建築家の「業(ごう)」を真正面から描く

この映画を試写会で見たとき(2017年)、巨匠 ル・コルビュジエのパンツ一丁姿が強烈過ぎて、正直、内容が頭に入らなかった。女性建築家の草分けであるアイリーン・グレイとはどんな人物だったのか、映画監督は何を伝えたかったのか、今回は何度も巻き戻しながらじっくり見てみた。

建築や住宅、それを設計する「建築家」は、映画やテレビドラマの中でどう描かれているのか。元・建築雑誌編集長で画文家の宮沢洋(BUNGA NET編集長)が、「名セリフ」のイラストとともに、共感や現実とのギャップをつづる。今回取り上げるのは、映画「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」だ。

主な登場人物は、家具デザイナーで建築家でもあったアイリーン・グレイ(1878~1976年、以下グレイ)と、近代建築の巨匠、ル・コルビュジエ(1887~1965年)。そして、アイリーン・グレイの恋人であった建築ジャーナリストのジャン・バドヴィッチの3人だ。

建築家が登場するあまたの映画の中でも、その業(ごう)の深さ、悲しさをこれほど真正面から描いた映画は珍しい。コルビュジエの(まぬけな)海パン姿が象徴するように、コルビュジエを一貫して“奔放過ぎる困ったちゃん”として描いている視点も新鮮だ。

家は住むための機械ではない

舞台はフランス、コートダジュールに立つ住宅「E.1027」。グレイの設計により1929年に完成した住宅だ。この映画は、以下の史実をベースにつくられている。

・家具デザイナーとして名を成していたグレイが設計した自邸「E.1027」は、コルビュジエが掲げる「近代建築の五原則」に影響を受け、それを先取りした住宅だった。
・雑誌発表時にグレイの設計であることが明示されなかった。
・コルビュジエの「壁画事件」(後述)により、アイリーン・グレイとコルビュジエの溝が深まった。
・コルビュジエがこの家のすぐ裏に、自身の別荘「カップ・マルタンの休暇小屋」を建てたこともあり、多くの人が最近までこの家もコルビュジエの設計だと思っていた。

恥ずかしながら私は、この映画を見るまでどのエピソードも知らなかった。建築に関わる仕事の人なら「家具デザイナーとしてのグレイ」は知っていると思うが、ここまで詳しい人は少ないのではないか。監督のメアリー・マクガキアンは、2人の建築家の確執をドラマ仕立てで描きつつ、「建築家としてのグレイ」の偉業を再評価する。

グレイとコルビュジエのすれ違いを象徴するのが、グレイのこのセリフだ。

「家は機械でなく、人を包み込む殻なの」──by アイリーン・グレイ

映画の序盤、グレイが住宅「E.1027」の設計に取り掛かる場面。すでに知り合いだったコルビュジエに言うセリフだ。コルビュジエの名言「家は住むための機械である」(1923年に著作『建築をめざして』で発表)に対抗しての言葉だ。

コルビュジエが「機械」と言ったのは、住宅も飛行機や自動車のように「住む」ということを機能として捉え、もっと合理的につくる必要がある、という意味だ。さすがにグレイも、「新しい視点の例え」であることは分かるはずで、まさか「家は機械でない」とは言わないのではないか、これは演出かな、と思った。だが、後で調べてみると、このセリフはグレイの評伝にも書かれている史実らしい。

「家は住むための機械ではない。人間にとっての殻であり、延長であり、解放であり、精神的な発散である。外見上調和がとれているというだけではなく、全体としての構成、個々の作業がひとつにあわさって、もっとも深い意味でその建物を人間的にするのである」(アイリーン・グレイ、ピーター・アダム著/小池一子訳による『アイリーン・グレイ 建築家・デザイナー』より)

モダニズムという目標は同じでも、コルビュジエとはそもそも相いれないスタンスであったことが伝わってくる。

(イラスト:宮沢洋)(イラスト:宮沢洋)

2人の溝を深めた「壁画事件」

ピロティや自由な平面、連続する水平窓といったコルビュジエの思想を先取りして「E.1027」は1929年に完成する。コルビュジエが出世作となる「サヴォア邸」を完成させるのは2年後の1931年だ。

「E.1027」はいくつかの雑誌で取り上げられ、賞賛される。だが、建築ジャーナリストで建物の所有者でもある恋人のジャン・バドヴィッチが、最初の発表時にグレイの設計であることを明示しなかったため、グレイの「建築家」としての評価は高まらない。

そんななか、この住宅の価値を最も評価していたのはコルビュジエで、嫉妬にも似た感情を抱いていた(と映画では描かれる)。コルビュジエはこの家に入り浸るようになり、1938年に事件を起こす。グレイが長期不在の間に、グレイの許可なく、8ケ所の壁に勝手に壁画を描いてしまうのだ。これにグレイは激怒し、2人の亀裂は決定的になる。

映画では、コルビュジエは壁絵を描いているとき、常に海パン1枚だ。実際に海パンで描いたのかはさておき、グレイがコルビュジエの壁画に激怒したのは本当であるという。ピカソのような絵で凡人には何だかよく分からない絵だが、モチーフに裸の女性が含まれていたのがグレイを怒らせたという説もある。

戦後の1951年、コルビュジエはこの住宅のすぐ裏の敷地に「カップ・マルタンの休暇小屋」を建てる。トラブルの種の近くに別荘を建てるというのは、一体、どんな心境なのだろうか。それから14年後の1965年、コルビュジエはこの別荘から海水浴に出て、心臓発作を起こし、亡くなってしまう。

(イラスト:宮沢洋)(イラスト:宮沢洋)

建築家は神ではない

グレイの目線で描かれた「憎まれ役」コルビュジエは、主役を食うほどに奔放でこっけいな人物に描かれている。日本では「神」のごとくあがめられるコルビュジエだが、海外では「近代建築をリードした1人くらいの評価だ」と言う人もいる。こんな映画が実現ができてしまうのは、実際、そうなのかもしれない。

監督のメアリー・マクガキアンはこの映画の一方で、『アイリーン・グレイ 孤高のデザイナー」というドキュメンタリー映画を制作している。両映画のために、「E.1027」の修復に動き、実現してしまうという、グレイ愛が半端ない人だ。コルビュジエを憎々しく描くのも、物語を盛り上げるためではなく、本心なのかもしれない。

この映画はこの映画で面白いが、同じ題材をコルビュジエ目線でつくったらどうなるのだろうか。いつかそういう作品も見てみたいものだ。

知っておきたいグレイの名作家具3点

情報量の多いこの映画は、このくらいのことを知ってから見てもネタバレ感はないだろう。むしろ、ある程度、史実を知ってから見た方が登場人物の感情が理解しやすいと思う。その意味では、グレイの家具の代表作もいくつか知っておくとよいだろう。最低、知っておきたいのはこの3つだ。

・ドラゴンチェア(竜の肘掛け椅子)。映画冒頭のオークションで高額落札される椅子。実際、2009年のクリスティーズで、約28億円という、椅子としては当時最高価格で落札された。
・ビバンダム・チェア。グレイの椅子の中でも特に有名。タイヤメーカー、ミシュランのキャラクター「ムッシュ・ビバンダム」から命名された。
・E.1027。住宅「E‐1027」のためにデザインされたサイドテーブル。ガラス天板とスチールパイプで構成され、テーブルの高さが調節可能。

ちなみに、住宅やサイドテーブルの名前に使われている「E.1027」は、Eがアイリーン・グレイのイニシャルのE、10が恋人であるジャン・バドヴィッチのJ(アルファベットの10番目)、2がB、7がGをそれぞれ表している。

■映画「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」
2015年アイルランド制作、2016年公開(日本公開は2017年)、108分
原題:The Price of Desire
監督・脚本:メアリー・マクガキアン
出演:オーラ・ブラディ(アイリーン・グレイ)、ヴァンサン・ペレーズ(ル・コルビュジエ)、フランチェスコ・シャンナ(ジャン・バドヴィッチ)ほか

(イラスト:宮沢洋)(イラスト:宮沢洋)

2020年 12月09日 11時05分