伊藤博文が命名した「長楽館」

京都市東山区にある円山公園の一角に、ひときわ目を引く洋館がある。1909(明治42)年に建築された「長楽館」である。元はたばこ王として財を成した実業家の村井吉兵衛の別邸として建てられたこの洋館は、英国皇太子ウェールズ殿下や米国財閥ロックフェラー、伊藤博文、井上馨、大隈重信など名だたる賓客が多数訪れる迎賓館の役割もあった。

「長楽館」が完成した直後に滞在した伊藤博文は、館からの眺めに感動し「この館に遊ばば、其の楽しみやけだし長(とこし)へなり」と詠んだという。それにちなんで「長楽館」と名付けられた。当時は鹿鳴館を凌ぐとも言われ、現代の私たちが見ても驚くほどに瀟洒な館は、多数の家具調度品も含め1986年に京都市指定有形文化財に登録されている。

かつての迎賓館を、今私たちは、レストランやカフェ、ホテルとして利用することができる。「長楽館」が建築されて107年。これまでの歴史を振り返ってみたい。

長楽館の外観はルネッサンス風。玄関にはイオニア式門柱長楽館の外観はルネッサンス風。玄関にはイオニア式門柱

明治のたばこ王 村井吉兵衛が残した洋館の歴史

「長楽館」の建築がはじまったのは1904(明治37)年。設計はアメリカ人建築家のJ.M.ガーディナー、建築は清水満之助(清水建設株式会社)により、途中、戦争による工事中止の時期があったものの、5年をかけて完成した。たばこ王と言っても、村井吉兵衛はJT(日本たばこ産業株式会社)の創始者ではない。官営化する前は、民間企業が競争し販売しており、その競争を勝ち抜き日本内外にたばこ事業を拡げたのが村井吉兵衛の村井兄弟商会だった。

日本のたばこ産業が急速に発展した1897年ごろ、製造業者は5,000人ほどいたと言われている。その中でも村井吉兵衛は代表的人物である。激戦と言える販売競争を勝ち抜いた村井吉兵衛の経営手腕は素晴らしいものだった。日本初の洋式工場の建築、アメリカの最新技術を駆使したたばこ製造、オマケとしてたばこカードという女性の写真やトランプを商品に入れたり、西洋風パッケージデザインの印刷技術にも力を入れるなど、挙げるときりがないほどである。

1904(明治37)年、日露戦争の戦費調達のため、「煙草専売法」が施行され、たばこは官営化されることとなった。その際、明治政府からたばこ商へ莫大な補償金が支払われた。村井吉兵衛には全賠償額のうち45パーセント以上にあたる1,120万円の大金が渡ったとされている。現代の金銭感覚に直すのであれば、後にゼロを4つほどつければ近しい金額であろう。その補償金を元に、長楽館の建築や銀行などの事業を展開したのだ。

海外の文化に精通した村井吉兵衛。彼が残した長楽館は、さまざまな国の建築様式と和風建築が融合した、和洋折衷の館になっている。
株式会社長楽館 広報の土手千果さんに館内を案内していただいた。

(画像左)重厚な中央玄関ホール。(画像右上)玄関には村井家家紋の三つ柏<br>(画像右下)2階中央に飾られた伊藤博文が残した直筆の扁額が玄関ホールから見える(画像左)重厚な中央玄関ホール。(画像右上)玄関には村井家家紋の三つ柏
(画像右下)2階中央に飾られた伊藤博文が残した直筆の扁額が玄関ホールから見える

世界の建築様式が共存する絢爛豪華な室内

長楽館は3階建ての造り。1~2階は中央のロビーを中心に、部屋が配置されている。玄関ホールの重厚さにまず驚くが、玄関そばにある応接間「迎賓の間」は、ホールの重厚な雰囲気とは異なるフランス・ロココ調の華やかな空間が広がる。

「迎賓の間は、もともとはご婦人たちのおもてなしの部屋でした。現在はアフタヌーンティー専用スペースとして利用しております。シャンデリアはバカラ社製クリスタル、壁の風景画は高木背水画伯の作品です。風景画には自由の女神、レマン湖、皇居のめがね橋などの世界中の名所が描かれており、世界の賓客の方々がこの部屋で風景を楽しみながら寛がれたかもしれませんね」。

続いて案内してもらった「食堂の間」は、イギリス・ヴィクトリア調のネオ・クラシック様式が用いられている。

「建築当時から食堂として使われていた部屋を、そのままフレンチレストラン、『ル シェーヌ』のメインダイニングとして利用しております。天井は漆喰を彫り上げたもので、モチーフとしてオリーブと柏が描かれています。ステンドグラスや窓はアール・ヌーヴォー様式です。西洋の館で、最も重要とされていたのがダイニングルームであり、この部屋も贅沢な造りをそのままに活かし、ご利用いただいております」。

2階の「喫煙の間」は中国風で、当時、喫煙時に使われた螺鈿の椅子が置かれている。この椅子は京都市指定有形文化財に指定されているそうだ。
同じ階にある「接遇の間」もカフェスペースとして利用できるのだが、ここにも京都市指定有形文化財のメープル社製の姿見付きの家具、ウェールズ殿下の衣装ケースが置かれている。
本来であればこういった歴史的な調度品を、手に取れるほどの距離感で見る機会というのはそう多くはないものだが、カフェの利用者は細かな細工まで間近で鑑賞することができる。かつて賓客たちが過ごした空間で、その当時の調度品を眺めながら食事やお茶が楽しめるというのは、長楽館ならではの贅沢であろう。

(画像左上)「食堂の間」現在はフレンチレストランの『ル シェーヌ』 <br>(画像右上)「迎賓の間」午後はアフタヌーンティー専門の部屋として利用することができる<br>(画像左下)2016年2月のリニューアルで温室は手作りの生ケーキや焼き菓子を販売するブティックに。壁のレリーフはイスラムのモスク。村井吉兵衛にちなんだ、たばこのパッケージにたばこの形をしたお菓子や、葉巻そっくりのチョコレートなどが販売されていた<br>(画像右下)村井吉兵衛の書斎はバー「マデイラ」に。本棚に並んだワインのなかには100年以上前のヴィンテージワインもあるそうだ(画像左上)「食堂の間」現在はフレンチレストランの『ル シェーヌ』
(画像右上)「迎賓の間」午後はアフタヌーンティー専門の部屋として利用することができる
(画像左下)2016年2月のリニューアルで温室は手作りの生ケーキや焼き菓子を販売するブティックに。壁のレリーフはイスラムのモスク。村井吉兵衛にちなんだ、たばこのパッケージにたばこの形をしたお菓子や、葉巻そっくりのチョコレートなどが販売されていた
(画像右下)村井吉兵衛の書斎はバー「マデイラ」に。本棚に並んだワインのなかには100年以上前のヴィンテージワインもあるそうだ

京都の四季折々の景色が堪能できる立地

イギリス、フランス、イスラム、中国、アメリカ…と様々な国の建築様式で造られた1~2階と趣は異なり、3階は和室である。ルネッサンス様式を基調とした外観の洋館の中に、和室が存在するとはなかなか想像ができない。通常は保存の観点から、ホテルに宿泊した人限定で公開されているという「御成の間」を見せていただいた。
「書院造の『御成の間』は、華頭窓から春には桜、夏には五山の送り火、秋には紅葉と、四季ごとに変わりゆく東山の眺望が楽しめます。格天井には村井家家紋である柏をあしらい、金箔の雲の紋様、バカラ社製のシャンデリアと和洋が融合したデザインになっています」。

伊藤博文が感動し句を詠んだという円山公園や京都の山々の眺望も贅沢であるが、1~2階の豪華さに全く引けを取らず格調高い空間となっている。
なお、村井吉兵衛の本邸であった東京赤坂の邸宅「山王荘」は、比叡山延暦寺大書院に移築されている。書院造の技術的にも優れた純和風建築であることから、村井吉兵衛は、日本建築にもこだわりを持った人であったと思われる。

(画像左上)「御成の間」。床の間の脇には違い棚。掛け軸「無寒暑」は藤井善三郎の書。(画像左下)格天井には村井家家紋の柏が。(画像右)3階和室に向かう階段は手すりの造りもガラリと変わり和風に(画像左上)「御成の間」。床の間の脇には違い棚。掛け軸「無寒暑」は藤井善三郎の書。(画像左下)格天井には村井家家紋の柏が。(画像右)3階和室に向かう階段は手すりの造りもガラリと変わり和風に

築107年を迎え、これからの100年

「長楽館」は今年で築107年を迎える。歴史的にも価値のある明治の洋館を、博物館や美術館として開放するのではなく、どうしてレストランやカフェとして一般に提供することにしたのだろうか?現オーナーである土手素子さんにお話を伺った。

「村井吉兵衛が亡くなった後、昭和の金融恐慌により村井銀行は閉鎖、長楽館は売却されました。その後、何人かの手に渡り、途中の詳細な歴史は分かりませんが、私の義父である土手富三が訪れた際は、壁にはペンキが塗られ、荒れた状態だったと聞いています。売りに出されていたわけではなかったのですが、義父は長楽館がとても好きで、何度も持ち主にお願いをし、売ってもらうまでに5年かかったそうです。買った当時は建物をどうするかの構想もなかったものの、1階を8年がかりで修復した後、本館で喫茶店をはじめました。この立地と建物でお茶でも楽しんでもらえたら…という想いがあったんだと思います。建物や調度品の良さは、座ってじっくり眺めてこそ分かるもの。毎日お客様が訪れてくださって空気も入れ替わり、建物も喜んでいるかもしれません」。

先代は1952(昭和27)年以降、1部屋ずつ、自身も大工に教わりながら改修を進め、3階の修復が終わったのは1980(昭和55)年ごろだったそうである。約30年をかけて修復したことになるわけで、先代の長楽館への強い想いが伝わってくる。

長楽館は本館の全室を2016年2月にリニューアルし、かつての書斎をバーに改装するなどしている。ワインのなかでは唯一、100年以上楽しめるマデイラワインに特化したバーであり、長楽館の歴史とのマッチングが感じられる。歴史的建築物を維持し、それを提供し続けるにあたって心がけていることはあるのだろうか。

「サービスや商品は、歴史にちなんだものを提供することを心がけています。ストーリー性があり、スタッフが語れる、また、訪れた方や商品を購入した方が、周りに話したくなるようなものでなければ面白みがないと思っています。リニューアルでは、温室をデザートやお菓子の提供をするブティックに改装しました。新しい設備の設置やトイレの改装など、手を加える必要のある部分もありましたが、敷地も限られています。変えてはいけない部分、変えないといけない部分の線引きをするのは、"不易流行"であると思っています。長楽館の過去の写真は白黒で、当時の色を伝えるものはありません。ですが、その部屋の持つ意味にふさわしい色合いで、唯一無二である長楽館の歴史に応じた使い方をすることを守り続けてきたいと思います」。

館そのものや調度品の持つ美しさを維持し、また、広く建物の歴史を伝える努力を惜しまない長楽館。時代に合わせた変化をし続けているからこそ、今もなお私たちはこの館を通じ、たばこ王の歴史を知ることができる。

村井吉兵衛が残した歴史的建築物が、同じ京都にもうひとつあった。1898年に建築された、日本初のたばこの洋式工場、「村井機械館」である。赤レンガ造りの3階建てだった工場は、2009年に解体され、その姿を私たちはもう見ることはできない。
歴史的な建築を維持することの難しさと、そういった建築が今もなお残り、目にすることができることの貴重さをあらためて感じた。
107年を迎えた長楽館は「長楽未央」、"長い楽しみ"はまだこれから…。先の100年を目指し、また新たに進化した「長楽館」を、京都に行った際は訪れてみてはどうだろう。

長楽館
http://www.chourakukan.co.jp/

参考書籍
「黄金伝説」 著:荒俣 宏  集英社

お話を伺った株式会社長楽館の広報、土手千果さん(左)とオーナーの土手素子さん(右)お話を伺った株式会社長楽館の広報、土手千果さん(左)とオーナーの土手素子さん(右)

公開日: