世界でも珍しい、テレビ塔の中にホテルが誕生
大規模工事を経て2020年9月18日にリニューアルオープンした名古屋テレビ塔(2020年10月撮影)。2021年5月から3年間、ネーミングライツにより「中部電力MIRAI TOWER」という新名称になる1954(昭和29)年に、日本初の集約電波鉄塔として完成した名古屋テレビ塔。2011年にアナログ放送の終了に伴い集約電波鉄塔としての役割は終えたが、今も変わらず名古屋のシンボルとして親しまれている。
その名古屋テレビ塔が2019年1月より開業以来初となる全体改修工事を行い、約1年半という期間をかけて生まれ変わった。外観は様相を保ちつつ、世界初の工法による免震装置を設置して強度を高めたほか、塔内を一新した。
新しくなった塔内で大きな話題を呼んでいるのが、「THE TOWER HOTEL NAGOYA」(ザ タワーホテル ナゴヤ)だ。運営するのは、名古屋市でレストラン、ウエディングバンケットを手がける株式会社アメーバホールディングス。
ホテルは4階と5階に位置。タワーの横に新設されたエレベーターからアクセスする。1階のカジュアルダイニング「Farm&」、2階のバンケット「lily」と挙式ができるミュージックホール「Sign」も運営する世界でも珍しいテレビ塔内のホテル。誕生のきっかけを女将(おかみ)の豊田涼子さんに聞いた。「名古屋テレビ塔が耐震工事にかかる費用面などから存続の危機にあったとき、弊社社長の藤巻が何かできることはないかと考えていました。そんなとき、テレビで旅行会社が主催した『フランスのエッフェル塔に泊まるなら?』という企画で世界的に発信された番組を見ていると、そのうちの1組に選ばれた日本人の三姉妹が合同結婚式と宿泊を希望されていました。弊社は結婚式事業を長くやってきているものですから特に目に留まり、素敵な話だなと。そこから名古屋テレビ塔でのホテル計画を思い付きました」
同社がホテル事業に参画するのは初。企画が採用されてから2020年10月1日の開業までには準備期間として約3年あったが、その間、藤巻社長は世界中のホテルを泊まり歩いて、名古屋テレビ塔を活かしながらどう客室をつくっていくか、構想を練ったそうだ。
ART×CRAFT×LOCAL
コンセプトとしたのは、ローカライジング。60年以上、地域に愛されてきた名古屋テレビ塔の中にオープンしたホテルとして、地域で育まれてきたものを世界に発信していくことを目指す。
「産業は文化などと比べて光があたりにくいイメージもありますが、東海三県(愛知・岐阜・三重)はその産業にすごく支えられているところです。それに比べて観光業が後回しになっているところがあるかもしれませんが、これからは名古屋市も観光に力を入れていこうという動きもはじまっているようなので、東海三県の産業を観光がてら楽しんでもらえる、知ってもらえるようにとのコンセプトで造られたホテルなんです」と豊田さん。
客室や館内を彩るのは、愛知県瀬戸市の瀬戸焼、岐阜県多治見市笠原町のモザイクタイルなど、この地で受け継がれてきた技術が生み出すクラフト。そして東海地区にゆかりのあるアーティストによる作品。その作品のなかには伝統産業とコラボしたものもある。また、4階にあるイノベーティブ・フュージョンレストラン「glycine(グリシーヌ)」では地産地消のメニューが中心で、食を通して地域の魅力に触れ合うことができる。
テレビ塔を支える鉄骨がむき出しの客室
名古屋のシンボルとしての存在、そして2005年に全国のタワーで初となる国の有形文化財に登録されたところでの開業。名古屋テレビ塔の中であることを活かし、客室をはじめとする館内は構造体である鉄骨や柱をあえて見せる空間となったが、施工にはかなり苦心したそうだ。名古屋テレビ塔の全体改修の施工は株式会社竹中工務店が担当した。
「ホテルができる前にレストランがあったので、多少は柱の位置が分かってはいたのですが、壁の中に隠されているものばかりでした。なので、実際には壁を壊してみないとどんなふうになっているか分からなかったんです。そこで竹中工務店さんが最新のスキャナーを使って、鉄骨や柱の位置を測定して図面に起こしていきました。それを基に、こういうふうに部屋が配置できるのではないか、部屋ごとにこういう鉄骨の突き抜け方ができるのではないかと考えていきました」(豊田さん)。
しかし、そこからがさらに大変な作業だった。
「新築であればそもそも柱や鉄骨が客室の中にありませんから。この柱や鉄骨をどう面白く見せるのか、親和性をどうもたせるのか。そこに難問がまた出てきたのです。最新のスキャナーといってもやはり位置がずれていたりすることもあり、図面を何回もひきなおしました」と語る。
天井の端に少しだけ柱が見えてしまうというときは、あえて目立つように色を塗ってデザイン性を持たせたり、入口の扉を開けたらすぐに柱というときは邪魔に感じずに部屋の奥に進める方法を考えたりと、一つ一つを解決していった。
鉄骨をむき出しにするにあたり、工夫も施した。実際の鉄骨の色はシルバーだが、「名古屋テレビ塔の中にいるということを一番表現したかったので、客室や館内を演出するアートに“食べられてしまう”ことを避けるために黒く塗って分かりやすいように目立たせました」(豊田さん)。
また、ゲストに万が一のことがないように、クッション性のある素材を巻き付けて柔らかい感触にもしている。
建築面では、もう一つ、壁にも特徴がある。「有形文化財であるというところにクロスを貼るのは…と思い、モルタルやカチオンで、できるだけ素材を大事にしました。名古屋テレビ塔を残すために、お金はかかるけれど、それはしなければいけないと思いました。また、最新の免震工事により、もし大きな地震が発生した場合は50cmほど揺れるようになっており、どうしても壁にクラックが入ってしまう可能性がありますが、それも逆にここならではの価値になるのではと思っています」(豊田さん)。
なお、今回の名古屋テレビ塔の改修で設置された免震装置は、水平方向に最大50cm動く設計で、東海地区で想定されている南海トラフ地震の震度6強の揺れにも耐える機能があるとされる。
地元アーティストたちの作品が共存
ホテルへと上がるエレベーターホールがある1階入口のモノクロの絵に始まり、レセプションに飾られた名古屋テレビ塔から見えるまち並みを描いたモザイクタイル、シグネチャールーム(ロビー)に飾られた「THE TOWER」と名付けられた木製の彫刻…と、至るところに飾られたアート作品たち。
杉戸洋さん、森北伸さん、鷲尾友公さん、さわひらきさん、白澤真生さん、宮田明日鹿さん、今村文さん、渡部裕子さん、瀧本幹也さんという東海地区にゆかりのあるアーティストと、家具製作所やテキスタイル、陶芸などクラフトデザイナーが手がけたものだ。
4階の13室、5階のスイートルーム2室と計15室の客室も、1部屋ごとに異なるアーティストの作品が飾られている。
「アーティストの皆さん、すごく苦労なさっていました」と豊田さん。たいていの場合、ギャラリーや美術館などは、“ホワイトキューブ”とも称されるような、ほかに作品を干渉するものがない空間になっているが、ここはホテル。しかも工事の最中に考えなければならなかった。
「この部屋にどういうふうに映り込んでいくのだろう、どういうふうに人が楽しむだろうと、工事中の埃まみれで、床にも工事関係のものがたくさんあるなかで、ここのために作る作品を考えなければなりませんでした。図面上の空間を想像しながら制作していくのは大変だったみたいです」
そんななかで、誤解を恐れずに言えば、感性豊かなアーティストたちの作品ゆえ、どこかで多少なりともぶつかってしまうことがあるのではないかと思っていた。筆者が館内を案内していただいて感じたのは、一つ一つは個性的なのに全体としてまとまりがあること。
実はそれがこのホテルがアート好きの間で評価が高まっている理由の一つになっている。その評価の声について豊田さんに聞いた。「アーティスト同士が上手に力を出し合っているというんです。共有スペースに関しても競い合っていない」
アートコレクターでもある藤巻社長の考えで、あえてアーティストをまとめる役割のキュレーターを置いていないのにもかかわらず、なぜそうなったのか。
「きっと名古屋テレビ塔だからだと思います。みなさん、終着点が分かっていて、そこに目がけていくことができたのでは。私たちがソフト面をつくりあげていく思いと一緒で、アーティストの方たちも同じ思いを背負って考えてくれたのではないでしょうか」と豊田さんは語る。
名古屋テレビ塔という存在は、東海地区出身者が多いアーティストにも親しみがあるもの。そのなかに誕生するホテルに置かれるものとして考えられた作品ということで、うまく“共存”するものとなったのだろう。
客室にゲストを通した際には、そこを担当したアーティストについてスタッフが案内する時間を設けているそうだ。また、各客室にはそのアーティストを紹介するカードも備えられており、一部屋ずつ泊まっては集めていく楽しみも。好きなアーティストの部屋を指名して予約する人もいるという。
コロナ禍のオープンがもたらしたもの
建築とアートが見事に溶けあったTHE TOWER HOTEL NAGOYA。世界的なホテルブランド「SMALL LUXURY HOTELS OF THE WORLD」にも加盟し、当初は5対5の割合でインバウンドと日本のゲストを想定していた。しかもアートホテルということで、ライフスタイル感度が高い人々がターゲット層だった。
しかしオープンしたのは、新型コロナウイルスの影響でインバウンドが見込めないとき。そんななかで政府が打ち出したGo Toトラベル事業もあって、思いがけず地元の愛知県民が多く宿泊利用したという。
「それもご年配の方が多かったんです」と豊田さん。第二次世界大戦の空襲により焦土となってしまった名古屋において、戦後復興の都市計画のなかで建設が進められた名古屋テレビ塔は、復興の象徴でもある。その建設当時を知る人々が「本当に勇気と希望を与えた」と時に涙を見せながらスタッフに懐かしんで話すことも少なくなかったそうだ。
ここが有形文化財となったのも「国土の歴史的景観に寄与しているもの」という理由から。建設には県や市よりも名古屋の財界の力が大きく働いた歴史があり、存続の危機のときも民間の力が支えた。
そういった名古屋テレビ塔を後世につないでいくという“使命”をあらためて感じ、企業としてコロナ禍の影響を受けるなかでも「私たちが希望となり勇気とならなければと使命感をもらえたりもしました」と豊田さんは振り返る。
最後になってしまったが、豊田さんの肩書は“女将”だ。「ホテルだけれど、日本の旅館のようなおもてなし」をするという思いが込められている。
ホテルの今後について「1954年からの歴史を受け継ぎ、時代は変わっても日本ならではのおもてなしがしっくりくるような、気の利いたホテルであり続けたいです」と結んだ。
取材協力:THE TOWER HOTEL NAGOYA https://thetowerhotel.jp/

















