社寺建築専門の宮大工が原点。なんでもやったからこそ

滋賀県の工務店に在籍していた当時、新築で手がけた寺の本堂滋賀県の工務店に在籍していた当時、新築で手がけた寺の本堂

わが家を、どうメンテナンスすればいいか分からない。仲間が集まる場をつくりたいけれど、大仰なのはちょっと…。そんなとき、かかりつけ医のようになんでも相談できる「かかりつけの大工」が身近にいたら、暮らしはもっと楽しくなるはず。北海道を拠点にする宮大工の村上智彦さんは「あるものを活かす」「ともにつくる」を看板に掲げ、時に大工の枠を超え、国内外で伴走する。

村上さんは札幌市と新千歳空港の真ん中の恵庭市の郊外で、築70年ほどの民家を自らリノベーションした住宅兼工房「とものいえ」に暮らしている。恵庭市は生まれ育った地元だが、1998年に高専を卒業してから2012年にUターンするまでには、国内外で一期一会の出会いを積み重ねてきた。

建築デザインを学んだ札幌市内の高専を卒業後、教員の紹介で京都府内の社寺建築専門の工務店に、現場監督の見習いとして入った。現場の片付けや掃除、弁当の手配、先輩の送り迎えなど、あらゆることをこなした4年間。「雑用もできない人に、誰も何も頼んでくれません。雑用の大切さを知りましたし、その後のどの工務店でも役に立ちました。住み込みの経験も、チームワークに効いてくる。なんでも、全部やったほうがいいですね」と話す。金工や左官職人など、多くの職人と仕事を一緒にしたことも糧になった。

大阪の店づくりをきっかけに、「みんなでつくる」に目覚めた

大阪時代に多彩な人が集まってリノベーションされた店舗大阪時代に多彩な人が集まってリノベーションされた店舗

やがて自分でつくることがしたくなり、滋賀県の社寺専門の工務店に移り、宮大工としてのキャリアをスタートさせた。伝統建築様式を重視する会社で、規律が厳しく、食事の作法や風呂の入り方など細かく指導され、半年で同期は他に一人だけになった。

初めての現場は、大阪府内の寺の新築工事。棟梁らと同じアパートの一室で共同生活し、マンツーマンで宮大工としての基礎を叩きこまれた。忘れられないのは、「人間と一緒で、生き物の塊である木は一期一会。いい加減な気持ちでは向き合えない」という教え。無駄を出さず、適材適所で木材を生かし切ること。チームワークで日本の美の要素を表現すること。そんな宮大工の世界に、村上さんは次第に引き込まれていった。

そしてこの大阪時代に、忘れられない原体験をすることになる。

知人が店をつくると聞き、工務店の仕事の終わった土曜の夜から日曜にかけ、大工として個人的に手伝いにいった。焼き肉店だった空き店舗を改修して和裁士の店に。村上さんの親方でもある棟梁を含め、庭師やデザイナーなどさまざまな職種の人たちが交じり合い、現場は盛り上がりを見せた。「みんなで作るのが好きなんですよね。ワクワクして、工作に没頭しているような感じでした。社寺建築の世界は奥が深いけれど、それだけにとどまらず、建築デザインで学んだことを生かして、自分で計画してつくりたかったんですね」

その後も移籍しながら、4つの社寺建築専門の工務店で働いた。

海外経験をへて、見えた強み。地元に戻り、集まったもので拠点づくり

3社目の社寺建築の工務店にいた2008年、大阪時代に店をつくった時の知人の誘いでオランダに行き、由緒ある日本庭園の東屋改修を手がけた。3年後には、高専の後輩のつてをたどり、オランダの手作り市に出展。そのままパリにも足を延ばし、かねてつくっていた、寺の端材を生かした生活道具をセレクトショップやギャラリーに持ち込んだ。これをきっかけに、現地の仲間が増え、新型コロナウイルス流行前の2019年までは毎年パリに出張。本格和食店のカウンター制作や店舗改修といった仕事に恵まれた。

それを通して、デザインを学び、日本らしい様式美を身に付けた宮大工出身の自分の持ち味に気づいた。「『桂離宮のようなテイストを』と言われても、デザインを勉強していたので建築家と一緒にアイデアが出せる。大工の観点から、無駄のない材料の発注や使い方の提案もできる。発想の瞬発力や、持ってきた道具だけでなんとかする力が海外で身に付きました」と振り返る。

やがて、これまでの経験をもとに、インテリアの設計、建築を絡めながら、土地にあるものを活かして自分の居場所をつくる生活がしたくなり、拠点探しを始めた。九州や四国など全国各地を見て回った結果、妻の出身地でもある北海道にたどりつき、作業しやすい環境に惹かれて、土地勘のある地元に狙いを定めた。気になる空き家を見つけては、近くの住人に聞いて回った。

2012年には現在の「とものいえ」がある600坪の土地をまるごと借りた。ボウリング場のレーンの木材をテーブルに、床材は古い郵便局のフローリングを流用。内壁には近くの鮮魚店に積まれていた鮭箱の一部を貼り、風呂、ボイラーやキッチン、窓のサッシなども譲り受け、2年かけて住まいとして整えた。自然と「手伝いたい」と申し出る人が続き、後にツリーハウスも登場。「ともにつくる」「あるものを活かす」への共感が広がっていった。

村上さんがフランスで内装工事を手がけた鉄板割烹店(左上)、「とものいえ」の敷地内に作ったツリーハウス(右上)、束石を据え直すなどした「とものいえ」の改修作業(左下)、2年かけて改修した「とものいえ」の内観(右下)村上さんがフランスで内装工事を手がけた鉄板割烹店(左上)、「とものいえ」の敷地内に作ったツリーハウス(右上)、束石を据え直すなどした「とものいえ」の改修作業(左下)、2年かけて改修した「とものいえ」の内観(右下)

鮭箱の活かし方から、人が集まる場づくりまで

「とものいえ」の改修に当たり譲り受けた鮭箱(上)、「とものいえ2」で開かれたイベント「シャケサミット」(下)「とものいえ」の改修に当たり譲り受けた鮭箱(上)、「とものいえ2」で開かれたイベント「シャケサミット」(下)

「とものいえ」から、次々と新しい活動が生まれた。

「とものいえ」改修中に譲り受けた鮭箱をきっかけに産声を上げたのが、「ARAMAKI(アラマキ)」だ。北海道のお歳暮としてポピュラーで、伝統的な保存食である新巻鮭を入れる木箱のデザインや存在感に惹かれ、2015年に同じく恵庭市にUターンしたギター職人の鹿川慎也さんが加わり、クラフトマンユニットとしてイスやテーブルといった家具、バッグなどの雑貨、ウクレレなどさまざまなものを制作している。

2014年には「とものいえ」からも近い農家の空き家を譲り受け、2016年から2年かけてカリキュラムをつくり、ワークショップを織り交ぜてリノベーションし、「とものいえ2」に。イベントや宿泊のスペースとして活用し、トークライブやコンサートなどさまざまな企画を打ち、コミュニティとして機能させている。

最近ではフィンランドサウナをつくる計画も進行中。「とものいえ2」のリノベーションワークショップに参加した建築家と共同で、2019年7月からサウナ小屋を着工。道内のフィンランドサウナアンバサダーから、サウナに適した玄武岩の採石場の紹介を受けたり、福岡県から助っ人が訪れたりと、人の輪を広げながら工事を進めている。

2019年12月からは活動の支援者向けの「ともの会」をスタート。「とものいえ」の敷地内の畑で自給している野菜の加工品などをつながりのある生産者の商品と一緒に送る。

多くのプロジェクトでたくさんの人を巻き込む村上さん。「まず、楽しいことを見つけてやってみる。難しいことを考えず、そこにあるもので、みんなで走りながらなんとかしていく工作です」と笑う。

「つくる」をみんなで分かち合う劇づくり

各地で人と人をつないできた村上さんのもとには最近、知人を介して「家を見てほしい」「どこに相談したらいいか分からない」という相談が増えてきた。2020年からは、「どこにでも大工」と名付け、「かかりつけ大工」の役割を担って赴き、困りごとを解決する活動を始めた。皮切りは大分県日田市のゲストハウス改修で、現場で状態をチェックし、リモートでもヒアリングを重ねた。数ヶ月後に現場に住み込み、依頼者とともにやり方を考え、ホームセンターで資材を買い、食事を囲む日々を過ごした。

大事にしているのは、村上さんがすべてをやってしまうのではなく、現場を離れた後もメンテナンスや関係が持続するように、仲間をつくること。「閉まりの悪い扉やちょっとした外壁の補修などをしてくれるような、地元の工務店がかつて多くありましたが、どんどん減っています。お客さんと職人とをつなげられるのが僕の価値です」と言う。

そのためには、依頼者も「仲間」として参加してもらう。「自分でできることは自分でやり、職人にうまく頼める『いいお客』をつくれたら」というのが狙いだ。設計図を描くときには依頼者が自分で直しやすい工夫をするなど、関われる要素を忍ばせる。「自分で自分の家に関われるのは、最高に贅沢ですし、家を大事にします。仲間になってもらえたら、関係もずっと続きます」

依頼者の話から問題点を見つけ、提案するのは設計的な仕事。各分野の職人を探してチームをつくり、依頼者を交えてコミュニケーションをとるのは、現場管理のような業務。そこに大工としても関わる。現場監督から設計、施工、物件探しからチームづくり、ワークショップ開催…。なんでも手がけた経験をフル動員している。

「設計どおりに計画が進むのが一般的ですが、誰かと誰かが出会って起こることは、すべてデザインと言っていいんじゃないかと思っています。『こうしたい』ではなく、あるもの、集まったものを見て『ここはこうじゃないか』と話し合い、工夫して気づけばなんとかなっている、というのが楽しい。何が起こるか分からないし、終わったら解散する。僕がやっているのは劇なんです」

出会いから「つくる」が生まれ、「つくる」が出会いにつながっていく。あるものでなんでも工作してしまう村上監督がデザインする劇は、依頼者もワクワクした演じ手になる。

「とものいえ」で「ARAMAKI」の家具や雑貨に囲まれる村上さん「とものいえ」で「ARAMAKI」の家具や雑貨に囲まれる村上さん

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