故郷に活気を取り戻すため、古民家ゲストハウス「山県古民家ちごのもり」を開業

岐阜県山県市の北西部に位置する美山地域葛原地区。この葛原にある「乳児の森(ちごのもり)公園」の近くに立つのが、築100年を超える古民家を再生させたゲストハウス「山県古民家ちごのもり」だ。オーナーは、同市美山地域出身の田中ちづ子さん。地元の人や学生などの有志を募り、自身の生家をリノベーション。2021年4月4日にオープンした。

「かつてこの地域は林業が盛んで活気がありました」と話す田中さん。第二十六代継体天皇ゆかりの地で、お手植えされたと伝わる「おなみ桜」は、岐阜県本巣市にある国の天然記念物「淡墨桜」の姉妹桜として知られている。江戸時代には幕府の直轄領だった地域で、田中さんの祖父は山師(林業)や養蚕、美濃和紙漉き、曽祖父は炭焼き職人として生計を立てていた。

田中さんの実家の周辺には、40年ほど前まで椎茸ハウスや川魚の養殖場があり、町全体がにぎわっていた。しかし現在は、経営者の高齢化や後継者不足によってさまざまな施設が閉鎖されている。また、海外からの輸入材に押され、地域の主要産業だった林業も急激に衰退。近隣の都市部へ通勤したり、転出したりする人が増加し、ひっそりとした里山へと姿を変えた。

「転出した人たちがお盆やお正月に帰省する時代もありましたが、近年はそれも減ってきています。商店街がなくなるなど、徐々に活気が消えていく様子を見ながら、寂しい思いを抱いていました」。田中さんが実家を改築して「ちごのもり」をオープンしたのは、地域に少しでも活気を取り戻し、この地に移住したいと考える人を増やせないかと考えたからだ。

自然豊かな山間に佇むゲストハウス「山県古民家ちごのもり」自然豊かな山間に佇むゲストハウス「山県古民家ちごのもり」

地域の活性化に取組む、後輩との再会が転機に

地場産業の林業などが衰退し、過疎化が進む山県市美山地区地場産業の林業などが衰退し、過疎化が進む山県市美山地区

実は、オーナーの田中さん自身、実家のある美山地域としばらく疎遠になっていた一人だ。自然豊かなこの地を離れ、名古屋などにもアクセスしやすい岐阜市内に移ったのは20年ほど前だ。

旧美山町の公立保育所で保育士として活躍した田中さんは、父親の介護をきっかけに福祉関連の勉強を始めた。介護福祉士、介護保険実務士の資格を取得し、介護施設で勤務しながら、岐阜大学地域科学部で医療政策や福祉を学んだ。

その後、とある経営者からの紹介を受け、岐阜市柳ケ瀬で40年続くラウンジのママと知り合う。ここで3年半にわたりスタッフとして勤務し、そのうち後継者に指名されるようになった。「当初はまったく働く気はなかったんですけどね」と話す田中さんだが、お世話になったママの想いを受け継いだ「lounge輝夜」を自身でオープンした。

大きな転機が訪れたのは、店をオープンしてから1年後のこと。バス会社の人が連れてきた客の中に、山県市の活性化に取組む地元の後輩を見つけたのだ。話を聞いてみると、休日を利用して山里生活体験を推進する活動をサポートしているという。田中さんの同級生が、地元の民話の語り部を務め、観光地への案内をしていることも知った。

そして後日、田中さんはその後輩から、廃校になった山県市内の小学校を利用した、山菜摘み体験のイベントに参加してみないかという誘いを受けることになる。

「お店を作ってほしい」という声を受け、改築を決意

昔ながらの里山の暮らしを感じられる土間部分昔ながらの里山の暮らしを感じられる土間部分

「岐阜市に移り住んで20年あまりが経過し、離れたからこそ地元の良さに気づいた面もたくさんありました。祖先や地元の人々、自然に対する感謝の念を改めて感じるようになっていたんです」。後輩からの誘いに二つ返事で応じた田中さんは、田舎に活気を取り戻そうと頑張る先輩や後輩の姿に感動し、「私も一緒に地元を盛り上げたい」という思いを強く抱くようになった。

その後、地元の先輩が発起人を務める地域の祭りにボランティアとして参加。山県市内で行われる祭りやイベントに積極的に関わるようになり、地域おこし協力隊や移住民、学生たちが熱心に活動する様子に感銘を受けた。こうして地域の活性化に取組む人たちとのつながりができていった田中さんのもとには、「カフェをやってくれたらいいのに」「お店ができたら絶対みんな行くよ」といった声が寄せられるようになった。

周囲の声に背中を押され、「実家を再生してみたい」と思うようになった田中さん。建物の老朽化が進み、雪害や台風などの被害にも遭った実家は、浴室やトイレの傷みが激しく、最近では親族も集まらなくなっていた。「いつか大好きな親戚たちが集えるような場所にしたい」。そんな思いを抱いている最中、猛威を振るい始めたのが新型コロナウイルスだ。ラウンジを休業せざるをえなくなったが、これを機に実家のリノベーションに本腰を入れ、地元住民や学生ボランティアの協力を仰ぎながら、2021年4月、オープンの日を迎えたのである。

築100年の古民家の趣を色濃く残した心安らぐ空間

地元のブランド杉「美山杉」がふんだんに使われた室内地元のブランド杉「美山杉」がふんだんに使われた室内

ちごのもりは、母屋と離れの2棟で構成されている。母屋の1階は、ゲストハウスやコミュニティサロン、コワーキングスペースとして利用し、2階はシェアハウスとなっている。一方の離れは、1・2階ともにシェアオフィスとして活用されている。

母屋の玄関を入ると広々とした土間があり、左側には畳の部屋、右側にはそば打ち体験などができる部屋「ちごのアトリエ」がある。洗面所には、田中さんが自作した美濃焼の洗面ボウルを配置。それぞれの部屋には、地元のブランド杉「美山杉」がふんだんに使われ、心地よい木の香りが漂う。浴室の湯船は、岐阜県白川町の川舟大工が手掛けた「東濃檜」のヒノキ風呂。昔懐かしい昭和風キッチンは、岐阜市内の親戚の金物卸商から譲り受けたものだ。

母屋の隣には、「ちごや」と名付けた小屋があり、おくどさん(かまど)、ピザやパンを焼く窯、ミニキッチンなどが備わる。テラス席となっており、密を避けながらカフェ気分を満喫したり、バーベキューを楽しんだりできる。築100年以上が経過した古民家の趣がそこかしこに残り、素朴で温かみのある雰囲気に包まれながらリラックスした時間を過ごせるのが魅力だ。

まちづくりや地方創生に関する「学びの拠点」にも

宿泊者に農業を体験してもらうなど、さまざまな学びの機会を提供する宿泊者に農業を体験してもらうなど、さまざまな学びの機会を提供する

ちごのもりの特徴の一つが、まちづくりや地方創生について学びたい学生の「learcation(ラーケーション:learning+vacation)」の拠点となっている点だ。

ちごのもりでは、2021年4月のオープン以前から、多くの大学生がボランティアとして活動に参加している。古民家のリノベーションを通じて、壁の漆喰塗りなどを体験する場を提供するだけでなく、毎月のように勉強会を開催し、さまざまな分野の専門家による講演を行ってきた。「学生さんたちは、勉強やアルバイトに使える貴重な時間を割いて活動に参加してくれている。だからこそ、ただ手伝うだけでなく、何かを学んでもらいたいと思っています」。田中さんの母校である岐阜大学の学生だけでなく、名古屋から足を運んでいる人もいる。まちづくりに関心のある人や医学生などが多いという。

4月のオープン以降は、新型コロナの感染拡大の影響もあり、「ワーケーションで利用される方が多い」と田中さん。10名以上の団体で訪れ、仕事をしながら2週間ほど滞在するケースや、休みを兼ねて家族で訪れ、夜にはリモート会議を行うといった利用者もいる。遠方への旅行が難しいなか、近場で旅気分を満喫したいという地元住民の利用もあるという。「今は廃校になった学校へ通っていた方や、かつて私の家の付近にあった保育所に勤務していた方が、同窓会を兼ねてこの古民家で集まったりしています」

また、現在は、岐阜県の農林漁業体験施設となり、農泊イベントなども開催。無農薬野菜を栽培し、収穫体験をしたり、無農薬野菜を使用したピザ作りやBBQを行ったりしている。

今後は、地域で栽培されているお茶にスポットを当て、ブランド化を進めていく計画だという。かつて林業の副業として生産され、農協に出荷されていたが、今では自家用として栽培されるケースがほとんどで、市場にほぼ出回ることがない幻のお茶だ。無農薬で手間暇かけて作られたこだわりの逸品を、茶摘み体験などのイベントも絡めながら広めていきたいという。

「この施設を拠点にして、地元の魅力をどんどん発信していきたい」と田中さん。「地元出身で幼い頃はこの周辺の住民だった方や、もう地域には家がない方に、この場所を自分の実家のように思っていただけたらうれしいですね」

ちごのもりの利用をきっかけに、自然豊かな美山地域に惹かれる人たちは徐々に増えてきている。この地域に活気を取り戻し、移住を希望する人を増やしていきたいという田中さんの想いは、着実に身を結びつつある。

山県古民家ちごのもり
https://chigonomori.com/

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