線引き制度とは? 導入に至った歴史的な背景
はじめに線引き制度がどういったものなのか簡単に解説したい。「線引き」とは通称で、正式には「区域区分」という。
区域区分とは市街化を促進する市街化区域と抑制する市街化調整区域に区分することをいい、区域の境界線を引くことに由来して、しばしば「線引き」と言われる。
線引き制度が生まれた背景は1950年代にまでさかのぼる。
当時の日本は、戦後復興と高度経済成長により首都や都市部への人口が集中し、住宅地需要が活発化していた。しかしながら、爆発的な人口増加への対応として従来の既成市街地では足りず、農地や山林を宅地へと転用することで宅地需要に対応していた。
その結果、郊外の農地や山林が宅地へと次々と転用され、最低限度の都市施設(道路、下水、公園など)が備えられていない無秩序で不良な市街地(いわゆるスプロール現象という)が形成されることとなった。例えば、郊外の4m道路で構成される住宅団地はそうした当時の名残だ。
このような背景から、国では、1968年に大正8年(1919年)から運用していた旧都市計画法を改正し新たに都市計画法を制定した(これを「新都市計画法」という)。ここで新たに制度化されたのが、線引き(=区域区分)と開発許可制度である。
区域区分では、都市計画区域を市街化を図る市街化区域と市街化を抑制する(農地や山林などの自然環境の保全等)市街化調整区域に区分し、両区域は人口動態や産業立地動向、都市施設の整備状況などの根拠をもって区分案が作成され、法手続きに則って決定されることとなった。
開発許可は、一定規模以上の宅地開発等を許可制にすることで、良好な環境の市街地を形成するとともに、市街地調整区域における開発行為を抑制し、区域区分制度の実効性を担保する性質を持つものである。
さらに1974年の法改正では、一定の宅地水準を確保するため、市街化区域では建築物の用途や都市施設の整備、防災措置などの技術基準が設けられ、市街化調整区域では技術基準に加えて、立地基準が設けられた。この立地基準により市街化調整区域では、そこで生活するために必要な開発行為や開発審査会で認められたものなどの例外を除き、開発行為や建築行為は原則として禁止されることとなった。今日の居住環境のよい住宅地や美しい田園風景はこれらによる成果と言っていい。
線引き制度は使い方次第
線引き制度は、開発許可制度とともに、まちづくりおいて大きな役割を果たしてきた。
簡単にいえば、住みやすい住宅地の形成、無秩序な市街地拡大を防ぐことで、住民が負担する将来のインフラ維持費の抑制、自然災害の抑制、農地や山林、自然環境の保全に貢献をした。この点については、さまざまな論文が出されているので、気になった人は読んでみてほしい。
とはいえ、線引き制度も万能ではない。制度を効果的に発揮させるためには定期的な運用管理と適切な範囲設定にある。
例えば、線引きを行う都市計画区域の範囲が適切に日常生活の影響範囲を包含していない場合や、道路網の整備により生活圏が拡大した場合、区域を飛び越えて宅地開発が行われることがある。この宅地開発では比較的大規模にならないと都市計画法の技術基準が及ばないため、建築基準法に基づく最低限度の制限のみが課される。
また、開発許可制度のうち市街化調整区域の立地基準については自治体ごとに柔軟な対応がなされてきた。厳格に運用が行われた自治体もあったが、線引き制度の導入時点である程度の開発が進行していたような自治体では柔軟な対応をとらざるを得ず、結果的に徐々に市街地が外に拡大していった。当然、そのなかでは災害の危険性がある地域においても開発が行われたことで昨今の水害により被害を受けているケースもある。
地方都市で線引き廃止の動き。その理由は?
ここから本稿でお伝えしたい線引き廃止の動きについて解説したい。
日本では、1990年代ごろに成長社会から成熟社会へと移行しつつあった。将来的な人口減少(日本の人口減少は2005年から)への対応や行政課題や都市課題の複雑化・多様化を契機に、地域の実情に応じて政策を打ち出すことが必要となり、地方分権の推進をはじめ、さまざまな権限が国から地方へ移行していった。
このような背景の下、地方分権一括法の施行に伴って2000年の都市計画法が改正され、これまで法の運用において人口10万人以上の都市で義務化されていた線引き制度が一部の都市を除いて選択制となった。これにより、三大都市圏の既成市街地等を除く地域において線引きの廃止を選択することが可能になった。
そして、実際に線引きの廃止を行った自治体もある。その代表例が香川県だ。
線引き廃止の先行都市と廃止の動きがある都市
線引き廃止の先行都市として香川県中央都市計画区域がある。
2004年に香川県全域から線引きが消えたのだ。
香川県中央都市計画区域は、香川県高松市を中心に1971年に区域が設定されたが、都市計画区域をどこまで設定するかについては多くの議論を呼んだことが既往研究から明らかになっている。
当時の建設省からは複数回にわたり都市計画区域を広く設定するように指導があったようだが、複数の自治体から反対があり、最終的には高松市などの3市の一部と2町に設定された。これによって、香川県は都市計画区域の外側に広大な都市計画区域外が生まれることとなった。
都市計画区域外では建築基準法の一部が適用されず、線引き地域と比較し制限が緩い。
その結果、都市計画区域外で住宅等の建築が進み、都市計画区域外において人口が増加する地域が見られるようになった。香川県では、このような本末転倒ともいえる状況を重く見るとともに、線引きを実施している自治体から線引き廃止の声が上がったこともあり、2004年に都市計画区域の再編が行われ、全県的に線引きが廃止されることとなった。
香川県の線引き廃止は、設定された都市計画区域と実際の生活圏(都市圏)に乖離があったことが原因の一つだ。
都市計画区域外の居住者は、生活圏を高松市まで含めていたとのことで、都市計画区域外が市街化区域(高松市)のベッドタウンとなった構図だ。香川県はもともと平地が少ないという地理的要因はあるものの、一つの都市圏として都市計画区域を設定することの重要性と、複数自治体で都市計画区域を設定することの苦労がうかがえる。
そして、今まさに線引きの廃止に向けて動いている都市もある。
松江市は、安来市と一体となって県内最大の松江圏都市計画区域(18.8万人、うち松江市16.2万人)を形成しているが、新規の建築・開発ニーズがありながら市街化区域内に適地がない状況を踏まえ、線引き廃止の方針を2023年に表明した。
これまでも市街化調整区域において土地利用の規制緩和を行ってきたが、市域内でさらなる定住や雇用につながる土地利用を図るため、線引きを廃止してバランスの取れた発展を進める考えだ。現在は国や県と協議を進めており、早ければ2026年にも島根県唯一となっていた線引き都市計画区域が廃止される見込みである。
さらに、諫早市でも市街化調整区域において企業進出や大型商業施設の立地計画などが相次いでいる状況から、より柔軟な土地利用を図り、交流人口や定住人口の受け皿を増やすため、線引きの廃止と、長崎市などと形成している長崎都市計画区域(53.2万人、うち諫早市9.8万人)からの離脱を2024年5月に表明した。
諫早市でも市街化調整区域において土地利用の規制緩和を行ってきた経過があり、早ければ2027年にも線引きを廃止して、地域バランスのあるまちづくりを促進していく考えである。
新たに線引きを導入した都市
ここでは新たに線引きを導入した山形県鶴岡市を取り上げたい。
鶴岡市において線引きが導入されたのは香川県が線引きを廃止した年と同じ2004年だ。
導入にあたっては1979年から検討が進められていた。当時の鶴岡市の人口は10万人に届かないほどで推移していたため線引きの導入を行わなかったが、1995年の国勢調査で人口が10万人を超えるとともに、郊外でのショッピングセンターの建設など開発圧力の高まりなどが懸念されていたことから、具体的な検討に着手した経緯がある。
新たに線引きを導入する際に論点となるのが、市街化区域と市街化調整区域をどうのように設定するかである。
例えば、市街化区域に編入されれば、土地利用を図りやすく資産価値が上がるが、都市計画税が課税されることで負担感が増したと感じる人もいるだろう。一方で、市街化調整区域となれば、これまでよりも土地利用の制限が厳しくなり資産価値が低下することで資産運用を図りたい住民や土地利用を提案する事業者にとっては避けたいだろう。
行政を悩ます問題であるが、鶴岡市の場合は、都市計画の基本的な方針である都市計画マスタープランを策定する段階で市民ワークショップや懇談会などを開催し、丁寧に説明した上うえで理解を求めた。
このように、市が目指すまちづくりを市民らと共有し、理解を促していたこともあり、線引き制度の導入に大きな反対はなかったと言えるようだ。加えて、新たに市街化調整区域となる区域では、開発許可基準に関する条例を制定し、スプロール現象を抑制しながら、柔軟な土地利用の運用を行っている。
線引き廃止による日常生活の変化は?
ここでは線引き廃止に伴う日常生活の変化について解説していきたい。
今回の動きが人口が集中する東京都市圏で起きているのではなく、地方の同一都市圏で起きているという視点で見てほしい。
線引き廃止での効果の一つに、建築制限の緩和により新たな定住者を受け入れる宅地が増えることである。
結果として一時的な建設GDPの増加、定住者が増えれば安定した税収が得られ特定の市町村の財政は潤う。人口減少時代の今は、全国の市町村が人口のパイを奪い合っている状況である。定住者を増やし安定的な税収を確保していくことが最重要の施策となっていることが線引き廃止に向けた動きを見せている要因の一つではないかと思う。
線引きの廃止でメリットのある都市とは、例えば、市街化調整区域や市街化区域縁辺部でインターチェンジや新幹線駅、工業団地の立地が見込まれるなどの新たな宅地需要が期待できる地域などである。このような場合は、旧市街化調整区域で一定程度の土地利用を制限する制度を線引きに代えて導入すれば、新たなインフラ投資などのデメリットよりも、都市の利便性の向上や定住者の増加などが見込まれるメリットのほうが大きい。
一方で、現に都市計画区域や市街化区域に人口のほとんどが集中している都市や、広域の行政区域の中に複数の拠点がある都市などは悪影響のほうが目立つ可能性がある。廃止すれば、旧市街化調整区域で開発が進み、従来の日本の田園風景は失われるとともに人口分布が広く薄く拡散する恐れがある。
特に、広域な面積を持つ都市であれば、その影響はより顕著であり、人口密度の低下により日常サービス施設の撤退など都市機能の維持に悪影響を及ぼす可能性がある。さらに、低密度化に伴い公共交通の維持が困難に、将来的なインフラ維持費の増加、福祉をはじめとする訪問サービスの非効率性を招く可能性が高く、すでに低密度化している都市ではより拍車がかかるかもしれない。
また、他の市町村と一体の都市計画区域を設定している場合に離脱する場合、近隣都市への影響にも注意が必要である。建築制限が緩和されれば、住宅や商業施設などの日常サービス施設が立地しやすくなる。そうなれば、比較的地価が低く人口規模の大きい線引き都市の経済的恩恵を受け、線引き都市から非線引き都市へ人口が移動する。人口が流入する都市は恩恵を受けるが、実質上の都市圏の人口総数は変化しない。
おわりに
線引き制度が誕生してから50年が経過した。線引きの決定・廃止権限を持つ都道府県(一部は政令指定都市)は、これまで以上に複数の市町村で構成される都市圏のあり方について、広域連携の視点を持つことが重要になるのではないかと思う。
現在、島根県松江市や長崎県諫早市などは線引き廃止に向けて動いているが、文献や研究の中には線引き制度の役割や必要性を問うものも見られる。
特に諫早市でいえば長崎都市計画区域から離脱することになる。このため、影響を受ける可能性がある長崎市や長与町、時津町の住民への丁寧な説明と理解が必要になり、自治体間の調整を行う長崎県の役割が重要になるだろう。
現在の都市計画法は、開発圧力をコントロールする制度のため人口減少下の都市には適用しづらいという見方もある。一方で、国では、そうした人口減少に対応した取り組み(ネットワーク型コンパクトシティ)も進めている。個人的には、広域的な視点から都市計画法のあり方を問う時期に来ている可能性があるのように感じられる。
あなたはどう感じただろうか。線引き制度の廃止の動きの背景には、それぞれの自治体が抱える課題を解決したい前向きな考えがある一方で、都市は複数の市町村で構成され利害調整は簡単ではない。とはいえ、こうした事例は、私たち未来の都市のあり方を考えるうえで重要なヒントになるはずだ。
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