炭鉱のまちの小学校跡にできた、緑豊かな「芸術広場」
カン、カン、カン、カン。
コン、コン、コン、コン。
鳥のさえずりや、風に揺れる木々の音に交じって、心地よい打音が響く。木々の向こうでは、どんな大声を出しても届かないような、緑一色の芝生が広がっている。その奥には、白い彫刻作品が緑に溶け込んでいる。
かつて産炭地だった北海道美唄市。ここは、炭鉱で働く人たちが暮らした山あいにある、「安田侃(かん)彫刻美術館アルテピアッツァ美唄」の敷地内だ。JR美唄駅から車で約10分。「彫刻の美術館」と聞けば重厚なイメージが浮かびそうだが、それとは無縁の開放的な空気が漂っている。
小気味よい音の主は鑿(のみ)だった。何人もの人が、鑿を白い石に打ち付けていた。ミケランジェロも採石したイタリア産の大理石などを彫ったり削ったりできる、「こころを彫る授業」という独自プログラムだ。
アルテピアッツァは広い。東京ドーム約1.5個分という、豊かな自然に囲まれた7万m2すべてが敷地だ。ランドマークは、旧「栄小学校」と旧「栄幼稚園」のあった木造校舎で、そばにある体育館との間には「水の広場」と呼ぶ、水が流れる彫刻作品がある。
水の広場から続く、いかにも山里の入り口という風情の斜面にも彫刻はある。登りきったところに、一部古材を使って建てられたカフェ棟がある。
屋内外のあちこちに点在するのは、心地よい手触りの大理石やブロンズでできた約40の彫刻作品。子どもたちがよじ登ったり、追いかけっこをしたり。これらを手がけたのは、世界的な彫刻家の安田侃さんだ。
鎮魂の作品がきっかけで生まれた拠点。「一緒に作る」広場に
イタリア在住の安田さんは、炭鉱に活気があったころの美唄で生まれ育った。世界各地の公共空間などに作品があり、東京ミッドタウンには「メーンアート」として、日に数千人を迎えるエリアで2作品が鎮座。道民にも身近な存在で、JR札幌駅にある作品は待ち合わせ場所として親しまれている。
そんな著名作家があらためて故郷と関わるきっかけは、1970年代に遡る。すでにイタリアに拠点があった安田さんのもとに、美唄市の担当者から依頼が舞い込んだ。
美唄は日本有数の炭鉱都市だったが、国のエネルギー政策で多くの人が山を去り、労働者用の住宅、駅や学校が消え、多くの犠牲者が地底に眠っている。こうした炭鉱の記憶や思いを未来につなげ、鎮魂するための彫刻を制作するという大仕事だった。
安田さんは、現アルテピアッツァからさらに4km先にある炭鉱跡にできた公園に1980年、炭鉱作業員の魂と地上とをつなげる作品「炭山(やま)の碑」を完成させた。
その後、日本でのアトリエを探していた安田さんは1985年ごろ、「炭山の碑」で共に仕事をした市の建設課長に、閉校した小学校の体育館を使うことを提案された。
体育館は1991年、交流スペース・アートスペースとして改修。翌年には野外スペースを整備して、「アルテピアッツァ」は産声を上げた。かつて炭鉱作業員の子どもらが学んだ木造校舎も改修し、1999年には2階にギャラリーがオープンした。
アルテピアッツァの広報や「こころを彫る授業」を担当する影山宏明さんは、この当時から続く、安田さんと美唄市との信頼関係が大きな基盤になっているとみる。
「安田さんは『自分がここを作った』とは決して言いません。市や訪れる人たちと一緒に、今なお創り続けている場所です」
木の剪定や芝の手入れなど、アルテピアッツァの空間に関わることは、安田さんに確認している。現場スタッフとしても安心して、良い状態で管理できるという。
誰にも、いつでも開放される。「子どもたちが喜ぶ広場に」
故郷での拠点を得た安田さんだったが、体育館を整備している最中に、原点とも言える光景に出会うことになる。
旧三菱系の炭鉱があった周辺で最後まで残っていた栄小学校は、1981年で閉校になった。ただ、同じ校舎に併設されていた栄幼稚園(2020年に閉園)の子どもたちは変わらず元気に通っていて、その姿が安田さんの心を揺さぶった。園児たちはまた、体育館の中に並んだ彫刻を不思議そうに覗き込んだ。これを見て安田さんは、「子どもたちが喜ぶ広場にしよう」と誓ったという。
イタリア語の「アルテピアッツァ」は、「芸術広場」を意味する。安田さんは24時間、柵もなく誰にでも開かれた場にこだわった。地元のお年寄りが日課のようにコーヒーを飲みに来たり、近所の人が犬の散歩をしたり、子どもたちが虫を捕まえに来たり。作品に自由に触ることもできる。「美術館」という冠は付くが、建物も自然も一体となった「広場」だ。
影山さんによると、安田さんには「彫刻は見る人の心を映す鏡。それぞれの感性で自由に、まずは形を見て、触れてほしい」という思いがある。だからこそ、入館無料にこだわり、作品名などを示す解説板も置いていない。作品がこの大地に長く根を下ろし、共鳴する姿をさらすために、屋外は厳しい冬でも立ち入りを制限しない。
雑記帳に残された「また来たい」の言葉。魅せられる理由は?
広大な敷地の管理はかつて市が担当していたが、2006年からはNPO法人「アルテピアッツァびばい」が指定管理者として手がけている。入場料収入がなく、自主事業やカフェの収入なども運営費としている。新型コロナウイルスが大きな影響を与えたが、全国に多くのファンを抱え、一度訪れた人が「また来ます」と感想を残すことが多いという。
コロナ禍より前は訪日外国人の姿も多く、観光客でにぎわった。今でも週に一度、札幌市から通う熱心な愛好家もいる。年会費3,000円で登録できる、アルテピアッツァを未来へ残すためのコミュニティー「アルテ市民ポポロ」の会員は600人超だ。2020年秋に会員のミーティングを初めてオンライン開催すると、北海道から九州までの45人が参加した。
また、アルテピアッツァを訪れた人が書き留める「雑記帳」には、不思議なほど、似たキーワードがあふれている。
「次はぜひ晴れたアルテピアッツァを見てみたいです」
「子どもが産まれたら、親子3人で絶対また来ます」
「又、訪れる日を楽しみにしています。(いつかではなく近い将来に)」
「また、じっくり来ます」
世界でも珍しい入場料無料の美術館
ギャラリーには募金箱が置かれ、2020年度は100万円超が寄せられた。その他の寄付金も200万円以上あり、運営の大きな支えになっている。
多くの人がアルテピアッツァに魅せられ、「また来たい」と思う理由はどこにあるのか――。
影山さんは言う。「年中開放しているので、四季それぞれに、自然と作品が共鳴する姿を楽しめます。作品と出会う喜びや感動を大切にしていますが、敷地が広いので、『ここにもこんな作品があった!』と宝探しのような楽しさもありますね」
木造校舎に感じた懐かしさ。窓の外には、駆け回る子どもたち
「宝探し」という言葉がやけに腹に落ちたのは、取材で訪れたタイミングもあったのかもしれない。
木々がやや色づき始めた2021年10月上旬、影山さんが受け持つ「こころを彫る授業」の合間に、話を聞かせてもらった。何かを探すように石に向き合う人たち。この授業では、無心に彫ることで、やがて自分の心に出会えるという。参加者の表情には、心なしか、すがすがしさがあった。
影山さんのインタビューを終えた後、緑の斜面を伝って、ギャラリーに向かった。
懐かしい木造校舎の匂いに包まれ、ほどよくきしむ階段の音も心地よい。茶色い床板と格子状のガラス窓の旧教室に置かれた作品は、学校の記憶を宿しているかのようなたたずまいだった。貸しギャラリーの展覧会では、親子連れが自由に絵を描くコーナーがあり、歓声が微笑ましい。窓から見えた、外の斜面を駆け回る子どもたちの姿にも心をほぐされた。
再び建物の外へ出て、「水の広場」の周りをゆっくり歩いた。
数十億年という時間をかけて作られた大理石。その作品は、雪にまみれ、桜と並び、真夏の強い日差しを浴びると、どんな姿を見せてくれるのか。炭鉱の記憶や自然、訪れる人、そして蓄積される時間がそれぞれ“鑿”となり、どんな風に作品を彫っていくのだろう。
そんな移ろいを想像するだけで、気付けば「また来たい」と思うようになっていた。
取材協力
安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄
https://www.artepiazza.jp/
公開日:













