古い時代から、紅葉は秋の象徴

紅葉のシーズンが近づいている
もみじといえば手のひらの形に似た、秋に赤く染まる葉を連想するが、実は「もみじ」という名称の樹木はない。現代の私たちが通常「もみじ」と呼んでいるのはカエデ属の樹木、特に、秋に美しい紅色に染まるイロハモミジだろう。「紅葉」は動詞の「もみず」が名詞化したもので、本来は葉が色づく現象をさしている。

赤や黄色に色づいた秋の山を見れば、誰だって美しいと感じるだろう。
しかし、『日本書紀』『古事記』には、紅葉についての記事は見当たらない。ただ古事記には、秋山之下氷壮夫(あきやまのしたびおとこ)と春山之霞壮夫(はるやまのかすみおとこ)の兄弟が、応神天皇の時代に登場する。
弟の春山之霞壮夫は、霞のかかった山の擬人化だ。現代の私達なら、桜の花で色づいた山こそが春の山らしいと感じるかもしれないが、この兄弟のエピソードを見るに、春の花は桜とは限らなかったようだ。

この時代、伊豆志袁登売(いずしおとめ)という美女がいて、誰に求婚されても首をたてに振らなかった。兄の秋山之下氷壮夫は、弟の春山之霞壮夫に、「伊豆志袁登売を振り向かせたら俺の衣服を譲るし、身の丈と同じ高さの甕に酒を造り、山河の産物をことごとく集めてご馳走しよう」と約束する。弟が母にそれを伝えると、母は藤の蔓で洋服と靴下と靴、そして弓矢を作った。弟は美女を尋ね、弓矢を彼女の厠に立てかけたところ、藤の花が咲き誇り、乙女をうっとりさせる。そうして弟は美女と結婚するわけだが、藤の蔓でできた装束に、藤の花が咲き誇るシーンは想像するだに美しく、春に咲く花は桜だけではないのだと改めて思いあたる。
ただし、兄の秋山は、「下氷」を「したふ」と読むなら赤く色づくという意味になるから、兄は紅葉に染まった山を擬人化したものとも理解できる。

五行説では東は春を司り、西は秋を司るため、都が平城京にあったころは、東にある佐保山を春の象徴とし、西にある竜田山を秋の象徴としていた。そこで春の女神を佐保姫、秋の女神を竜田姫としたが、竜田姫は錦秋を思わせる衣装で描かれていることが多い。古い時代から、紅葉は秋の象徴だっただろう。

秋の訪れを目で感じられる紅葉秋の訪れを目で感じられる紅葉

万葉集にも詠まれた紅葉

万葉集にも、紅葉(黄葉)を詠んだ歌が百首以上収められている。

たとえば巻一(十六番)には、額田王の歌が記録されている。

(太字か斜め文字で)冬こもり 春さり來れば 鳴かずありし 鳥も來鳴きぬ 咲かずありし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取り手も見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてぞ偲ふ 青きをば 置きてぞ歎く そこし恨めし 秋山我れは

現代語に訳せば、「冬が終わって春が来ると、今まで鳴いていなかった鳥が鳴き、咲かなかった花が咲くけれど、山は木が茂り、草が深いので手に取ってみることはできません。秋山は黄葉を手に取って物思いします。青い葉っぱが落ちているのを見て残念にも思いますが、私は秋山が良いと思います」となり、春山に万花が咲き誇る様子と、秋山を千葉が彩る様子のどちらが美しいかを、天智天皇が競わせたときに詠まれた歌だ。
(太字か斜め文字で)紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我れ恋ひめやも(大海人皇子 万葉集 巻一 二十一番)
と、春に咲く紫の花に擬せられた額田王だが、本人は春より秋の方が好きだったらしい。

ところで、「紅葉」ではなく「黄葉」と表記されているのに気づかれただろうか。実は、万葉集における「もみじ」は、「黄葉」と表記されることが多い。中国の表記を踏襲したともされるが、日本では古来、緑を「青」と表現してきた。緑色の野菜は「青野菜」だし、緑色の竹は「青竹」、緑色の葉も「青葉」だ。赤い紅葉を「黄葉」と呼ぶのも同じような事情だったのかもしれない。

万葉集にも数々の歌に詠まれている万葉集にも数々の歌に詠まれている

平安時代以降から盛んとなった「紅葉狩り」の歴史

紅葉狩りが始まったのは飛鳥時代と考えられているが、本格的になったのは平安時代とされる。
「紅葉狩り」の「狩り」は、「山野に入って何かを探し求める」の意味がある。春の桜などを植樹された庭は多かったが、紅葉はまだ山で見るものだったようだ。

だから、通常の狩りには出ない貴婦人も、紅葉狩りは楽しんだ。和泉式部日記にも、紅葉狩りの話題がある。
敦道親王から紅葉狩りに誘われた式部が、今日は物忌みであると断ったところ、夜に時雨が降ったので、
(太字か斜め文字で)もみぢばゝ 夜半の時雨にあらじかし きのふ山べを 見たらましかば(時雨に打たれて紅葉は散ってしまったでしょう。昨日山へ行っていたならば)
と親王へ歌を送ったというのだ。
そこで親王は、
(太字か斜め文字で)あらじとは 思ものから もみぢばの ちりやのこれる いざ行てみん(もう落ちてないかもしれませんが、散っていない葉もあるかもしれません。行ってみましょうよ)
と改めて誘う。

しかし式部は乗り気ではなく、最終的に
(太字か斜め文字で)もみぢ葉の みにくるまでも ちらざれば たかせの舟の なにかこがれん(観に行くまで紅葉が散らないのなら、船で迎えにきてほしいと焦る必要もないのですけれど)
と断っている。
紅葉が散るからこそ人は惹かれるのだとの歌は、「あなたの愛は永遠なのか」と問いかけると同時に、「私の想いが永遠だとは思わないでください」と遠回しに釘を刺しているのだろうか。
和泉式部は、為尊親王とのスキャンダラスな恋が親王の死によって終結を迎えると、まもなく為尊親王の弟であり、藤原氏の妻を持つ敦道親王と新たな恋に落ちた。このやりとりは、藤原道長から「浮かれ女」と呼ばれた式部らしい、うまい恋の駆け引きと言えるのかもしれない。

源氏物語第七帖は『紅葉賀』(もみじのが)では、藤壺の懐妊を祝う「紅葉賀」が朱雀院で開かれ、若き光源氏が青海波を舞ったとあるが、これは源氏物語オリジナルの行事で、宮中で執り行われた秋の行事は、お月見や重陽の節句が主だったようだ。

百人一首に収められている猿丸太夫の
(太字か斜め文字で)奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき
などにも、紅葉は山奥で色づいているものという意識が表れているだろう。鹿の鳴き声は紅葉と共に「秋のあはれ」、つまりしみじみとした秋の趣を思わせるテーマだ。牡鹿は雌のことを思って鳴くと考えられており、鹿の声は恋しい人を思い出させるトリガーなのだ。

安土桃山時代、豊臣秀吉は晩年醍醐の山に大量の桜を植え、豪華絢爛な花見の宴を開いたことが知られている。実は秋の紅葉狩りも、同じように計画していたそうだが、残念ながら紅葉の季節まで健康を保てなかった。秀吉にとって、紅葉は人生の黄昏を象徴する樹木となってしまったようだ。

江戸時代になると、庶民たちの間にも紅葉狩りの習慣が広がる。伊勢参りや熊野詣でで旅に出かける風習が生まれ、景色の良い風景を求めて遠出をするようになったからだ。『都名勝図会』などのガイドブックで紅葉の名所が紹介されると、人々が殺到したそうだ。

また、第八代将軍の徳川吉宗は、現在の東京都北区にある飛鳥山公園に桜や楓を植樹している。春の花見と、秋の紅葉狩りは江戸の人々にとって重要な年中行事だったのだろう。人々は、お茶を飲んだり団子を食べたりしながら、紅葉を楽しんだようだ。現代と違うのは、俳句を詠みあったりもしたことだろう。
また、浅草の正燈寺や品川の海晏寺が紅葉の名所としてにぎわったのは、そのすぐそばに遊里があったからだとされる。「ちょっと紅葉狩りに」と出かけて、その「ついで」に遊女たちとも遊ぶのだ。

平安時代にはじまったといわれる「紅葉狩り」平安時代にはじまったといわれる「紅葉狩り」

秋に紅葉が赤く色づく理由とは

さて、それではなぜ、秋になると葉の色が変わるのだろう。
現代の私たちは、秋に葉が色づく科学的な理由も知っている。葉が緑に見えるのは葉緑素(クロロフィル)が多量に含まれているからだが、黄色い色素(カロチノイド)も存在している。乾燥しがちな冬に葉をつけていると、樹木全体の水分不足を招いてしまうし、気温が下がれば光合成の効率も下がる。だから葉を落とすのだが、その前に葉緑素を壊して、養分を樹木本体に回収する。こうして葉緑素が分解されると、カロチノイドが優勢となり、葉が黄色に色づくのが黄葉だ。

紅葉のシステムは、まだよくわかっていないことも多い。葉が紅くなるのは赤色の色素(アントシアン)由来だが、どのように合成されるのかは樹木の種類によって違い、すべてが解明されていないのだ。一般的には、葉が落ちる準備として葉の根本に「離層」と呼ばれるコルク状の壁が作られてから、アントシアンができると説明されている。葉緑素のすべてが回収されるわけではないので、残った葉緑素が光合成し、できたでんぷんが糖に分解されたところに日光が当たると、化学反応がおきて赤色のアントシアンに変化するのだ。

北海道から九州まで、公益社団法人 日本観光振興協会が紹介する紅葉の名所は700前後もある北海道から九州まで、公益社団法人 日本観光振興協会が紹介する紅葉の名所は700前後もある

紅葉の名所に出かけよう

京都の寺院などには、紅葉が美しい庭もあるが、秋は山全体が色を変えるので、大自然の中に出かけて、紅葉狩りを楽しむのも良いものだ。

関東では
・富士山まで一望できる箱根の芦ノ湖(神奈川)
・日光いろは坂(栃木)
・那須高原(栃木)
・高尾山(東京)
・尾瀬(群馬)

関西では
・多武峰(奈良)
・嵐山(京都)
・永観堂(京都)
・比叡山(滋賀)
・箕面(大阪)
などが人気の高い紅葉狩りのスポットだ。

このほかにも関東では筑波山や中禅寺湖などが人気のようだ。

SNSで話題になっている関西のスポットは、京都市左京区にある実相院門跡瑠璃光院だろう。磨き抜かれた床に映る紅葉が見事だが、近年は混雑を避けるため予約が必要なようだから、公式サイトなどで確認してほしい。
また、京都市内の混雑を避けるなら、長岡京市の光明寺も穴場的スポットだ。参道には赤や黄色、緑の紅葉のトンネルが現れる。宇治市の興聖寺でも、琴坂の紅葉が空を覆い尽くす。

地球温暖化により、鮮やかな紅葉を観られる年が減っているようだ。
去年の秋に青森に行って、紅葉の鮮やかさに驚いたものだが、30年前は、関西の紅葉もこのようだったなと思い出した。
これからも美しい紅葉を観るために、気候にも気を配りたいものだ。

また、日本気象協会が、毎年紅葉見ごろ予想を発表しているので、日程を決める際は参考にしてほしい。


■参考
日本気象協会の紅葉見ごろ予想:https://tenki.jp/kouyou/(今は2022年のもの)
新典社『古代中世文学論考 第29集』古代中世文学論考会編集 平成26年4月発行

日本各地の観光地でも紅葉が見られる日本各地の観光地でも紅葉が見られる

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