高齢化と人手不足に直面する農家

アルバイトやインターン生が書き残した滞在記アルバイトやインターン生が書き残した滞在記

「僕は10日後イタリアに行っています」
「この地で関西とは違う文化に触れた事がきっかけでした」

ゲストハウスに滞在した旅人のような言葉が綴られているのは、北海道で営農する「株式会社イナゾーファーム」にあるノートだ。関西出身の30代男性が、半年間のアルバイトの締めくくりに書き残した。

見渡す限りの畑に囲まれたイナゾーファーム見渡す限りの畑に囲まれたイナゾーファーム

旭川市から北へ60kmの士別市にある、見渡す限りの畑に囲まれたイナゾーファーム。2021年の農繫期、道外の2人のアルバイトが作業を支えた。働き手を外部から迎えるケースは珍しくないが、目を引くのは「家つき」「車つき」というユニークな待遇で採用活動を展開し、多くの応募があったことだ。

いま農家は、担い手の高齢化や人手不足で頭を悩ませている。全国の耕地面積の4分の1を占め、桁違いの広さがある北海道でも、深刻な課題だ。

3代目として畑を受け継いだイナゾーファーム代表の谷寿彰さん、妻の江美さんはともに30代。いつも頭にあるのは「持続可能性」で、農業を体験するハードルを下げるための策を打ってきた。2021年は、いろいろなバックグラウンドをもつ20~30代のアルバイトとインターンでにぎわったという。その狙いや手応えを、江美さんに聞いた。

アルバイトやインターン生が書き残した滞在記農業生産の裏方を担う江美さん

持続可能な農業経営へ。パートナーを確保するには

有機JASを取得した「イナゾートマト」有機JASを取得した「イナゾートマト」

イナゾーファームの耕地面積は18ヘクタール。有機JASのトマトとアスパラの他、カボチャや大豆、もち米などの作物を手がける。首都圏のハイクオリティ系スーパーをはじめ、一から開拓した売り先も多く、自慢のトマトジュースは全国にファンを抱える。

畑での作業だけでなく、加工品の開発・出荷作業、マーケティングやブランディング、法人としての経営管理など数多くの仕事を抱える。インターン生が「常にフルパワー」とノートに書き込むほど元気な子ども4人の子育てにも追われる。繁忙期は本州に住む江美さんの両親も泊まり込み、家事を手伝うほどの忙しさだ。

江美さんによると、この地域では農地の大規模化や機械化を進め、事業を成長させようという意欲の強い農家が多い。イナゾーファームでも耕地面積やビニルハウスを増やしていて、それに伴って人手の確保も求められていた。

ただ、単に労働力の不足を埋めるリクルートはしないのが、こだわりでもある。

イナゾーファームは、ベースは家族経営のまま、持続可能な経営を目指して2019年に個人事業主から法人になった。世襲制とは違った、「農業を仕事にしたい人にチャンスを」「次世代に農業というベースをつなぐ」という考え方が軸にある。そのため、パートナーになる人が「最初の一歩をできるだけ軽やかに踏み出す」(江美さん)方法を模索していた。

有機JASを取得した「イナゾートマト」全国にファンを抱える多くの派生商品の1つ、トマトジュース

待遇に「3LDK住宅」と「車」をつけた理由

士別市と一から交渉し、借りることができたという元教員住宅士別市と一から交渉し、借りることができたという元教員住宅

その上で課題を整理すると、地域外から働き手を呼び込むハードルの1つが、住まいの提供だった。江美さんによると士別市中心部には賃貸アパートもあるが、家賃は若者にとって負担に感じる水準。さらに、農場から車で15分ほどかかり、やや距離がある。

「田舎の暮らしとセットで体験してほしいので、基本的に近くに住んでほしい」と江美さんたちは考え、物件確保に奔走。農場から車で3分の所に、かつて教員住宅だった3LDKの戸建てがあったため、士別市と一から交渉し、借り受けることに成功した。半年間のアルバイトが、生活費を抑えて暮らせる環境を整えた。

かつての教員住宅は3LDKで、シェアするのに十分な広さかつての教員住宅は3LDKで、シェアするのに十分な広さ

もう1つのハードルは足の確保で、江美さんが長く使ってきた軽自動車を貸与できるようにした。仕事の移動や運搬に使うほか、普段の買い物、休日にはプライベート利用もできるようにした。「グーグルマップで農場を調べた人が、『意外と駅が近いんですね』と言うんですが、ここは田舎です。1日に上下20本もない。仕事をしながら生活することを考えると、自転車だけでも厳しいのが現実です」と伝えています。

社員からアルバイトへ。ハードルを下げるためのシフト

かつて、イナゾーファームを手伝っていたのは地元のパートだけだったが、2020年と2021年の農繁期は道内外から広く呼び込もうと、「家つき」「車つき」で就職サイトに掲載。

求人情報サイトに掲載した、イナゾーファームのページ求人情報サイトに掲載した、イナゾーファームのページ

移住や農業に興味がある人をターゲットに設定し、新しいチャレンジをする上での不安を減らすサポート体制をアピール。「消費するばかりの都市部での生活とは真逆」と、普段と違う生活を味わえることも訴えた。加工部門の製造や新商品開発、ブランディングやマーケティングといった販売強化、経営への参画など、農閑期にも経験を積めるメニューを多彩に用意して構えた。

結果、2年ともに10数人以上からエントリーがあり、2021年春には、著名な求人情報サイトでも注目案件としてピックアップされるほどの反響があった。江美さんは「目的がある人や、向上心が高い働き手には興味を持ってもらえる」と手応えを感じ取った。

1年目の2020年シーズンでは雇用期間を定めない社員として募集したが、社員という“重さ”の課題も残った。「農業は1年に1回の挑戦です。やってみないと適性も分からないにもかかわらず、家財道具一式を持って引越すのは負担です。1シーズン・半年間のお試しくらいがちょうどよく、もっと多くの人に体験してほしい」と江美さん。翌年は社員ではなく、あえて季節雇用のアルバイト募集に切り替えた。

求人情報サイトに掲載した、イナゾーファームのページ炊事場や、寝泊まりできるスペースもある倉庫。畑以外でも、多くの仕事をこなす場にもなる

多彩な人が集まるコミュニティーで、柔軟な人間関係を

2年目の2021年。アルバイトはWEB会議ツールでの顔合わせなどを経て、埼玉県と兵庫県の2人を採用。数日単位から受け入れているインターンは、都市部で暮らす大学生8人が集まった。PCR検査の事前実施などコロナ対策に気を配った上で、最大で7人が同時に汗を流した。

3LDKの元教員住宅をアルバイト2人とインターン生1人でシェアし、他のインターン生は事務所を兼ねた倉庫内の多目的ルームや、谷さんの自宅に分散して寝泊まりした。同居する寿彰さんの両親や子ども4人を含む異世代交流が生まれ、時に一緒に食卓を囲み、子どもの世話をした。知り合いの農家を見学したり、近所の人から野菜をおすそ分けされたり、という生活体験もできた。谷さん夫婦の知人が開いてくれたワークショップを通じ、朝のラジオ体操や、作業マニュアル策定といった、目に見える変化も生まれた。

朝の始業前に、全員で取り組んだラジオ体操朝の始業前に、全員で取り組んだラジオ体操

江美さんは滞在記のノートをめくりながら、「やりたいことが明確だった2人のアルバイトの方も、コロナで学生らしい経験を積みにくい大学生も、良い経験になったようでした。農作業だけでなく、田舎生活、子どものいる暮らしなど、普段と違う文化に身を置いたからこそ、気付くものがあったはず」と振り返る。

「コミュニティーのようで活気が出て、私たちも気持ちが若くなりました。田舎だと、同じ顔ぶれだけで1年過ごすと硬直化しがちです。いろいろな所から人が集まることで、柔軟な人間関係ができる効果は大きいです」と江美さんは言います。

朝の始業前に、全員で取り組んだラジオ体操休憩時には自然と多世代交流が生まれ、都市部の若者には貴重な経験になった

都市と農村、食と農、今と未来。つなぐことがミッション

生まれも育ちも東京の江美さんは、早稲田大学に在学中、「農山村体験実習」がきっかけで農業に興味を持った。農村という普段とは違う文化に惹かれ、農業と食の密接なつながりを感じたという。大学卒業後は、地方部で経験を積もうと株式会社星野リゾートに就職。各施設で現場経験や広報などを手がけた後、結婚で士別へ移住した。本業の傍ら、NPO法人「田舎のヒロインズ」理事として都会と農村をつなぐ活動を続けている。

一方、寿彰さんは、北海道大学大学院の農学研究科を修了。「太平洋の架け橋に」と語った新渡戸稲造氏は北大の前身である札幌農学校で学んでいて、大先輩にあたる。イナゾーファームを法人化する際は、「つくるとたべるをつなぐ架け橋に」と思いで新渡戸氏の名前を借りた。

専門家として農作業にのめり込む寿彰さん(左)と、畑作業以外も含めた経営全般を管理する江美さん専門家として農作業にのめり込む寿彰さん(左)と、畑作業以外も含めた経営全般を管理する江美さん

2022年は3~11月頃、「家つき」「車つき」で同じように仲間を募集する予定。技術やノウハウをつないでいく上で、いずれは社員になれる人材が定着することを目指す一方、2021年のように多彩な顔ぶれの人が出入りする、流動性がある形も併せ持つのが理想という。

「私も、学生時代に体験の機会がなかったら農業にアクセスできませんでした」と言う江美さん。

「イナゾーファームとしては1シーズン体験した後、定着してくれたら最高ではあります。ただ、どんな仕事でも、やってみないと分かりませんし、農業はハードです。まずは体験のハードルを下げて機会を開き、農業と経営を持続可能にしていくのが私のミッションです」

専門家として農作業にのめり込む寿彰さん(左)と、畑作業以外も含めた経営全般を管理する江美さん2022年も多彩な人が集うコミュニティーになりそうなイナゾーファーム

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