若くして脚光を浴びるも10年間の不遇期

コロナ禍での自粛期間が長い中、コロナ禍が明けて、国内旅行を計画するなら、建築を巡る旅はいかがだろうか?
6月18日から東京国立近代美術館で始まる「隈研吾展」を前に、書籍『隈研吾建築図鑑』の取材メモから、3つの“隈研吾ツアー”を紹介する記事(1回目はこちら)の2回目。

隈氏を有名にした「M2」。1991年完成(写真:宮沢洋)隈氏を有名にした「M2」。1991年完成(写真:宮沢洋)

建築界で「隈研吾」の名前を一躍有名にしたのは、1991年に完成した「M2(エムツー)」というビルだ。これは自動車メーカー・マツダの子会社である「M2」の本社ビルとして完成。その後、葬儀社のメモリード東京に買い取られて、2003年からは「東京メモリードホール」となっている。

そのインパクトで一躍有名にはなったものの、完成と同時にバブル経済が崩壊。「M2」は、“バブル建築の象徴”のようにメディアに取り上げられてしまう。その結果、隈氏は「M2」の後、東京での仕事がパタリとなくなる。隈氏はこの期間を「失われた10年」と呼ぶ。

それでも有名にはなっていたので、地方の小さな仕事には声をかけられた。だが、どれも予算が厳しく、かつてのようにはお金がかけられない。

隈研吾の建築を巡る取材メモから、3つの“隈研吾ツアー”を紹介する。木や石、左官といった自然素材を取り入れ、2000年に栃木県那須周辺に完成した3つの建築を見ていこう。「M2」のイラスト。書籍『隈研吾建築図鑑』から抜粋(イラスト:宮沢洋、以下も)

忘れられていた自然素材を主役に

厳しいコストの中で隈氏が注目したのが、木や石、左官(塗り壁)といった自然素材だ。バブル期にはほとんどの建築家が注目していなかった素材だ。

隈氏は10年かけて自然素材を自身の建築に徐々に取り入れ、2000年に栃木県那須周辺に完成した3つの建築で再ブレイクを果たす。

①那珂川町馬頭(ばとう)広重美術館(完成時は馬頭町広重美術館)
完成:2000年
所在地:栃木県那珂川町馬頭116-9
発注者:馬頭町(現・那珂川町)
設計者:隈研吾建築都市設計事務所

3つのうち、建築界で最も話題になったのが「那珂川町馬頭広重美術館(完成時は馬頭町広重美術館)」だ。

那珂川町馬頭広重美術館の外観(写真:宮沢洋、以下も)那珂川町馬頭広重美術館の外観(写真:宮沢洋、以下も)
那珂川町馬頭広重美術館の外観(写真:宮沢洋、以下も)那珂川町馬頭広重美術館の軒下部分

まず、建物の形が「M2」とは全く異なる。子どもが描いたようなシンプルな家の形(建築的に言うと「切り妻」型)。それをすっぽりと、スギのルーバー(細長い棒を並べたもの)で覆った。屋根までルーバーで覆ったというのがミソで、そんな使い方をした建築家はそれまでいなかった。

那珂川町馬頭広重美術館の外観(写真:宮沢洋、以下も)M2と那珂川町馬頭広重美術館の形の比較。書籍『隈研吾建築図鑑』から抜粋

石積みやワラ塗りを現代風にアレンジ

②石の美術館
完成:2000年
所在地:栃木県那須郡那須町芦野2717-5
発注者:白井石材
設計者:隈研吾建築都市設計事務所

広重美術館から北に約35km。同じ2000年に完成した「石の美術館」は、名前の通り、テーマが石だ。「石の建築」というと、普通は塊の石を積み上げたものを想像するが、隈氏は石を薄くスライスし、それを隙間を空けながら積み上げた。これを既存の石蔵と組み合わせ、空間を構成した。

隈氏は、職人と試行錯誤しながら、薄くスライスしたり、焼いて色を変えたりと、様々な石の表現を試した。施設は、写真展などを行うミュージアムだが、建築自体が石の可能性を発信する場でもある。

石の美術館の外観。中央は保存した石蔵石の美術館の外観。中央は保存した石蔵
石の美術館の外観。中央は保存した石蔵石の美術館の新築部(左)。スライスした石を積み上げた

③那須歴史探訪館
完成:2000年
所在地:栃木県那須郡那須町芦野2893
発注者:那須町
設計者:隈研吾建築都市設計事務所

石の美術館から5分ほど坂道を上ると、この「那須歴史探訪館」が現れる。石の美術館ほど有名ではないが、これも建物内に入ると、独特の空間にびっくりする。様々な自然素材が現代的な手法で使われており、なかでも驚きなのが、「ワラパネル」だ。ワラ(藁)にノリ(糊)を混ぜてアルミメッシュに塗ったものを、ガラス窓のスクリーンや天井の仕上げとして用いている。

隈氏は那須のこの3作で「M2の隈研吾」というイメージを払拭。建築界のトップランナーに返り咲いた。

石の美術館の外観。中央は保存した石蔵那須歴史探訪館の外観
石の美術館の外観。中央は保存した石蔵那須歴史探訪館の内部

宝積寺駅と駅前広場を見逃すな!

東京方面から車で那須に行く人は必ず、宝積寺駅に寄ってほしい。電車で行く人は、東北本線を途中下車して駅の階段と駅前広場を見てほしい。

④ちょっ蔵広場
完成:2006年
所在地:栃木県塩谷郡高根沢町宝積寺2416
発注者:高根沢町
設計者:隈研吾建築都市設計事務所

「ちょっ蔵広場」は2006年、JR宝積寺駅東口に完成した。広場を挟んでホールと多目的展示場が立つ。多目的展示場にはカフェなどが入っている。

いずれも外壁に大谷石をギザギザに積み上げており、石とは思えない軽やかさだ。繰り返し現れる菱形が広場全体に統一感を醸し出している。

ちょっ蔵広場の多目的展示場。左奥に宝積寺駅が見えるちょっ蔵広場の多目的展示場。左奥に宝積寺駅が見える
ちょっ蔵広場の多目的展示場。左奥に宝積寺駅が見える大谷石を積んだ外壁

⑤宝積寺駅
完成:2008年
所在地:栃木県塩谷郡高根沢町宝積寺2374-1
発注者:高根沢町、東日本旅客鉄道
設計者:東日本旅客鉄道・ジェイアール東日本建築設計事務所(建築)、隈研吾建築都市設計事務所(監修)

広場の完成から2年後に完成した駅舎も隈氏が設計した。こちらは、高架の改札に至る東西の階段の天井部が、鉱物のかけらを思わせるギザギザ形状だ。当初は大谷石を使うことを考えたが、安全への配慮から、ラワン合板でつくった。ベースとなる平面形はちょっ蔵広場と同様、菱形なのだが、そうは見えない。

ちょっ蔵広場の多目的展示場。左奥に宝積寺駅が見える宝積寺駅の階段

2000年代後半から「パラパラ感」が加速

前回、隈建築の特色は「独特のパラパラ感だ」と書いた。振り返ると、それはちょっ蔵広場(2006年)と宝積寺駅(2008年)あたりから急速に進化していく。2年後の2010年に、まちの駅ゆすはらと木橋ミュージアムが完成するという流れだ(前回参照)。

ちょっ蔵広場のホール入り口ちょっ蔵広場のホール入り口
『隈研吾建築図鑑』の装丁。タイトル文字やイラストは宮沢洋『隈研吾建築図鑑』の装丁。タイトル文字やイラストは宮沢洋

次回は、この3年ほどの間に6つの隈建築が完成した“新聖地”、茨城県境(さかい)町をリポートする。

『隈研吾建築図鑑』
価格:2640円(税込)
ISBN:978-4-296-10885-5
発行日:2021年5月11日
著者名:宮沢 洋(画・文)
発行元:日経BP ページ数:208ページ 判型:A5
Amazon:https://www.amazon.co.jp/dp/4296108859/
日経の本:https://www.nikkeibp.co.jp/atclpubmkt/book/21/282010/

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