2つの日本農業遺産を抱く和歌山県有田川町
「日本農業遺産」を知っているだろうか。何世代にもわたり継承されてきた独自性のある伝統的な農林水産業と、それと一体となって育まれた地域を、農林水産大臣が認定するもので、2022年3月現在、全国で22地域が認定されている。その中で唯一、1つの自治体で複数の農業遺産が認定されているのが、今回取材に訪れた和歌山県有田川町。「みかん栽培の礎を築いた有田みかんシステム」と「聖地 高野山と有田川上流域を結ぶ持続的農林業システム」の2件が認定されている。
2006年に吉備・金屋・清水の3町の合併で成立した有田川町は、県下2番目に大きい面積を有し、その広さゆえ町内でも気候に差があることから、地域によって農業の作付けも異なる。有田みかんに代表されるみかんの生産は全国の約1割を占めるほか、有田川上流の清水地域を中心に栽培される山椒の生産量は日本一だ(2020年度)。
しかし、このような伝統的な農業が根付く地域であっても、少子高齢化の影響は避けられず、同町の第1次産業就業者は30年間で40%以上減少している(第2次有田川町長期総合計画による)。農業文化を後世に残すためには、若い世代の就農、そして定着が欠かせない。
そんな有田川町には、UターンやIターンで就農し、地場に根付き生き続けてきた農作物で、新たな挑戦を始めている若い世代がいるという。
価格の大暴落で生計が立てられない状況に
まず、同町清水地域でぶどう山椒農家「きとら農園」を営む新田清信さんに話を聞いた。
山椒は、ピリリと口の中を痺れさせる独特の辛みをもつ香辛料で、意外にもミカン科に属するが、みかんとは異なり比較的標高の高い地域で栽培される。山椒栽培が盛んな清水地域で育った新田さんは、高校卒業後に県外へ。結婚を機に地元に戻ろうと思っていたところ、山椒農家をしていた親戚から勧められ、故郷の地で山椒農家を始めることにした。
「当時は山椒農家が儲かっていた時期で、『儲かるんだったらやろう』と始めました」と新田さん。農地はUターンの数年前に購入。親戚から農業技術を教えてもらうほか、国の就農支援制度を活用して入念に準備をした。
しかし、いざ始めると状況は違っていたという。
「その頃、山椒は儲かると聞いた多くの農家が山椒を作るようになっていたんです。結果として供給過多となり、農協の買取価格が大暴落しました。しっかり栽培できていて、農作としては成功しているはずなのに、販売しても利益にならないという状況に直面したのです」
清水地域の山椒農家は農協に全量出荷するのが通例で、きとら農園も例に漏れずそうだった。買取価格が下がったことで、新田さん一家は山椒だけで生計を立てられなくなったという。
「この地域の山椒農家は、平均年齢が80歳を超えています。山椒での収入は年金の足しにする程度で、山椒で生計を立てている農家というのはうち以外にいなかったんです。しかし、うちは農業の収入だけでなんとかやっていかないといけないので、そこからいろいろ工夫が始まりました」
“農業”は栽培だけでは成立しない
新田さんが取組んだことは主に2つ。
1つ目は、農閑期を利用して、畑に生えていた桑の木の葉を採取・加工し、「桑の葉茶」としてインターネットを通じて販売したこと。
2つ目は、桑の葉茶での経験をぶどう山椒にも応用し、インターネットなどによる山椒の直接販売に乗り出したこと。
農協の買取価格はたいてい品目によって決まる。有機栽培やこだわりの栽培で価値を高めたとしても、同じ品目であれば同じ値段での買い取りとなることがほとんどだ。しかし、直接販売であれば付加価値に対して自身で値を付けることができる。
新田さんは、インターネット通販サイトに出店するなどして、自身の希望する価格で販売ができるようになったことで、収入が安定しはじめたという。
「農業として成功するには、栽培がうまくいくだけでなく、いかに売るかの部分も必要です。しっかり付加価値を上げて、それを適正な価格で買ってもらうということまでやり切る覚悟が必要だと思います。新しく農業を始めようという方には、それを知ってほしいです」
同時に、直接販売は新田さんに喜びももたらした。消費者の声がダイレクトに届くようになり、海外の料理人やパティシエを含め、さまざまな方面の人たちからも問合せが来るようになったのだ。
「私自身、山椒の使い道はうなぎにかけるくらいのものだと思っていました。しかし、お客さんから『こういう風に使っておいしかった』などと教えてもらえますし、『もっとこういう加工をしてくれないか』というような、アイデアの種もいただけます。作っているだけでは気づけなかったことも多く、やりがいにつながっています」
実は新田さん、Uターン後は有田川町ではなく、和歌山市寄りに隣接する海南市に住まいを構えていた。就農から11年経った今年、お子さんの就学などのタイミングがあったことから、家族とともに農地のある清水地区へ引越した。高齢化の波が押し寄せる清水の谷に、子どもたちの声が響いている。
顔の見えるコミュニケーションを付加価値に
続いて、有田みかん農家「みかんのみっちゃん農園」を営む小澤光範さんにお話を伺うことができた。小澤さんの実家はみかん農家だったが、「農業は汚れる仕事というイメージがあって嫌だった」と、大学卒業後は小麦粉メーカーに就職。しかし、直後になんと小麦アレルギーであることが判明し、退職を余儀なくされた。
その後、青果物を扱う会社に転職した小澤さんだが、その頃出会ったある人に「実家が農業なら絶対に継いだほうがいい」と言われ、さまざまなアドバイスを貰ったという。その中に「農家もやり方次第でいろいろできる」という話があった。
従来の農業を継ぐのは気が進まなかったが、自身で工夫して農業ができるのなら、と家族に相談。故郷の有田川町でみかん農家となった。
就農後、小澤さんが注力したのはSNS(ソーシャルネットワークサービス)の活用。みかんの注文はSNSのメッセージ機能等を介して受け付けるのだが、やりとりの中で小澤さんのみかんの感想やそれぞれのプライベートに話題が及ぶこともあるという。
「例えばお送りしたみかんが腐っていたとします。通販サイト経由の注文だと、マイナスの口コミを書かれることがあるかもしれませんが、それは一方的に書かれて終わりです。でもSNSであればそうはなりません。双方向のコミュニケーションをとり、状況を細かく聞き出す。問題の原因や相手の気持ちを知ることができます」
みかんのみっちゃん農園のもうひとつの特徴は、多品目栽培であること。その数はおよそ60種類と、周辺のみかん農家と比べるとかなり多いほうだというが、これも、SNSを軸とした戦略のひとつ。
「たくさん種類を作ることで、お客さまとのコミュニケーションの中でさまざまな柑橘が提案できますし、お客さまにも一年中楽しんでいただけます」
就農当初、農家の仕事は閉鎖的で、人と関わる機会が少ないと考えていたそうだが、SNSの活用によってその懸念は一掃されたよう。
顧客一人一人とのエピソードを楽しそうに話してくれる小澤さんの笑顔からは、充実感が伝わってくる。
加工・流通の工夫で、売上もやりがいも向上
「地方移住」とセットで語られることも多い「農業」。都会の喧騒を離れて、自然のなかでのんびりと暮らすイメージと合致するからだろうか。2017年に一般社団法人移住・交流推進機構が行った『若者の移住』調査によると、東京圏の20~30代の地方移住に興味がある人のうち、7.8%が「農業・林業関連の仕事がしたい」と答えている。
就農には大きく2つの方法があり、総務省では、農業法人や農業者に雇用されて農業に従事する者を「新規雇用就農」、自ら新たに農業経営を開始する者を「新規参入」としており、今回お話を伺った2人のような新規参入の就農者のうち、就農後10年以内で生計が成り立つ農業所得を得られている人はわずか24.5%にとどまる(新規雇用就農者も5年間の離農率が35.4%に上るなど課題がある)。(総務省 2019年 農業労働力の確保に関する行政評価・監視結果報告書)
きとら農園とみかんのみっちゃん農園はいずれも、規模こそ大きくはないが、加工やデリバーまでを従来の農業から一工夫し消費者へ届けること、コミュニケーションなどで付加価値をつけることで、売上もやりがいも高められる仕組みをつくることができた例といえる。
みかんの街として、ぶどう山椒の街として日本農業遺産に認定された有田川町。挑戦する人々によって、新たな農業の仕組みづくりが動き出している。小さくても新しい農業の姿がある。もしかしたら既に、新たな農業遺産認定への道程が始まっているのかもしれない。
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