明治の「五高」創設時の姿を残す、国の重要文化財の赤レンガ建造物

熊本大学のキャンパスには、国の重要文化財に指定された赤レンガ建造物が4つある。明治時代に「第五高等中学校」として創設された当時の面影を残す赤門と本館、化学実験場と、工学部の前身「熊本高等工業学校」時代に建てられた機械実験工場だ。建設当初の役割を終えたあとも、本館は「五高記念館」、機械実験工場は「工学部研究資料館」として、大切に使い続けられてきた。

2016年の熊本地震で、4月14日にマグニチュード6.5の前震、16日にマグニチュード7.3の本震が起きたとき、熊本大学のある熊本市中央区では、それぞれ震度5強、震度6強を記録した。五高記念館館長の伊東龍一さんはそのとき「赤レンガの建物は崩れてしまったのではないか」と危惧したという。しかし、現地に駆けつけてみると、4つの建造物は、いずれもすっくと立っていた。「明治の人の気骨を見せつけられたように感じた」と振り返る。

とはいえ、被害は時が経つにつれて明らかになり、繰り返される余震によって広がっていった。熊本大学では、地震直後にすべての赤レンガ建物を立ち入り禁止とし、実態調査と応急対応工事に取り組んだ。

それから3年目を迎える2019年3月2日、五高記念館で「熊本地震による赤れんが建造物の被害と復旧」と題したシンポジウムが開催された。被害と補修の報告、今後の活用について考える企画だ。ここでは、このシンポジウムの内容に基づいて、日本におけるレンガ造建築の歴史と、地震による被害・復旧工事の概要についてレポートしたい。

左上/表門、通称「赤門」 右上/五高記念館(旧第五高等中学校本館) 左下/化学実験場。以上3つは1889(明治22)年竣工 右下/工学部研究資料館(旧熊本高等工業学校機械実験工場)は1908(明治41)年の竣工。</br>(画像提供:五高記念館)
左上/表門、通称「赤門」 右上/五高記念館(旧第五高等中学校本館) 左下/化学実験場。以上3つは1889(明治22)年竣工 右下/工学部研究資料館(旧熊本高等工業学校機械実験工場)は1908(明治41)年の竣工。
(画像提供:五高記念館)

コンドルが開発したレンガの耐震工法。五高はその教え子・久留正道が設計

基調講演に登壇した小山工業高等専門学校名誉教授・河東義之さんは、近代日本建築史・文化財保存の専門家で、特に“日本近代建築の父”と呼ばれるジョサイア・コンドルに詳しい。ロンドン出身のコンドルは、1877(明治10)年に設立された工部大学校(東京大学工学部の源流)の教師として来日、“東京駅の建築家”辰野金吾をはじめ日本で最初の建築家たちを育てた人物だ。日本における本格的なレンガ造建築の歴史も、このコンドルに始まる。

河東さんは言う。「地震のない国から導入したレンガ造をいかに耐震化するか。コンドルは来日以来、必死で考えたようです」。木造より重いレンガ造建築をつくるときは、地質を調査し、基礎に工夫する。レンガは吸水率を確認した上で用い、壁は鉄棒や帯鉄で補強する、などなど。コンドルは1883(明治16)年に鹿鳴館を設計したときも、この耐震工法を採り入れている。

「日本のレンガ造建築は、1891(明治24)年に起きた濃尾地震によって大きな転機を迎えます。推定マグニチュード8.0の地震で、レンガ造建築は大きな被害を受けました。このとき、コンドルも現地に赴き、調査報告を残しています」。(河東さん)

この結果を踏まえてコンドルが設計した東京・丸の内の三菱一号館(1894年、今ある「三菱一号館美術館」は2009年の復元)は、関東大震災でも大きな被害を受けなかった。

熊本大学五高記念館は濃尾地震より前の1889(明治22)年に竣工しているが「設計者のひとり、久留正道はコンドルの教え子。年代から見ても、コンドルからレンガ造の耐震化について学んでいたはずです」と河東さん。「文部省直轄で建てられた五高のレンガ建造物は、レンガの質が高い。熊本地震でもレンガそのものはあまり破壊されず、目地のところで亀裂が入っていました。その目地も、当時一般的だったはずの漆喰ではなく、セメントが加えられている。材料も工事もしっかりしたものでした」。

五高記念館北側。この建物は、当時の文部省技師だった山口半六と久留正道が設計した。山口はフランスのパリ中央工学校で学び、学校建築のほか兵庫県公館(旧兵庫県本庁舎、1899年、国登録有形文化財)などを残している。久留正道は工部大学校でコンドルに学んだ。シカゴ万国博覧会の日本館「鳳凰殿」(1893年、現存せず)を手掛けたことでも知られる(画像提供:五高記念館)
五高記念館北側。この建物は、当時の文部省技師だった山口半六と久留正道が設計した。山口はフランスのパリ中央工学校で学び、学校建築のほか兵庫県公館(旧兵庫県本庁舎、1899年、国登録有形文化財)などを残している。久留正道は工部大学校でコンドルに学んだ。シカゴ万国博覧会の日本館「鳳凰殿」(1893年、現存せず)を手掛けたことでも知られる(画像提供:五高記念館)

熊大赤レンガ建造物は公開を前提とした耐震性の確保を目指す

熊本大学施設部施設管理課副課長・本田護さんの報告によれば、熊本地震による五高記念館の被害は、8基ある煙突のうち4基の倒壊、外壁のひび割れのほか、内部では廊下のアーチ梁が割裂し、内壁にも亀裂が生じた。
五高記念館と同じ年の竣工で、構造もよく似た化学実験場も、煙突の倒壊や傾き、ずれ、外壁のひび割れなどが見られたが、平屋部分が多く、五高記念館より建物が低いぶん、被害が小さかったという。

同じく1889(明治22)年竣工の赤門の被害は比較的軽微で、2017年度中に補修・補強工事を完了し、すでに復旧している。

最も被害が大きかったのは、1908(明治41)年に建設された工学部研究資料館(旧機械実験工場)だ。一部を除いてほぼ平屋だが、もともと工場なので、内部は壁の少ない大空間になっている。外壁も内壁もいたるところでひび割れたり、ずれたりしていた。「余震を繰り返すに従って、ずれはどんどん広がっていきました」と本田さんは振り返る。

熊本大学では、地震前の2012年度に重要文化財の保存活用計画を策定。その後、耐震診断を行い、補強計画も立てたが、熊本地震による被害は、想定を超えるものだった。

「震災による被害に対応するため補強を追加し、文化庁が定める重要文化財建築物の耐震性能のうち“安全確保水準”を目指します」と本田さん。五高記念館と化学実験場については、原則として外見からは分からない補強、工学部研究資料館についてはやむをえず屋内に鉄骨のフレームを設置する方針とした。

左上/被災前の五高記念館の廊下。震災ではこのアーチ部分に損傷を受けた 右上/同じく被災前の復原教室。今回の調査によって、創建当時のものと思われる黒板が発見された 左下/被災前の化学実験場の階段教室。化学実験場はこの階段教室部分だけ高くなっているため、損傷もこの部分に顕著だったという(以上の画像提供:五高記念館) 右下/シンポジウムの資料より。震災前の補強計画は、震災被害を踏まえて変更された左上/被災前の五高記念館の廊下。震災ではこのアーチ部分に損傷を受けた 右上/同じく被災前の復原教室。今回の調査によって、創建当時のものと思われる黒板が発見された 左下/被災前の化学実験場の階段教室。化学実験場はこの階段教室部分だけ高くなっているため、損傷もこの部分に顕著だったという(以上の画像提供:五高記念館) 右下/シンポジウムの資料より。震災前の補強計画は、震災被害を踏まえて変更された

東日本大震災では震度5強でレンガ造建築に被害。重文建築の復旧実績も

前出の文化財保存の専門家・河東さんによれば、文化財建造物に手を加えるときの基本方針のひとつに、「可逆性」、すなわち、元に戻せる方法を選ぶことがある。
「現在の建築技術が最良とは限りません。特に、レンガ造の保存・修復方法については、まだまだ試行錯誤の段階といっていい。将来、もっといい技術が開発されたら変更することを前提に、今の最善を尽くさなければなりません」(河東さん)

1970年代に行われたレンガ造建築物の補強工事では、可逆性を念頭に置いていなかったため、内側から鉄筋コンクリートの壁を打って耐震改修してしまった例がある。
「これではもう、レンガ造建築とはいえません。重要文化財の指定も、外皮だけが対象になっている。しかも、鉄筋コンクリートは200年も持たないといわれます。1000年の実績を持つレンガ造より寿命が短いのです。遠くない将来に再度、補強し直す必要が生じるかもしれません」と河東さん。

河東さんは、東日本大震災の折にも、文化財ドクターとして被災地に派遣されている。

「東日本大震災では、震度6弱を超えた地域で文化財建造物の被害が急増しました。木造より地震に弱いとみなされているレンガ造建造物については、そもそも被災地に現存する件数が少ないため、被害例も限られますが、震度5強が境目のようでした。震度5弱だった足利のレンガ工場や雫石のレンガ造サイロもそれほど大きなダメージを受けなかった。レンガ造が木造などと比べてことさら被害が大きかったとはいえません」

東日本大震災の被災地では、震度5強に見舞われた茨城県牛久市で、やはり国の重要文化財に指定されている「シャトーカミヤ旧醸造場施設」(1903年)の3棟のレンガ造建築物が被害を受けた。文化庁の災害復旧事業として、前述の「安全確保水準」を目標とする修理・補強が行われ、2016年に工事を完了している。熊本大学のレンガ造建築物の復旧にあたっても、このシャトーカミヤでの知見が活用されることになった。

解体によって明らかになった新事実も。2021年度中に復旧工事完了予定

現在、文化財建造物保存技術協会の工事主任として五高記念館などの災害復旧工事にあたっているのは、シャトーカミヤの復旧工事を手掛けた高橋好夫さんだ。高橋さんは、五高記念館などの解体調査の経過と、復旧工事の方針について報告した。

文化財建造物の補修工事は、詳細な記録を残しながらひとつひとつの部材を丁寧に解体することから始まる。仕上げの漆喰を剥がしたことでレンガの躯体の破損状況が明らかになっていった。

また、解体によって初めて明らかになった史実もある。たとえば、五高記念館の復原教室では壁の中から古い黒板が発見された。「漆喰の壁の上に直接ラシャを貼って漆を塗っていました。これが明治時代の黒板ではないかと思われます」と高橋さん。ほかにも、復原教室の壁の中からは、階段の墨付け跡が現れた。建設途中に一時、設計を変更して階段教室にしようとした痕跡と見られるそうだ。

最も被害の大きかった工学部研究資料館は、ほかの3つの赤レンガ建造物より20年ほどあとに建設されている。「現在進めている解体調査では、約20年間の間に建設方法にどんな変化があったか調べたい」と高橋さん。また、震災前、工学部研究資料館は、明治時代からの工作機械(重要文化財)を動く状態で保存(動態保存)し、月に1度公開していた。「コンクリートの土間を剥がすと、創建時の工作機械の据え付け跡が見付かるのではないかと期待して、慎重に作業を進めています」(高橋さん)

復旧工事が完了した暁には「資料展示や動態保存の公開を復活させたい」と五高記念館館長の伊東さんは言う。熊本大学施設課・本田さんは「建物そのものはもちろん、赤門と五高記念館を結ぶ“サインカーブ”の道を中心としたシンボルゾーンの植栽など、周辺の環境整備を含めた文化財活用についても検討が必要かもしれない」と語った。

現在はすっぽりと素屋根に覆われている3つの重文建造物は、2021年度中に本復旧工事を終えて、その姿を現す予定だ。色鮮やかな赤レンガの復活を、楽しみに待ちたい。

熊本大学五高記念館 http://www.goko.kumamoto-u.ac.jp/

シンポジウム。左から、熊本大学大学院先端科学研究部教授で五高記念館館長の伊東龍一さん、小山工業高等専門学校名誉教授の河東義之さん、(公財)文化財建造物保存技術協会事業部技術職員の高橋好夫さん、熊本大学施設部施設管理課副課長の本田護さんシンポジウム。左から、熊本大学大学院先端科学研究部教授で五高記念館館長の伊東龍一さん、小山工業高等専門学校名誉教授の河東義之さん、(公財)文化財建造物保存技術協会事業部技術職員の高橋好夫さん、熊本大学施設部施設管理課副課長の本田護さん

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