生まれ育ったまちの役に立ちたい。熊本市ではおよそ20年ぶりの銭湯新設

2020年8月、熊本市に新しい銭湯がオープンした。市内で銭湯が新規開業するのは、およそ20年ぶりという。オーナーは、ともに構造設計者の黒岩さん夫妻。銭湯の2階に、4人の娘たちと暮らす。そう、ここは黒岩さんの自宅でもあるのだ。

銭湯の名前は「神水(くわみず)公衆浴場」。「神水」は一帯の町名だ。地下水に恵まれた熊本のなかでも、昔から湧水の多い場所だったことが由来らしい。市街地には珍しい、広大な湖として知られる水前寺江津湖公園からもほど近い。

神水公衆浴場の外観。自宅の玄関も兼ねている。全面ガラス張りでまちに開く神水公衆浴場の外観。自宅の玄関も兼ねている。全面ガラス張りでまちに開く

黒岩裕樹さんは、この神水で生まれ育った。家を建てる前は、近くの分譲マンションに住んでいたそうだ。そのマンションは、2016年4月の熊本地震で大規模半壊し、解体が取り沙汰されている。「住み替えが難しい人もいるので、いつ建て替えられるのか、今もって先行きは不透明です。このまま住み続けるのは難しいので、近くに土地を探して家を建てることにしたわけです」

子どもたちのために、校区は変えたくない。裕樹さんにとって、神水は故郷だ。「せっかくここに新しく家を建てるなら、家族のためだけでなく、何か地元のお役にも立てるようにしたい」。それが、銭湯をつくる動機だった。

神水公衆浴場の外観。自宅の玄関も兼ねている。全面ガラス張りでまちに開く浴場の壁画は知人のグラフィックデザイナー・米村知倫さんに描いてもらった

震災後の実体験を踏まえ、豊かな地下水資源を銭湯に活用

最大震度7を2度繰り返した震災を経て、神水のまちは様変わりした。オフィスや商店、飲食店が入っていたビルが壊され、当時需要が逼迫したマンションに建て替えられていった。「まちがベッドタウン化していき、夜間や週末の人通りが減って、ひっそりとした雰囲気になってしまいました」

黒岩さん夫妻が購入した土地にも、もとはビルが立っていた。ここに普通の住宅を建ててしまったら、まちと接点を持つのは難しい。

交通量の多いバイパスに面して立つ。入り口は歩道から少しセットバックし、湯上がりに涼めるベンチが設けられている交通量の多いバイパスに面して立つ。入り口は歩道から少しセットバックし、湯上がりに涼めるベンチが設けられている

「構造設計者という職業柄、熊本の地盤や地下水脈のことはよく知っています。この土地の下には、遠い昔に起きた阿蘇の大噴火による溶岩があり、その下をきれいな水が流れている。これを活かせないか、と考えたのがまず一つ」と裕樹さん。

さらに、熊本地震の際の経験がある。
「発災から2ヶ月もの間、自宅の風呂は使えませんでした。近くにある健康ランドに入浴客が集中して、洗い場までお湯があふれかえっていました」(裕樹さん)。
一方で、近所に残っていた銭湯は、被災から立ち直れずに廃業した。

「地域の災害への備えとして、小さくてもいいから銭湯はあったほうがいい。熊本地震でも、電気は数日で復旧しました。地下水を直接汲み上げて使えば、電力の復旧後、すぐにお風呂を提供できます」。平時でも、近隣の高齢者に重宝してもらえるのではないかと考えた。「お年寄りにお風呂掃除は大変ですから」

2度の大地震に耐える構造。伝統建築に倣った「重ね透かし梁」

建物の設計は、一緒に仕事をしたことのある建築家のうち、特にまちづくりに実績のあるワークヴィジョンズの西村浩さんに依頼した。工事にとりかかったのは、震災からおよそ3年半を経た2019年の10月だ。「地震直後は忙しくて、自分たちの家のことは後回しになってしまって。ただ、着工が遅くなった分、復興で急騰した工事費も、だいぶ落ち着いていました」

建物には、構造設計者ならではの工夫が詰まっている。
「熊本地震は2回激しく揺れたので、この建物も2回耐えられるように考えています。1回目は合板の耐震壁が効く。2回目は、天井の重ね透かし梁で耐えます」

「重ね透かし梁」とは寺社などに用いられる伝統的な構法で、これを応用し、細い部材を重ねることで構造を強くしている。「コストダウンの手段でもあります。余っている間伐材を利用して、建材費を安く抑えているんです」

浴場の天井に見えるのが「重ね透かし梁」。洗い場の床と浴槽、壁の立ち上がりまで、現場施工のテラゾー(人造大理石)で一体に仕上げている。お湯は地下から水を汲み上げ、温室効果ガスを増やさない都市ガスで沸かす浴場の天井に見えるのが「重ね透かし梁」。洗い場の床と浴槽、壁の立ち上がりまで、現場施工のテラゾー(人造大理石)で一体に仕上げている。お湯は地下から水を汲み上げ、温室効果ガスを増やさない都市ガスで沸かす
屋根の形が現れた2階の天井。パネルとパネルの境目に見える鼓型の部材が「千切り」屋根の形が現れた2階の天井。パネルとパネルの境目に見える鼓型の部材が「千切り」

主な構造は木造だが、地上から2.5mの高さまでは鉄筋コンクリートで立ち上げている。近くに湖があるので、万一の水害に備えるための工夫だ。裕樹さんは幼い頃から、何度か氾濫を経験しているそうだ。

さらに、ゆるいカーブを描くカマボコ型の屋根は、CLT(Cross Laminated Timber=
直交集成板)と呼ばれる木の板を重ねたパネルでつくったものだ。簡単には曲がらないパネル同士を、「銭湯の桶のように(裕樹さん)」かみ合わせてアールをつけている。

木と木をつないでいるのは、家具などに用いられる、鼓のような形をした「千切り」で、これも構造家としての経験からきた工夫だ。「発展途上国で仕事をしたとき、日本で使うような接合金物が手に入らずに苦労しました。木を刻んでつくる千切りの手法は、どこででも使えます」

半径2km圏内、5つの町内会に銭湯開業の許可をもらって回る

脱衣室。左側の壁は、地元熊本のい草を使った建材脱衣室。左側の壁は、地元熊本のい草を使った建材

建築のプロとして土地の特性や構法を知り尽くしていることに加え、近隣には子どもの頃からの同級生たちがいる。工事は裕樹さんが自ら陣頭指揮を執り、大工や左官として活躍している友人たちに結集してもらった。もちろん、完成後はお風呂に入りにも来てくれているそうだ。

一方で、黒岩さん夫妻にとって銭湯という商売は初めてのことばかりだ。

銭湯は「公衆浴場法」が定める「一般公衆浴場」に当たり、営業には都道府県知事の許可が必要だ。健康ランドやヘルスセンターなどの「その他の公衆浴場」と異なり、終戦直後に制定された「物価統制令」に則って、都道府県ごとに入浴料金が定められている。

営業許可を得るには保健所に届けを出さなければならないが、その前に、銭湯の所在地から半径2km圏内の、すべての町内会から了承を取ってくるように言われたという。
「何よりそれが大変でしたね。ご近所は日常的に交流があるので理解を得られやすかったけれど、離れた町だと知り合いもいませんし。つてをたどって話し合いを重ねて、なんとか許可を取りつけました」

お客さんが「ありがとう」と帰っていく。喜ばれている実感がある

開業からおよそ1年が経ち、お客さんも定着してきた。「時期によっては観光らしきお客さんもいましたが、最近は常連さんが多いですね。ご近所の高齢者もいますが、思ったより若い人が多いのに驚いています。建物のデザインのおかげかもしれません」

2階の住居には浴室を設けておらず、営業後は銭湯が家族のお風呂だ。小学生の長女・次女は遊びにきた友人と入浴を楽しむこともあるという。

開業当初は毎日営業していたが、今は週の半分の4日間にとどめている。コロナ禍でリモートワークが進んだので、平日の夕方は番台でパソコンに向かうことも多いそうだ。近所に住む裕樹さんの両親も、仕事のあとにここへ来て、表の掃除や植木の世話を手伝いながら、お客さんとの談笑を楽しんでいる。

「いわゆる“商い”は初めての経験ですが、意外だったのはお客さんのほうから『ありがとう』と声を掛けられること。ゆっくり入浴できる施設が減っていく中で、この場所をつくったことが、喜んでもらえているのかな、と感じています」

神水公衆浴場 
所在地:熊本市中央区神水2-2-18
営業時間:16時〜20時 休み 火・木・金曜
料金:大人(中学生以上)350円、小学生100円、6歳以下無料
問い合わせ先 :050-1258-1556

番台を通って住居に入る。左手のガラス壁の奥に、2階への階段が見える番台を通って住居に入る。左手のガラス壁の奥に、2階への階段が見える

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