美しき無用の長物 “超芸術トマソン”
“超芸術トマソン”と聞いて、「あぁ、あれね」と思い浮かぶ人はどれくらいいるだろう。
“超芸術トマソン”とは、「不動産に付着して美しく保存されている無用の長物」のこと。現代美術家であり芥川賞作家でもあった赤瀬川原平氏が提唱したものだ。
記念すべきトマソン第1号は1972年に発見された「四谷階段」もしくは「純粋階段」とも呼ばれるもの。
「純粋に昇り降りするだけの階段、昇った先に何もない、本当の階段そのものだけの絶対純粋階段、…そういう階段を四谷で見つけて、実際に昇り降りしてしまった」(※1)と、赤瀬川氏は振り返っている。何らかの理由で階段だけ取り残されてしまった行く先の見当たらない階段は「無用階段」と分類され、その後各地で続々と発見されることになる。
さらに赤瀬川氏は仲間と共に「江古田の無用窓口」、「お茶の水の無用門」を発見。
芸術家が意図してつくる芸術を超越したものとして、“超芸術”と表現した。
ちなみに「トマソン」とは1980年代に当時の読売ジャイアンツに入団した大リーガー、ゲーリー・トマソンに由来している。四番打者として大きな期待を寄せられていたものの、大量の三振の山を築き、チームに貢献できないまま帰国したバッターだ。世の中の役には立たないもの=無用の長物のニックネームとして赤瀬川氏が仲間とともに採用した。
さて過日、“超芸術トマソン”を見つけてみようではないか、というツアーが名古屋で開催された。
場所は、名古屋市中村区の国際センタービルの建つ泥江町交差点から、西区の那古野にまたがる円頓寺(えんどうじ)・四間道(しけみち)と堀川周辺。ガイドを務めたのは文筆家・写真家、美術家の加美秀樹さん。参加者5名と2時間超にわたるトマソン観察に同行した。
※1
「赤瀬川原平の冒険」実行委員会発行『赤瀬川原平の冒険ー脳内リゾート開発大作戦ー』
Ⅷ.トマソン路上観察学P166
“超芸術トマソン” 影(原爆)タイプ
「“超芸術トマソン”とは、モノをどのような審美眼で捉えていくか、という見立てを楽しむ大人の遊びです。今日はさらに発展させて、トマソンから派生した“転用物”も含めて探していきたいと思います」
加美さんの掛け声のもと、ツアーをスタートさせる。
さっそく、ツアーで見つけた物件を紹介していこう。
赤瀬川氏は超芸術トマソンをタイプ別に分類しているが、なかでも一番見つけやすいのが“原爆タイプ”と呼ばれるものだろう。「ネーミングの由来は広島の原爆です。原爆を投下されとき、閃光によって人の形がそのまま焼き付いたということから命名されています。センシティブな表現のため、現在では一般的に“影タイプ”と呼ばれています」と加美さん。
なかでも切妻屋根の形状が残っているものは“家形”といわれているそう。
解説していただいた後でまちを歩くと「あそこにも、ここにも」といった感じで、影タイプの存在を確認。まちの見え方が変わってくるのを実感した。
<写真①>
トタンの外壁に、取り壊された隣の家屋の形がくっきりと残っている。どういう状態でくっついていたのか気になるところ。別棟としていたものを取り壊したのだろうか。上部の凸凹に愛嬌を感じる。
<写真②>
こちらは比較的新しく、シンプルでわかりやすい影タイプ。周りの壁と同様に白く塗ってしまえば目立たなくなるのに、あえてそのまま残しているのだろうか。
<写真③>
都心に多く見られるのがおそらくこのタイプ。駐車スペースの奥のビルに黒く建物の跡が残っている。
<写真④>
これは筆者が一番「美しい!」と感じてしまった家形トマソン。
品があって、絵画のようにも見えまいか。右下部分に何か土台があったようで、その部分だけ影が欠けているせいで、なんだか浮遊感すら感じる。
加美さんの写真をその前で撮影させてもらった。絵になる。
影タイプというのは、空き地や駐車場になっているところに多く存在する。隣に建物が建ってしまえばもう見えなくなり、存在は誰の目にも留まらない。
「次に来たときにはもう見られなくなっているものもあるでしょうね」と散策しながら加美さんは言う。
“超芸術トマソン” 無用の庇タイプ
庇とは、日除けや雨除けとして窓や扉の上に付けられているもの。
しかし、守るべき窓や扉がないにもかかわらず、ひっそりと残されている「無用の庇」というものが存在する。
<写真⑤>
この庇は何のために残されているのか。おそらく庇の構造上、残したいほうの家屋に食い込んでいるために撤去しづらいという建築上の理由があるのだろう。白、グレー、黒とモノトーンのグラデーションが庇で区切られて、モダンなデザインに仕上がっている。
ちなみに、無用庇にもれなく付いてくる「ヌリカベ」(塗りつぶされた壁)や「無用窓」(
(ふさがれた窓)も、関連物件として挙げておこう。
<写真⑥⑦>
こちらは窓があるので無用の庇とは言い難い、と思いきや⑦を見てほしい。
窓はまったく守られていないのだ。なぜか窓のある部分を避けるように庇が残されている。
しかも、壁のど真ん中から配管が顔をのぞかせている。もともとあった家屋とはどのようにつながって、どういう使われ方をしていたのか想像してみるのも楽しい。
むき出しのコンクリートの無骨さもいい。影タイプも併せ持った貴重なビジュアルだ。
“超芸術トマソン” 内面とカステラタイプ
<写真⑧>「人間に内面があるように、建物にも内面がある。その建物が切断され、一部除去したまま建物として存続する場合、外側に内面が露出することになる。銭湯の大部分が壊されて駐車場となった場合、その広場に面してかつての浴室のタイル絵がそのまま外壁となっていたりする。個人の家でも浴室が壊されてタイル面がそのまま外壁となっていると、内面の露出度が強い」(※4)と赤瀬川氏は記している
続いて、「トマソンのなかでも非常に皮膚的な物件」(※2)となる内面タイプを紹介しよう。
<写真⑧⑨>
家の内部であっただろうタイル面が露出している。おそらく取り壊された側の家屋に付着していたお風呂場か、キッチンだと想像される。
赤瀬川氏は著書における友人との会話で「やっぱりタイルは皮膚だね。粘膜的だよ」(※3)と話している。タイルを粘膜に見立てる・・・。これが“超芸術トマソン”の奥義なのだろう。
(※2、4)ちくま文庫『トマソン大図鑑』無の巻 P355
(※3)同 P360
カステラタイプ
「カステラタイプ」第一号は、赤瀬川氏が見つけた東京都の喫茶店の側壁にあった用途不明な四角い出っ張り。
建物の側面などに見られる方形の突起物をカステラに見立てている。建物の内側に向けてへこんだ空間をもつものは「逆カステラ」、形状によって三角なら「ショートケーキ」、丸ければ「饅頭」といくつかのバリエーションをもつ。
<写真⑩>
私たちが見たのは、とあるマンションの入り口にある白いカステラ。
カステラの真ん中は、よく見ると石臼が埋め込まれている。カステラとクッキーの贅沢セットだ。
隣の敷地との境界かとも思われるが、角度を変えて見ても微妙な立ち位置からして境界線をはっきりさせるためのものではなさそう。無くてもいいといえば無くてもいい。
<写真⑪>
こちらもカステラタイプだろうか。看板の中央に発泡スチロールのカステラがくっついている。蒸発タイプに分類されるかもしれない。(文字や絵が消えた看板、風化により劣化したモニュメントなどを赤瀬川氏らは「蒸発」と呼んでいた)。
食い込んだ鳥居!? 屋根の上の神様…胸騒ぎの風景
トマソンを探しながらまちを歩くと、まだまだおもしろいものがたくさん残されている。
「トマソンを探すために路上観察をしていた赤瀬川氏は、近代建築の遺構やマンホールの蓋を追いかける同志たちとともに路上観察学会を立ち上げました。学会の誕生により“超芸術トマソン”は路上観察学へと広がり、トマソンの定義にとどまらず路上に残されたものすべてに観察の目を向けるようになっていきました」と話す加美さん。
われわれも、“超芸術トマソン”の枠を広げ「何これ?」という胸騒ぎを覚えるものを、加美さんのガイドに従って探してみることに。
<写真⑫>
まずは浅間神社の鳥居。「食い込んでる!?」と驚いてしまったが、加美さん曰く「鳥居を避けて後から建物が作られたんですよ」とのこと。限られた空間を有効活用したということか。
<写真⑬>
鳥居を出たところで、向かいの家の壁面に設置された小さな赤い鳥居を発見。
「これ、なんだかわかりますか?」と加美さん。参加者の一部はその存在をご存じのようで、加美さんと一緒に微笑んでいる。
こちらは立小便禁止の看板なのだそう。神聖な神の印に小便をかけるのはバチが当たりそうということで、抑止につながるという考えなのだとか。
「もう今では見かけなくなりましたね」と参加者の方々。消えゆく習俗のひとつなのだろうか。
<写真⑭>
消えゆくものとしてもう1つ加美さんが紹介してくれたのは屋根神様。家屋の上に祀られた神棚は、他地域の人からすると「何これ?」という風景なのではないだろうか。
昭和初期に広まった信仰の形で、名古屋市西区にはまだ数ヶ所残っている。
「現在は、設置の形状から便宜上『屋根神様』や『軒神様』と呼んでいますが、本来は『かみさま』や『まちのかみさま』と呼ばれていたもので、町屋の建て込む狭い場所の有効利用が起源だと考えられます。軒に小社をまつる形式は尾張地区に多く存在し、美濃や飛騨の町屋にも見られます。
津島神社・熱田神宮・秋葉神社の三社をまつっていることが多いですね。津島神社は病除け、秋葉神社は火除けの神様としてまつられています。毎月1日と15日には祭礼を行い、地域の人が当番制で管理をしてきました」(加美さん)。
現在でも尾張地区には現役で残っている物件も多いが、年々その数は減っているとのことだ。
<写真⑮>
同じエリアの堀川沿いに残る屋根神様も見学。こちらは屋根が、というより家屋がない。「おそらく家屋のほうは取り壊されて、屋根神様だけが残っているということでしょうね」と加美さんは話す。
個性あふれるアートな三角コーン
では、次。
<写真⑯>
「あ!子どもがいる!」と夜道だったらびっくりしてしまいそうなこちら。女の子ではなく女の子ファッションに身を包んだ三角コーンである。個人宅の敷地の角に置いてあったものだ。周辺は入り組んだ道。道幅も狭い。曲がり角の家ならではの工夫だろう。
<写真⑰>
三角コーンつながりで、こちら。
酔っぱらって自転車でもぶつけたのだろうか。下部がへこんでいる。
「ぶつけてこわした人は弁償してください」という張り紙に切実さを感じる。
<写真⑱⑲>
路地の真ん中に置かれたオブジェ(?)も用途としてはコーンつながりといえそう。
円頓寺商店街からつながる小路の入り口に設置されている。おそらく車の侵入を防ぐため、植木鉢を三角コーン代わりに使った転用物とみてもいいだろう。
ポールと植木鉢のコラボレーションは、高低差や縦横軸のバランスなどが絶妙で、見る人が見ればアートである。
つぎはぎだらけのシュールな石像
<写真⑳>
これぞアート!?
とある医院の角。遠目では人体模型でも置いているのか?と思ったが、近づいてみたら石像だった。体がつぎはぎだらけだったり手首がとれてなくなっていたり、かなりシュール。なんとも言えない表情も印象的だ。
角を囲むようにもう1体。お地蔵さんも発見。
角地にあるので、車への注意喚起のために置かれているのかもしれない。
ユーモアをもって路上観察を楽しむ大人の遊び
懐かしさの残る名古屋のまちで“超芸術トマソン”を探す旅。いかがだっただろうか。
「芸術のように作者がいるわけでもなく、だれかが意図したわけでもなくそうなってしまったものを“美”として認知してみようという大人の遊び(加美さん)」をツアーメンバーと堪能した。
路上観察で見つけたものを自分なりの見立てでおもしろがるには、観察眼だけでなく言葉の技術を磨く必要もありそうだ。
入り口はなく門だけが取り残された「無用門」、壁や塀に残された突起物を「でべそ」、切断されたままの電柱や樹木を「阿部定」と名付けたり、物件の紹介には赤瀬川氏のユーモアあふれる言葉選びがちりばめられている。
見つけたものをどう表現するかというところも“超芸術トマソン”の肝なのだなと感じた。
加美さんによると「千利休が“見立て”により新たな美の発見を提示した事や、今和次郎が始めた民俗学的な手法で今を読み解く考現学が“超芸術トマソン”のベースであり、路上観察へとつながるルーツとなっている」とのこと。
今回のツアーで見つけたトマソンのほとんどは、時代の流れとともにいずれ消えていくもの。路上散策をしながらトマソンを探す行為は、今を記録する=今を読み解くことにつながっている。
興味がある方は、ぜひカメラを片手に“超芸術トマソン”を探してみてほしい。100年後にはそれが意味をもつこともあるかもしれない。
【参考文献】
「赤瀬川原平の冒険」実行委員会発行『赤瀬川原平の冒険ー脳内リゾート開発大作戦ー』
ちくま文庫『超芸術トマソン』、『トマソン大図鑑 空の巻』、『トマソン大図鑑 無の巻』
フィルムアート社『路上と観察をめぐる表現史 考現学の「現在」』
新潮社『東京路上探検記』、
白夜書房「超芸術トマソン」
【取材協力】
大ナゴヤツアーズ
https://dai-nagoyatours.jp/
公開日:
























