アムステルダムに行ってきた

アムステルダムらしい市街地アムステルダムらしい市街地

今年(2018年)6月にオランダ、アムステルダムに行ってきた。アムステルダム大学などが主催する、東京をテーマにした連続講演会の講師の一人として招聘されたのだ。

私の他には、東京大学名誉教授・大野秀敏さん、東京理科大学助教で闇市研究者の石ぐれ督和さん、青梅市でまちづくりコーディネーターをしている國廣純子さんら総勢6人。アムステルダム側のコーディネーターは、現地で活躍している建築家の吉良森子さん。アムステルダム大学側の担当はゼフ・ヘメル教授である。
講演会の内容については本論のテーマではない。講演会の前日にはエクスカーションとして、都心部に張り巡らされた水路を水上バスでめぐったり、郊外の住宅地を見たりしたのだが、その郊外住宅地が本論のテーマである。

アムステルダムの郊外と言っても読者はピンと来ないだろう。そもそもアムステルダムに行ったことがある人が少ないはずだ。私のまわりの普通の人たちは、オランダからは風車とチューリップしか思い浮かばないという人がほとんどだ。
建築や都市計画に詳しい人たちにとってはアムステルダムやオランダの各都市には見るべき物が多数あるらしいし、何と言ってもコールハウスというカリスマ建築家がいる。でも、郊外までは知らない人が多いのではないだろうか。

ちなみに風車は埋立地をつくるための動力としてつくられたので、埋立が終わった現在は、風車はいくつかしか残っていないそうだ。その代わりに風力発電の風車が増えた。

さて、世界の郊外の研究者である私は、アムステルダムは2度目。1度目は2004年であり、住宅生産振興財団の視察で1泊だけ訪問した。郊外の環境共生型住宅地を視察したので、都心は「飾り窓」をちらっと見ただけだ。
今回は都心部もある程度見たが、興味深かったのは郊外のほうである。なぜなら、アムステルダムに千葉県の新興住宅地のような住宅地ができていたからだ。

アムステルダムの江東区?

アムステルダムらしからぬ新興住宅地アムステルダムらしからぬ新興住宅地

それは何だと書く前にアムステルダム市の概況を説明しておく。
アムステルダム市は人口80万人強、面積166km2。つまり面積は東京23区の4分の1ほど、人口は世田谷区1区分ほどである。言い換えると、江戸から大正時代までの東京市15区より少し大きいくらいの面積であり、人口も明治初期の東京市の人口と近いということである。
なお、アムステルダム市周辺の他の市を含めた「ランドスタット」と呼ばれるアムステルダム大都市圏としては人口800万人、面積は1088km2ほどになり、東京都心20キロ圏くらいの面積になる。

地形は当然のことながら埋立地なので平坦である。東京の下町が平坦であるのと同じで、川沿い、海沿いに街が広がる。そして、より海側に突き出した地域、東京で言えば江東区か江戸川区のような位置にアルメールという名の地区がある。
このアルメール地区の中で視察者の日本人全員の最も印象に残ったのがデューンという名の住宅地だった。

デューンとは砂漠である。オランダに砂漠とは不可解だが、北アフリカか、はたまたアメリカのニューメキシコ州あたりを彷彿とさせる起伏のある白い砂地の土地に、ちょっと地中海風と言うのか、何というのか、つまり千葉とか埼玉によくある感じの家が建っている。10数階建てのマンションも数棟ある。
日本なら、北国なのに地中海風の住宅地ができたり、南国なのにニューイングランド風の家が建ったりすることは珍しくない。だがオランダに、アムステルダムに、いや、そもそもヨーロッパに、それぞれの地域の歴史的な様式以外の家が並ぶ住宅地ができることは珍しいはずだ。

商品として住宅地がつくられる

砂漠をイメージしたという砂漠をイメージしたという

大野教授はアムステルダムにこうした住宅地ができたことがよほどショックだったらしい。住宅地が砂漠をブランドとして売られていることに強い違和感を感じられたようで、私にたずねた。
「どうして商品にはブランドがあるんでしょうね。」
「それはブランドがあることで、特定の世界観を提示し、イメージを喚起し、消費を喚起するからですね。消費を喚起しなくていいなら、ただの家、ただの住宅地、ただの自動車でいいわけで。無印良品はその‘ただの’をコンセプトにしたという意味で例外的ですが、普通は他の商品と差別化して、自分の商品を買わせるために、特定のイメージを持ったブランドをつくり、それに合わせて広告を打って消費者の欲望を喚起するので。」

たとえばシャネルにはNo.5というブランドの香水があるが、これは本来、シャネルが5番目につくった香水という意味でしかない。だがマリリン・モンローが、寝るときに何を着るかと聞かれて「No.5だけ」、つまり全裸で香水だけをつけて寝ると答えて大ブランドになった。
同じくシャネルでもegoist(利己主義者)やディオールのpoison(毒)など強烈なブランド名を持つ香水がある。強烈だからこそ欲しくなるし、広告も衝撃的になり、その商品の世界観を支持したくなる。

住宅や街を香水のように売っていいのか、という問題はある。イメージでほいほい買うものではないからだ。一生に1度か2度しか買わないし、借りるとしても普通は10回も引っ越さない。長く使うものであり、人が住む場所であり、だからこそ本質的な機能がしっかりと持続するべきものである。ゆえに、ブランドを付けてイメージで売るのは軽佻浮薄であるという抵抗があって当然だ。

アムステルダムが退屈だからじゃないのか?

だが最近のマンションポエムに見られるように、現代の住宅、住宅地は、香水ほどではないかもしれないが、自動車のようにたくさんのブランドを持ち、それぞれの個性を主張し、デザインを変えて売り出される。そのために豪華なパンフレットをつくり、映像をつくる。住宅、住宅地が自動車のように商品化しているのだ。

いや、現代の自動車は昔と違ってイメージではあまり売られない。燃費、安全性、自動制御などの基本性能のほうがむしろ前面で主張されることが増えた。だからもしかしたら現代の住宅、住宅地の売られ方は自動車よりも香水に近いかもしれない。

だがなぜ現代建築と都市計画の聖地アムステルダムで住宅地が砂漠のイメージのブランドで売られるのか。
私もすぐにその理由はわからなかったが、しばらくしてから、こうではないかと思いついた。つまりアムステルダムが退屈だからだ。

アムステルダムは16世紀から都市としての歴史が始まるが、以来、歴史的に、同じ時代の同じ地域の建築は同じ様式でつくられている。現代の建築も同じ高さに揃えられ、デザインの傾向もだいたい同じだ。だからこそ都市がきれいに整備されていると言えるのだが、他方、外見的には変化や刺激に乏しいとも言える。もちろん新しい建築も建っているが、バラエティが豊富だとは言えない。パリやニューヨークのように、街を歩きビルを見ているだけで人々の心がうきうきするという都市ではないと思う。

そういうアムステルダムにずっと住んでいる人たちの中で、新しい変化や刺激を求める気持ちのある人がアムステルダム的ではない住宅地に住んでみたいと考えたとしても不思議ではないと私は思った。
地中海風とかニューイングランド風とかカリフォルニア風とか、何だったら和風とか、いろいろな住宅や住宅地があればいいのに、と思う人だっているのではないか。そういう仮説を私は立てた。

オランダは住宅の37%が公営住宅である(2002年。日本は5%ほど)。つまり中流の人も公営住宅に住めるのだ。若いときに所得が低くて公営住宅に入居し、その後年収が上がっても住み続けるらしい。しかも公営住宅のほうがデザインセンスも良い。
しかし高齢化が進み財政難が予測されるために、裕福な人は公営住宅には住まないでほしいという流れが今あるのだそうだ。国民としても持ち家志向が強まり、持ち家率は終戦直後の30%強から2002年は54%に増えた。
持ち家が増えれば、自分の好きな土地に好きな家を建てることになる。だったら別にアムステルダムらしくなくてもいいんじゃない?と考える人が出てくるのは理の当然だ。北アフリカ風にしても、南フランス風にしても、中国風にしても、いいのだ!

アムステルダムの別の地域の古い郊外住宅地。これも退屈だというオランダ人もいた。アムステルダムの別の地域の古い郊外住宅地。これも退屈だというオランダ人もいた。

東京の混沌と自由を再認識

もちろんデューンの入居者に話を聞いたわけではない。なぜここに住んでいるのか、どこが気に入ったのか、聞きたいところだ。
アムステルダム人一般の意見も聞いてはいない。だからあくまで私の仮説である。

私は帰国し、成田空港から京成電鉄で上野に着き、アメ横から御徒町まで歩きながら、ああ、東京はいいなあとしみじみ思った。雑然として、混沌として、ぼろくて、活気があり、コントロールされず、自由であり、人間のエネルギーが街にそこここに表出している。
自宅のある住宅地に戻れば、建物は戸建てもマンションもアパートもあり、木造も鉄筋も鉄骨もあり、3階建ても5階建ても10階建てもあり、和風も地中海風もモダンも現代建築風もあり、まるでコントロールされていない。
まして商店は、パリ風もイタリア風もニューヨーク風も京都風もタイ風もブラジル風もレゲエ風もある。すべてが着る物のように個人的に選択されている。なんという自由。

これはクールじゃないか。東京の街が、江戸のまま近代化できたとしたら面白いかもしれないけど、庶民の家はみな長屋、金持ちは数寄屋建築、それしかなかったら、やっぱり退屈だろう。世田谷は一戸建てのみ、江東区は10階建てのマンションのみだったら、やっぱりつまらないだろう。環七の外側は地中海風戸建てだけで、環八の外側はニューイングランド風だけというのでも、おかしいだろう。
センスが良くても悪くても、人々の欲望が露出する東京の街。美しくはないが、楽しい。都市計画の敗北かもしれないが、人々は自由である。そういう東京が、もちろんいろんな問題はあるけど、私は好きだ。

東京の下町の混沌こそ魅力東京の下町の混沌こそ魅力

2018年 09月02日 11時00分