日本の左官技術が生んだ芸術「鏝絵」の世界

鏝絵(こてえ)というものをご存知だろうか?

漆喰(しっくい)を用いてつくられる日本版レリーフと言えばイメージしやすいだろうか。蔵や室内外の壁面に立体的に漆喰で描かれる絵。左官職人が「こて」を用いて仕上げていくことからその名で呼ばれている。江戸期より豪商や網元が母屋や土蔵に富の象徴として盛んに装飾を施したことから、花鳥風月や福を招く神々の姿など富を題材とする絵柄が多い。ある蔵の扉の内側には今にも動きだしそうな一対の龍。ある家の客間には、額縁そのものを漆喰でつくった掛け軸が鎮座するといった具合だ。実は高松塚古墳や法隆寺金堂の壁画も漆喰装飾であり、鏝絵と同じ技法だとされている。

この鏝絵の世界で、江戸の末期から明治初期にかけて「神様」と呼ばれる人物が存在した。それが静岡県松崎町出身の入江長八(いりえちょうはち)である。鏝絵自体は江戸中期から徐々に盛んになっていたというが、それまで左官職人の一技術に過ぎなかった漆喰装飾を芸術の域にまで高め「伊豆の長八」ここにありと評された人物である。

そんな長八の作品を目にすることができるのが、生まれ故郷である西伊豆の松崎町にある「伊豆の長八美術館」だ。実はこの美術館、単に長八の作品を集めているだけではない。美術館の建物自体、日本全国の左官の技術が集結してつくられた。いわば左官の技術を再評価させた意義の深い建物だという。今回は、日本が生んだ鏝絵の芸術と、左官の技術について取材をしてきた。

左官の天才、入江長八が明治9年に描いた鏝絵。左官の仕事道具「こて」を操り、漆喰で立体感のある絵画を描くもの。龍は長八が得意とした題材。この躍動感と緊迫感が長八作品の大きな特徴だ左官の天才、入江長八が明治9年に描いた鏝絵。左官の仕事道具「こて」を操り、漆喰で立体感のある絵画を描くもの。龍は長八が得意とした題材。この躍動感と緊迫感が長八作品の大きな特徴だ

左官の神様「伊豆の長八」生んだ町

「“漆喰を使って絵を描く”と簡単なことのように言いますが実はとても難しいものなのです。油絵のように乾くまでに相当に時間がかかる画材とは異なり、漆喰はすぐに固まっていきます。そんな漆喰を使ってここまで細かな表現をすることは至難の業。長八にはお弟子さんもいましたが、あの細やかな作風は誰にもマネができない神の領域といわれています」というのは、今回お話をうかがった「伊豆の長八美術館」学芸員の靍見志乃さんだ。

なるほど、漆喰を使った装飾というのは時間との勝負。にも関わらず長八の描いた作品はまさに今にも動き出そうなほど臨場感に溢れている。代表作の「春暁の図」など、御簾をあげる女官に妖艶な美しさが見事に表現されている。

実は長八は、もともと左官職人を目指していたわけではない。若い頃には絵師を志し、狩野派の画業を学んでいる。しかし、絵師として目が出ることのなかった長八は、かつて生業として弟子入りしていた左官職人の道に戻り、そこで鏝絵という独自の芸術を開花させた。

日本橋茅場町の薬師堂の柱に「昇り龍」と「下り龍」の一対の龍を描き一躍有名になった長八は、浅草観音堂、目黒の祐天寺、港区泉岳寺など次々と作品を世に送りだし、明治10年には「第一回内国勧業博覧会」に作品を出展するまでに名声を高めた。しかし、残念なことに江戸の各地に施された作品は大正時代の関東大震災でほとんどが焼失している。

幸いにも稀代の天才の仕事ぶりは、長八の故郷周辺には多く残されていた。これを後世に残そうと生まれ故郷の松崎町が取り組んだのが「伊豆の長八美術館」の建設だ。長八や弟子の作品など約70点を収集した美術館が1984年に開館したが、この美術館自体、日本の左官技術の再興に大きな役割を担ったという。

「春暁の図」(右)は、清少納言の『枕草子』に出てくる「春はあけぼの……」を画題としたもの。左下の写真は旧岩科村役場の6畳間の天井にあった「ランプ掛けの龍」。ランプの煤の汚れで黒くなり、かえって眼光の鋭さが際立ち凄みを増している「春暁の図」(右)は、清少納言の『枕草子』に出てくる「春はあけぼの……」を画題としたもの。左下の写真は旧岩科村役場の6畳間の天井にあった「ランプ掛けの龍」。ランプの煤の汚れで黒くなり、かえって眼光の鋭さが際立ち凄みを増している

左官技術の再興を促した、男たちの挑戦

戦後、日本の左官技術は衰退の一途をたどっていた。建築の工業化が進む中で、左官仕事というのは現場でしか行えないため、工業化が見込めない。つまり左官仕事をしている間というのはほかの作業を止めざるを得ない。そのため、早さや合理性を求める戦後の建築の現場では左官は追放されたと言ってよいほどの扱いを受けた。その流れを変えたのが「伊豆の長八美術館」だったのだ。

美術館の設計を担当したのは当時30代も半ばの若き建築家・石山修武氏だ。石山氏は全国津々浦々の左官の技を美術館に集結させる案を出す。当時すでに建築工事は竹中工務店が落札していたが、仕上げ工事をその管轄とせず日本左官業組合連合会(日左連)に掛け合ったという。

「昭和の左官の意気地を見せてください」と詰め寄った石山氏に日左連の杉山三郎会長は、全面的に協力し、腕の立つ現代の左官職人を松崎町に集結させた。その数延べ2000人。当然職人たちはそれぞれに現場を持っていたが、左官の神様のためになんとか都合をつけたという。結果、本来は半年から1年はかかるほどの現場だったが、わずか2カ月で美術館の仕上げを行っている。

長八美術館のエントランス。左右の壁には土佐漆喰が用いられどっしりとした「なまこ壁」が美しい。土佐漆喰はもともとが淡い黄色だが、時間がたてばたつほど白く輝き強度を増していくという長八美術館のエントランス。左右の壁には土佐漆喰が用いられどっしりとした「なまこ壁」が美しい。土佐漆喰はもともとが淡い黄色だが、時間がたてばたつほど白く輝き強度を増していくという

ここまでできる、左官の技術

完成した美術館は、斬新な未来的フォルムを形成する建造物だが随所に左官の技が光る。美術館のエントランスへとつながるアプローチは、水面に水滴を落としたかのような波紋が広がるデザインだが、壁面にはどっしりとしたなまこ壁が土佐漆喰であつらえられている。

靍見さんによれば「土佐漆喰はとても珍しく、当時はほとんど言葉自体も知られていなかった」という。その名の通り土佐で見られるこの漆喰は、ほかの場所の漆喰とは異なり、厚みがあり強度も比較にならない。風雨にさらされる土佐の地だからこその漆喰の技は、四国にしか見られぬもので、この長八美術館で施されるまでは関東で土佐漆喰を扱う建築物はなかったとされている。

厚みを持って漆喰を塗るということは当然亀裂が入りやすい。しかし、エントランスの土佐漆喰を含め美術館の壁は亀裂を最小限に抑え、なめらかでいながら重厚感のある壁を演出している。左官仕事では下地が命ともいわれ、伝統的には竹を編んだ木舞(こまい)という頑丈な下地を使う。しかし、美術館の下地は、金網にセメント、砂のモルタルを塗った下地で動きやすい。職人にとっては最悪の下地だったというが、素材について研究しながら現代の左官の見事な仕事ぶりを見せつけている。

「室内は、過去をイメージした第一展示室と現在を表現する第二展示室に分かれています。特に第二展示室は、アーチのような曲線を描くデザインが多く用いられています。漆喰を塗る際に曲線は特に難しいといいますが、美しく、亀裂が入らないように仕上げられた壁面はまさに職人の方々の技のたまものです」(靍見さん)。

時に、建築家と左官職人の間で意見の対立も起こったというが、切磋琢磨しながら完成したこの美術館は、建築界の芥川賞と言われる「吉田五十八賞」を受賞している。

美術館は2つの展示室に分かれ、過去と現在を表現。どちらも壁のフォルムは曲線だったりエッジが効いていたりと左官仕事としては難しいもの。しっかりと美しく塗られ職人技が光る美術館は2つの展示室に分かれ、過去と現在を表現。どちらも壁のフォルムは曲線だったりエッジが効いていたりと左官仕事としては難しいもの。しっかりと美しく塗られ職人技が光る

漆喰の良さを後世へ

若き建築家と日左連の職人が世に送りだしたこの美術館は、その後多くの建築家が左官技術を見直し作品に取り込む転機にもなったという。

漆喰は単に伝統的な技ではない。先人の知恵が息づく合理的な利点も多く持ち合わせている。戦後主流となった合板の上にクロスを張って仕上げる壁はシックハウス症候群をまねきやすい。漆喰であればこうした有害物質を抑え込むことができる。また、防火という観点でも漆喰は優秀だ。新建材にクロス張りではあっという間に燃え、有毒ガスが出るところを漆喰の塗り壁であれば、逃げる時間を稼いでくれる。呼吸をする漆喰は、湿気を吸収したり吐き出してくれるため、日本の気候に適した過ごしやすい空間を享受してくれる。

今では、見直されてきた感のある塗り壁の良さだが、その再興の転機となったのがこの長八美術館だというのだから、まさに入江長八はどれだけ「左官の神様」なのだろうか。日本が誇る左官の技。伊豆を訪れたのなら、ぜひとも美術館を訪れ、作品ばかりかこの空間そのもののすごみを感じていただきたい。

美術館の天井ドームに描かれた「花を持つ天女」。現代の左官の名人が鏝で作成したものだ。まるで今にも天女が舞い降りてくるかのような感覚になる美術館の天井ドームに描かれた「花を持つ天女」。現代の左官の名人が鏝で作成したものだ。まるで今にも天女が舞い降りてくるかのような感覚になる