広島の建築散歩を確立した団体、アーキウォーク広島

広島の世界遺産のひとつ厳島神社広島の世界遺産のひとつ厳島神社

広島と聞くと2つの世界遺産、原爆ドームと厳島神社を中心にしたエリアを思い浮かべる人が多いのではないかと思う。観光で訪れるとしたら、その2ヶ所周辺を訪れ、お好み焼きか牡蠣か、あるいはその両方を食べておしまいというのが一般的だろう。

だが、広島に限らず、どの街にもその街の歴史を反映した、その街らしい建物がある。広島の場合は1945年の原爆投下で多くの建物が失われてはいるものの、わずかながらそれ以前の建物が残されており、広島独自の種別である被爆建物、戦災復興で建てられた名建築も点在。さらに現代のセンスにあふれた建物も多く誕生してきている。

広島の世界遺産のひとつ厳島神社巻末にある広島の歴史、人名や用語の解説も役に立つ。持ち歩きに便利な携帯マップも付いているアーキマップ広島

アーキウォーク広島は、都市プランナーである代表の高田氏が大学時代から趣味で撮りためてきた建築の写真を世に出せないかと思ったことから始まった市民サークル的な活動。建築好きな人たちの集まりだが、専門家ばかりではなく、まちづくりに関心のある人もいるなど多様な人が関わっており、現在は16人ほどで活動をしている。

2010年に手持ちの情報をベースに冊子状のガイドブックを作成。そこで外観は眺められるものの、内部を見られない建物が多いことに気づき、イベント化すれば見せてもらえるかもしれないと2011年から建築を見学するイベントを開催するようになった。翌2012年には以前作成した冊子が出版社の目に留まり、冊子に新たな情報を付加した「アーキマップ広島」という広島市内と宮島の建築まち歩きガイドブックを出版している。
こうした活動に広島県から声がかかる。県では県内の建築が内外に広く認知され、広島のブランドイメージが向上することを目指して「ひろしまたてものがたり」というプロジェクトを2014年からスタートさせているのだが、高田氏はその委員としてプロジェクトに加わることになったのである。

「魅力ある建物を公募、そのなかから100選を選び、翌年にはさらにそれを30選に絞りという事業でした。また、2015年からはそこで選ばれた建物を見学する『ひろしまたてものがたりフェスタ』がスタート、3年間は県の事業として、以降は実行委員会主催で開催し続けています。この事業は県の土木建築局営繕課に事務局があり、そのおかげで公共建築は見学しやすくなり、2021年も3日間で広島、呉市内26ヶ所の建築が公開、ガイドツアーが開催されるなどしました」

現存する最古級のRC造、最大の被爆建物「旧陸軍被服支廠倉庫」

L字の角部分から全体を見たところ。とにかく広大(写真提供/アーキウォーク広島)L字の角部分から全体を見たところ。とにかく広大(写真提供/アーキウォーク広島)

建築好きからしたら非常に楽しいイベントだが、残念ながら取材に訪れたのはイベントの翌週。そこで高田氏に個別に案内していただくことになり、より広く知ってもらいたい建物として最初に訪れたのが旧陸軍被服支廠倉庫。巨大な軍需工場の遺構であり、現存する最大の被爆建物である。

立地するのは広島市中心部の東側にある南区出汐。地名から分かるようにもともとは沼地で蓮根畑が広がっていたそうだが、日清戦争を契機に軍用鉄道が敷かれ、それに沿って軍需工場が建設された。最盛期には現在倉庫に隣接する2つの高校なども含め、一帯全部が軍需工場だったという。その当時からすれば建物はかなり少なくなっているが、率直な感想は「こんなに長い煉瓦の壁は見たことがない!」

L字の角部分から全体を見たところ。とにかく広大(写真提供/アーキウォーク広島)見学会時の一枚。敷地の一部は高校2校になるなどして使われているが、それでも建物の規模に圧倒される(写真提供/アーキウォーク広島)

建物は全部で4棟。長辺に3棟、短辺に1棟がL字形に配されており、長手方向には500m近い煉瓦の壁が続いている。横に長い煉瓦の建物といえば東京駅だが、東京駅は途中に塔があるなど変化に富む。ところが、こちらは軍の倉庫である。変化はないが、圧倒的な存在感があり、軍都広島のかつての姿をイメージさせる威圧感がある。かつては建物の手前に堀もあったそうで、一般人を寄せつけない、厳しい雰囲気のある場だったのだろうと推察する。

建てられたのは1913年ごろ。2021年の時点で108年と考えると国内最古級の鉄筋コンクリート造の建物ということになる。

「この建物の外観は煉瓦で覆われていますが、実はRC造。といっても煉瓦とRCが併用されており、どちらも構造体として機能しているという珍しいもの。また、普通は木で作る屋根もここでは現場打ちと思しきRC造で、どうやって作ったのか謎です」

窓も謎のひとつ。鉄扉の中に格子があり、さらにその奥に窓があるのだが、普通は観音開きあるいは上下に開くようにするとか。ところがここの窓は横開き。内部に戸袋が作られているのだ。なぜ、そんな使いにくい仕様にしたのか不思議だという。

耐震補強をして保存の方向へ。活用も気になるところ

歪んだままの鉄の扉。このままで補修せず使われてきたことにもびっくりする(写真提供/アーキウォーク広島)歪んだままの鉄の扉。このままで補修せず使われてきたことにもびっくりする(写真提供/アーキウォーク広島)

爆心地より2.7キロ離れており、火はこなかったものの、一帯は熱風に襲われ、鉄扉が歪むなど倉庫も損傷している。だが、大半の建物は倒壊せずに残ったため、被爆直後には臨時救護所となり、多くの被爆者が運び込まれた。

戦後は数少ない残った建物ということでさまざまな用途に使われてきた。まずは学校として使われ、1956年からは3棟を民間企業が倉庫として利用。残り1棟は大学の学生寮などに使用されてきたが、倉庫は1993年に、学生寮は1995年に使用停止となり、現在は全棟が大きな空き家となっている。

県、国の所有になっていることに加え、都心から少し離れたところに立地することから開発圧力にさらされることなく、これまで手つかずの状態で残されてきたが、今後をどうするか、さまざまな動きがあると高田氏。

「広島市は爆心地から5キロ圏内で現存するものを被爆建物として台帳に登録し、補修費用の一部を助成していますが、これが被爆建物の定義とされています。この倉庫はそうした建物のなかでは最大級のもの。変形した扉、瓦に至るまで被爆時のままという保存状態はほかにありませんし、被爆とは別に建物自体にも価値があります。これまで何度か、保存をめぐって動きがありましたが、2021年春に広島県が所有する3棟を耐震化する方針を打ち出しました」

その後、国も残る1棟の耐震強度を調査するとの報道が出ており、4棟がともに存続する可能性も出てきている。ただ、問題は耐震補強だけでいいのかという点。4棟合わせて2万m2以上という大型空き家である。耐震補強だけで使えるようになるわけではなく、立地の悪さから残ってきたものの、活用を考えるとそれがネックという逆説的な問題もある。最終的な残し方が決まるまでには長い、長い論議が必要だろうが、ぜひ、この歴史を考えさせる風景を残してほしいものである。

耐震については初回の調査ではかなり状態が悪いとされたが、保存を前提にした二度目の調査ではまあまあな耐震性があるとの調査結果が出ている。

「一部不同沈下はあるものの、そこまではひどくないようです。最初は東京駅同様に松杭を打って工事をし始めたようですが、軟弱地盤に考慮してか、途中からはコンクリート杭を使っています。もちろん、支持層までは到達しておらず、摩擦で保っているのですが、コンクリート造を試行錯誤しながら造っていた時代の様子が伝わってきます」

歪んだままの鉄の扉。このままで補修せず使われてきたことにもびっくりする(写真提供/アーキウォーク広島)内部の様子。使えるようにするまでにはかなりのハードルがあるが、なんとか再生の道が開けるとよいものである(写真提供/アーキウォーク広島)

広島市中心部に残る被爆建物

建て替え前の広島アンデルセン。通りに面した入り口上部の装飾に注目。建て替え後の写真と比べて見てほしい(写真提供/アーキウォーク広島)建て替え前の広島アンデルセン。通りに面した入り口上部の装飾に注目。建て替え後の写真と比べて見てほしい(写真提供/アーキウォーク広島)

続いて向かったのは中心部、本通り商店街にある広島アンデルセン。もともとの建物は長野宇平治が設計、1925年に建った旧三井銀行広島支店で、被爆時に大破。産業奨励館(原爆ドーム)とどちらを残すかという議論があったほどだったという。

1967年にタカキベーカリーが購入、改修して広島アンデルセンとなったのだが、その時に2階上部にあったバルコニーがなくなり、その下の柱が撤去されるなど建物正面の意匠が大きく改変されている。さらにその後、2016年に耐震性の問題から4年半をかけて建て替えが行われ、2020年には新築オープン。

ちなみに広島アンデルセンが開業した当時はパン店がこのような大規模店舗を持つのは異例で、ベーカリーを中心とした複合店舗の先駆といえる。客が自分でパンを取るスタイルもここが発祥なのだとか。新しい時代を切り開いてきた企業というわけで、その点から考えると、建物の裏に広場が造られているのは興味深いと高田氏。

表通りより一本入った地域が面白いのはどの街でもあることだが、広島でも本通りの裏手に「うらぶくろ」(中心部が袋町なのである)と呼ばれるエリアがあり、アンデルセンの広場はそちらを向いているのだ。それがどういう意図か。想像すると楽しい。

建て替え前の広島アンデルセン。通りに面した入り口上部の装飾に注目。建て替え後の写真と比べて見てほしい(写真提供/アーキウォーク広島)こちらが建替え後。既存の外壁の一部は左手の壁に移されているそうだ(写真提供/アーキウォーク広島)
写真左手にあるのが旧日本銀行広島支店、手前が頼山陽史跡資料館(写真提供/アーキウォーク広島)写真左手にあるのが旧日本銀行広島支店、手前が頼山陽史跡資料館(写真提供/アーキウォーク広島)

中心部にはこれ以外にもいくつか、被爆建物が残されている。日常的に公開されており、見学しやすいのは鯉城通りに面した旧日本銀行広島支店。旧三井銀行広島支店と同じ長野宇平治、日銀臨時建築部による設計で1936年に建築されており、広島に残された最後の様式建築という。

爆心地から380mという近距離にあったため、爆風により窓枠やシャッターなどはすべて吹き飛ばされ、内部は甚大な被害を受けたものの、建物自体は非常に堅牢に造られていたため、崩壊を免れた。そのため、地下金庫の無事が確認された後、8月7日には市内の銀行の代表者が集められ、早くも翌8日からこの建物を共同で使用して業務を再開。広島の復興を支えたという。

見どころは吹き抜けのある1階の広い事務室、2階の被爆時の状況を示すパネルなどが展示された旧日本銀行広島支店資料室(旧支店長室)だろうか。支店長室の床の寄せ木張りは当初のままだそうで、貴重である。

旧日銀の背後には頼山陽史跡資料館があり、ここの門と塀は戦前期のもの。この一角に被爆前の広島が残っているというわけである。

また、隣のブロックにある袋町小学校平和資料館も被爆建物。1937(昭和12)年に建設された小学校自体は取り壊されたものの、その一部が保存され、2000年以降平和資料館として公開されている。内部には被爆者の消息などを記した伝言が書かれた壁の一部(レプリカ)や爆風で壊れた扉や窓などが展示されている。

建て替え前の広島アンデルセン。通りに面した入り口上部の装飾に注目。建て替え後の写真と比べて見てほしい(写真提供/アーキウォーク広島)袋町小学校平和資料館。当時としてはモダンなデザイン(写真提供/アーキウォーク広島)

戦後復興期のモダニズム建築にも名作が

広島には戦後復興期のモダニズム建築も多い。モダニズム建築とは20世紀に現れた伝統的な装飾を排し、合理性や機能美を追求した建築スタイルを指し、直線的で箱形の外観に特徴がある。高田氏は代表的なモダニズム建築として丹下健三による広島平和記念資料館(1955年)と平和記念公園、モダニズムに関連する作品として村野藤吾による世界平和記念聖堂(1954年)を挙げる。この2つは戦後の建築として最初に、同時に国指定重要文化財となった建物である。

広島平和記念資料館は丹下健三の実質なデビュー作であり、戦後の日本建築はここから始まったとすら言われる歴史的な名作。しかも、この建物と原爆ドーム、平和大通りをつなぐ軸線が今も街づくりの基本にあるという。

「現在、原爆ドームの背後に写り込んでしまう商工会議所の建物を移転、解体しようという計画が動いており、今も、広島のまちづくりは丹下健三の描いた都市軸を中心にしています。建築を敷地内にとどめず、都市全体の中に位置づける姿勢が生きているのです」

写真奥にある細長い建物が広島平和記念資料館、手前の洋館は、現在広島記念公園レストハウスとして使われている旧大正屋呉服店。被爆時の姿を留めた地下室が残っている写真奥にある細長い建物が広島平和記念資料館、手前の洋館は、現在広島記念公園レストハウスとして使われている旧大正屋呉服店。被爆時の姿を留めた地下室が残っている
世界平和記念聖堂。ステンドグラスも美しいので訪れたら、ぜひ内部も見学して見て欲しい(写真提供/アーキウォーク広島)世界平和記念聖堂。ステンドグラスも美しいので訪れたら、ぜひ内部も見学して見て欲しい(写真提供/アーキウォーク広島)

世界平和記念聖堂は、建物全体としてはコンクリート打ち放しにコンクリート煉瓦で構成されたシンプルな箱なのだが、壁面の微妙な凸凹の陰影がコンクリートをやわらかく見せているのが不思議なところ。よく見ると松竹梅を模した窓があしらわれているなど、どことなく和風な感じもあり、端正ながらかわいい感じもある。内部のステンドグラスも美しい。

だが、こうした有名な建築だけではなく、名もなきモダニズム建築も多く建てられており、特に1950年代に建てられたものが更新期を迎えて消えつつあると高田氏。丹下、村野両氏の建物のようにシンボリックでもなく、銀行建築のように壮麗さもない建物はなかなか評価されにくいのだ。

そのひとつとして案内されたのが広島県庁である。1956年に日建設計による設計で建てられた、見た目の派手さはないが、バランスのよい、すっきりとした佇まいの建物である。ちょうど訪れた時には耐震化工事やペンキの塗り替えが行われており、大切に使われてきたことがうかがえる。きれいな縦横のラインにアクセントとなるエントランスの緩やかに反った庇が配されており、控えめながら美しい。

ただ、残念なのは正面の広い庭が現在は駐車場となっており、建物の顔が顔らしく見えていないこと。中央部だけでも見通しをよくして建物の魅力をもう少し分かるようにしてもらいたいものである。

写真奥にある細長い建物が広島平和記念資料館、手前の洋館は、現在広島記念公園レストハウスとして使われている旧大正屋呉服店。被爆時の姿を留めた地下室が残っている日建設計による広島県庁。すっきりバランスの良い、おおらかな建物(写真提供/アーキウォーク広島)

市営基町高層アパート、おりづるタワーも必見

もうひとつ、復興期の建物として建築関係者を中心に有名なのが市営基町高層アパート。基町という地名のとおり、もともとは広島開基の、広島城があった土地で、明治になってからは軍都広島の中心地となった場所。

戦後、焼け野原になったこの地には官庁街や公園を整備する計画があったものの、当時は非常な住宅難の時代で、とりあえず応急の公営住宅を建てざるを得なかった。さらに周辺にわれもわれもと小屋を建てる者もおり、1960年ごろまでには一帯は木造住宅密集地域となっていた。そこに火災が頻発した。

なんとかしなくてはという声がようやくまとまったのは1968(昭和43)年。「基町地区再開発促進協議会」が設置され、原爆スラムとも呼ばれた木密地域がすべて解消したのは1978(昭和53)年のこと。10年がかりのプロジェクトで、高層アパートは1972年から1976年に大高正人の設計で建てられた。

1階にピロティ、屋上に庭園を設けた近代建築の巨匠、ル・コルビジェの有名な集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」を思わせると言われ、遠くからでもひときわ目を引く。人工地盤による歩車分離、住環境に配慮したくの字形の配置計画、2層4戸を1ユニットとした構成その他見るべきポイントは多々あるが、普段は非公開。公開の情報があったらぜひ、参加してみたいものである。

広島城方面を見ると必ず背後に見えるのがこの市営基町高層アパート広島城方面を見ると必ず背後に見えるのがこの市営基町高層アパート
再建築ができない立地でもあり、大がかりなリノベーションが行われたおりづるタワー(写真提供/アーキウォーク広島)再建築ができない立地でもあり、大がかりなリノベーションが行われたおりづるタワー(写真提供/アーキウォーク広島)

現代の建物のひとつとして案内されたのがおりづるタワー。原爆タワーの東側、100mと離れていない場所にある、もともとは1978(昭和53)年に建築されたオフィスビルを改装したもので、最上階13階にある「ひろしまの丘」は今や観光名所のひとつ。2010年に株式会社広島マツダが取得、躯体をそのままに外装をプラス、環境、景観に配慮してリノベーションを行い、2016年にオープンしている。

入場料金は大人1,700円(2021年12月時点)とそれなりの額だが、広島市内を一望する、風通しのよい展望広場はのんびり座り込みたくなる気持ちのよい場所で、一度は訪れてみてほしい。これまで原爆ドーム近くには訪れた人が自由に過ごせる、滞留する場がなかったが、おりづるタワーの誕生で新しい動線ができたと高田氏。「しかも、それを民間企業がやったということに意味があると思います」

広島城方面を見ると必ず背後に見えるのがこの市営基町高層アパート入場料金はかかるが、おりづるタワーの展望台は必見。市内が見渡せ、緑、水の豊かさが実感できる(写真提供/アーキウォーク広島)

原爆ドームを建築として見るという妙味

建物の背面の壁が緩くカーブしているのがお分かりいただけるだろうか、川の流れに沿ったものである建物の背面の壁が緩くカーブしているのがお分かりいただけるだろうか、川の流れに沿ったものである

原爆ドームも訪れた。ここでの高田氏の話が「目から鱗」。これまでも訪れたことのある場所だが、考えてみると建築として原爆ドームを見たことはなかった。たとえば、建物裏手の壁は少し湾曲している。なぜだろう?

「ここは江戸時代に広島藩の米蔵があったところで、一部は埋め立て地。広島県物産陳列館、現在の原爆ドームは川に建物の正面を向けており、川に沿って建てられています。だから裏手の壁も川の湾曲に沿う形で湾曲しているのです。設計者のヤン・レツルはチェコの人で、近代ヨーロッパで生まれていた開放的な河川景観が意識されています。今でも川との関係を表現した建物が少ないことを考えると、先進的とも言えるかもしれません」

それ以外にもセセッションの影響がある一方で階段室にはイオニア式の柱があるなど、さまざまな様式の装飾が混在していること、最初に訪れた旧陸軍被服支廠倉庫に比べると壁が薄く、そもそも耐震性には疑問があったことなどなど、いずれも普通の観光ガイドでは聞けない話ばかり。詳しい人と歩くと得るものが大きいと感嘆した。

建物の背面の壁が緩くカーブしているのがお分かりいただけるだろうか、川の流れに沿ったものである広島の水辺の豊かさ! 水辺にはカフェも設置されており、開放感を楽しめる(写真提供/アーキウォーク広島)

それ以外にも地元の建築、街づくりに詳しい人ならではの話のオンパレードだったのだが、全部は書ききれないのでひとつだけ。それは広島の水辺には柵がないという点。東京では必ず子どもがよじ登れないように横格子ではなく、縦格子の柵が設けられるし、水都を掲げる大阪でも柵はある。それはたいていの場合、安全対策をしておかないと市民に文句を言われるからだ。

だが、広島では誰も文句を言わない。歴史的に水辺が他の都市に比べて身近だったからだろうと思う。そこに戦後の復興で造られたグリーンベルトがあり、広い、花に彩られた道路がある。だから、街並みがすごくきれいなのだ。広島の人にとっては当たり前のものらしいが、ほかの都市から訪れるとよく分かる。広島は美しい。さらにそこに建物という楽しみが付加されたら歩きたくなるはず。

そんなときにはぜひ、「アーキマップ広島」を参考にしていただきたい。また、11月に広島を訪れる予定なら「ひろしまたてものがたりフェスタ」の日程を確認、それを目当てに行くというのも一興。紅葉と建物を楽しめるはずだ。

アーキウォーク広島
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