風致地区とは何だ?

風致地区という言葉をご存じだろうか。なんか聞いたことがあるような、という人はいるだろうが、聞いたことがなくても当然である。
風致とは「おもむき」があることを意味する。風流、風雅といった言葉に通じると言ってよい。「致」という字にも「おもむき」という意味があるそうだ。「筆致」といえば、その人らしい文章のおもむきを意味する。

風致地区とは簡単に言えば、都市の近くにありながら、緑や水辺などの自然風景が豊かで美しく、人々がそこにいると和めるような場所を行政が指定して保全した地区であり、行き過ぎた都市開発を抑制する意味もあった。1965年の東京都資料によれば「風致地区は都市生活の合理的な利用計画の一部で、特に都市の風致を維持し、美しく快適な環境を造成することをねらいとした都市計画上の施策である」(東京都建設局編『東京の風致地区と自然公園』1965)とされる(注)。

日本初の都市計画法が1919年に制定されたが、風致地区もそれに規定されている。そのため風致地区に指定された地区では、住宅や商業などの用途や建物の形態を規制する一般的な都市計画の規制に加えて、より厳しい建物の高さ制限や造成、樹木等の伐採に関する規制がかかる。
風致地区は、戦前から指定が始まり、戦後にかけて指定地区が増え、現在は全国で約800地区ほどある(指定地区がその後指定を外れるケースもある)。首都圏では、東京都28カ所、神奈川県は51カ所、千葉県16カ所、埼玉県1カ所、茨城県21カ所などとなっている。

風致地区が全国で最初に指定されたのは1926年(大正15)9月、明治神宮の内外苑に通ずる表参道、西参道などの参道4路線とその両側の18mずつである。
東京府での2番目が1930年(昭和5)4月の多摩陵(八王子市)。つまりどちらも皇室関連の土地であり「有限で崇高な城域の森厳な風景美を維持しようとする」ものだった(前掲『東京の風致地区と自然公園』以下同)。

東京の戦前に指定された風致地区 出所:東京府風致地区協会聯合会『皇都勝景』1942東京の戦前に指定された風致地区 出所:東京府風致地区協会聯合会『皇都勝景』1942

戦前に指定された風致地区 〜洗足、善福寺、石神井、大泉、多摩川、江戸川など

同年10月には、洗足、善福寺、石神井、江戸川が指定される。これは「都市計画区域内の自然風景地の保護、特にその地貌と林相のような静かな風景美を保存しながら一方では水流とか水面のような動的風景要素を備えて行楽の対象となっている区域」である。
洗足は大田区の洗足池周辺、善福寺は杉並区の善福寺池の周辺、石神井は練馬区の三宝寺池・石神井池周辺、江戸川は葛飾区の江戸川沿い、矢切の渡しから北の水元公園までである。

さらに33年(昭和8)1月に多摩川、和田堀、野方、大泉が指定される。「武蔵野の景相が豊かな風景を護り田園都市的理想住宅地として開発整備しようとする区域」である。
多摩川は小田急線祖師ヶ谷大蔵方面から田園調布方面まで、多摩川とその支流の野川などの流域であり、電車で言えば東急大井町線上野毛・等々力、田園調布の多摩川を見下ろす高台などを思い浮かべれば納得がいくだろう。
和田堀は杉並区にある大宮八幡周辺であり、善福寺池から流れる善福寺川の流域。
野方は中野区の西武新宿線新井薬師駅北側で、妙正寺川流域、哲学堂公園周辺である。
大泉は西武池袋線大泉学園駅北側の大泉学園町(ちょう)とその東側の大泉町一帯であり、大泉学園町は箱根土地開発(現・西武鉄道)が大学誘致のために開発した地域である。

戦後も風致地区指定は続くが、本連載では戦前の洗足から大泉までの区域を探訪してみることにする。江戸川を除けばいずれも東京23区西側の、今は比較的高級な住宅地となっているところである(なお野方は戦後風致地区指定から外れた)。

善福寺池周辺は水と緑の調和がまさに風致善福寺池周辺は水と緑の調和がまさに風致

現在のウェルビーイングにも通ずる風致の概念

中島直人さん 善福寺池畔のカフェにて 中島直人さん 善福寺池畔のカフェにて 

探訪の前に専門家のお話を聞いて予習をしておくことにした。伺ったのは東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻准教授・中島直人さん。中島さんは、小さい頃から善福寺池近くで育ち、卒論も風致地区という方である。せっかくなので善福寺池のほとりのカフェで話を伺った。

「風致地区は、1919 年の都市計画法にて地域地区の一つとして制度化されたもので、特に戦前期の風致地区は、自然環境、歴史的環境の保全・育成に関する豊かな概念を含み、積極的な運用がなされました。中でも、東京府の各風致地区を単位として地元関係者によって組織された風致協会の活動は、行政と民間との協働による都市計画の実践の先駆として高く評価されるものです。風致協会は、我が国の官僚主導の都市計画が、住民、市民をいかに意識し、 いかなる関係構築を図ろうとしたかという点において、都市計画史研究上極めて興味深い事例です」と中島さんは言う。近年盛んな公民連携のまちづくりの先取りともいえるのだ。

中島さんによると風致地区はある意味で日本的な曖昧さのある概念だという。都市計画というものは主として道路や建築物の大きさ・広さ・高さなどを物理的に規制するものなのに、風致地区はまさに「風致」という曖昧な概念に基づいており、池の面積とか木の高さとか種類などを規定するものではないからである。

善福寺池を眺める中島さんは自然と顔がほころぶ善福寺池を眺める中島さんは自然と顔がほころぶ

また風致という言葉自体は最初は英語のアメニティ(amenity)の訳語として説明されることもあったそうで、単に物理的に緑が多いといったことではなく、身体感覚的な気持ちよさを意味するのだそうだ。そういう感覚的な要素が都市計画の最初の時点から入り込んでいたのであり、そのことがむしろ現代的な意義になっていると中島さんは言う。

1933年に書かれた東京府で風致地区行政を担当した水谷駿一の論文「帝都の風致地区に就いて」にも「我らの都市は、生活をなす上に、あるいは活動をなす上において利便の土地でなければならぬ。また保健的な土地であり、さらに自然の美に富み、かつ潤い、愉快な土地であらねばならぬ」と書かれている(文章は現代的に改めた。東京府土木部編『帝都に於ける風致地区に就いて』1934)。

「愉快な」という形容詞は当時流行った言葉の一つだが、今とはニュアンスが少し違っていて、単に楽しいというだけでなく、心と体が思わず解放されるというような意味であろう。
「風致には、単に緑化するとか保全するだけではなく、味わうとか楽しむといった要素、ボートなどの娯楽要素もあり、いわば創造的風致になっているところが面白いのです。ウェルビーイングといった考え方が重視される今という時代から見て、改めて風致は意味がある」と中島さんは言う。

なるほど、たとえば公園や緑地は人口何人当たり何m2必要だという方針があったとして、だからといってそのとおりに公園・緑地がつくられれば快適かというと、そうとは限らない。禁止事項ばかりの公園は誰にも使われないし、緑地も計画的に整備されすぎた緑地は本当に快適かどうかわからない。まさにそこに「風致」が必要なのだ。梅や桜が春を告げ、初夏にはケヤキに無数の青葉が繁り、秋には木々が紅葉し、葉が落ち、冬にはミカンやユズの実がなり、水面の光る池には鴨が増える、という多様な生物たちの四季の移ろいがあり、それを楽しみ、はかなむ人間がいる、そういう場所が全体として感じさせる生命の充実感、満足感、幸福感のようなものを含めての風致なのであろう。

中島直人さん 善福寺池畔のカフェにて 善福寺池の秋

市民主体の風致地区創造、田園都市思想との関わり

風致地区の管理運営は地元の地主などから結成された風致協会が行った。そして風致地区は最初から今のような形だったのではなく、時間をかけて整備されたのである。善福寺池も当初はまだ上池は小さく、下池はなく、田んぼの面積が大きかったのである。

善福寺風致協会設立の具体的な準備は1933 年11 月の設立有志懇談会から始まり34年10月2日になって東京府に認可された。会長は、当時の元井荻町町長の内田秀五郎(ひでごろう)である。内田は井荻町の耕地整理事業を行い、道路を整備するなどまちの近代化を図ったことでも知られる。彼はその後「東京府風致協会聯合(れんごう)会」の会長も務め、井荻町だけでなく東京全体の風致地区の形成に貢献した。

協会の収入は会員の会費、東京府及び杉並区からの補助金だったが、ボート事業を始めるとこれが大きな収入源になった。また協会は、池の拡大、鯉や鮒の稚魚の放流、ベンチの設置、植樹なども行った(現在ボート事業の運営は東京都の管轄)。

善福寺池畔の風致地区案内図善福寺池畔の風致地区案内図
善福寺池畔の風致地区案内図善福寺池畔の風致協会について詳述された石碑

また風致地区という言葉を聞くと、「風紀」という言葉とも近いので、ちょっと堅苦しい印象もあるが、健全に楽しむかぎりでの娯楽的な要素は重要なものとして捉えられていたようである。こうした考え方には、当時欧米から入ってきた家庭重視、子どもの教育・発達重視の田園都市思想とも関連しているのではないかと思われる。
実際先ほどの水谷の論文でも「利便」「保健」「自然美」「潤い」「愉快」という土地の条件を備えた都市の形態に「理論的説明を与えた」のはイギリスの田園都市思想であると書かれている。

風致という考え方の住宅地形成への影響

風致地区に指定されることは、その後の住宅地化に影響したのだろうか。
中島さんによれば「風致地区指定とは関係なく市街化は進んでいきました。しかし、たとえば和田堀に隣接する永福町の戦前の住宅地のチラシには風致地区という言葉が売り文句の一つとして使われていますし、ある程度影響はあったでしょう。善福寺風致地区でも、同潤会の勤め人向け分譲住宅地ができていますが、これは協会員のうち内田ら8名が土地を同潤会に提供したもの」だという。

緑が豊かで、善福寺、和田堀、石神井、洗足のように水辺があり、風致地区なので静かだとなれば、住宅地としては最高である。地主などを中心に風致地区に邸宅を構える人が増え、さらにそのまわりに住宅地が形成されていったのであろう。1941年の写真を見ると善福寺池のまわりにはまだ家はほとんどない。だが57年になるとかなり家が増えているのがわかる。

指定された当初の善福寺風致地区。八幡神社の南に同潤会勤め人向け分譲住宅地が、善福寺池の下の池の南東部には同潤会普通住宅地がつくられた。現在の風致地区の範囲は前掲の写真参照。出所:東京府風致地区協会聯合会『皇都勝景』1942指定された当初の善福寺風致地区。八幡神社の南に同潤会勤め人向け分譲住宅地が、善福寺池の下の池の南東部には同潤会普通住宅地がつくられた。現在の風致地区の範囲は前掲の写真参照。出所:東京府風致地区協会聯合会『皇都勝景』1942

戦後の1958年には善福寺風致協会は家庭緑化にも尽力し、苗木の即売会や無料配布を行ったという(中島直人他「善福寺風致協会の活動の変遷についての研究」)。最初から自然豊かな住宅地があったわけではなく、風致地区にふさわしい場所を主体となってつくりあげていったのである。

指定された当初の善福寺風致地区。八幡神社の南に同潤会勤め人向け分譲住宅地が、善福寺池の下の池の南東部には同潤会普通住宅地がつくられた。現在の風致地区の範囲は前掲の写真参照。出所:東京府風致地区協会聯合会『皇都勝景』19421941年の善福寺風致地区。池はまだほとんど田んぼであり、木々も少なく、まわりに家は少ない。下の団地のようなものが同潤会普通住宅地。その右上の住宅地が同潤会勤め人向け分譲住宅地。左下は東京女子大学 出所:国土地理院
指定された当初の善福寺風致地区。八幡神社の南に同潤会勤め人向け分譲住宅地が、善福寺池の下の池の南東部には同潤会普通住宅地がつくられた。現在の風致地区の範囲は前掲の写真参照。出所:東京府風致地区協会聯合会『皇都勝景』19421957年の善福寺風致地区。上池が拡大、下池ができあがり、木も育ち、まわりの家も増えた。出所:国土地理院

風致地区の新しい動き

このような風致地区であるが、規制の効果は実際にはあまりなく、特に戦後復興期に樹林地は燃料や資材として伐採されてしまったり、食料増産のために畑地に整地されたり、何より宅地化、住宅建設が激しく進み、実態としての風致が損失してしまったという。その結果、風致地区から部分的に外れる区域が出てきたり、地区全体が風致地区ではなくなることもあったのだそうだ。

また風致地区であるがゆえに、静かな環境が重視されるので、あまりにぎやかなことはできないという面がある。それでもいいのだが、今の時代、もう少し池のまわりで何かをしたいというニーズもある。
実は中島さんとお会いしたカフェは最近できたもので、池のまわりはジョギング、ウォーキング、犬の散歩などの人が早朝から多いため、このカフェも早朝から開店し、ペットを連れた客でにぎわう。

善福寺池のほとりには遊具もあり子ども連れも多い善福寺池のほとりには遊具もあり子ども連れも多い

中島さんも地域の友人たちと「善福寺どんぐり・ピクニッククラブ」という活動を始めている。
同クラブは、「善福寺公園近隣の地域コミュニティーが持つ個性や多様な意見を大切にしながら、これからの善福寺公園のあるべきすがたを自由に思い描くとともに、未来の担い手である子ども達と一緒に善福寺公園のパークライフを楽しむ」活動であり、「善福寺公園のこれまでの歴史や現在の様々な公園活動、これからの公園のビジョンを大切にしながら」「子どもたちの自由な遊び場づくり、自然とのふれあいの場づくり、防災体験ができる場づくり、生物多様性を体験できる場づくり、多世代交流ができる場づくり、中高大学生の学びと活躍の場づくり、文化芸術を体験できる場づくりなど、公園を楽しむ様々な場づくりを行う」ものだという。

風致地区も今の時代にふさわしい新しい段階に入ったようである。

-----------------
注)現在の東京都のホームページでの「風致地区」の説明は「都市の風致(樹林地、水辺地などで構成された良好な自然的景観)を維持するため、都市において良好な自然的景観を形成している区域のうち、土地利用計画上、都市環境の保全を図るため風致の維持が必要な区域」とされている。

●参考文献
中島直人他「善福寺風致協会の活動の変遷についての研究」2000年度第35回日本都市計画学会学術研究論文集
中島直人「用語「風致協会」の生成とその伝播に関する研究」2003年度第38回日本都市計画学会学術研究論文集

公開日:

ホームズ君

LIFULL HOME'Sで
住まいの情報を探す

賃貸物件を探す
マンションを探す
一戸建てを探す