元気なニッポン、元気な大阪の象徴だった昭和45年の国際博覧会
▲天保山マーケットプレース内には広大なフードコートがありいつも観光客で賑わっているが、その一角にあるテーマパークが『なにわ食いしんぼ横丁』。国鉄『なにわ』駅の改札を通り抜けると、その先には昭和40年代を再現した懐かしい街並みが広がり19の飲食店が所狭しと軒を連ねている。鉄道高架下らしく、数分ごとにガタンゴトンという走行列車のBGMが流れる徹底ぶりだアジア初の国際博覧会『日本万国博覧会』が開催された1970(昭和45)年。
あのときの日本は活気と希望に満ちていた。
敗戦国から戦後の高度経済成長を成し遂げ、世界有数の経済大国となった日本において“発展の象徴”として開催されたビッグイベントが国際博覧会であり、テーマ館にそびえる太陽の塔は元気なニッポン・元気な大阪のシンボルとなった。
あれから47年。世の中全体に閉塞感が蔓延するなかで「古き良き元気なニッポン、元気な大阪」を思い出すことができる場所として人気を集めているスポットがある。
それが、大阪の観光名所『海遊館』に隣接する天保山マーケットプレース内の『なにわ食いしんぼ横丁』だ。7月上旬にリニューアル工事が完了したばかりの現地で取材した。
消えゆくフードテーマパークも多い中、いまだ人気を集める“昭和の高架下”
「この『なにわ食いしんぼ横丁』は、21世紀の幕開けと共に到来したフードテーマパークブームに乗って2002(平成14)年に開業しました。以来15年が経ちましたが、ブームが去って閉館してしまうフードテーマパークも多いなか、幸いこの横丁はずっとお客様にお越しいただいており、リピーターの方も含めて変わらぬ人気を保っています」
今回場内を案内してくださったマーケットプレース企画担当の河村隆年さん(株式会社海遊館)は現在47才。ちょうど博覧会が開催された年である昭和45年生まれだ。
「その頃に生まれた僕としては、博覧会開催当時のことを記憶しているわけではありませんが、街なかの街頭テレビで開会式の中継をみんなが観とったんやとか、僕を祖父母に預けて両親は博覧会へ行ったんやとか、そういう話を聞いたことがあります。
大阪はあの時代がいちばん元気やったし、日本全体が夢と希望に溢れていたのが昭和40年代です。この『なにわ食いしんぼ横丁』は、そんな“昭和40年代の元気な大阪”の街並みをイメージし、再現して作ったテーマパークなのです」
大阪の人が「懐かしい」と思える流行り廃りのない名店を選出
▲海遊館には親子二世代・三世代で訪れる地元客が多く、来場客の約半分がリピーター。孫を連れてこの横丁を訪れ、当時を振り返りながら昔話をする祖父母も多く“口伝の場”としての役割も果たしている。ちなみに、来場客の2割は外国人観光客だそうだが、特に中国人観光客は意外にも、この昭和40代の街並みを歩いていると経済発展前の母国の風景を思い出すようで「懐かしい!」と感想を漏らす人が多いそうだ「フードテーマパークのブームのときは、カレー、ラーメン、餃子など、ひとつのメニューだけにこだわった施設が多かったのですが、この『なにわ食いしんぼ横丁』の場合は、ジャンルを問わず“大阪の名物を集めること”に特化しました。
カレーやオムライスの発祥の店をはじめ、お好み焼き、たこ焼き、和菓子店まで19店舗が揃っていますが、基本的には“大阪の人たちが懐かしいと思えるお店”。そして、“今でもちゃんと大阪で愛され続け、店舗の営業が続いているお店”であることを条件にして厳選し、この横丁へ出店していただいています。
いくら人気テーマパークと呼ばれても、内容をどんどん更新しないと人気と売り上げは向上できません。もちろん、テナントさんにも儲かってもらわんといけませんから(笑)、こうして定期的に街並みのリニューアルを行うなどハード面の充実を図りながら工夫を取り入れています」
横丁の狭い路地を歩いていくと、その先には明治43年創業の大阪発の西洋料理店『自由軒』や、大正11年創業のオムライスの名店『北極星』、明治元年創業のわらび餅の老舗『芭蕉庵』などなど、グルメサイト等でもレビューの高い店舗がずらりと並ぶ。流行り廃りに左右されない“本格グルメ”と、“街づくりの遊び心”を融合させることで、その人気をキープしていることが窺える。
お互いに道や席を譲り合う…“昭和の街”ならではの規律が生まれる
『なにわ食いしんぼ横丁』内には3つの通りと2つの小路があるが、どの路地も碁盤の目のような整然とした並びではなく、くねくねと曲がった区画整理前の街並みを再現している。また、各店舗内ではテーブルやイスを小さめにして、客同士がギュっとひしめき合うような距離感で食事をするように設計されているが、これも“昭和40年代らしさ”の演出のひとつなのだそうだ。
「せっかくの横丁が“普通に食事をする場所”ではつまらないですから、わざとギュウギュウ詰めに座るようにガード下の心地良い猥雑感を演出しているんです。
しかし不思議なもので、こういうゴチャゴチャした街の中だと、“きちっとなっていないからこその規律”がちゃんと存在するようになるんですね。知らない人同士が道を譲り合ったり、席を譲り合うようになって、お互いをちゃんと気遣うことができる…ああ、これが昭和40年代の日本だったんだなと、あの当時の良さを改めて実感しました」
河村さんによると、今回のリニューアルにあたり苦心する点も多かったという。
「僕を含めてですが、社員やスタッフの中で“昭和40年代の街並みをリアルに体験した世代”がもう少なくなってきているので、より正確に再現するために当時の資料を集めたり、僕の父親・母親世代のスタッフの意見も聞きながら、企画を進めていきました。
また、展示物をリニューアルしようとしても、商品看板などの本物のアイテムは、現在では高価すぎて入手できなくなっているのです。そのため、一部は『本当に貴重なレトロアイテム』、一部は『実は作りもん』という大阪人らしいネタも随所に導入しています。“これ、作りもんやないかい!”というツッコミどころを探しながら、横丁散策を楽しんでいただきたいですね(笑)」
この横丁に足を踏み入れることで、古き良き時代を思い出すきっかけに
▲遊びの小路の路上に描かれたけんけんぱで中国人観光客の男の子が楽しそうに遊んでいた。「こういう子どもの遊びは万国共通なんですね。特に解説をしているわけではないのですが、外国人のお子様もこの落書きを見ると自然にリズムをとって遊べるようです」と河村さん各地で取材しているとつくづく感じることだが、イマドキの商業施設はどこの店舗もほとんど同じ。定番の建物の中に定番のチェーン店が入っていて、見た目はスタイリッシュだが画一化されすぎて“ご当地色”がほとんど感じられない。
天保山マーケットプレースでは、“定番の商業施設”にならないためのひとつの装置として、この昭和40年代の大阪を再現した『なにわ食いしんぼ横丁』が存在しており、海遊館来場との相乗効果を盛り上げる意味で重要な役割を担っている。
「日本の戦後の話について話せる人がどんどん減ってきていますから、こういう街並みをテーマパークとして残し、当時の記憶を継承していくことも横丁の大切な役目。そして、ここを訪れた方が昔を懐かしむだけではなく、“あの時代に負けないようにがんばろう!”という明日への意欲を持っていただけるような、そんな存在であり続けたら嬉しいですね」
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大阪では現在、2025年の国際博覧会の大阪開催を目指して積極的な誘致活動を行っている。多くの人たちがこの『なにわ食いしんぼ横丁』を訪れ、55年前の当時の記憶に触れることは、博覧会誘致活動への関心を高めるだけでなく、“元気なニッポン、元気な大阪”を取り戻すためのカンフル剤となるのかもしれない。
■取材協力/株式会社海遊館 天保山マーケットプレース
http://www.kaiyukan.com/thv/marketplace/
■なにわ食いしんぼ横丁
http://www.kaiyukan.com/thv/marketplace/kuishinbo/
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