それぞれの神社の霊験(ご利益)はどのようにできたのか
悩み事や願い事があるとき、神社に参拝する人は少なくない。
恋愛の悩みがあるなら縁結びの神社、病気が心配なら健康に霊験あらたかな神社を、調べたことがある人は多いのではないだろうか。
では、神社の霊験はどうやって決まるのだろう。
八幡神社が戦いの神とされ、スポーツマンや営業マンの崇敬が篤いのは、祭神の応神天皇が戦の神だからだ。生まれたとき、腕の肉の形が弓に使う武具に似ていたと日本書紀に書かれており、生まれながらの武神とされている。源義家をはじめとする源氏の頭領らが信仰したとされるほか、元寇の際には、日夜石清水八幡宮で異国調伏の祈祷が行われたことが知られる。
しかし、そのご利益に根拠がない霊験も多い。神無月になると出雲に神々が集まり、縁結びの相談をするという俗信には典拠がないようだ。鎌倉時代に吉田兼好が記した徒然草の第二百二段には「十月を神無月と言ひて(中略)この月万の神達太神宮へ集り給ふなどいふ説あれども、その本説なし」とある。
太神宮とは伊勢神宮のこと。つまり吉田兼好は、神無月には神々が伊勢神宮に集まるといわれているが典拠はないと書いているのだ。出雲大社を伊勢神宮と勘違いした可能性もあるが、兼好は占いを職掌とする卜部氏が出自で、神事には詳しかったはずだ。
神々の集う場所が伊勢から出雲に変更されたとして、その経緯は不明だが、明治時代の小泉八雲は出雲を「神々の国の首都(The chief city of the province of the god)」と表現しているから、遅くともこの時代には、伊勢から出雲へ「首都移転」していたのだろう。
出雲大社の祭神であるオオクニヌシは女性に人気が高く、兄たち全員が憧れていたヤガミヒメの愛を射止めたから「縁結びの主催者」と考えられたのだろうか。このように、神の霊験や俗信は、民衆の想像や希望から作り上げられたものが多い。
神社の霊験は明確なものではなく、祭られた神様の性質や神社の歴史によって、「きっとこんな願いを叶えてくださるだろう」と人々は想像し、祈りを捧げてきたのだ。
初詣は、いつから始まった?その起源は「年籠り」
年始に神社に参拝する初詣の習慣が、いつごろから始まったのかは定かではないが、大晦日の夜から氏神を祭る神社などに籠り、心身を清めてから年神様をお迎えする「年籠り」が起源だと考えられる。
年籠りをしながら、地域や家業によって新年の豊作や商売繁盛、家内安全を祈願したとされるが、本家に親族が集ってなんらかの神祭りをするのが風習の家系もあれば、町内の男衆が神社でお酒を飲みながら夜を明かすのがならわしの地方もあったようだ。
時代が下るにつれて、氏神を祭る神社に籠り、一夜を明かす習慣は廃れ、元日の朝にお詣りするようになっていく。当初は村の鎮守の神社や恵方に鎮座する氏神を祭る神社が選ばれる場合が多かったが、鉄道が発達するにつれ、恵方に限らず、人々は様々な神社へ自由に参拝するようになった。「初詣」という言葉が広く使われるようになったのは、大正時代からのようだ。
昨年からのコロナ禍もあり、2022年は、ぜひともそれぞれの願いが叶う世の中になることを期待したい。
そこで、全国各地に祭られている人気の神様の中から、初詣で訪れた際に恋愛や仕事、健康などの悩みにご利益を発揮してくださりそうな神様と神社を紹介したい。
縁結びは、最初に結婚式を挙げたスサノオとクシナダヒメを奉った八坂神社や祇園神社
「古事記」では、手のつけられない乱暴者として高天原を追い出されたスサノオが出雲へやってきたとき、八股の大蛇の人身御供に選ばれたクシナダヒメと出会う。スサノオは彼女を助けようと決心し、強い酒を八つの桶に入れて大蛇の通り道に置く、とある。そして大蛇が酒に酔っ払ったところで八つの頸を切り、ヒメを助けた。二人の結婚式が、日本最古の結婚式であるとされる。スサノオは「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」と和歌を詠み、結婚を喜んだ。
興味深いのは、大蛇を退治する際、スサノオがクシナダヒメの姿を櫛に変え、髪に差したことだ。柳田国男は、日本古来、妻や妹が夫や兄の守り神になるとする信仰があったと指摘する。安全な場所に隠すのではなく、大蛇との戦いにクシナダヒメを連れていったのは、この信仰によるものだろう。スサノオとクシナダヒメはお互いに助け合う夫婦なのだ。
縁結びの神といえば、スサノオの娘婿(古事記では六世孫)とされるオオクニヌシが有名だが、古事記には彼が多くの女性と浮き名を流して正妻のスセリヒメを悲しませたとある。当時の日本は一夫多妻制だから、スサノオも複数の妻を持ったはずだが、古事記によれば妻は二人で、物語に登場するのはクシナダヒメだけだ。大切にしてくれる頼もしい恋人が欲しいなら、スサノオとクシナダヒメ夫婦に祈ってはいかがだろう。
スサノオは多くの神社で祭られているが、全国の八坂神社や祇園神社では、夫婦で祭られていることが多く、縁結びの神として崇められている。
仕事の悩みは、勝負に強い母子神を奉った八幡神社に
勝負運の神様といえば応神天皇が有名だが、その母である神功皇后も仕事のできる女性だ。
夫の仲哀天皇が亡くなった後、代わりに三韓(新羅・百済・高句麗)に出兵し、見事凱旋したとされる。『三国史記』など海外の史書とは食い違いも多く史実とはいえないが、日本神話きっての女傑であるのは間違いない。
また、大阪にある磯良神社の社伝によれば、境内に湧き出る水で神功皇后が顔を洗ったところ、いぼだらけになってしまったとされる。神功皇后は「これは男装をして戦に出ろということだ」と神意を解釈し、その通りにしたという。日本書紀に「誰もが驚くほど美しかった」と評されるほどの美女がいぼだらけの顔になってしまったというのに、「男装しろということか」とあっさり納得するとは、メンタルの強さに驚くばかりだ。
神功皇后は応神天皇とともに八幡神社に祭られていることが多く、この母子に祈れば、仕事運もアップしそうだ。八幡神社は全国に4万社あるといわれているから、皆さんの地域にもあるかもしれない。
延命長寿を願うなら、長寿の人、武内宿禰を奉った高良神社
日本神話とは『日本書紀』や『古事記』をはじめ、『風土記』『古語拾遺』『先代旧事本紀』などの古文書に記された太古の物語のことで、実にさまざまな神が登場する。
高天原に坐す天神や、古くから日本各地にいた地祇だけでなく、過去に生きたとされる人物もすべて神だ。先祖を供養するのは仏教の教えだと思われがちだが、日本古来、先祖の霊への信仰、いわゆる祖霊信仰があった。皇室の祖であるアマテラスや、藤原氏の祖であり春日大社に祭られるアメノコヤネなども祖霊神といえるだろう。
武内宿禰は5代もの天皇に仕え、300年以上生きたとされる長寿の人物だ。
神功皇后の三韓遠征にも同行し、帰途で応神天皇が生まれると、身を挺して守り従った。武内宿禰は全国の高良神社で祭られている。
家内安全を願うなら、鎮守の神である地域の氏神へ
「家内安全」は多くの人の願いだが、家を守護するのは、地域を守る鎮守の神社だろう。
現在では「氏神」と呼ばれることもある。氏神は本来祖霊神を意味したが、昔は氏族が近くに固まって住んでいたので、氏神=鎮守の神となることが多く、混同されたようだ。家内安全を祈るなら、住んでいる地域で「氏神」と呼ばれる神社にお参りすると良いだろう。
自分の氏神神社を調べるには、全国の神社をまとめる神社本庁(東京・代々木)や各都道府県の神社庁に聞いてみるのがよいだろう。
コロナで密集を避けるため、初詣はお正月三が日を避けることが推奨されている。お参りしたい神様の神社が近所にないなら、1月中に旅行を兼ねてお参りしてはいかがだろう。
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