穢れ祓いの結界としての盛り塩

台湾の台南地方の塩田の作業の様子。昔ながらの天日干しの製塩が残されている台湾の台南地方の塩田の作業の様子。昔ながらの天日干しの製塩が残されている

最近、盛り塩についての質問を受ける機会が増えている。ちまたで盛り塩ブームでも起きているのだろうか。そこで今回は、自宅で盛り塩を行う際の作法について考察してみよう。盛り塩を実行する際に疑問点として挙げられるのは、大きく以下の5つである。

(1)塩の種類は何がよいのか
(2)盛り塩の正式な盛り方、形はあるか
(3)置く場所はどこが良いか
(4)盛り塩の交換時期はいつか
(5)使用済みの塩の処分方法


これらを順次考察する前に、まずは自宅での盛り塩にどんな効果を期待するのか、そこを整理しておこう。

盛り塩とは「盛り塩の効能とは。1万人の美女が願った千客万来、古来より知られた塩の力」でご紹介したように、商家の「招客」と、「穢れ祓い」の2つの意味を併せ持ち、それぞれ由来や歴史的な背景が異なっている。そのため何を目的にするのかによって作法も異なると言えるので、そこをはっきりさせておく必要がある。自宅で行う盛り塩は、招客より穢れ祓いを期待する向きが多いと思われるので、ここでは穢れ祓いを目的とした盛り塩の作法に絞って検証しよう。

穢れとは、もともとは、死・産・血・動物のお産という、あくまでも非日常的な出来事を意味し、そこに不浄感は存在しなかった。しかし後世になり、それらから連想される病気・災害・怪我などが穢れとして認知されるようになり、だんだん不浄のものとして考えられるようになっていった。

ちなみに日本で穢れが不浄のものとして定着したのは、967年に施行された「延喜式」からである。この法令の中にはっきりと「親を亡くした役人は穢れているので、49日間喪に服すること」と規定されている。

台湾の台南地方の塩田の作業の様子。昔ながらの天日干しの製塩が残されている盛り塩を行う際の主な5つの疑問点を考察する

盛り塩の塩の種類は何がよいのか? 使う塩の種類は海水由来が本道

盛り塩で穢れ払いの結界を張り、住まいを聖域とするという意味合いから考察する適した塩は?盛り塩で穢れ払いの結界を張り、住まいを聖域とするという意味合いから考察する適した塩は?

このような流れから現代における穢れは、死を連想する事象、血にまつわるもの、忌まわしいもの、身にまとわりついたように感じられる不幸、他人の怨嗟や妬み嫉みといった悪感情の類も含めた概念となっている。

さて自宅で盛り塩をすることが、なぜ穢れ祓いになるのだろうか。それは穢れから身を守るために、住まいに結界を張る行為と考えると分かりやすい。結界とは密教の神秘主義から発生した概念で、不可侵な空間領域を任意に設定する行為のことで、神社仏閣の境内や神域などがこれにあたる。つまり盛り塩で穢れ払いの結界を張って、住まいを聖域とするというわけである。

そう考えると、(1)塩の種類は何がよいのかもおのずと答えが出てくる。穢れ祓いという儀式が文献上現れるのは日本書紀である。イザナギノミコトが黄泉の国から帰った後、穢れを祓うために海水で体を洗う「潮禊(しおみそぎ)」を行ったと記されている。それが転じて、穢れ払いには塩という風習になったのであるから、塩は海水由来であることが必須であると考えて差し支えないだろう。

現在市販されている塩は、海水系、岩塩系、塩湖・塩泉系と大別されていて、輸入品を除き国内生産の殆どの塩は海水系である。ただし「食塩」として売られているものは、イオン交換膜製塩法によって製造されたもので、にがり成分が除かれていて、さらに添加物が付加されている製品も存在している。盛り塩という儀式に古式を求めるならば、にがり成分が含まれている無添加の天日干し製塩法で製造された製品を選ぶとよいだろう。

盛り塩で穢れ払いの結界を張り、住まいを聖域とするという意味合いから考察する適した塩は?無添加の天日干し製塩法で製造された塩がいいだろう

盛り塩の正式な盛り方は? 形は特に決まった定型はなく気分次第でOK

地鎮祭の祭壇の様子。中央に水・塩・米が供えられている地鎮祭の祭壇の様子。中央に水・塩・米が供えられている

次は(2)盛り塩の正式な盛り方、形について考察しよう。一般的に盛り塩は、山型に盛られていることが多い。これは神饌(しんせん)と呼ばれる神にささげる供物と同じ形であり、このあたりが由来と考えて良いだろう。

神社により供物の種類はさまざまで、中でも米・塩・水は欠かせないものとして重要視されている。各地の神社では塩にまつわる神事も数多く執り行われていて、その中に盛り塩の形に関するヒントが隠されていそうなので、いくつか取り上げて検証してみよう。

まずは宮城県の御釜神社(おかまじんじゃ)の藻塩焼神事(もしおやきしんじ)である。これは、ホンダワラという海藻を採集して、神釜の上に広げその上から海水を注ぎ入れ、塩を作るというものである。これは古代の製塩法であり、出来上がった塩はしゃもじですくわれ、ザルに盛られて社務所に保管され、小分けに袋詰めされて集まった人々に配られる。どうやら、この神事においては、塩を作る過程が神聖な儀式なのであって、塩そのものには神饌としての意味合いは薄いようである。

同じ製塩神事でも伊勢神宮の御塩殿祭は、三角錐の形をした御塩焼固を作り、神饌として奉納するもので、毎年2回、3月と10月に行われる。これも塩田から塩釜で製塩する神事で、神官が正装して古式に乗っ取り、手ずから塩を作っていく。御釜神社の神事と違う点は、出来上がった塩を木型に入れ、三角錐の御塩焼固を作り神饌とすることである。ただ、この三角錐の形状について、その意味や由来など、さまざまな文献資料を調べたがはっきりしたことは分からなかった。

一般的に神社で使われている神饌としての盛り塩の形状を見てみると、多くの場合、土器の皿にうず高く、形よく盛られている。筆者が見聞した限りにおいては、御塩焼固のように木型を使って成形したものは無く、各神社で塩の分量もまちまちで、白い器に盛られているというのがおおよその共通点であった。結論としては、盛り塩の形状には特に深い意味は無いと考えられ、白い皿に山型に形よく盛るという程度の認識でよいだろう。

地鎮祭の祭壇の様子。中央に水・塩・米が供えられている三角錐、八角錐、五角錐、円錐など多くの種類の盛り塩もある

市販品の盛り塩の型もあり、三角錐、八角錐、五角錐、円錐など多くの種類がある。これらの形にはそれぞれに意味を持たせているようで、八角形はおそらく八紘(はっこう)や八方位を意味し、全世界とか森羅万象ということを表していると思われる。この世の全てのケガレを祓うという意思表明くらいの感覚だろうか。五角形は、東洋思想の基礎である五行説を意味し、陰陽道の安倍晴明が咒(しゅ-まじない)に使った桔梗紋や五芒星といった陰陽道の呪法を表していると推察される。何れにしても、自分なりの意味を探して、独自の結界を張るという感覚でよいだろう。

盛り塩を置く場所は玄関の扉の内、数は左右一対がベスト

次に(3)盛り塩を置く場所はどこが良いかについて考察してみよう。一般的に盛り塩は、出入り口の外におくことが多い。商家などでは、出入り口の隅に一つだけ置いてあるのをよく見るが、この盛り塩はあくまでも招客の意味においてであり、前出の「盛り塩の効能とは」でもご紹介したように、古代中国で宮女が皇帝の乗る羊の足止めを目的としたものであるため、数は一つで事足りた。

しかし穢れ払いの結界のための盛り塩は、出入り口の外に一つというわけにはいかない。神道に置ける結界、神域の境界は、2本の柱で構成された鳥居や、二体で一対となった狛犬が守る中に存在している。

結界を張る場合、この二つ一組であることが大事なことで、これは二極を示す陰陽思想が根底に流れている。神道ばかりではなく仏教においても同じで、例えば仏像の形式に三尊というものがあり、本尊の左右に脇侍を配するスタイルである。脇侍に指定される仏は、太陽と月の化身である日光菩薩・月光菩薩の組み合わせや、慈悲と叡智の顕現した普賢菩薩・文殊菩薩といったように、表す世界観が二つ一組で対をなすものとなっている。

盛り塩の数は左右一対がいいだろう盛り塩の数は左右一対がいいだろう

また、盛り塩を置く場所は、結界を張るという意味においては玄関に置くことが必要となる。と言うのも、「玄関」とはもともと仏教用語で「境界」を意味する言葉であるからだ。

玄とは玄妙すなわち悟りの境地のことで、そこに至るための関門が玄関だということだ。また、親鸞の著書に『入出二門偈頌文』というものがあり、玄関はあの世とこの世を行きする転生の世界観を超える関門という意味で、外界世界と内界の境界に当たる場所を指している。仏教的な意味における結界とは、此岸と彼岸、つまりこの世とあの世の界(さかい)であり、主観と客観の界であり、生と死の界を意味している。

つまり住まいに結界を張るための盛り塩は、鳥居の内側に狛犬が安置されているように、玄関ドアの内側に左右一対で置くことが望ましいということになる。

盛り塩の数は左右一対がいいだろう日光東照宮の聖域は、江戸幕府の将軍家の一番大事な場所。東照神君をお守りする狛犬も豪華で精悍な姿

盛り塩の交換時期は「ひとつまみ」の分量を目安に人数分で考えてみる

葬儀などの不祝儀の際のお返しに付いてくる清め塩。本来死を穢れとするのは、神道で仏教では穢れと考えない葬儀などの不祝儀の際のお返しに付いてくる清め塩。本来死を穢れとするのは、神道で仏教では穢れと考えない

次に(4)盛り塩の交換時期を考察してみよう。そのまま放置していいのか、どれくらいの頻度で新しくするべきか迷う人も多いことだろう。神道において神棚にお供えする神饌は、塩・水・米は毎朝、榊は1日と15日の月2回が基本であるため、これを模すのであれば毎朝ということになる。しかしなかなか手間が掛かって大変である。そこで、盛り塩の効力の有効期限はいつになるのかについて考えてみた。

効力の有効期限と言っても、穢れ祓いの効果の出現の方向性が、穢れを追い払うのか、吸着するのか、どちらの方式なのかによって有効期限も異なることだろう。要は、蚊取り線香的効果なのか、ハエ取り紙もしくはゴキブリ捕獲器的効果なのかという話で、そのあたりを検証すべく資料を漁ってみた。

中国ではひょうたんなどに吸い込むという思想があるが、日本では追儺(ついな)の儀式や節分会に見られるように、鬼を矢や豆で追い払うということが広く行われていて、塩による穢れ祓いも「吸着」より「追い払う」という意味合いが濃いと思われる。

そうなると交換のタイミングとして相応しいのは、「穢れを追い払う効力が落ちたとき」ということになるわけだが、そうは言っても目で見て分かるものでもなし、漠然とし過ぎているので、ここはひとつ「清め塩」を一つの指標とするのがよいのではないかと思う。

清め塩とは、葬儀や法事から帰った時に使うお清めの塩のことである。葬儀の後、香典返しに塩の小袋が付いているのを目にしたこともあるだろう。これは神道における死は穢れであるという思想から、それを清めるために塩を使うというのが民間信仰として今につながっているものである。

寺で葬儀や法事を行った際も、香典返しに塩の小袋が入っているため、よく仏教の儀式と間違われるのだが、仏教では塩を祓いのアイテムとして使うことは無い。そもそも仏教思想においては「死」は穢れではなく、悪霊だの死霊だのという概念も存在しない。仏教では輪廻転生を基本理念としているため、霊の存在自体を認めていない。輪廻転生の本質的な意味においては、人は死ぬと直ぐ生まれ変わるので、死者の霊というものは存在し得ないのである。また魂の抜けた死体は単なる物体であり、いずれ自然に帰り、新たな生命の礎になるだけなので、そこに浄不浄の理念は無い。

さて清め塩の目安量は塩ひとつまみとされている。ひとつまみの実際の量は小さじ五分の一、重量にすると約1グラムである。そこで毎日1回家に帰るたびに1人1グラムずつ穢れ祓いに使うと換算して、7グラムの盛り塩なら一週間で交換、15グラムなら半月、2人暮らしならその倍が消費されると考える。もちろん、もっとたくさん盛りたいなら、それはそれでよし、あくまでもこれはひとつの考え方の目安である。

使用済みの塩の処分方法は、生ゴミに混ぜて死穢を祓う

縁起物のダルマを焚き上げている。古くから火は浄化作用があると信じられてきた縁起物のダルマを焚き上げている。古くから火は浄化作用があると信じられてきた

盛り塩の作法、最後は(5)使用済みの塩の処分方法について考察しよう。神饌の場合は、神に捧げた供物は神の御霊がこもると考えられ、料理に使って有り難く戴く。しかし盛り塩は結界を張るための穢れ祓いのアイテムであるため、食べるのは何となく憚られる。

そこでさまざまな習慣や風習において、このようなアイテムを、どのように処遇しているのかを検証してみよう。

まず、土中に埋めるという習慣がある。これは埋葬と同じ発想からくるもので、大地への回帰を意味している。五行思想において土は全ての基礎で始まりである。木は大地より生え、金は土中に眠り、湧き水は地中より出、火は土上で燃え盛る。この思想が埋葬の根本にあり、土より出しものは土に帰るわけである。しかし庭に塩を埋めれば塩害が生じる。

川や海の流れに任せるという習慣も存在する。これは、精霊流しや灯籠流し、船送りという儀式に見られる、彼岸と此岸を繋ぐ行為のことである。使い終わった塩を流すことで、彼岸へ送ることができ、此岸に生きる自分との接点を断つことができる。しかしこれもまた川では塩害が生じ、海が近くにない場合は困ったことになる。送り火やお焚き上げのように火で燃やすという方法もあるが、焚火は条例などで制限されているため、これもまた難しい。

そこで誰でも手軽にできる処分方法として、生ごみと一緒に捨てる方法がある。生ごみとは、かつて生き物だった死の穢れである。一緒に処分することで、その穢れを塩で祓いつつ、最後は焼却炉で燃やされることで祓われる。ごみと言うと抵抗を感じることもあるだろうが、死穢を祓い、焚き上げると考えると、生ごみに混ぜて捨てるのが一番相応しいと言えるのではないか。

「穢れ」の概念は時と共にどんどん広がり、現代社会においては、自分の身に降りかかる不幸せや不運を呼びこむ何かよくないものとして考えられるようになっている。これらはストレスと置き換えてもいいのもしれない。玄関に盛られた塩の間を通ることで一日の憂いを落として、心穏やかに暮らせるのであれば、小皿に盛った数グラムの塩化ナトリウムの塊にも大いに意義があるだろう。

縁起物のダルマを焚き上げている。古くから火は浄化作用があると信じられてきたどんと焼き

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