“関宿ならではのおもてなし”をモットーに活動を行う住民団体
東海道五十三次の47番目の宿場町であり、国の『重要伝統的建造物群保存地区(※以降、重伝建地区)』に選定された三重県亀山市・関宿。前回の《古い町並みが残る宿場町、三重『関宿』。東海道五十三次で唯一の重伝建地区の課題とは①》では、その歴史と重伝建地区選定までの経緯についてご紹介したが、今回クローズアップするのは地元有志らによる住民団体『東海道関宿まちなみ保存会』の活動について。
『東海道関宿まちなみ保存会』は昭和55(1980)年に発足。町並み保存への取り組みの一環として公開講座を開催したり、小・中学生の社会見学の案内役として対応したりと、“関宿ならではのおもてなし”をモットーに活動をおこなっている。
町並み保存活動がスタートして一番変わったものは「住民たちの意識」
▲関宿の中町で375年続く老舗和菓子店『深川屋(ふかわや)』の第十四代であり、『東海道関宿まちなみ保存会』の事務局長を務める服部吉右衛門亜樹さん(53)。「どんどん世代交代していく中で、住民たちの意識が薄れて無関心になるのは一番怖いことです。無関心だと、せっかく訪れてくださった観光客の方と挨拶も交わせなくなって、ちゃんとした“おもてなし”ができなくなりますからね」と服部さん関宿の『重要伝統的建造物群保存地区』は旧東海道沿いに東西約1.8km、約25haの面積に渡って広がっており、江戸側から木崎・中町・北裏・新所という4つの地域に分かれている。地域内に建つ多くの建物には個人宅であることがわかる表札が掲げられており、建物を保存するだけでなく、地元の人たちの生活が今もこの場所で続けられていることがわかる。
近年は、重伝建地区でも空き家問題を抱えている地域が多いと聞くが、関宿内では「なかなか空き家が出ない」ため、ここで商売をしたいと外部から移り住む移住者はまだ少ない。
『東海道関宿まちなみ保存会』事務局長・服部吉右衛門亜樹さん(53)は、「六本木のド真ん中にお地蔵さんが立っていたら目立つように、この町のなかでは近代的な建物が建っていると逆に目立ってしまいます(笑)。これは古い町並みの保存がうまくいっている証拠かもしれませんね。町の雰囲気全体がちゃんとした路線でつながるためには、住民の意識がとても大切です。重伝建地区に選定されて33年が経ちますが、この約30年のうちに一番変わったものは『住民たちの意識』だったと思います」と語る。
当初は町並み保存の推進派と反対派に分かれてたびたび議論が行われていたが、重伝建地区に選定されたことによって関宿がメディアから注目を集めるようになり、地元の人たちはその価値を再認識することができた。そのため、町並み保存に向けての意識が大きく高まったという。
「最初のうちは、地元の人間から発信してもなかなか理解が得られませんでした。でも、“外部からの高い評価”を改めて受けることで、自分たちが育った町への誇りを取り戻すことができたんです」(服部さん)
「関のやま」でお馴染み『関宿祇園夏まつり』のお囃子教育を実施
▲文化年間から続く伝統行事『関宿祇園夏まつり』の山車は全国にその名を轟かせるほどの豪華さで、「関の山車以上に贅沢なものは作れないだろう」という意味から可能な限り精一杯の限度を表す『関のやま』という言葉が生まれたと伝えられているしかし、選定から約30年が経ち、町の中の住民たちの世代交代も進んできた。
「30代から50代までの働き盛りの人たちの多くが都会へ出てしまうので、彼らがいずれこの町へ帰って来てくれるのか?この町で育った子どもたちが地元を離れていかないか?…それが心配なんですね。そこで、せっかく培われた住民たちの意識を三世代・四世代と継承できるように、行政と連携して子どもたちへの教育活動をはじめました」(服部さん)
亀山市役所と市民団体である『東海道関宿まちなみ保存会』がタッグを組んで最初に取り組んだのは、“関のやま”でお馴染み『関宿祇園夏まつり』のお囃子教育だった。毎年7月の中~下旬に2日間に渡って開催される『曳山(ひきやま)の祭礼』では、旧東海道の道幅ギリギリに練り歩く豪華絢爛な4台の山車(江戸時代には16台の山車があった)と、その山車の上で奏でられるお囃子が祭りの見どころとなっている。
「地元・関小学校の3年生の授業では、同じく市民団体である『関宿「関の山車」保存会』が山車についての歴史や知識を深める授業を行っています。また、6年生には町並み保存の理解を深めるための授業を行っているのですが、授業以外でも何かもっと楽しく子どもたちに関心を持ってもらうことができないか?と考えて誕生したのが『関宿かるた』です」(服部さん)
関宿の歴史や町並みを詠んだ、47首の『関宿かるた』
服部さん自らが平成22(2010)年に作成したという『関宿かるた』は、関宿の町並みや歴史について詠んだ全47首。そのうちの33箇所については該当する実際の建物の玄関先に木札を掲げ、かるたに詠まれた場所であることがわかるようになっている。つまり、かるたの読み札に記された句を覚えて町の歴史に親しむだけでなく、絵札に描かれた風景や木札を探しながら、全長1.8kmの旧東海道を散策する楽しみも生まれるというわけだ。
「この『関宿かるた』は亀山市内のすべての小学校に配布しているほか、お隣の津市の小学校でも4年生の授業の中に『関宿かるた』を取り入れてくださっています。かるたにすると、子どもたちは全首をすぐに覚えて空で言えるようになるんですね。社会見学の授業では、いつも僕が関宿を案内するんですが、子どもたちはこちらの解説など無くても勝手に町の中を歩いて、かるたの木札を探しながら楽しんでいるようです。
みんな言葉の意味はちゃんとわかっていないと思うんですが(笑)、大人になってからも小学生の時に覚えたかるたの句が心に残っていたらそれでいい。子どもの頃からの意識づけこそが次世代への継承につながると信じています」(服部さん)
子どもの声がして、生活が感じられる重伝建地区を目指して
最後に、服部さんに今後の町並み保存活動の目標について聞いてみた。
「実は、選定30周年という節目を過ぎて“次の目標を何にするか?”というのは、僕たちがいま一番思案しているところです。例えば、東海道の起点の地である『日本橋』の皆さんとタッグを組んだり、東海道五十三次の宿場町が一丸となって宿場イベントを開催できたら…と、いろいろ企画を練っているところです。
ただ、僕たちにとっていちばん大事なことは、この町に住んでる人たちの意識がちゃんと続いていくこと。関宿は地元にとって大切な場所であり、東海道の宿場町で唯一の重伝建地区というプライドをつなげていくこと。それさえつながっていけば、この町並みは自然と残っていくはずです。
いまこの町で暮らしている子どもたちが、将来大人になったときに“俺の故郷ってすげ~んだぜ!”って周りに自慢できるような町であるように、住民たちの意識を今後も育んでいきたいですね」(服部さん)
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全国114箇所の『重要伝統的建造物群保存地区』のほとんどが抱えているのは、建物の修復保存だけでなく住民の高齢化や過疎への課題だ。
観光客としてたまに訪れる私たちは、古い町並みを見て「日本の原風景が懐かしくて心地良い」「このまま残していってほしい」と無責任に発言できるが、その心地良さを支えているのは(行政の取り組みはもちろんのこと)地元住民たちの熱い想いに他ならない。
「子どもの声がして、地元の人たちの営みが感じられる古い町は、とてもステキだと思う」と服部さんが語るように、まずは地域の子どもたちの意識を育みながら町を守っていくという関宿の活動に今後も注目したい。
■取材協力/亀山市市民文化部文化振興局まちなみ文化財室
https://www.city.kameyama.mie.jp/
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