「平和都市広島を地域から元気にする」 広島市長・松井一實氏の二十歳のころとは

2023年5月の広島サミットでは、あらためて広島というまちが世界の脚光を浴びた。広島市周辺へのインバウンド客も大幅に増加している。
また、広島というと人口減少というイメージがあるが、実際には広島市内への人口集中が顕著であり、広島市の中心部では再開発が進むなど、活気のあるまちである。そして、広島市は地域の中核都市として、広域都市圏の旗を振り、県境を超えた地域連携にも注力している。広島市は地域運営組織の充実に注力しており、広島型地域運営組織「ひろしまLMO」の全市展開を目指している。

2023年度松本武洋ゼミでは、このひろしまLMOに着目し、実際に大林地区における活動の実践である「大林 木と食の里まつり」で有志がボランティア活動に参加するなど、事前学習も行ったうえで、松井一實市長のインタビューに臨んだ。本文は沼田みなみが担当した。

広島広域都市圏と60キロ圏域広島広域都市圏と60キロ圏域

学生時代、どのようなことに取り組んでおられましたか-「油絵に熱中していました。学生運動が吹き荒れる時代に自分だけの時間を持つためです」

「二十歳のころは大学生で、京都で下宿生活をしていて、絵を描き始めた頃でした。油絵の道具を買って、自分で勝手に少しずつやり始めました。絵を描き始めたのは、大げさに言うと、世の中のいろんなことを考えることを停止する時間を確保するためです。
当時は学生運動が盛んな時代で、サークルやクラブをやっている友達を見ると、何でも1人じゃなくて集団でやるから、スケジュールを拘束されるし、約束があったらみんなで行動しなきゃいけない。絵は、自分の下宿で勝手にいつでもやれるから、他人の干渉を受けることなく、自分だけの時間を確保できます。拘束されない時間を作って、ゆったりしたいというのが当時始めた事情でした。描いていると結構自分なりに上手に描けるなと思いまして、熱中していました。
あとは、当初、下宿にいたのですが、遠かったので、私設の寮に入れてもらいました。大学のすぐ裏手の吉田山の裏側のところです。大学の教授が庭に2棟、学生用のアパートを建ておられましたので、そこに入れてもらいました。下宿代を多少まけてもらうために、その先生のお子さんの家庭教師をやっていました。ちなみに、当時の私はスポーツもやらなかったです。
大学では当初、工学部に入りましたが、3年生の時に法学部に移りました。そして、司法試験か公務員試験を目指そうと考えました。3年からで卒業まで時間がないので慌てて勉強して、2年ちょっとだと思いますが、法学部の勉強を必死にやりました。教科書のいろんなところに線を引いていましたね。
勉強で疲れたら絵を描いたりして、結構一生懸命勉強した記憶があります。
あとは、いかに中庸を歩きながらうまく生きていけるか、と一生懸命考えていました。それは今、市長になっても、全く変わってないですね。この中庸というのは学生時代に身についた思考方法かなと思っています。」

松井一實(まつい・かずみ)/1953年広島市生まれ。京都大学法学部卒業(1976年3月)労働省入省(1976年4月-2008年)広島市長に当選(2011年4月)松井一實(まつい・かずみ)/1953年広島市生まれ。京都大学法学部卒業(1976年3月)労働省入省(1976年4月-2008年)広島市長に当選(2011年4月)

広島を今後どんなまちにしたいと考えておられますか-「利用しやすい、機能性の高いまちです」

「18歳で進学のためにこのまちを離れました。当時の社会環境を言うと、河川にはバラックがあるとか、道路も十分舗装されていなくて、まだ戦後の名残があると言っていいぐらいの状況でした。昭和46年だから、高度成長期と呼ばれる時代でした。
一方、その成長の過程の中で、まだまだ取り残された雰囲気の場所が広島にもいっぱいありました。今とは全然違うし、大学受験の時には山陽新幹線もなかったです。今では皆さんから、綺麗なまちですねと言っていただけますが、当時はお世辞にも綺麗なまちと言えなかったです。
それに対して、たとえば、京都は古い町並みで伝統的なお寺があって、広島は何十年経つとこんな綺麗なまちになるのだろうと思っていました。今、広島のまちは、すごく綺麗になっていて、地元にいた人たちの努力はすごいと思いました。このまちを良くするために、本気でやらないといけないなと私も決意を新たにした。皆さんが利用しやすい、機能性の高いまちにしたい、と考えました。」

広島市役所にて広島市役所にて

ひろしまLMOの狙いを教えてください-「みんなが仲良くできるシステムを広島市全体に再構築する、ということです」

「広島型地域運営組織『ひろしまLMO(Local Management Organization)』は“エルモ”と読みます。自分たちが 家の周りでいろんな生活をするときに、従来は自然に地域のネットワーク、団体というソフトが存在しました。
しかし、市内でも地域活動への参加者の高齢化が進み、限られた人が地域の中で活動している状況となっています。そういう中で、いろいろな団体が小学校区単位で一堂に集まり、一つの団体を作り上げ、市に申請し、その団体を市がひろしまLMOとして認定する。ひろしまLMOに対しては、人件費、活動拠点維持管理・運営費、地域課題を解決するための事業経費として合計で年度上限額600万円の運営助成金を毎年交付することとしています。みんなが話し合って使うことを前提として、お金の使い道は自由です。今後は、市内に141ある小学校区全てで、ひろしまLMOと認定した団体が活動することを目指しています。ようは、みんなが仲良くできるシステムを広島市全体にちゃんと再構築するということです。全市展開が実現したら、広島の住みやすさは変わってくると思います。
たとえば、皆さんがおまつりのボランティアに行かれた大林は、川が交通路として機能している頃は結構栄えた地域でした。今もその痕跡は残っていますが、まちの賑わいの中心はどんどん南下して、寂れてしまっている現状があります。そこで何とかしたい、と地域の方々が頑張っている。それなら、継続するためのベースとなる支援をしてあげていいんじゃないかということで、市としていわゆる紐付きでない、使いやすいお金を出すから、それを地元で合意してうまく活用してもらうと、もっともっと地域を元気できるのではないか、という関係です。
いろいろと商品も開発していますし、その作った商品をみんなに宣伝して買い手を増やしていただき、事業体として黒字になるようにしてもらいたいです。
このようなことを、地域ごとにいろんなところでやってもらうと広島全体が元気になるでしょ。しかも大林は中心街以外の中山間地域だから、上手く行けばそのやり方をまねることで他の地域も活性化できると思っています。」

ひろしまLMOのイメージ。いわゆる地域運営組織である(出所:広島市)ひろしまLMOのイメージ。いわゆる地域運営組織である(出所:広島市)
ひろしまLMOのイメージ。いわゆる地域運営組織である(出所:広島市)「大林 木と食の里まつり」で有志がボランティア活動に参加する松本ゼミ生

広島市という、特別なまちの市長としての思いを教えてください-「広島は核兵器のない平和な世界、という理想を世界が踏み外さないためのアンカーでありたい」

「広島市はやはり、原爆が投下されてしまった都市であることから、平和を象徴するという役割を皆さんから認知されていると思います。
あるべき方向性は、核兵器のない、戦争のない世界であり、これは誰もが理想としては認めている。広島は、それをしっかりと言えるまちでなければならないし、この価値観を大事にするのが市長だと思っています。
"核兵器のない平和な世界"という理想から離れる行為があれば、"反対方向に行っていますよと、絶対やめましょうね"と強く言える、どういうことが足りていないですよとちゃんと説明できる、そういうまちでありたいです。これは、方向性を間違えないようにするためのいわゆるいかり、アンカーのような重要な役割です。市民にもそういうまちだと強く意識していただく必要があると思っています。」

ひろしまサミットにて、国内外の報道関係者向けの被爆体験講話(出所:広島市広報「市民と市政」)ひろしまサミットにて、国内外の報道関係者向けの被爆体験講話(出所:広島市広報「市民と市政」)
ひろしまサミットにて、国内外の報道関係者向けの被爆体験講話(出所:広島市広報「市民と市政」)松井一實「祈念」

【インタビューを終えて】
学生時代から今に至るまで、その当時の考え方や生き方を詳細に語ってくださる姿がとても印象的だった。学生時代の経験やその時感じたことを活かし、地元である広島市のさらなる活性化を目指しておられることがわかった。市民同士の繋がりを重視し、平和という大きな目標に向けて広島市の市長として努力する姿勢が、長く市民に支持されている理由だろうと感じた。(沼田みなみ)

公開日: