払い下げを計画。彌之助は丸の内一帯を買い受け、皇居前の空き地は“三菱が原”と呼ばれるようになる。

「アメリカ留学経験もある彌之助は、丸の内を近代的なビジネス街にするべく開発を進めました。そして、岩崎久彌が第3代社長となった1894(明治27)年、ジョサイア・コンドルが設計した三菱一号館が完成します。これを機に、丸の内一帯には煉瓦造りの洋風建築が次々に建てられ、“一丁ロンドン”と呼ばれた街並みが形成されていくのです」(静嘉堂文庫美術館 広報・大森智子さん)

しかし、彌之助は、経済一辺倒のまちづくりを目指していたわけではない。実は、彌之助の“丸の内美術館構想”をうかがわせる資料が現存しているという。
「1つは、彌之助の右腕だった荘田平八郎が、コンドルの部下の建築家・曾禰達蔵(そねたつぞう)に宛てた明治25年の手紙です。この手紙の中で、平八郎は『ミュジューム(ミュージアム)様の物を造営致し度(た)く』コンドルとも相談してほしい、と曾禰に依頼しています。そして実際に、彌之助がコンドルに書かせた『丸の内ギャラリー』の図面が残っています。
コンドルが設計したのは、本格的なギャラリーやショップを備えた欧米型のミュージアムで、当時としてはかなり先端的な施設でした。また、彌之助の生涯を描いた『岩崎彌之助伝』には、彌之助が『ビジネス街には文化施設が必要だから、丸の内に美術館や劇場を作りたい』と考えていたことが記されています」

今でこそ「ビジネスとアートの融合」をうたう都市開発プロジェクトは巷にあふれているが、彌之助は今から130年以上も前に、ビジネスと文化の拠点をあわせ持つまちづくりのビジョンを描いた。彌之助の先見性を物語るエピソードといえるだろう。

静嘉堂文庫美術館のホワイエ。吹き抜けの天井から明るい光が差し込む静嘉堂文庫美術館のホワイエ。吹き抜けの天井から明るい光が差し込む

文化財の海外流出を防ぐため 静嘉堂文庫を創設

だが、彌之助の“丸の内美術館構想”は実現には至らなかった。その実現には、さらに1世紀以上の歳月を要することとなる。

彌之助が刀剣や美術品の収集を始めたのは1877(明治10)年頃。彌之助を収集へと駆り立てたのは、「国の宝が外国へ流出するのを防ぎたい」という使命感と、このままでは急速な欧米化によって東洋の文化的伝統が失われかねない、という焦燥だった。

1892(明治25)年、彌之助は東京・駿河台の本邸に、コレクションを収蔵する『静嘉堂文庫』を創設。その遺志は息子の小彌太に受け継がれ、1924(大正13)年、世田谷区岡本にある玉川霊廟のそばに、新たに桜井小太郎が設計した洋館『静嘉堂文庫』が建設される。1992年には美術館も竣工し、コレクションの一般公開が本格化した。

岩﨑家のコレクションをもっと大勢の人に見てもらうためにも、美術館を都心に移転することはできないか――そんな関係者の思いは、開館30周年が目前に迫る中、実現に向けて動き出す。2020年の三菱創立150周年記念事業の一環として、美術館を丸の内に移転する計画が浮上。その移転先として白羽の矢が立ったのが、明治生命館だった。

静嘉堂文庫美術館を代表する収蔵品の1つ、国宝「曜変天目(稲葉天目)」静嘉堂文庫美術館を代表する収蔵品の1つ、国宝「曜変天目(稲葉天目)」

歴史的建造物を保存し 美術館として活用

明治生命館は、三菱二号館の跡地に建設されたという経緯もあって、もともと三菱とはゆかりが深い。三菱二号館を使用していた明治生命(現・明治安田生命)が、手狭になった三菱二号館を取り壊し、新たに本社ビルとして建設したのが明治生命館である。

だが、古典主義建築の最高傑作とうたわれたこの建物も、戦後は時代に翻弄されることとなった。
終戦後はGHQの接収によりアメリカ極東空軍司令部として使用され、明治生命(現・明治安田生命)に返還されたのは1956(昭和31)年。1997(平成9)年には、昭和の建造物としては初の国指定重要文化財となった。
その後は丸の内再開発の大波に洗われ、建て替え論議も持ち上がったが、2001年に始まったリニューアル工事では、隣接する30階建の高層ビルに容積率を移転する形で、明治生命館の保存が実現。歴史的価値が高い外壁や柱などは、現代の技術で補修・修復・化粧直しが行われ、明治生命館は往時の姿を後世にとどめることとなった。

「明治生命館のリニューアルにあたっては、『重要文化財を保存しながら活用する』という方針が打ち出されました。その方針に沿って、明治安田生命さんが建物の活用法を検討されていたときに、丸の内で移転先を探していた静嘉堂とのご縁がつながったのです」(大森さん)

1階の北半分を改装し、ガラス天井と吹き抜けがあるホワイエの周囲に4つの展示室を配置。2022年(令和4)年10月、静嘉堂文庫美術館が明治生命館にオープンした。
この名建築との出会いにより、静嘉堂文庫美術館は、『静嘉堂@丸の内』の愛称で新たな歴史を歩むこととなった。通りを挟んで隣のブロックでは、2010(平成22)年に開館した三菱一号館美術館が、赤煉瓦の瀟洒な佇まいを見せている。「丸の内のオフィス街に美術館を開設したい」という彌之助の130年越しの夢は、ついに結実を見たのである。

連合国軍が日本の占領政策について議論を交わした、2階の役員第一会議室連合国軍が日本の占領政策について議論を交わした、2階の役員第一会議室
連合国軍が日本の占領政策について議論を交わした、2階の役員第一会議室明治生命館のファサードを飾るコリント式の円柱。アカンサス模様の柱頭装飾が美しい
連合国軍が日本の占領政策について議論を交わした、2階の役員第一会議室天井にはロゼット(丸い花飾り)と呼ばれる石膏彫刻が刻まれている。2階の回廊からは1階の営業店舗が見渡せる

岩﨑家の人形コレクションが丸の内に大集結

静嘉堂文庫美術館では、年に5~6回、収蔵品を中心とした企画展を開催している。
現在開催中の企画展は「岩﨑家のお雛さま」(~2024年3月31日)。岩﨑家の鳥居坂本邸を飾っていた「岩﨑家雛人形」や「岩﨑家雛道具」を中心に、岩﨑家旧蔵の御所人形や打掛、桜や花見を題材にした絵画・工芸、岩﨑家に伝わる打掛(初公開)などが展示されている。

「『岩﨑家のお雛さま』は、当館では大変人気のあるコンテンツ。今年は当館の収蔵品だけでなく、京都の丸平文庫(丸平大木人形店の資料室)からも、岩﨑家旧蔵の人形をお借りして展示しています。
岩﨑家の旧蔵品には、岩﨑家の替え紋である花菱紋が付いていて、大変贅沢な特注品であったことがわかります。実際に展示を見ながら、花菱紋を探していただければと思います」(大森さん)

本展の目玉は、それだけではない。期間中は、至宝中の至宝といわれる国宝『曜変天目(稲葉天目)』も展示される。曜変天目とは南宋時代の天目茶碗で、器の内側に星のような斑紋があるのが特徴。現存する曜変天目は世界でも3碗のみで、そのすべてが日本に伝わっている。なかでも最も華やかな作と評されるのが、同館収蔵の”稲葉天目”。茶碗の中に満天の星空を封じ込めたような、その神秘的な光彩をぜひその目でご覧いただきたい。

美術館で展覧会を楽しんだ後は、ぜひ明治生命館の2階にも足を延ばしたい。1階の南側は明治安田生命の店頭営業室として使われているが、2階は無料で見学することができる。
役員第一会議室は、1946年4月に第1回対日理事会(※)が開かれた場所。マッカーサー元帥もここで日本の占領政策について演説を打ったというから、歴史好きには必見だ。
2階の中央部分は吹き抜けになっていて、回廊からは1階の店頭営業室を見渡すことができる。重厚な佇まいの会議室や食堂、執務室を見学し、柱や天井を飾る精緻な意匠に目を凝らす。彌之助が夢見た「ビジネスとアートの街」は、静嘉堂@丸の内と明治生命館との幸福な出会いによって、今、新たな時を刻み始めている。

※対日理事会:太平洋戦争後の日本を管理するための、連合国軍最高司令官の諮問機関。

五世大木平藏『岩﨑家雛人形』のうち内裏雛 昭和初期・静嘉堂文庫美術館蔵五世大木平藏『岩﨑家雛人形』のうち内裏雛 昭和初期・静嘉堂文庫美術館蔵
五世大木平藏『岩﨑家雛人形』のうち内裏雛 昭和初期・静嘉堂文庫美術館蔵五世大木平藏『木彫彩色御所人形』のうち宝船曳 1939(昭和14)年・静嘉堂文庫美術館蔵

【展覧会情報】
「岩﨑家のお雛さま」2024年2月17日(土)~3月31日(日)静嘉堂文庫美術館
https://www.seikado.or.jp/exhibition/current_exhibition/

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