三角屋根の下に広がる、ヴィンテージ感とアットホームな雰囲気
2007年に財政破綻した北海道夕張市。中心部から車で10分ほどの沼ノ沢地区は、静かな時間が流れていた。2019年に廃止されたJRの駅からほど近い、国道から一歩入った住宅街に、「リノベーション・オブ・ザ・イヤー2022」のローカルグッド・リノベーション賞に輝いた人気のカフェ&バルがあるという。
目印は北海道らしい、大きな三角屋根。「くるみ食堂」という控え目な立て看板はあるが、一見すると店舗というより家そのもの。周囲に溶け込んでいる。
風除室を通ってドアを開けると、知り合いの家に来たような安心感に包まれた。すぐ目に入るのは、玄関と客席とを隔てるコンクリートブロックだ。上を見上げると、梁があらわしになっていて、急勾配な屋根であると分かる。
出迎えてくれたのは、店を経営する寺江浩平さん、あかねさん夫婦と、コンサルティングを担った「株式会社スロウル」(札幌市)の平賀丈士代表。
浩平さんは実家がすぐそばで、高校まで夕張で育った。財政破綻で暗いイメージを持たれた夕張への強い思いからUターン。リノベーションが専門の平賀さんは、限られた予算の中、分離発注というメジャーとは言えないやり方で伴走。そこに地元の建設会社や仲間などの多くの力が合わさって、三角屋根の空き家に新しい息が吹き込まれた。
リノベーション・オブ・ザ・イヤーのゲスト選考委員は、「ほしい未来をみんなでつくる」と意訳されるDIO(Do It Ourselves)の好例だと高く評価した。
リノベーションにふさわしい北海道の“絶滅危惧種”
三角屋根の住宅は、1953年制定の「北海道防寒住宅建設等促進法」によって財団法人北海道住宅建設公社が推進した、補強コンクリートブロック造のもの。特に2階部分が手狭になる点や、壁内結露などのウィークポイントもあり、その数を減らしている。増築や三角屋根の取り替えにより、姿を変える例もある。
平賀さんは「北海道の遺産」とも呼ばれる三角屋根の家の魅力を語る。
「無落雪の四角い家は狭い敷地でも雪の心配が少なく合理的で、北海道でかなり普及してきました。“絶滅危惧種”になってきた三角屋根は雪を落とすので建物に負担をかけず安心でき、形もかわいい。北海道らしさやヴィンテージな佇まいもあり、リノベーションする価値があります」
「くるみ食堂」の建物と浩平さんの出会いは2018年秋ごろ。各地の飲食店やホテルで腕を磨き、「地元で自分の店を持ちたい」と考えていた時に、母親を通じて情報が舞い込んだ。実家のそばで長年目にしているはずなのに深く気に留めずにいたが、あらためて見ると「かわいい!」と好感を持った。贈与税以外の負担なしで、築48年の空き家を無償で入手。所有者の「撤去してしまうのは寂しい。目標があってチャレンジするならぜひ使ってほしい」という思いを背中に受けた。
いくつかの住宅建築会社にアドバイスをもらおうと連絡を取ったものの、制約が多く手間もかかる「ブロック造」が敬遠されたのか、相談もできなかったという。
そんな時に「ブロック造」についてネット検索をしたところ、スロウルがヒット。内装のテイストが好みと一致し、三角屋根ブロック造に価値を見いだしている点にも共感できた。スロウルは事務所兼のモデルハウスを「三角屋根のブロック造の家」にするなど、三角屋根へのこだわりがかねて強かった。
予算を抑えるために。分離発注という「普通じゃないアプローチ」
ハードルとして立ちはだかったのは予算だった。平賀さんは「フルリノベーションをすると2,000万円ほどの規模になることが多く、1,000万円前後なら水回りやリビングなど、一部にとどまります」と言う。だが、寺江さんの自己資金は700万円ほど。後にクラウドファンディングで約200万円を集めたものの、「普通とは違うアプローチ」(平賀さん)が必要になった。そこで浮上したのが、「分離発注」という方式だった。
工務店がすべて段取りを組むのではなく、施主が関係先に手配し、直接契約する。各方面への調整や予算・進ちょくの管理など手間が膨大になるため、施主の強い意志と実行力がなければ難しくなる。それでも平賀さんは「寺江さんの意気込みはとても強く、地元のサポートがあれば大丈夫だと信じることができました。ノウハウを伝授するつもりで関わりました」と振り返る。
平賀さんによると、一般的な請負契約では工務店が取り仕切るからこそ利益を確保しやすい。それにもかかわらず今回はデザイン立案、施工アドバイス、業務支援のコンサル契約にとどめ、サポート役に徹した。背景の1つには寺江さんの熱意にほだされたことがあるが、将来を見据えた狙いもあった。
「今後、大工・設計士と施主とをマッチングしてプロジェクトを実施する仕組みが整えば、工務店らしいビジネスモデルは破綻するかもしれません。アメリカではDIYで家の価値を上げ、より高い値段で売っています。自分でこだわった家をつくり、価値ある物件にして次に引き継いでいくのが、あるべき循環かなとも思っていました。そのためには、施主自身が積極的に関わった方がいい。スロウルとしても、コンサルにシフトしていく覚悟はありました」
ブロックと梁をあらわしで見せる。譲り受けたアイテムも随所に
寺江さんは平賀さんのアドバイスを受けながら、地元の仲間が経営する建設会社に施工を依頼。予算は多くを店舗部分の1階に振り向け、2階の居住スペースは最小限にした。
コストを抑えるため、外壁をはがさず内張り断熱を強化。外断熱のグラスウールはそのまま生かした。メーンの暖房はエアコンのみだが、気密性の向上と厨房の熱も手伝って、真冬でも底冷えすることはないという。屋根断熱も施し、三角屋根の形状を生かしたロフトも設けた。外見上の変化は、バルコニー周辺の板張りのみになっている。
ブロックの質感をそのまま見せることを重視した。玄関から入ってすぐの壁面は、構造材としてのブロックを露出させ、表面をほぼ加工せずに活用。かつて電話機が置かれていた窪み部分は周辺をモルタルで整える程度にして、オーナメントで彩るスペースに生まれ変わらせた。
浩平さんの父は自ら図面を描いて提案するほどリノベーション計画に意欲的で、DIYが得意なため看板やテーブルなどを制作した。壁はボランティアの仲間で漆喰風の塗料に手塗りし、温かみのある雰囲気を演出した。
もともと押し入れがあったスペースはオープンキッチンになった。そこに面したカウンター席には地元の小学校から譲り受け、アイアン塗装された椅子が並ぶ。地元の企業からは照明器具を寄贈された。
懐かしさを感じさせる昔ながらの風合いを生かしつつ、今日的な洗練さも調和した店内。多くの人の思いが詰まったモノも加わり、温かい空間ができ上がった。
「暗いままにしたくない」。昔からの仲間や市職員、家族の応援が原動力に
浩平さんは夕張市内の高校を卒業して札幌市の専門学校に進み、有名ホテルやイタリア料理店でキャリアを積んできた。青森県出身のあかねさんはホテルやカナダのケーキショップでパティシエとして腕を磨いてきた。
夕張市が財政破綻したのは、浩平さんが高校2年の時だった。当時は「もう夕張には戻れない」「未来はない」と思っていたという。幼少期から打ち込んだ太鼓で高校3年生のときに全国大会に出場したが、「破綻したまち」という目で地元が見られていると感じ、恥ずかしさで身が縮こまった。卒業後も出身地を言いづらく、心ない言葉も浴びてきた。「変なイメージで知られてしまって、悔しく情けない気持ち、無力感でいっぱいでした」
小さいころから自分の店を持つことは夢で、料理の世界でキャリアを積んできたことで「暗いイメージのままの夕張をなんとかしたい」という思いを強くしていった。
人口減少は止まらず周辺でも店の明かりが消えていくなか、「夕張で店をやっても人来ないしょ」と冷ややかな声も寄せられた。それでも寺江さん夫妻は揺るがず、三角屋根の家に出会って約3年後の2021年11月にオープンにこぎ着けた。
市職員だった男性らが個人的に全面バックアップ。開店までの課題を洗い出し、解決への道筋を一緒に考えてくれた。人や事業者を紹介して、クラウドファンディングのきっかけもくれた。「暗いままにしたくない。明るい夕張をつくろう」と同じ思いを持つ仲間に恵まれた浩平さん。「家族を含め、身近な人がみんな背中を押してくれて進められた。1人ではできませんでした」と感慨深げに語る。
「夕張に戻ってもいいんだ」。次の世代の若者がそう思える拠点へ
浩平さんが地元の魅力の1つに挙げる、静かさと温かさ。くるみ食堂は通りすがりの車が来ないような山あいの静かな住宅地にあるが、SNSで興味を持った市外の客や、近くの住民らでにぎわっている。
あかねさんは「小さな子どもからお年寄りまで、多くの人に楽しんでもらえて、店をやって良かったなと思っています。近くのおばあちゃんが、赤い口紅を塗って、おしゃれをして来てくれるんですよ」と笑う。浩平さんも「『生活する楽しみが増えた』と言われるのは、何よりも嬉しいですね」。
近くで畑をしている住民や農家の人たちもふらりと来店し、「よかったら使ってみて」と無農薬の野菜を届けてくれる。今ではそのつながりも強くなり、「ここでしか出せない料理」(浩平さん)も誕生した。また平賀さんの紹介で大手企業の社員が畑などを訪ね、くるみ食堂で食事する企画も準備中で、魅力の発信源は1つの店舗から地域へと広がりつつある。
「夕張の新しい魅力として目的地になりたいですし、まちのイメージを変えていきたい。そのためには自分たちだけでやっていても限界があるので、今の中学生や高校生に『夕張に戻ってきていいんだ』『戻って挑戦したい』と思ってもらえるように、先駆者でいないといけません」。浩平さんは温かく穏やかな表情を浮かべながら、強い意志をのぞかせる。
平賀さんは、野菜を作る地元の男性との交流やリノベーションの中身などを映像に収めてYouTubeで公開するなど、今なお伴走している。
「くるみ食堂で灯が1つ増えましたが、同じ志のある人がもっと増えてほしいです。産炭地として栄えた昔の夕張を復活させることはできませんが、地元の魅力を知っていて『ここが好きだ』と思う人が地元に住めるという、本来あるべき姿になればいいなと」
みんなでつ「くる」美味しい「み」らい。それが「くるみ食堂」の由来だという。
取材協力:スロウル https://slowl.jp/
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