宮沢賢治の童話を思わせる、瀟洒な古民家風の佇まい
福島県の南西部に位置する下郷町は、那須連峰に囲まれた山間の町である。
会津若松駅からJR只見線に乗り、乗り入れ路線の会津鉄道・芦ノ牧温泉南駅で下車。そこから15分ほど歩くと、一風変わった建物が見えてくる。浄土真宗本願寺派の西福寺が経営する宿坊(※)、『ペンション柿の坊』だ。
寺院の中には宿坊やユースホステルを併設しているところが少なくないが、「ペンション」を名乗る宿坊は全国でも珍しい。『柿の坊』の建物は、白壁に青屋根を載せた古民家風。玄関の上に掲げられた坊名のロゴが、訪れる人を温かく迎えてくれる。その瀟洒な姿には、どこか宮沢賢治の童話を思わせるような、ノスタルジックな趣があった。
1階は吹き抜けのパブリックスペースになっており、囲炉裏を切った畳敷きのリビングと、堀ごたつ式のダイニングがある。リビング脇の小部屋は、書棚やテレビ、畳ベンチが置かれた「談話室」。一段低いスキップフロアがガラス入りの建具で仕切られ、巣ごもり風の心地よい空間になっている。部屋の隅には肩幅ほどの急な階段がしつらえられ、階上にはSP盤のコレクションが並べられた“隠れ家風”のロフトがあった。
館内のいたるところに、坊名の「柿」にちなんだ雑貨が並べられ、親鸞聖人の教えを伝えるパネルがさりげなく置かれている。古い建具を再利用している割に古びた感じがないのは、隅々まで掃除が行き届いていることに加え、建物全体が「デザイン」という視点で造形されているためだろう。
朝のおつとめや法話を体験しないかぎり、ここが寺院の宿坊であることに気づかない人も多いのではないか。「信仰第一、施設やサービスは二の次」という宿坊が多い中、『柿の坊』は異色の存在といえる。
※宿坊:寺院や神社に併設された宿泊施設
紆余曲折の末、親鸞上人の教えに開眼。宿坊の経営を志す
『柿の坊』を切り盛りするのは、西福寺第15代住職の高倉恵信さんと坊守(※)の裕子さん。高倉さんは15年間のサラリーマン生活の後、実家の寺を継ぎ、1987年に宿坊を開設した。
だが、そこに至るまでには、さまざまな紆余曲折があった。
現在、地方の寺は、過疎化・高齢化による檀家の減少に直面しており、寺院経営だけでは立ち行かなくなりつつある。西福寺も例外ではなく、高倉さんの父・先代住職は役場勤めを、先代坊守の母は教師をしながら、やっとの思いで寺院を維持していた。多忙な父からは「教え」を学ぶ機会もなく、寺の台所事情を知らない周囲の子どもたちからは、嫌味を言われたこともある。そんなこともあって、寺や僧職に対する反感は増すばかりだった、と高倉さんは振り返る。
「高校まではお寺から逃げ出すことばかり考えていました。ところが(宗門系の)龍谷大学に入ったとたん、親鸞様の教えに出会ったのです。それで180度心境が変わり、故郷に帰ってお寺を継ごうと考えるようになりました。とはいえ、お寺を続けるためには、兼職して副収入を得ないといけない。そこで思いついたのが、宿坊の経営でした」
高倉さんが宿坊経営を志すようになったのは、ユースホステルを舞台にした人気テレビドラマがきっかけだ。若者たちがユースホステルに集い、熱い思いをぶつけ合いながら青春を謳歌する。自分もそんな宿を作り、多くの人々に親鸞様の教えを伝えたい――高倉さんはいつしか、そんな夢を抱くようになった。
その資金作りのため、横浜の電子部品メーカーに就職。会社では経理や総務・営業・営業企画などを経験し、宣伝広告や展示会などの仕事を通じてデザインのセンスを磨いた。サラリーマン時代にさまざまな実務を経験し、デザイナーとの人脈を築いたことが、その後の宿坊開設・運営に大いに役立った、と高倉さんは語る。
※坊守:浄土真宗では住職の配偶者を指す
地元の大工が腕を振るい、創意工夫にあふれた宿坊が完成
高倉さんが退職して実家の寺を継いだのは、38歳の時のことだ。いよいよ、長年の夢が実現する時がきた――と、高倉さんは胸を高鳴らせた。
とはいうものの、西福寺の周辺はのどかな農村地帯。周辺には湯野上温泉や大内宿などの観光地もあるとはいえ、宿自体に魅力がなければ、わざわざここまで足を運ぶ客はいない。そこで高倉さんが考えたのは、「変わった建物」と「料理」をセールスポイントにすることだった。
建築にあたっては、知人のデザイナーと相談しながら、全体的なコンセプトを決定。高倉さんは基本的な設計だけを行い、後は懇意にしている地元の大工に任せて、存分に腕を振るってもらった。
近年は大工仕事も部材の組み立てが中心となり、職人技を披露する機会がなくなりつつある。「自由にやってください」という高倉さんの依頼は、大工たちの職人気質と遊び心を大いにかきたてたようだ。
「大工さんも予算が苦しいことはわかっているので、『ここに囲炉裏があるといいね』『この仏像、うちの親父が作ったんだ』と、いろいろなものを持ち寄ってくれました。大工さんに仕事を楽しんでいただけたことが、この建物の面白さになっていると思います」
もう1つの目玉である料理をどうするかも、思案のしどころだった。
「郷土料理を前面に打ち出すと、地元の人が来てくれない。逆に、一般的な料理にしてしまうと、都会の人が来てくれない。いろいろ考えた末、当坊では都会の人にターゲットを絞り、郷土料理を前面に打ち出すことにしました。それが非常に喜ばれ、料理を目的に来られるお客さんが増えていったのです」
住職夫婦の人柄に惹かれ、多くの人が悩みを相談しに訪れる
1987年12月、『西福寺宿坊・ペンション柿の坊』がオープン。ほどなくして会津鉄道と東武鉄道・野岩鉄道との相互直通運転が始まり、会津田島駅から東京・浅草駅まで鉄道がつながったことも、宿坊経営の追い風となった。
とはいえ、建物と料理だけが『柿の坊』の魅力ではない。本堂では毎朝7時のお朝事(あさじ)(*)の後、50分にわたって法話が行われる。高倉さんは初心者にもわかりやすいよう、釈迦の教えから説き起こし、「南無阿弥陀仏」という念仏の意味や、慈悲と煩悩、生と死について、浄土真宗の立場から懇切丁寧に説いていく。
「阿弥陀様は、煩悩に苦しみ悩む私たちを見ると、悲しくて仕方がないのです。迷いの世界から抜け出せないでいる人を、どうしても救いたい。私たちのことが心配でたまらず、私たちを救いたくて仕方がない、どうか救われてくれと願っておられる仏様なんです」
法話を聞いて、「なるほど、そういうものか」と思った。実家の宗派は浄土真宗だが、葬式や法事で教えを聞いた記憶はほとんどない。真心のこもった住職夫婦のおもてなしも、煎じ詰めれば、仏道にもとづく奉仕の精神のあらわれなのだろう。
住職夫婦の温かい人柄に惹かれて、通ってくる客も増えた。ピーク時の宿泊客は年間400人を数え、なかには50回も泊まりに来た客もいるという。
「介護で悩んでおられるご夫婦も、よく来られましたね。ここに着くなり『住職、話を聴いてくれ』と言って、いろいろな悩みを30~40分も話されるんです。ほかにも、会社の人間関係に悩むトップセールスマンや、恋人を亡くした若い女性など、さまざまな方が悩みを相談しに来られます。要するに、ここは『自分の思いを聴いてもらいたい』という場所なんですね。それが、他の宿とは違う、お寺の宿ならではの特徴かもしれません」
*お朝事:浄土真宗の勤行
東日本大震災で絶たれた絆を、再び紡ぎ直したい
だが、多くの人に愛されてきた『柿の坊』も、ここのところ苦境にさらされている。東日本大震災にともなう福島原発事故の影響で、客足がバッタリ途絶えてしまったのだ。
「原発事故が、皆さんとのつながりを断絶してしまったんです。気持ちでつながっていた絆が、放射能の風評被害によってすべて失われてしまった。震災から5年経ちましたが、一度離れてしまったお客さんはなかなか戻ってきません。もともと『親鸞さんの教えをお伝えしたい』という思いで始めた宿坊ですから、なんとか続けていきたいのですが」
いったん遠のいた客足を少しずつ取り戻し、震災によって絶たれた絆を再び紡ぎ直したい。そして、親鸞聖人の教えを実生活に即して伝えることによって、お客さんに喜んでいただけるよう精進を重ねたい――そう、高倉さんは思いを語る。
仏の教えと南会津の匠の技が生んだ、癒しの宿『柿の坊』。現在、観光立国の実現に向けてさまざまな取り組みが進められているが、世界に伝えたい日本の魅力とは、このような宿にこそあるのではないか。古きよき日本の美風を今に伝える原石のような宿を、いかに発掘し、その魅力を発信していけるか。そこに、観光立国の将来と地域の再生がかかっているように思えてならない。
「ペンション柿の坊」ホームページ
http://www3.plala.or.jp/kakinobo/
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