高輪ゲートウェイ駅はエコな仕掛けのある駅だった

2016年から活動する一般社団法人東京建築アクセスポイントは、建築文化の振興などを目的に設立された団体で、日常的に建築ツアーを実施するなど一般の人にも身近な活動を行っている。建築好きとしてはぜひ一度参加してみたいと思いつつ、ようやく参加できたのは2020年6月。同年3月に暫定開業した高輪ゲートウェイ駅から品川駅までを歩くコースで、これは山手線沿線の建物を順に見学して歩くコースの初回。当然、集合場所は高輪ゲートウェイ駅の改札前。

集まったのは参加者10人と解説を担当する建築史家の和田菜穂子氏。互いに簡単な自己紹介の後、最初の見学は国立競技場や渋谷駅など日本各地で数多くの建物を手がける隈研吾氏による高輪ゲートウェイ駅構内。折り紙を模した大屋根が特徴的な駅で、他の駅のほとんどがゴシック体のロゴを採用しているのに、なぜか、ここだけは明朝体という点も話題になった。

壁面緑化、木を多用した内装、風力発電(敷地の端にあり、率直なところ、申し訳程度にしか思えず)などを取り入れ、エコな駅を目指しているそうだが、実際の現場で印象的だったのは駅構内を風が抜ける造り。線路側のガラスの壁面下部が開くようになっていて、そこから入った風が反対側の上部から抜けていくようになっているのである。これなら無駄に電気を使うことなく、自然の力で涼を取れる。

電車が眺められるよう、線路方面を向いたベンチや木を置き、芳香を漂わすトイレ、ホームの妙に広いベンチなど他の駅とは違う点を見て歩いたのだが、新駅とあって同様の見学客も目についた。理由は分からないものの他店に比べ、一人用のブースが多い構内のスターバックスの造りも不思議だった。

高輪ゲートウェイ駅のあれこれ。右下の写真の下部の窓に注目。ここから空気を取り入れる仕組みになっている。ベンチは列車を見学する人たちに人気高輪ゲートウェイ駅のあれこれ。右下の写真の下部の窓に注目。ここから空気を取り入れる仕組みになっている。ベンチは列車を見学する人たちに人気

明治~昭和のお屋敷が並ぶ一角をチラ見

高輪ゲートウェイ駅からは第一京浜を渡り、桂坂を上って高輪方面へ。第一京浜はかつての東海道で、海沿いを通っており、海岸線には護岸の石垣が積まれていた。私たちが渡った高輪二丁目の信号の角にはビルの工事で発掘された石垣が復元されており、その歴史を伝える掲示も。高輪ゲートウェイ駅はもちろん、その先はすべて海だったと思うと時間が変えてきたものの大きさを実感する。

ちなみに桂坂とは由緒ありげな名称だが、港区のホームページによると「昔、蔦葛(つたかずら・桂は当て字)がはびこっていた。かつらをかぶった僧が品川からの帰途急死したからともいう。」とのことで、いささかがっかり。

だが、桂坂の両側には高い石垣がそびえ、ところどころに見える建物はいずれも由緒あるもの。坂の中ほどにある日本家屋は小説家の柴田錬三郎邸で、その隣にある旧朝吹常吉邸から敷地を分割してもらって建てたものとか。

朝吹常吉は明治から昭和にかけての実業家で三越、元帝国生命保険(現・朝日生命保険)の社長を務めた人である。長女・朝吹登水子はフランソワーズ・サガンの『悲しみよこんにちは』などで知られる翻訳家で、2011年に「きことわ」で第144回芥川龍之介賞を受賞した作家の朝吹真理子は曾孫。外からわずかに見える邸宅は1924年、日本各地で西洋建築の設計を数多くてがけたウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で造られたスパニッシュ・スタイルの白い洋館。加賀の前田家、東芝の迎賓施設を経て、2016年からは日本テレビの所有となっている。

左上から時計回りに桂坂入口、江戸時代の石垣周辺の掲示、柴田錬三郎邸、朝吹常吉邸左上から時計回りに桂坂入口、江戸時代の石垣周辺の掲示、柴田錬三郎邸、朝吹常吉邸

消防署、教会からホテルの裏口まで

桂坂を上がり切ったところの角にあるのが1933年に建てられた高輪消防署二本榎出張所(旧高輪消防署)。1930年代に流行したドイツ表現主義を思わせる建物で、交差点の角に面した火の見櫓だっただろうタワー部分は灯台のようにも見える。実際、この建物が造られた頃はまだ海が近かったはずで、タワーからは海が見えたかもしれない。この日は内部を見学させていただく予定になっていたのだが、あいにく、事情があり、外部から眺めるだけに。普段、何もなければ見学できる場所なので、関心のある方はぜひ。レトロな消防車も置かれている。

高輪消防署を後に品川方向へ。歩きだしてすぐのところにあるのが消防署と同じ年に建てられた日本基督教団高輪教会。設計は、フランク・ロイド・ライトの弟子である遠藤新の事務所勤務を経て、ライトの下で学んだ岡見健彦。三角の屋根に十字架があしらわれたシンプルな外観の教会で、日曜日の礼拝の時間なら教会員でなくても参加できると和田氏。こちらも関心のある方はぜひ、である。

そして続いてはグランドプリンスホテル新高輪(新高輪プリンスホテル)へ。ここで最初に説明を受けたのは国際館パミールの隣にある建物の裏口。新高輪プリンスホテルは戦前から戦後にかけて活躍した建築家・村野藤吾の最晩年の作品のひとつ。

「裏口にも手を抜かない、凝った造形、手触り感のあるエロティックな陰影をぜひ、見ていただきたい」と和田氏。解説のあるツアーでなければまず行かない場所だが、言われてみると納得。細部に神宿るとはまさにこのことで、建築家のこだわりを見せていただいた気がした。

左上から時計回りに消防署前で解説する和田氏、説明版、警察署に高輪教会左上から時計回りに消防署前で解説する和田氏、説明版、警察署に高輪教会

解説があるから分かること多数

ホテル内部も見学させていただいた。ただ、1982年の竣工から改装が行われている部分もあり、ロビーなどはオリジナルからはだいぶ変わっているとのこと。だが、いくつか、そのまま残っているものがあるとまず教えていただいたのがエレベーター。黒い扉に貼られているのは七色に光るあこや貝(!)で、内部の天井にもびっしりとあこや貝が貼られているのである。なんと、手の込んだ細工だろうか。

また、オリジナルの客室入り口にはアルコーヴがあり、門扉と門灯がついていたそうで、ごく一部にそれが残されている場所を案内いただいた。だが、順に改装されていることを考えると、この姿が残されるのはいつまでだろうか。見られて良かったと思う。

それ以外にも天井の灰皿のような照明の一部にオリジナルが残されていることや、ラウンジから見える滝部分の植栽には非常にこだわったことなど普通に歩いているだけでは分からない建築家のこだわりが語られ、非常に楽しい時間になった。当日見学した部分以外にもメインバーあさま、和食清水にはオリジナルが残されており、庭園には村野藤吾による茶室「惠庵」も。茶室と食事を楽しむツアーもあるそうなので、機会があれば参加してみたいものである。

グランドプリンスホテル新高輪ホテル内の村野藤吾のオリジナルを見ながらの見学グランドプリンスホテル新高輪ホテル内の村野藤吾のオリジナルを見ながらの見学

歴史を感じる旧竹田宮邸に興奮、建築の楽しさを実感

現在2つのプリンスホテルがある辺りにはかつて宮邸があった。約100年前の関東大震災直前の地図を見ると国際館パミールからグランドプリンスホテル新高輪にかけては北白川宮邸、その東側、泉岳寺寄りには竹田宮邸、品川寄りには朝香宮邸があり、そのうち、竹田宮邸の一部だけが現存する。グランドプリンスホテル高輪の貴賓館である。

1911年にジョサイア・コンドルの弟子だった宮内省内匠頭の片山東熊などの手によって建てられた竹田宮邸は和館、洋館が並列した形で造られていたそうだが、今日残っているのは当時流行っていたネオバロック様式で建てられた洋館のみ。戦後、商工大臣公邸、通商産業大臣公邸を経て1953年に高輪プリンスホテル(現グランドプリンスホテル高輪)の所有となり、1972年に村野藤吾によって改修が行われ、現在は結婚式場として使われている。

建物は地上2階、地下1階の木造煉瓦造りで、かつては品川の海が一望できたとか。そのためだろうか、階段踊り場にあるステンドグラスに描かれていたのは海の風景だった。玄関などは意外にコンパクトな印象を受けたが、さすがに宮家である。階段の手すり、親柱の彫刻は非常に繊細で手の込んだ品で、思わず見とれてしまった。また、竹田宮邸と迎賓館(旧赤坂離宮)の竣工は2年違いの、ほぼ同じ時期であるためか、床のモザイクタイルの意匠などに似た雰囲気があるようだ。見比べてみるのも面白いかもしれない。

ツアーを始めた頃には洋館巡りが多かったと和田氏。「久しぶりに訪れましたが、やはり洋館は良いですね」という言葉に参加者も頷くことしきり。歴史を感じるだけではなく、それがどのようなものかを具体的に教えてもらえるのは楽しく、身にも付く(気がする)。山手線沿線の建築ツアーはもちろんのこと、このご時世でもあり、ヴァーチャルな建築ツアーも展開している。建築好きな人ならリアルもヴァーチャルも一度参加してみてはいかがだろう。

東京建築アクセスポイント
http://accesspoint.jp/

旧竹田宮邸「高輪 貴賓館」。コンパクトな洋館ながら見どころはたくさん旧竹田宮邸「高輪 貴賓館」。コンパクトな洋館ながら見どころはたくさん

2020年 08月10日 11時00分