19世紀末の経済成長が生んだ「カタルーニャ・モデルニスモ」
建築史家・倉方俊輔さん(大阪市立大学准教授)が建築を通して世界の都市を語る、全16回のロングランセミナー(Club Tap主催)。第4回はスペイン・カタルーニャの州都バルセロナをとりあげる。アントニ・ガウディのサグラダ・ファミリアがあまりにも有名だが、「ガウディ以外にも見るべき建築の多い街です」と倉方さんは言う。
地中海に面したバルセロナは、中世からルネサンス初期にかけて重要な港として栄えた。しかし、大航海時代が始まると、相対的に地中海の港の重要性が下がってしまう。長い低迷の時期を経た産業革命後、19世紀の終わりに工業の重要拠点として再浮上。原材料の輸入と製品の輸出に適した立地を武器に、工業都市として盛り返す。
「そこに登場した実業家たちが地域文化に投資したことで、カタルーニャ・モデルニスモと呼ばれる芸術思潮が生まれました。ガウディも、そのムーブメントに位置付けられる1人です」
ヨーロッパの中でもイベリア半島は、長くイスラム教徒に支配された歴史を持つ。その遺産としての装飾文化と、ヨーロッパ起源のバロックが混じり合って、独特の様式が育まれてきた。特にカタルーニャはフランスとスペインの狭間で17世紀まで自治権を維持しており、マドリッド中心のスペインとも異なる民族意識を持っている。バルセロナの経済復興とともに、カタルーニャ独自の伝統を現代に統合しようとして生まれたのがカタルーニャ・モデルニスモで、中でも建築は人々の目に触れやすいことから、その象徴となった。
バルセロナにあるカタルーニャ・モデルニスモの代表的な建築「サン・パウ病院」(1930年)と「カタルーニャ音楽堂」(1908年)は、ガウディの作品群と並んで、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。
時代を超越した天才建築家、アントニ・ガウディの有機的な造形
「サン・パウ病院」と「カタルーニャ音楽堂」を設計したドメニク・イ・モンタネル(1850-1923)がカタルーニャ・モデルニスモを代表する建築家だとすれば、アントニ・ガウディ(1852-1926)は「カタルーニャ・モデルニスモから発しながら、それを超えて現代も語られ続ける天才」だと倉方さんは言う。
「ガウディの建築は、自由な形態に見えて、実は構造的な原理に則っています。そこが、後世のモダニズムを予見させる。また、伝統的な要素だけではない、豊かな連想を生む造形は、ポストモダニズムに通じます。さらに、ポストモダニズム以降の時代を生きているわれわれにとってガウディの建築は、人工物というより、大地そのものの起伏や鍾乳洞といった自然物と比べられる自由な基盤を目指した先人のように感じられます。時代に応じて新たな面が発見され、評価され直すのが、ガウディという建築家の偉大さです」。
「カサ・バトリョ」(1906年改修)は既存の建物をガウディの設計で改修した住宅で、現在は一般公開されている。外観も内側も、独特の有機的な造形で埋め尽くされた建物だ。
「一見、奇抜なようでいて、実際に体験してみると、人の動きに寄り添うような空間で、とても自然に感じられます。階段も手すりも、曲線で成り立っている部屋も、相互に有機的につながっていて、自然な合理性がある。われわれの身体もそのようなものですからね。硬いところがあり、柔らかいところがあり、機能する形態が組み合わさっています」。
20世紀初頭の建物としては、開口部がかなり大きい。「できるだけ多く自然光を採り入れようとしている。その近代性が、カタルーニャ・モデルニスモなんだと分かります」。
さらに目を引くのは、ガラス張りの天井から光が降り注ぐ、吹き抜けの光庭。壁に貼られた青いタイルは下から上に向かって色が濃くなっており、光と色が呼応して独特の視覚効果を発揮する。「上っているのに降りて行くような錯覚もあって、実に巧みなタイル使いです。タイルはイスラム建築に多用される素材ですから、これもカタルーニャ・モデルニスモらしい、地域からの近代性です」。
1910年に建てられた「カサ・ミラ」は上下水道を完備し、地下駐車場も設けられた、当時最先端の集合住宅だ。
「岩肌を思わせる外壁のうねりには、構造を強くする目的があります。中はドーナツ状に中庭を囲んで部屋が並び、全体に光が行き渡るように考えられている。住戸同士はうねる壁によって巧みに隔てられていて、集合住宅の一角に押し込められているような感じがしない。平面的にもよくできています」
「カサ・ミラ」のハイライトは屋上で、空中に「まるでカッパドキアのよう(倉方さん)」な、起伏に富んだ庭園が現れる。「これは、レンガを積み上げたアーチ構造の屋根だからこそ可能になったこと。レンガ造の昔ながらのつくり方でも、鉄筋コンクリート造でもできない、独創的なアイデアです」。
「カサ・ミラ」ではその屋根裏の構造が見学できるほか、「サグラダ・ファミリア」に見られる「懸垂曲線」の実験模型も展示されている。
「懸垂曲線とは、糸の両端を持って垂らしたときに自然にできる曲線で、重力によって釣り合った状態です。その曲線を逆さまにしたアーチで、サグラダ・ファミリアの、あの独特の柱の連なりができている。このように実験に基づいて構造を考えていくところに、素材との格闘や実践から体験的に建築をつくるスペインらしさがうかがえます。社会的な経験則に重きを置くイギリスの建築家や、理念と感情の個人的なバランスを売りにするフランスの建築家とは異なる性格です」。
世界的評価も高い現代カタルーニャの建築家、カラトラヴァとミラーレス
ガウディの有機的な構造と形態を現代に受け継いでいるのが、サンティアゴ・カラトラヴァ(1951-)だ。建築家であり構造家でもあるカラトラヴァは、構造と形態を結びつけた設計手法で知られ、世界的に活躍している。
「構造によって形態を決定づける方法は構造表現主義と呼ばれ、1960年代に流行しました。その代表的な作品のひとつが丹下健三の国立代々木競技場(1964年)で、吊り屋根の構造がそのまま建築の姿になっている。その点では、カラトラヴァの方法は時代の大勢から外れていると言えるかもしれません。しかし、彼の作品には世界中で高い評価を得るにふさわしい強い説得力があります」。
バルセロナのバック・ダ・ロダ橋(1987年)は、そのカラトラヴァの出世作。細いアーチを組み合わせた吊り橋で「その構造の合理性は、生物の骨格の合理性に通じているように見えます」。
バルセロナ五輪の会場となったモンジュイックの丘に立つ「モンジュイックタワー」(1992年)は、放送通信用のタワーだ。
「ここから全世界に発信するんだ、という意志がまっすぐに伝わる表現です。一方で、どうやって立っているのかわからない、不安定なかたちでもある。そこが、生物を連想させます。重力に逆らって飛び立とうとするようにも見え、人間の心の奥にある、初源的な願望に訴えかけてくるようで、ロマンがあります」。
カラトラヴァより4歳年下のエンリク・ミラーレスも、スペイン・カタルーニャを代表する若手建築家として高い評価を受けたが、2000年に45歳の若さでこの世を去っている。
「ミラーレスの作品も有機的な形態が特徴ですが、ガウディやカラトラヴァのそれともまた異質です。どんな原理で形態が決まっているのか分からない。ミラーレス自身が感じる形態を、職人のように設計に落とし込んでいるように感じられます」。
そのミラーレスらしさがよく現れているのがバルセロナの衛星都市・イグアラダの墓地(1996年)だ。「廃墟のようにも、地形のようにも見える。新しく人工的に整備した墓地なのに、まるでひとびとの営みによって自然発生した場所みたいに感じられます。似通った墓標が連なるのではなく、集合墓地ならではの場所性・空間性が与えられている。スペインでは日本のように火葬しませんし、墓地に故人の写真が飾られていたりして、日本とは異なる死者との向き合い方が伝わってくる場所です」。
ミラーレス没後の2001年に完成した「サンタ・カタリーナ市場」は、古い市場に新しく大屋根を架けることで、独特の空間を創り出している。「きれいに整えるリノベーションではなく、いろんな構造が混じり合って、市場の持つ猥雑さがむしろ強化されている。雑多なものを受け入れ、整然としていない。それがかえって居心地よく感じられる空間です」。
日本の磯崎新やフランスのジャン・ヌーヴェルもバルセロナで大作を
バルセロナでは、有名なミース・ファン・デル・ローエの「バルセロナ・パヴィリオン」(1929年竣工/1986年復元)をはじめ、国外の建築家たちも傑作をつくっている。
その代表格が、日本の磯崎新(1931-)とフランスのジャン・ヌーヴェル(1945-)だ。
磯崎の作品は、バルセロナ五輪を機に建てられた屋内競技場「パラウ・サンジョルディ」(1992年)と、カタルーニャ・モデルニスモの建築をリノベーションした「カイシャ・フォーラム」(2002年改修)。
「自国ではない場所で、これだけの風景になる建築をつくるのは並大抵のことではありません。パラウ・サンジョルディはモニュメント性も有し、磯崎ならではの正方形のモチーフもあって、日本的なニュアンスも感じさせる。磯崎の代表作といっていい作品だと思います」
ジャン・ヌーヴェルの「トーレ・アグバール」(2005年)は、高層建築の少ないバルセロナにあって、遠くからも目をひくカラフルな超高層ビルだ。「ガラスの魔術師」の異名を持つヌーヴェルらしく、外装にガラスが効果的に使われている。
「日の光や見る方向によって、ガラスの色や質感が変化する。なまめかしくて、エスプリも感じさせて。ヌーヴェルはフランスの建築家の中でも突き抜けた存在です」。
ヌーヴェルも磯崎同様、バルセロナでリノベーションも手掛けている。それが、1864年に建てられたビール工場「ファブリカ・モリッツ」(2011年改修)。
「古い工場ならではの荒々しい素材をむき出しに見せる改修は珍しくありませんが、そこからのひとひねりが、さすがヌーヴェル。新たにガラスのピラミッドのようなオブジェを挿入して、それが周囲の風景を反射しているのか透過しているのか分からないような錯覚を起こさせたり、れんがの床の上に樹脂のようなものを流して柔らかい質感を加えたり。もともとの建物が持つ素材感を視覚的・触覚的にずらして見せているところがウィットに富んでいます。ヌーヴェルらしい魅力です」。
歴史ある街並みを巧みに更新し、世界有数の観光都市に発展
今や世界有数の観光都市となったバルセロナだが、五輪以前の1980年代までは港湾都市の負の側面から、治安の悪い時代が長かった。それを、面ではなく点で少しずつ更新していった都市計画は「バルセロナ・モデル」と呼ばれ、高く評価されている。前出のミラーレスが改修した「サンタ・カタリーナ市場」もその「点」のひとつだ。街中に点在する古い生活拠点に手を加え、新たな息吹を吹き込んでいる。
1878年につくられた「ボルン市場」も長い閉鎖期間を経て再生活用されることになった。ところが、工事中に1700年頃の都市の遺構が発掘されたため、用途を変更して「ボルン・カルチャー・センター」(2013年改修)に変貌させている。「市場の建屋を活かしつつ、遺跡を眺められる空間になっています。市場ならではの空間、立地を巧みに使って、観光拠点に再生している。場所の活かし方がうまいと感じます」。
バルセロナの人々にとって単なるスポーツ以上の意味を持つサッカーの中心地「カンプノウ」(1957年)は、戦後すぐにスペインを代表するモダニズム建築家たちによって建設された。収容人数は10万人近く、ヨーロッパ最大のスタジアムだ。
「FCバルセロナはカタルーニャのアイデンティティを象徴するクラブチーム。カンプノウで試合を見ましたが、観客とプレイヤーが一体になっていました。まるでフィールドにいるかのようにひとつひとつのプレーに反応している。遊びが真剣そのものです」
「このカンプノウの改修を、いま、日本の日建設計が手掛けています。五輪スタジアムを磯崎新に任せたこともそうでしたが、カタルーニャのアイデンティティを強く意識しながらも、重要な建物を力ある外国人建築家に委ねる度量も兼ね備えている。そのあたりが、世界中の旅行者を惹き付けるバルセロナの魅力をつくっているのでしょう」。
取材協力:ClubTap
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