熊本地震の惨禍に見舞われ町屋が減少

熊本市街から熊本城を望む。熊本を象徴する風景として、市民や観光客に親しまれてきた熊本市街から熊本城を望む。熊本を象徴する風景として、市民や観光客に親しまれてきた

加藤清正が1607年に熊本城を築城して約400年。築城とともに整備されたその城下町である熊本市には、今なお歴史的な建造物が多く残っている。城下町の中心に位置する熊本城は、1933年には国宝(現在の重要文化財に相当)、1955年には特別史跡に指定され、長年熊本の顔として市民や観光客に親しまれてきた。

しかし2016年4月、2度にわたって最大震度7を記録した熊本地震によって熊本城は甚大な被害を受ける。屋根瓦が散乱し、石垣が崩壊した城の姿は記憶に新しい。地震ですべての重要文化財建造物と再建・復元建造物が被災した熊本城は、20年間の予定で復旧工事が行われており、このほど天守閣の復旧が完了。2021年4月26日より天守閣内部の一般公開が始まる。

城の復旧をもって熊本のまちは晴れて元通りかというと、そうではない。地震で失われて戻らないもののひとつが、熊本城下の歴史的な町並みである。熊本駅と熊本城の間に位置する新町・古町地区は、城下町としての往時の面影を色濃く残す地区だ。新町地区は間口が極端に狭い短冊形の町割り、古町地区は正方形の町割りの中心にそれぞれ寺を配する“一町一寺”という全国でも稀な形態で、どちらも通り沿いには職住一体型の町屋が立ち並んでいた。築城以降、両町の間に流れる坪井川の舟運が物流の動脈的存在だったこと、大正時代には付近に市電が開通したことで物流拠点として地位を高めたが、近年は郊外化に伴って企業が移転。跡地にはマンション建設が進み、町屋が連なった町並みは徐々に失われていった。それでも両地区には約360棟の町屋が残っていた。しかし熊本地震を経て町屋は約180棟にまで半減。地震による倒壊が主な要因ではあるが、実は失われなくてもいい町屋も失われた。被害を受けた町屋の復旧には多額の費用負担が生じる。市は町屋の復旧を助成する制度を創設したものの、一方で、半壊以上と判定された建物の公費解体を受け付けたこともあって、結果的に解体へと踏み切る所有者が多かったのだ。

熊本城下で始まった歴史的風致の維持・向上の取組み

唐人町通りには、歴史的建造物が多数ある。近年は、町屋をリノベーションした店舗も増えてきた唐人町通りには、歴史的建造物が多数ある。近年は、町屋をリノベーションした店舗も増えてきた

日本では、文化財保護法や、それに基づく伝統的建造物群保存地区制度(以下、伝建地区)、京都・奈良・鎌倉を対象とした古都保存法、都市計画法に基づく地区計画制度、景観法などの各法制度によって歴史的町並みの維持管理を図ってきた。しかし、これらは文化財の保護や土地利用規制などに主眼が置かれており、文化財の周辺に広がる歴史的な町並みの整備には十分対応できていなかった。熊本城周辺の城下町を構成する新町・古町地区においても例外ではなく、市と市民が協働で歴史まちづくりに関する取組みを行ってきたものの、町屋が連続する町並みの崩壊を食い止めるのに十分な制度はなく、町並みは失われる一方であった。

2009年に施行された「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律(以下、歴史まちづくり法)」は、このような文化財の周辺区域も対象とすることを念頭に置いた法律である。
2020年6月に熊本市は歴史まちづくり法に基づく「熊本市歴史的風致維持向上計画(以下、くまもと歴史まちづくり計画)」を策定し、国から認定を受けた。ここでいう歴史的風致とは、歴史上価値の高い建造物とその周辺の市街地や、その地域における歴史や伝統を反映した祭礼や伝統行事などの活動を指す。熊本市では、歴史的価値の高い建造物として熊本城があり、その周辺区域である新町・古町地区を「維持向上すべき歴史的風致(※)」として指定したのだ。

※くまもと歴史まちづくり計画では、広く市民に知られている祭事や祭礼といった活動と、指定文化財などの歴史的価値の高い建造物等とが一体になって形成された8つの良好な市街地を、維持向上すべき「8つの歴史的風致」とした。特に、新町・古町地区の「城下町の祭礼等にみる歴史的風致」と「『一町一寺』の町の営みにみる歴史的風致」、川尻地区の「港町の祭礼等にみる歴史的風致」は重点区域に指定される。

ウィズコロナを見据えた「マドカイ」

2021年3月21日~4月11日の約3週間、新町・古町地区で、ある実証実験が行われた。「五感散歩」と名付けられたこの実験は、町屋などの地区内の資産を利活用し、これからのまちづくりを提案するとともに、市民に歴史的な町並みの魅力を感じてもらおうという試みだ。エリア内で5つの実証実験を行う予定で、熊本市都市建設局都市政策部都市デザイン課の石川琢也さんと、この実証実験を実施する4団体のうちの1つである一般社団法人KIMOIRIDONの河野修治さんに案内いただいた。

待ち合わせ場所は、新町・古町地区を舟運で支えた坪井川に架かる明八橋。1875(明治8)年に架けられたこの重厚な石造の橋では、1つめの実証実験として橋と周辺の桜の木のライトアップを実施し、歴史的町並みでの夜間景観創出を実験中だ。歩行者のみが通行できる橋ということもあってか、昼間は近隣住民が散歩の途中で佇む場所となっているようで、橋のたもとに咲く満開の桜に向けカメラを構える人を多く見た。

坪井川に1875(明治8)年に架橋された明八橋は、新町・古町地区を象徴する歴史的景観のひとつ坪井川に1875(明治8)年に架橋された明八橋は、新町・古町地区を象徴する歴史的景観のひとつ
坪井川に1875(明治8)年に架橋された明八橋は、新町・古町地区を象徴する歴史的景観のひとつ歴史的な地区での夜間景観の創出のため、明八橋と坪井川沿いの樹木をライトアップ。これも実証実験としての取組みだ

橋からほどなく、唐人町通りという、町屋が点在する通りに出る。この一角に2つめの実証実験となる「マドカイ」がある。
「マドカイ」とは、店舗としては使われずシャッターが閉まった町屋を、無人店舗として活用する取組みで、今回2店舗を用意。1軒目は、元々電器店だったという町屋のファサードを改装してショーウインドウを設けた。ショーウインドウの中には、熊本県山鹿市で山鹿灯篭を制作販売する「ヤマノテ」協力の下、国の伝統的工芸品にも指定される山鹿灯篭の作品を展示。色彩豊かな作品が町の一角を彩る。しかし、気に入った作品があっても、この場では買えないのが「マドカイ」だ。作品の脇に用意された二次元コードから特設サイトにアクセスし、オンラインで購入する仕組みとなっており、購入した作品は後日配送される。

実はこの「マドカイ」、KIMOIRIDONだからこそ考えられた仕組みでもある。河野さんらKIMOIRIDONのメンバーは、同法人設立前から10年以上にわたって「新町・古町 町屋研究会」としてこの地で町屋所有者と出店希望者のマッチングに携わってきた。そこで聞いた双方の声が生かされている。
町屋の所有者は、既に商売を畳んでいるため、新たに自身で商売を始めることは現実的ではない。町屋の店舗以外の部分を生活の場や物置きとして使っていることもあり、大々的に店子に貸し出すことも非現実的だ。しかし「マドカイ」の仕組みであれば、所有者にとっては使用していない部分だけ改築し貸し出すため、生活スタイルを変えることなく、また改装面積も小さいため、多額の改装費用も必要としない。さらに出店者にとっては、比較的安価な賃料で店舗を出すことができるし、無人で店舗を運営できるため人的コストも必要としない。コロナ禍で販路が縮退した商品の新たな販路開拓という側面もある。ほかに、町ゆく人たちにとってもメリットがある。コロナ禍で非接触が推奨される中、本来まちなかでの買い物は接触を伴うが、「マドカイ」方式であれば、接触なくまちなかでの買い物を楽しむことができる。これまでのシャッター通りとは異なり、商品が飾られ、明かりが灯ることで歩いて楽しい雰囲気も味わえる。「マドカイ」は、いわば所有者、出展者、利用者、三方良しの仕組みなのだ。

2軒目のマドカイは、新町の老舗であり、大正期の建築がランドマークともなっている「長崎次郎書店」協力のもと実現した、「書評で本を買う」という企画型書店だ。こちらは元理髪店のファサードに設けたショーウインドウに、書評を展示。脇にある二次元コードから購入する。実はここで見ることはできるのは書評のみで、手元に届くまでどんな本なのかはわからない。単に買い物を二次元コード経由とするだけでなく、購入までのワンクッションを有効活用した面白い仕組みだ。

坪井川に1875(明治8)年に架橋された明八橋は、新町・古町地区を象徴する歴史的景観のひとつシャッターが閉まっていた元電器店のファサードをリノベーション。道行く人々も興味深そうに中を覗き込んでいた
坪井川に1875(明治8)年に架橋された明八橋は、新町・古町地区を象徴する歴史的景観のひとつショーウインドウに並ぶ山鹿灯篭の作品。新たな販路としても期待される無人店舗の「マドカイ」では、二次元コードを経由して購入することができる

一過性のイベントではない、これからのまちづくりの提案

今回の取組みは、熊本市がプロポーザル形式で企画を募集した実証実験だ。しかし河野さんはこの取組みを「一過性のイベントではない、これからの新町・古町地区のまちづくりの提案」と位置付ける。そのため、限られた資金で実現できるような仕組みづくりはもちろん、長期的な視点で計画している。

3つめの実証実験は、無人百貨店の「ハイカラ百貨店」を用意した。ハイカラ百貨店の舞台となる建物は、1919(大正8)年に建てられた旧第一銀行熊本支店(現PSオランジュリ)で、レンガ造りの重厚な建物だ。1996年には老朽化のため取壊しの危機に直面したものの、市民団体の呼びかけなどもあり保存されることとなった、いわばこのエリアの町並み保存活動の象徴のような建物だ。マドカイ同様の無人店舗だが、ここでは美術館のような空間で作品を手に取りながら買い物を楽しむことができる、マドカイの発展型だ。「これらの店舗で実績を積んで、実際に町屋での出店につながれば」と河野さん。今後、町屋とテナントのマッチングに生かすための、ネットワーク形成の試みと位置付けている。

今回の実証実験では、「マドカイ」「ハイカラ百貨店」のほかに、第4、第5の実証実験として、解体となった町屋から出た家具や建具を販売する「町屋蚤の市」と、まちを案内し、エリアのことを知ってもらう「まちあるき」もあわせて実施した。
「町屋蚤の市」は、これまでも新町・古町 町屋研究会が町屋の改修や解体で出る家財を引き受けた際に、不定期で開催していたイベントだ。毎回のように驚くような逸品が出品されるというが、実は家財の処分も、町屋利活用のネックのひとつとなっており、この蚤の市の開催も、課題解決手法の提案の一環なのだ。収益の一部は、文化財の保存や復原のために寄付される。
今回の蚤の市は、休日に空いている駐車場が会場となった。この駐車場を借り上げる仕組みづくりも、KIMOIRIDONが市の協力を得ながら行ったものであり、遊休スペースの有効活用も同時に実現する。

「ハイカラ百貨店」として実証実験の舞台となる、国登録有形文化財でもある旧第一銀行熊本支店(現PSオランジュリ)の建物。取り壊しの危機もあったが、現在は空調機器メーカーのショールームとして使用されている「ハイカラ百貨店」として実証実験の舞台となる、国登録有形文化財でもある旧第一銀行熊本支店(現PSオランジュリ)の建物。取り壊しの危機もあったが、現在は空調機器メーカーのショールームとして使用されている
「ハイカラ百貨店」として実証実験の舞台となる、国登録有形文化財でもある旧第一銀行熊本支店(現PSオランジュリ)の建物。取り壊しの危機もあったが、現在は空調機器メーカーのショールームとして使用されている「マドカイ」のショーウィンドウは、歩道を照らすことで夜間景観を創出する役割も果たす

持続可能なまちづくりを目指して

2020年6月に策定された、熊本市の「歴史的風致維持向上計画」の計画期間は10年間だ。熊本市の石川さん、KIMOIRIDONの河野さんにそれぞれ10年後の展望を聞いた。

「まずこの10年で、〇〇通りにはこれがある。〇〇通りにはこれがある。というように、それぞれの通りの個性が引き立つ拠点施設ができればいいと思います。さらに次の10年で、それが周辺にも波及していけば」(石川さん)

「次にこの活動を担う若い人材が出てきてほしいです。400年前からの先輩たちが積み重ねてきた取組みの上に僕らの活動があり、さらに若い人たちにも『この町が好きだなあ』と思ってもらえると嬉しいです。なのでこの先の10年は、次の世代の人たちが、町でやりたいことをできるような、土台作りをすることが大事だと思っています」(河野さん)

長年、新町・古町地区に携わってきた新町・古町 町屋研究会だが、昨年秋に一般社団法人KIMOIRIDONを設立。このことを「責任を明確にした」と河野さんは話すが、これは10年後、20年後に向けて継続的にまちづくりに取組む、決意の表れではないかと思う。

熊本市のほかにも、文化財周辺の価値ある町並みは全国各地にある。文化財に指定されていないから、伝建地区に指定されていないからといって、それらの町並みが失われていく一方で良いのだろうか。文化財指定されたその建物だけを継承するのではなく、文化財とともにその地域の歴史を紡いできた、周辺の町並みや伝統行事を一体的に継承することが、文化財そのものの魅力や価値を高めることにつながるのではないだろうか。
多くの自治体が積極的に歴史まちづくり法を活用することで、少しでも多くの歴史的風致が継承されるよう願う。

左から、KIMOIRIDON 河野修治さん、KIMOIRIDON代表理事 早川祐三さん、熊本市 石川琢也さん左から、KIMOIRIDON 河野修治さん、KIMOIRIDON代表理事 早川祐三さん、熊本市 石川琢也さん

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